第4話 ウィンドレス道場
空はねずみ色の雲に覆われていて、太陽の光が差し込む隙間もない。
その雲から雪が降って家々の屋根や街灯の上に積もっていたら絵になるのだが、
今日は残念ながら寒いだけだ。あるのは粉雪ではなく、固くなった黒い根雪。
マフラーに首をうずめて、僕はウィンドレスへ向かっている。
レアー・フィリッチェと会ってから2週間がたっている。
レアーと会ってから寝て、目覚めたらまたしても見知らぬ部屋にいた。
気を張り合わせたベッドと小さな箪笥、そして鉄製の机がそれぞれ2つずつ。
壁や床、天井すべて白色だが、窓の近くだけ日に焼けたのか、黄ばんでいる。
囚人部屋にでも入れられたのかと思ったが、今回は説明があった。
机の上に置き手紙があったのだ。
「ここが君の寮の部屋だ。君のために遠くまで広がる森が見える、見晴らし
の良い部屋にしておいたよ。私からのささやかな贈り物だ。二人部屋だから、
入学式になったら同室の人が来る。あまり好き勝手に部屋を使わないように
P.S.医学科と戦闘科はキャンパスが異なっている。医学科は王都にあるが、
戦闘科はライネル西端のキャノエ島にある。キャノエ島内なら
どこへでもどうぞ。それ以外には行かないように
レアー・フィリッチェ 」
囚人部屋だと最初感じたが、あながち間違っていないかもしれない。
島が大きな刑務所だ。
しっかり逃亡防止対策がなされている。これから卒業するまでの三年間、孤児院
のみんなと会えないかと思うと心に穴が開いたかのようだ。
大事な家族だと思っていたが、想像以上にダメージが大きかった。
人は失った後にその物の大事さに気づくという。
そんなことはない、そんな奴は大ばか者だと思っていたが、その持論は撤回だ。
みんなのことを考えると、たとえレアーが安全を保障していても
嫌な想像をしてしまう。
それをまぎらわそうと、毎日魔法の鍛錬をしていた。
予想以上に寮が大きく、グラウンドなんかもあったので、鍛錬する場所には
困らなかった。
木を人に見立てて、走りながら早く、正確に魔法を当てられるようにする。
毎日毎日続けて、体に負荷を与え、魔力量の増加も怠らない。
レアーの仲間の少女、あのオッドアイの少女との再戦に備えるという意味もある。
やられっぱなしは性に合わない。
朝起きて鍛錬をして、夜に寝る単調な日々を送っているさなか、1通の手紙
が届いた。シェインからのものを期待していたが、違った。
魔術の師匠からだった。そこには、お前を追ってキャノエ島に来たから
会いに来いという旨が書いてあった。
今までは街に出かけようという気にもならなかったが、いい機会だし行ってみるか。
シェインからの言伝があるといいな。
同封されていた地図を頼りに歩き、迷いながら進むこと1時間。
道場に着いた・・・と思う。
確信が持てないのは道場の外観を知らないから、というわけではない。
建物の周りだけ一か月分の雪が一日で降ってしまったかのように
雪に覆われている。
前の道も道場に入らせまいとせんばかりに雪が積もっている。
このままでは道場が雪の重みで潰れてしまうので、火魔法を使って少しずつ
溶かしていく。
冬風が吹きつけて、耳と鼻はヒリヒリと痛い。
手袋を忘れたからポケットから手が出せない。
溶かし終わると、ウィンドレス道場と書かれて看板が現れた。
道場までの道のりも、火魔法を使っていたら温かくて快適だったんじゃ、
と気づいたのは全て溶かし終わった後だった。
なぜか負けた気がして、失った熱を取り戻そうと火魔法で強めに体を温める。
そうしたらちょうど良い温度になって、上着を脱ぎながら道場に入る。
「こんちはぁー。おっさっ」
最後まで言い終われなかった。
ばしゃっ
上から水が降ってきた。あと、バケツも。
雪かきして濡れた服を少し火魔法で乾かし、生乾きだったのがあっという間に
乾かす前に逆戻り。いや、もっとひどい。
ずぶ濡れである。濡れネズミ状態。
服は水気を含んで肌にぴっちりとくっつき、体の熱を奪っていく。
前髪もにひっついて気持ち悪い。
前髪はともかく、服は上着を着ていたらこうはならなかった。
なんてついてない。
「あははははははははははははは!」
「・・・・・・」
いたづらを仕掛けるのは大好きだが、仕掛けられる方はあまり楽しくないな。
というか、この人は誰だ。
師匠が弟子一人が引っ越したから道場も引っ越す、なんていう暴挙に出る
ことができたのはひとえに道場が過疎っているせいなのだ。
いや、オブラートに包まれているな、この表現は。
一人です。弟子は一人。大事なことなので二回言いました。
ゆえに、師匠以外にこの道場の中に人がいるわけがない。
泥棒猫さんなの?そうなの?
いや、道場だと知ってる僕さえ人が住んでいるか確信できなかったのだ。
それはない。じゃぁ、誰?
髪から滴が垂れていくのにも構わず顔を上げると道着を着た
黒髪を後ろでまとめている、すらりと背の高い女の子がいた。
僕が罠にはまったことがよほど嬉しかったのか、まだ満面の笑みで、
そのひまわりを連想させる笑顔は、こちらの頬までほころばせる
明るい魅力があった。
「ごめん、ごめん。師匠に言いつけられて雑巾がけしてたんだけど、
飽きちゃってさ。すると、なんということでしょう!
いたづらのカモが来るじゃないですか!」
初対面とは思えない親密な口調で話しかけてくる。
赤の他人をカモ呼ばわりとはなかなか愉快な子である。愉快だぁー!
至極愉快だぁー!おっほん。
変なスイッチが入ってしまったようだ。
寮には誰もいないため、よく独り言をいうクセがついてしまった。
せめて食堂のおばさんがいることを期待したのだが、あるのは業務用冷蔵庫
に入った大量の食糧だけで、5階建ての建物にひとりぼっち。
無人島にいるような生活を送っていたのだし、人恋しくなっていたのだろう。
気を取り直して。
「あの、どちら様でしょうか?師匠というのはウィンドレス師匠のことで?」
「あっ・・・、そうか。そうだった」
少女はうつむくが、すぐに顔を上げる。
「えっと・・・、ごめんなさい。このクセは直さないと。
三日前にウィンドレス師匠に入門しました、
カルノア・アマルフィと申しあげます。よろしくお願い致しますっ」
クセってどんなクセだろうか。
僕が師匠、という呼び方をしたことで兄弟子らしいと気づくと焦った様子
で,姿勢を正して挨拶してきた。
急に緊張したのかおかしな敬語を使っている。
コロコロ表情が変わってかわいらしい。
はきはきと話していたが、実はあがり症なのかもしれない。
弟弟子は前から欲しかった。もし誰かが入門したら一緒に鍛錬したり、
試合をしたり、少し先輩面してみたり、なんていう想像をしてみたりもしたが、
その一方でこんなさびれた道場になんて誰も来やしないと思っていた。
だから、本当にできると嬉しさ半分、気恥ずかしさ半分。
面倒を見て、可愛がってあげようというものである。
「こちらこそ。同じくウィンドレス門下ニネ・ピンです」
そう言いながら握手しようと手を差し出す。
カモ扱いしたことを許してくれたと安心したのかこわばったカルノアの顔
が和らぎ、その手を取る。
「よかった。変わってない」
心の中でほくそ笑む。
次の瞬間、彼女から腕から首にかけて凍る。
「きゃーーー!」
氷魔法で彼女の腕を凍らせてみました。
やられっぱなしは性に合わないのである。
目には目を,いたずらにはいたずらを!
ニネ・ピン、女の子相手でも容赦はしない!(キリッ)
これも可愛がりの一環なのである。
彼女はごちそうを直前に取り上げられた犬みたいになっている。
「うーー。人間のできた人だと思っていたのに」
「そんなにすぐ人を信じていたら、だまされるぞ。勉強になったな」
「わかりました」
「そう、分かればよい。ウィンドレス門下たるもの,常に気を張って危険
が周りにないかを」
「いや、そうじゃなくて」
カルノアは僕の言葉をさえぎって微笑みながら言う。何が面白いのだろう。
「先輩が負けず嫌いなのはよーくわかりました」