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037:ミューゼ家

「困ったわね」

「アデリアさん。これは緊急事態だから仕方ないんじゃないか?」

「そうねギレン調理長、何か暖かいものをお願い。責任は私が取るわ」

「任せてくれ」


協会から来た医師によれば、症状的には風邪だが詳しく診なければ分からないだった。

というのも、この女性はとても普通の状態ではなかった。

ベッドで意識を取り戻した女性に確認した医師は、真っ先に過労・睡眠不足・栄養状態が悪いと診断した。

それだけ体が弱っていれば、ただの風邪でも悪化してしまう。

風邪は万病の元とは言うけれど、風邪をバカにしてはひどい目にあうのは目に見えていた。


解熱剤を処方されて、快方に向かわないようだったら早めに診察を受けるように言われた。

それまでは栄養と休息と睡眠をしっかりとるようにアデリアにも話していた。

医師が帰ると、入れ違うようにギレン調理長がスープを持ってくる。


「シリルさん、大丈夫ですか?」

「アデリアさま、申し訳ありません。午後のレッスンは……」

「心配しなくて良いですよ、皆様には理解して頂いていますので。それより食事はきちんととっているんですか?」

「……」

「急にお腹に何かいれるとビックリしてしまうかもしれません。まずはスープだけでも」

「いえ、それは……」

「こちらで起きたことは私の責任になります。あなたが罰せられる事がないよう、きちんとミューゼ家に説明します」

「あの、先生には……」

「それも考える時期だと思います。私も義父母から聞いておりましたから」


シリルは味わうようにスープを飲み干すと、胃が動き出したのか「グゥ」という音が聞こえてきた。

照れたように俯いていると、ギレン調理長が「何でも言ってくれ、今日は特別だ」とニッカリ笑う。

彼女は困ったような顔をしているので、ギレン調理長に雑炊を勧めることにした。

野菜たっぷりスープに、ざっと洗った米を入れて卵で溶く。


土鍋で出してくるあたり、この調理場というかギレン調理長がリュージの色に染められていると感じた。

シリルは一定のペースでお椀によそって食べる、お椀によそって食べると繰り返すとあっという間に食べきっていた。

薬もアデリアの指示通り飲むと、そのまま数時間眠るように指示をされた。

侍女を一人待機させると、落ち着く為にお茶を飲むことにした。


何かずっとお茶を飲んでいる気がするけど、気にしてはいけない。

急な対応で昼食を食べそびれたので、ギレン調理長が適当につまめるものを作ってくれたようだ。

まだ来て二日目なので食事をとりながら、、分からない事はアデリアに聞くことにした。


「あの、何か聞いてない決まりごととかありますか?」

「ああ、ごめんなさいね。秘密にするつもりはなかったんだけど、侍女や演奏者・講師にも決まりがあるの」

「それはどういうものですか?」


まず大前提として、この施設は貴族街にある。

外交と作法で有名なポライト男爵家が、海外のお客さまや付き合いのある貴族を遇する為、気軽に使える施設をと望んだのがこのダンスホールだった。

当時独身だったローラに実績を作る為、王妃が後援者となり、ガレリアとポライト男爵家が進めた共同事業だった。

この時、協力を求めたのがミューゼ男爵家だった。


領地持ちの貴族は、自領を豊かにするという使命がある。

それは王国からの預かり物でありながら自分の実力を示すものであり、「継続して管理を任せれば安心」と王国の心象を良くすれば、次のステップを登るのに良い印象を与えることが出来るからだ。領地運営には、貴族家によって様々な形式をとる。

特産品を作り商業ギルドを通したり行商したりする家・観光地や避暑地として集客をする家・農業王国だけあって農業に従事する貴族家は多かった。そんな中、古くから芸術家の育成で、貧しいながら支援をしていたのがこのミューゼ家だった。


その支援は徐々に実を結び、支援を受けていた者は弟子を育てるようになった。

才能ある者を迎え指導をしていく、それは以前ガレリアが支援していた私塾の者達と通ずるものがあった。


当初、ガレリアはこのミューゼ家が支援している音楽事業も学院に招こうと思っていた。

ところが、ガレリアと敵対する勢力に何かを吹き込まれ、ミューゼ家はガレリア基金と少し距離をとるようになった。

そして、そのままその勢力に騙されて、ただでさえ慎ましやかな生活を送るこの男爵家に多額の借金をすることになってしまった。

ミューゼ家は素直に非を認め、ガレリアに相談し、音楽家達の支援をお願いした。

そして、戒めとして演奏者のアルバイト料は格安となり、その他一切の支援を断ると心を閉ざしてしまった。


そこに手を差し伸べたのが、外交で活躍していたポライト家だった。

国外での公演を斡旋してもらい、その技術は国内・国外で磨かれていった。

すると、今度は別の貴族家から支援の依頼がやってくる。

ミューゼ家は高位の貴族どころか、国家・王家からの支援まで断るようになっていた。

借金を作った時に、「金を返さないなら口を出させろ」と言われたのが頭に残っていたようだ。


この施設では、演奏者は施設の支援を受けず、講師と協力して進める事でアルバイト料が発生している。

ミューゼ家が望むレベルに達しない者は、アルバイトに参加する事が出来ず、出されて口にして良い物は水だけだった。

そんな水分補給も水筒を持ってくるくらいなので、ローラもアデリアも最初は困惑していた。

徹底したプロ根性は認めるけれど、協調とか信頼は生まれにくい状況であった。

自然とポライト家から来ている講師や侍女達も、息苦しい環境で仕事せざるを得なかった。


勿論、賄いがあるという契約ならそれは問題なく出ている。

一日勤務の侍女達は、時間が空いた者から食事をとるし、貴族家の子女達に誘われたなら講師は一緒に食事をする事もある。

ただ、頑なにミューゼ家からのアルバイト達は様々なものを拒んでいた。


芸術に携わる者は、一日の大半をその活動に捧げている。

世の中、天才ばかりではない。練習して練習して練習して、削れる時間は限りなく削っていく。

そして、それだけでは生活が出来ないのでアルバイトをする。

シリルは音楽に携われるアルバイトなので幸せな方だと言っていた。


侍女がやってくると、来客の案内が立て続けに告げられた。

ミューゼ家より当主のロイエ・次期当主のレンド・音楽家のランドールがやってきた。

ポライト男爵家夫妻もやってくると、ガレリアとリュージもやってきた。

帰りそびれたので、末席で打ち合わせに参加することにした。


「皆様、うちの弟子が申し訳ないことをした。体調管理は常々と……」

「ランドールさん。そろそろ考える時期になったのかもしれませんな」

「ガレリアさま、それはどういう事でしょうか?」

「ロイエさまとレンドさま。日頃よりこのダンスホールでは多大なる御協力ありがとうございます」

「いやいや、こちらこそ」

「あの件から多くの時が過ぎました。音楽家を含む芸術家を育てるのは、並大抵の事ではないと思っています」


今でこそ借金を返し終わり、清貧を旨とする生活を送る男爵家は、余所の貴族家から介入されたくはなかった。

ロイエが頑なな態度をとると、追従するようにランドールが静かに頷く。

それに対してポライト男爵は、ミューゼ家を前面に出しつつも信頼出来る所の支援は受けるべきだと言う。

少なくとも国家や王家は信頼出来るし、この施設が運営出来たのはガレリア基金によるところが大きい。


問題は貧しい時期に支援したランドールが成功し、その弟子が増えた事による弊害が限界に達したのだ。

苦しい時期に二人三脚で歩んだロイエとランドールが成功したので、次はレンドが新たな時代を模索した方が良いのではないかとリュージが指摘した。


「レンドさん。まずは、音楽家を志す者達の希望を考えるべきだと思うんです」

「リュージさん、あなた達夫妻には大変感謝しています。代官からも報告を受けてたが、うちの領でも飢える者が大幅に減ったよ」

「それはレンの功績ですね。私のではありません」

「あなたは誠実な人だ。最初に支援を受けたのが貴方達だったなら、素直に頷けたのでしょう」

「では……」

「私達にも意地がある。ランドールは実績を残したが、それは彼の手柄であって私達の手柄ではない」

「レンドさまは、まだ支援を受けるのに相応しい働きをしていないと言うのですか?」


ガレリアの指摘に素直に頷くレンド、音楽家としてランドールは己に厳しく教え子にも厳しい。

レンドは内心支援を取り付けたいけれど、父と同様に介入されたくはないという考えだ。

アデリアは今日の処置について伝え、勝手に協会から医者を呼び薬の処方と食事について詫びた。

ただ、今後も同じような事が起きたら、迷わず同じ対応をするとミューゼ家に宣言した。


今日来るはずだった、もう一人の演奏者が休んだ事にも話が及んだ。

念の為、二人が参加した演奏場所をランドールから聞き、風土病の可能性も考える。

音楽を志しながら現実の壁に阻まれる事があっては、ミューゼ家にとって良いことではない。

誰もがお互いの立場を理解してはいるが、成功者に対する支援の難しさに皆が頭を抱えていた。


「あの、来週はどうしましょうか?」

「ただでさえ忙しい中、手配していますからね」

「アキラ君はどちらにしても来てくれると嬉しいな」

「じゃあ、何か困っている事ないですか? どなたでも良いですが、それを解決すればその報酬として考えるとか」


ランドールからは新しい曲へのインスピレーションの話が出て、二人の男爵からは海外公演の時、楽器の移動についての話が出た。アデリアはやはり来週の演奏者の心配と、定期的に継続して演奏者を求める声があがった。


「アキラ君、何か解決策はあるかな?」

「リュージさん。多分だけど、オーディオセットがあれば良いですよね?」

「ははは、この世界にあって使えるならね……え? もしかして」

「確かルームの中に……」

「ちょ、ちょっと待ってね。その話は分かったから後にしよう。ちなみにCDとかもある?」

「大丈夫だと思います」


「ミューゼ家の皆様。この話を私に任せて貰えませんか? 今の問題点を出来るだけ改善しましょう。その上で解決した暁には学院にミューゼ家の皆様を指導者として、今指導している生徒を全員特待生扱いで迎えましょう。こちらの希望としては、この施設へのアルバイトのみで口を出すことはしません」

「それは随分うちに都合の良い話ですね。リュージさんのお気遣いは……」

「レンドさん、これは未来への投資なのです。寝不足や体調不良、そんな状態で演奏出来る程、音楽とは簡単なものなのですか?」

「ロイエさまにレンドさま。私達の弟子が良い環境で集中できるなら、これほど素晴らしい事はありません」

「……分かった。ポライトさまにもお世話になっているし、その恩は返そうと思っても返しきれるものでもない」


ガレリアが今までの内容をまとめている。

学院には大きな講堂もあり、使っていない部屋は山ほどあった。

防音工事も必要だし、馬車の改良なら専門の業者に頼む必要がある。


金曜まではダンスホールは休むことになった。

お茶やお風呂だけを楽しむ人・ダンスの場所だけ借りたい人には可能な限り開放することになった。

打ち合わせが終わると、リュージと二人だけで個人面談となった。


「アキラ君、さっきの話だけどさ」

「はい、時空間魔法にルームというものがあったんです」

「へぇぇ、それってどういう魔法なの?」

「はい、部屋を作る魔法で、ドアをくぐるとその部屋に入れるようになります」


一通り説明した後、付帯設備や選択して色々なものが置けるようになると話すと、チートだねと苦笑いしていた。

その中にあったのがオーディオセットで、召喚魔法を使えれば出すことも出来る。ただ、お金を出して買う必要があった。

その他にも、【魂の時計】は置く場所もないのでルームに飾ってある。

出来る事を証明する為、【魂の時計】を取り出すと、リュージはとても驚いていた。


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