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074:希望

 侍女が周囲の気配を探ると、カエラに向かって頷いた。

アーノルド家に仕えるソルトも、戦闘からその他多方面に色々な技をもっているけれど、世の中の侍女の必修項目なんだろうか。

少し咽の調子を整えた後、ポツリというような声量で話し始めた。


「ウォルフさま、アキラさま。先日は当家が大変ご迷惑をお掛けしました。家を代表して謝罪します」

「いえいえ、結果的に終わった事です。アンルートさんが手加減してくれたと思いますが、アキラが頑張ってくれたので」

「私もアキラさまの勝利を信じておりました」

「「ありがとうございます」」


 車椅子に座り、社交辞令のような話が終わると、身の上話となる。

事前に侍女に聞いていた話と重なる部分があったが、そこに辿り着くまでにミーシャの話が出てきた。

元々ナーゲル男爵家は特産物などがなく、武力も政治力も普通より少し下の位置にあった。

そんな貴族家が生き残る為には、対等な男爵家と縁を結ぶより、少しでも上位の貴族家に取り入るのが普通だった。

ナーゲル男爵家とリッセル子爵家の仲は長く、当然のようにお互いの子供達も交流をしていた。

カエラがアンルートを好きになるのが自然な流れのように、この二家はお互い利益を慎重に計算していたのだ。


 どの貴族家も、アーノルド家を危険視していた。

それは特産品であるワインと、武門で二代続けて名を馳せており、男爵家としては勢いがある家だったからだ。

スチュアートは近衛騎士として王家にも篤く、当時王女だったレイシアとの仲は国民にも期待されていた。

そんな二人が結ばれ自領に封じられると、近隣の貴族家は一発逆転を狙って活動的になった。


 ウォルフの嫁となると、アーノルド男爵夫人というポジションしかない。

ところがミーシャの婿になれば、生まれた者は王家の子供候補になるかもしれない。

実際には王家から出たら王家からはずれ、大きな貴族家に嫁か婿養子に行くことになる。

文官になる者もいたし、芸術などを後援する者や、俗世を離れた者もいた。

ただ、どの分野に行っても敬われ、その者の人生は失敗する事がないと言われている。


 ミーシャの病が知れ渡り、周囲はまた平穏な生活に戻りつつあった。

ところが、10年の約定が満了し、ミーシャを連れて王都に家族揃って向かった事で事態が一変した。

ナーゲル男爵家とリッセル子爵家他、良からぬ事を考えている家が蠢動を始めたのだ。

ナーゲル男爵家の長子とアンルートが候補に上がり、「どちらかが、その座を得ても協力する」と密約が交わされたのだ。


 ナーゲル男爵はアンルートをカエラに迎える話もしていたが、その話はこの数年でないものにされた。

車椅子とカエラによる営業活動を強めると、ナーゲル男爵は独自の協力関係を結ぶルートを開拓していた。

そして、全てが整いデュエルとなったのだ。


 段々逃げ切れなくなった状況に、カエラは動きを封じられていた。

誰かに助けを求める機会があるとすれば、大勢の不特定多数が集まるデュエルしかなかった。

『元近衛騎士』と『元王妃』、方や『小悪党』と『大悪党』だ。

願いは届かなかったが、こうやって会う機会が出来た事に感謝していた。


 カエラは車椅子に座っているだけでは、痛みはないらしい。

ウォルフが言いよどんでいたので、自分が「立てますか?」と質問をする。

侍女が近付くと、ステップをスライドしてどかし、侍女の肩を借りてカエラは立とうとする。

すると、すぐにバランスを崩して左足に力が入ってないように見えた。

慌てて侍女が抱きしめるように支えると、カエラを車椅子に戻した。


「アキラ!」

「ウォルフ、これは必要な事だよ。カエラさん、ごめんなさい。痛みますか?」

「いえ、大丈夫です。立ち上がると左足が……」


 自分が見ているお嬢さま達は、健康的な女性が多い。

ミーシャもようやく、線が細いという印象が消え、少しぽっちゃりも入りかけていると思う。

今度レイシアとソルトに、お菓子の取りすぎについて注意したいと思う。

でも、ダンスレッスンも頑張っているから、ちょっとくらいは良いかな?


「このままでは、この家に殺されてしまいます。家の為に尽くすのが『貴族家に生まれた責務』とは言え、日々その恐怖に怯えるしかない暮らしは……」

「では、この家に未練はないのですね」

「はい。アンルートさまとの婚姻だけは、未練が残りますが……」


 不幸続きだったカエラも、アンルートからの求婚は嬉しかったらしい。そして、先日アンルートが挨拶に来たのだ。

侍女を通して今後の事を聞くと、この男爵領で暮らすことを決めたらしい。

子爵領に連れ出してもらえると期待した。もしかすると、王都で暮らせるかもしれないと思っていた。

そして、期待が裏切られた事に絶望した。


 侍女が元の位置に戻ると、こちらに静かにするように口元に指を当てた。

カエラの表情がスーっと消えていき、今まで和んでいた空気がピンと張り詰める。

コンコンとノックが聞こえると、別の侍女がアンルートの来訪を告げた。

通さない訳にはいかないようで、侍女が扉を開けると、アンルートは「そういう理由か」と呟いた。


 案内してきた侍女が「お茶をお持ちします」と言うと、中にいる侍女が「私がやりますので大丈夫です」と答える。

ドアが閉められると、アンルートが挨拶をした。

「ウォルフ君とアキラ君がいたのか。みんながソワソワしている訳だ」

「ナーゲルさまがですか?」

「ああ、心配で送り込まれたようだよ。多分、話せない娘と何をしているか、心配になったんじゃないかな? 侍女もいるのにね」


 お茶がやってくると、みんなのカップの中が新しいものに変わる。

「アンルートさん、今日は?」

「ああ、両家の許可も出ている事だし、いったん王都で挨拶回りをしようかなって」

「挨拶ですか?」


「騎士団のみんなに、中途半端になってしまった事を謝罪しないとね。後は寮も引き払わないといけないし、アーノルド家との模擬戦の報告もあるかな」

「それをカエラさんと一緒に?」

「ああ、さっき許可を貰ってきたよ。でも、カエラと二人っきりじゃダメと言われたけどね」

「わ、私がお供しても良いでしょうか?」

「カエラが一番信頼をしているんだ。頼めるかい?」

「はい、お願いします」


「あの、アンルートさん」

「なんだい? ウォルフ君……」

「ウォルフ、ここじゃ」

「アキラ、どうすればいいのか……」

「あの、アンルートさん。自分達……」

「うん、そこまでにしようか。僕もこのままじゃいけないのは気がついているよ。ただ、場所が悪いかな」


 アンルートも、今の関係を危惧しているらしい。

平和な時代には波風を立てず、競い合うのではなく協力していくのが得策だと熱弁した。

ただ、こんな状況では協力し合うのは難しい。アンルートとカエラの距離が近付けば、自然と二家の距離は近くなる。

そして、ウォルフとアキラと仲良くなれば、メナール男爵家とグレイス男爵家とも程良い付き合いが出来るはずだ。


 問題はカエラとナーゲル男爵家の仲だった。

これはお互い依存関係にあり、一旦距離を取ったほうが良いというのがアンルートの考えだった。

「あなたは誰の味方ですか?」

ウォルフのストレートな質問に、「僕は我侭だから、家族は大切にするし、欲しいものは手に入れるよ」と答えた。


「ミーシャは渡さない」とウォルフが言うと、「家族はカエラだけで十分かな」と惚気た。

今彼女を見たら、カエラの張り詰めた顔が、若干緩んでいる姿が見えてしまうだろう。

これを知っていてやったなら、アンルートは恐るべき男だと思う。


 ウォルフを見ると、こちらに頷いてきた。

アンルートがナーゲル男爵側に付く事は十分考えられる。

でも、今取れる手段がなかった。


 カエラには逃げたい気持ちと、アンルートと一緒に穏やかに暮らしたい思いがある。

アンルートには期待したいけど、彼女を治す行動は不明で状況は理解している。

三名はこの後王都に向かうようで、全てが終わったらナーゲル男爵領に戻ってくる。

多分、カエラは左足に力が入らない理由があり、全体的に動いていないのでリハビリが必要だった。


「分かりました。とりあえず自分達は一旦家に帰ります」

「そうか。またどこかで会えるといいね」

「長居しました。最後に挨拶して戻ります」

男爵の所に案内して貰うと長居を詫び、夫人に「お嬢さまは快方に向かっています」と伝えて良いか確認をした。

男爵夫人が喜んで了解してくれたので、必ず伝えますと言いナーゲル男爵領を出た。


 正規の手段で男爵家を出ると、ゲートを使ってアーノルド本邸に帰宅した。

既にみんな出発しているようで、マザーと『まどろみの導き手』は明日移動するらしい。

ウォルフと二人でマザーに報告すると、「今出来る事を頑張りなさい」と言われた。

翌日に二人を見送ると、ウォルフと一緒にゲートで王都に向かい、ダンスホールのアルバイトを頑張った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 宮廷魔術師団には、専用の施設が存在する。

多くの者は国の仕事に携わり、騎士や兵士だけでは対応出来ないことも、協力して事に当たっている。

いつもいつも危険な事が起こるはずもなく、後進の指導という観点から、魔法使いの育成にも力を入れていた。


 王国の秘密兵器や、最終兵器と言われているフレアには、年の離れた妹がいる。

冒険者の学園時代からフレアの火力には定評があり、火属性の魔法使いの性格と言えば、『まあ、こんなもんだろ』程度のフレアに似ても似つかず、その妹は大人しくて控えめだった。


 間もなく16歳になろうその少女の名前はコロナと言い、兄と違って学園に通う事はせず、行儀見習いも含めて宮廷魔術師団でお手伝いをしている。順調に行けば間もなく結婚するような年齢だが、順調に行かない理由は兄の存在だった。

縁故という理由で入れた、上位階級とも呼べる団体の職員であり、出会う人達も貴族家の者も多い。

夢にまでみた職場が、兄のポジションと性格の為に、肩身の狭い職場になっていた。


 先日、王家・協会・宮廷魔術師団・農場で、大きな儀式を行ったと聞いた。

多くの聖者が集まり、数十年ぶりの儀式を成功させたと言っていた。

この団体を並列で見た時にGR農場があった。兄から聞いたけど、ここはリュージという魔法科の特待生だった男性が作った会社だった。

兄とは同級生で、方や民間なのに国から依頼があって見事に解決し、方や国の職員なのに国から「肩を温めておくように」と言われている兄。


 兄が肩を温め続けているから、時々暴発したりしている。

残念な兄を見る視線の流れで、残念な妹のレッテルを貼られるのは悲しかった。

私の兄がフレアだと知った彼……、この話は悲しくなるからよそう。


 そんな私の今日の仕事は、管理している魔道具の清掃活動だった。

二人一組で清掃を行い、管理者は異常がないか確認をする。

今回の大物は、前回の儀式で使った『聖火台』だった。


 一通り清掃が終わり、『聖火台』に取り掛かる。

「もー、お兄ちゃんのせいで、お兄ちゃんのせいで、お兄ちゃんのせいで」

「コロナ、聞こえてるわよ」

石柱の上部は薄っすら凹レンズ状になっており、上下左右中央に各一個ずつ色の違う宝石が埋められている。

兄への怨嗟を呟きながらも、コロナは丁寧に、傷がつかないように宝石を磨いていた。


 中央の透明な宝石を、コロナが柔らかい布で拭うと、ボワァと赤い宝石に灯りが点りすぐに消える。

「あれ? ねえ、ちょっとー」

「なーに? コロナ」


 コロナがまた優しく磨くと、ボワァと赤い宝石に灯りが点りすぐに消えた。

「私もやっていい?」

「うん。はい、これ使ってね」

もう一人の女性が中央の宝石を磨いても、何も変化が起きなかった。

その様子を一部始終見た管理者は、急いで上司に報告をした。


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