063:コンサート
「潮騒が聞こえる……」
「はいはい、アキラ君。じゃあ、シリルさんに試してね」
「では、シリルさん。こちらをお願いします」
『聖別の儀』が終わった翌日、リュージは冒険者チームを呼び出して、学院の一室でシリルの後遺症の治療を試していた。
驚くことに今回冒険で手に入れた戦利品は、100%の確率で聖なる魔力が付与されていた。
元々魔道具だった物も少しだけど、その効果が上乗せされている。
一応の安全性を試す為、サラとルーシーと自分が確認した後でシリルに使って貰う。
今のところ目立った効果は現れていなかった。
この間にガレリアは、セルヴィスと一緒に聖者達と学院を見学していた。
久しぶりの王都の変容に、聖者達は良い方向で変わっている事を喜び、各村からも王都で勉強できる機会を与えて欲しいと二人に相談していた。サラとルーシーというラース村からの特待生も出た事だし、スポンサーである王国にも打診する必要があるが、全ては王国の人材の充実になるのは間違いないので、問題なく通る案件でもあった。
「シリルさん、無理をする必要はありませんよ」
「ありがとうございます、アンジェラさま。特定の音に関わらなければ、日常生活に支障がないくらいには落ち着いたのですが」
「でも、聞こえ辛かったり、頭痛や眩暈の原因でもあるのですよね」
「はい……」
立て続けにシリルに試して貰ったので、気疲れしてしまったのだろう。
少しぐったりして見えたので、アンジェラが一先ず「ここまでにしましょう」とリュージと自分達に声を掛けてくる。
すると、ドアがノックされた。
「入るぞ」
「王子、本日はお越し頂き……」
「リュージ、堅苦しい挨拶はいい。それで、どうなんだ?」
王子の出現に驚いているグレファスとシーン。そして、一番驚いているのがシリルだった。
まさか、平民の自分の為に、こんなに多くの人が動いていたなんて思ってもみなかった。
王都は今やお祭り騒ぎだ。それは久しぶりの数多くの聖者の帰還に、来年の吉兆を感じたからだった。
シリルは知らない、突き詰めれば自分の為に聖者達が集まったことを。
アンジェラが首を振ると王子は表情を変えず、「そうか」と一言だけ漏らす。
グレファスとシーンは、それぞれサラとルーシーに何で驚かないか小声で詰め寄っていた。
二人の答えは「「だって、お兄ちゃんだもん」」で、リュージはその言葉が聞こえていたので苦笑していた。
タップはさりげなく王子の近くに回り、ドアの外を確認していた。
「あ、あの。私なんかの為にありがとうございます。先生には『力仕事でもなんでもやるので、お手伝いさせてください』とお願いしたので大丈夫です」
「シリルよ、この病の後遺症は治る事もある。何時とは言えないが気をしっかり持つのだ」
「私、王子さまに会えただけで満足です。みなさま、ありがとうございました」
室内に静寂が満ちた頃、タップから「リュージ、そろそろ時間だぞ」という言葉が聞こえた。
タップが先頭を歩き、みんなで歩き出す。
今日は聖者だけではなく、王子も含めた来賓向けのコンサートを予定していた。
この式典はミューゼ家が中心になって進めていて、音楽堂の最前列の3席は王子・シリル・ミューゼ家当主のロイエの席が用意されていた。既に演奏者は着席しており、今日の指揮者はミューゼ家次期当主のレンドが務めており、音楽家のランドールはグランドピアノの前に着いていた。
決められた席に着くと、見学を終えた聖者達が最後にやってくる。
セルヴィスが演台の前に立つと、音楽科の特待生を紹介したいと客席に伝えた。
すると、ロイエと王子がセルヴィスの近くへ行き、「特待生としての才能があるか、みなさんに判断して欲しい」と言い、再び席に着いてから演奏が始まった。
最初は王国定番の楽曲から演奏となる。その後はダンス用の華やかな曲やテンポの良い、明るい曲が演奏されていた。
「シリル、みんなの演奏はどうだ?」
「はい、ロイエさま。みんなとっても楽しそうに演奏していると思います。私も……」
「いつまでも待っているぞ。今日が最初で最後の観客になるかもしれないから、きちんと楽しむように」
「はい、ありがとうございます」
朝から今まででも、多少苦しそうにする姿はあった。
ただ、ロイエが見た限り、みんなの演奏では苦しむ姿は特になかった。
アップテンポの曲の後は、ランドールと弦楽器奏者の二人による『聖者の帰還』という曲が演奏された。
これはランドールがCDを聞きまくり、インスピレーションを受けてこの日の為に書き上げた曲だった。
「さすがランドール、見事な楽曲だ」
「聖者さまの荘厳さと、優しさが現れる曲ですね」
「二人の奏者も、お互いの良さを引き立てているな」
一曲ごとに拍手が起こる。それは毎回スタンディングオベーションしそうな勢いだった。
今回は見学の後ということで、この後昼食会も控えているので、次が最後の曲になる予定だった。
準備の為レンドが話術で繋ぎ、奏者の中から2名が少し大きめなベルを用意した。
一人の女性がレンドに変わった指揮棒を持ってくると、最後の楽曲は定番の『女神さまへ捧げる詩』を演奏するようだった。
それはとても短い詩だった。
隣にいるサラとルーシーに聞くと、ラース村にいた時によくマザーとアンジェラが歌っていたものだった。
通常はアカペラで童謡のように庶民に親しまれるもので、歌詞の内容はこうだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ああ、女神さま 何故お姿を見せて頂けないのでしょうか?
私の涙に皆が微笑み 伸ばした手をそっと優しく包み込む
その心に触れながら その心に抱かれながら
ああ、女神さま 何故お声を聞かせて頂けないのでしょうか?
両の脚で大地を踏みしめ これからの生き方をしっかり見据える
その心に触れながら その心に抱かれながら
ああ、女神さま 何故お姿を見せて頂けないのでしょうか?
燃えるような恋の末 新たな命を喜んで希望を胸に抱く
その心に触れながら その心に抱かれながら
ああ、女神さま 何故お声を聞かせて頂けないのでしょうか?
老いたこの魂は去っていく 後に続く若き者へ託すために
その心に触れながら その心に抱かれながら
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ランドールのピアノの旋律に、優しい弦楽器が心を癒すようだった。
静かに最後の余韻を楽しむようでもあったこの曲は、王子を含め多くの聖者や来賓の心を打っていた。
シリルも涙を流し聞き惚れていて、これが音楽家としての最後を告げる曲のような気がしていた。
最後に二人のハンドベルが鳴らされると、スタンディングオベーションが巻き起こった。
その音にシリルは頭を抱え込む。一刻も早くこの場所を逃げなければいけない。
ああ、最後の賞賛の拍手までも聞けないなんて、裏方に回っても苦しい思いを……。
それでも、私にはこの場所しかないと思っていた。
異変に気がついたランドールが、ピアノの鍵盤をジャーンと強く叩きつけた。
突然の奇行を驚いた観客に、レンドが指揮棒を静かに客席に向けた。
「失礼しました。私達は大変な過ちを犯してしまうところでした」
「高いところから失礼します。私はランドールと申しまして、この生徒達の師でもあります」
「本来、この楽曲はみなさまと一緒にあるべき曲です。どうか恥ずかしがらずに一緒に歌って頂けますでしょうか?」
完璧な曲で終わりを迎えたのに、それでもダメだというミューゼ家の時期当主と音楽家。
周りはどこがダメだったのか分からずにいた。
リュージは最後方の壁際にいた。
それはどの場所にいても等しく音が届けられているか、外に無用な音が漏れていないかのチェックの為でもあった。
「あれではダメなのじゃー」
「あれ? おじいちゃん。みんな揃ってどうしました?」
「そうね、あれじゃあダメダメよね」
「うーん、僕には分からないなぁ。誰か教えてくれない?」
「燃えるような力強さが足りないな」
「そうではないのじゃー。でも、これは風の精霊の得意分野なのじゃ」
「音とは一音にあらず。良い音でも低い音でも高い音でも音痴でも、みんなで歌うと楽しいでやす」
レンドの力強いタクトから演奏が再開される。
一振り一振りに気持ちが篭り、魔力の迸りが見えているようだった。
主旋律をランドールが奏で、そこに弦楽器が厚みを加えていく。
最初から歌い出したのは、マザーとアンジェラだった。
慣れ親しんだ『女神さまへ捧げる詩』、それは人の一生と精霊さまへの感謝への詩でもあった。
今度は大人しく座って聞く必要はない、マザーとアンジェラは気持ちを込める為、立って歌いだした。
すると一人二人と自然に立つ者が現れてくる。
そして、レンドがタクトを奏者に向けていくと、何故か一人二人と演奏を止めていく奏者が現れた。
「あっしにはどうなるか分かりやせん。でも、あれで良いんでやす」
「風の精霊さま、ありがとうございます」
タクトの魔力は、タクトの先の方に巻きついていた。
見る者が見れば、それはレイザー光線をぐるぐる回しているようにも見えた。
演奏を止めた奏者も、立ち上がり歌に参加していく。
その光景を王子・シリル・ロイエも珍しい物を見るように見守っていた。
さっきから体を震わすような音が、四方八方からシリルに届いていた。
それは鼓膜を叩くような強い刺激でも、頭痛を誘うような重いものでもない。
どちらかというと、懐かしさを感じるような憧憬を思わせるようなものだった。
きっとこの先もこの演奏を思えば生きていける、それは決別の曲でもあった。
この後、再び来るであろう拍手の前に、逃げなくてはいけない。
それは最前列にいる以上無理な事だけど、この場で倒れるよりは非難は少ないだろう。
そう思ったシリルの前に、最後のタクトが二人の奏者に向かって振るわれた。
リィィィィィン、ゴォォォォォン。
振るわれたタクトの先の魔力が、聖なるベルに届く。
すると、先に高音の音が反応し、その音がもう一人の奏者のベルへ魔力が反射する。
歌い終わった観客と奏者は、広がりだす聖なる余韻に浸っていた。
体を震わす音が染み込んでくる。
それは初めてランドールの演奏を聴いた時の、体の震えかと思うような出来事だった。
柔らかい音と重厚な音が、音を司る器官の乱れを正常なものに戻していく。
それは確かに癒しの魔法であった。
湧き上がる拍手に、シリルは驚きの表情を見せる。
「どうした? シリル」
「ロイエさま……、痛くないんです。苦しくないんです」
「そうか……、そうか。今はこの演奏を称えよう。そして、お前も早くあの席に座れるように努力をするのだ」
「はい!」
リュージの周りの精霊さま達は、いつの間にか消えていた。
涙を流して大きな拍手をするシリルに、演奏者達がシリルの変化に気がつき、急いで降りて抱きしめる。
ランドールが「おかえり」と微笑むと、シリルは泣き笑いのぐちゃぐちゃになった表情で「ただいま」と抱きついた。




