第1話 刺されるまでの回想
僕はシェインの晩酌に付き合わされていた。
孤児院で最年長の僕は彼女のわがままに振り回られるときが多い。
もっとも、ここ1年の話だが。
いつもは毅然とした態度を崩さず、家事を1人でこなし、さらにみんなの面倒
も見てくれる。
みんなそんな彼女のことを尊敬し、積極的に手伝い、言うことを聞く。
歳の低い子たちも駄々をこねないから驚きだ。
ちっちゃい子の方が人の本質を見抜くというのは本当かもしれない。
だからこそ数か月前みんなが寝静まった後にシェインが一人で魔術の鍛錬を
していた僕のもとに来て、愚痴り始めたときはびっくりした。
でも、完璧超人のように見えたシェインにも弱いところがあり、
そのもろい部分を見せてくれることに安心した。
そして、信頼してくれていると思うと嬉しかった。
どうやらその日は飲みすぎて酔った勢いだったらしく、後から忘れてと
せがまれた。けれどもまた聞きますよ、と言ったらシェインは喜んでくれて、
その日以降も愚痴を聞くようになった。
そしたら、いつの間にか日課になっていた。
「ニネーっ。ビール買ってひてー。ついてに明日の朝はふぇるサラダ用の
トマト買ってひっ、ひっ」
「あー、言わんこっちゃない。呂律が回ってないんだから、もうやめときなって
言ったのに」
きっと飲みすぎて気持ち悪くなったのだろう。いつものことだ。
しゃっくりをしたと思ったら、机に突っ伏したしまった。
まずい。ここで吐かれたら後片付けが大変な上に、臭いが残ってしまう。
「トイレまで我慢して。いくよ、ほら。立って」
そう言って背中をさすろうとしたら、規則的な寝息が聞こえてた。
「すー。すぴー」
がっくりきた。拍子抜けだ。
顔を見たらよだれを垂らして眠っていた。
ケーキを食べたいだけ食べられる夢でも見ているのだろうか。
後から何の夢を見てたか聞いたら「女性の寝顔を見るなんて趣味の悪い。
そんな子に育てた覚えはないわよ!」なんて言われそうだ。
シェインが顔を真っ赤にして起こっているところを想像したら面白くて、
おもわず吹き出してしまった。
言おう。明日絶対に言おう。
心の中のメモ帳に書き留めておき、トマトを買いに行くことにする。
ビールはシェインが勝手に飲まないように地下の貯蔵庫の隠してあるだけで、
しっかり買ってあるから問題ない。
孤児院を出て、住宅街を抜けて大通りをまっすぐ右に行くと、カレンザ商店街へ
ようこそと書かれた看板が見えてくる。
商店街に入ってすぐのところにある八百屋でトマトを5個買い、同じ道を戻る。
再び住宅街に入ったところで、人気がなくなる。
まだ十時だというのにカーテンの隙間から光が漏れてくる家はまれで、
ところどころにある電灯の青白い色のわずかな光と月あかりを頼りに足を進める。
ゼーハー言いながら勾配の急な坂を上りきる。
息があがって、腰を曲げてしまう。
これからは毎日この坂を上り下りするのだから慣れなくては。
手を胸に当てて深呼吸をして、再び歩きだそうと前を向く。
そこの道の真ん中に少女はいた。じっとそこに立ったままだ。
電灯の光がスポットライトのように彼女を照らしている。
肩まである漆黒の髪は冬の冷たい風の揺られ、その一本一本に光が宿る。
尖るような顎先と少しはだけた胸元からのぞく雪のように白い肌。
彼女のまとう神秘的な雰囲気は住宅街とは対極に座し、素人が描いた絵画にプロの
画家が描き加えたかのようにいびつなはずなのに、なぜか風景に溶けこんでいた。
伏し目がちだった目がゆっくりと見開かれる。
それぞれの目の色が違った。右目は深紅、左は黒、いや、暗い緑色だろうか。
右目が妖しく光る。すると、ぼんやりとつかみどころのなかった空気が凍る。
気づけば少女の右手には刀身まで黒い、異様に長い剣が握られていた。
見えない圧力に気おされ、思わず後ずさる。
だが、その直後緊張のせいか足が地面に縫い付けられたかのように動かなくなる。
シェインの昼間言っていた言葉を思い出す。
「最近隣の○○国で内紛だかテロだかがあって、その仲間がこのライネル王国内にも
いるらしいわよ。」
そう考えて、自分で打ち消す。
こんな少女がテロリストなわけがない、と。
何僕は馬鹿なことを考えているんだ。近所で見た少女を犯罪者と疑うなんて。
僕はどうかしている。
いや、たとえ本当にそうだとしても、標的にされる理由が僕にはない。
その淡い期待はわずか一秒後に、いともあっさりと打ち砕かれる。
彼女が消えた。
否、大きく跳躍したのだ。
反射的に障壁魔法を展開する。次の刹那、空気が震えるの感じた。
僕の身長ほどもある魔力をまとった刀が障壁とぶつかり、火花が散る。
刀が月の銀光を受けて、濡れたようにぬるりと輝く。
障壁を打ち割らんと、剣戟の嵐が始まった。
上からくると思ったら右から。左かと思ったら上から斬撃が降ってくる。
僕は体中の魔力を絞り出すようにして魔法を展開し続ける。
体の中で何かが暴れて、のたうち回っているのを感じる。
怪獣を体内に飼っていて、急に暴れ始めたような錯覚を覚える。
突飛な出来事に頭がついていかない。なぜ?
顔が引きつり、額には脂汗が浮かぶ。
当然それを拭う暇さえ与えてはくれない。
「何が目的なんだ!話せばわかるかもしれない!」
声を荒げて、的外れなことを叫ぶ。
どうして殺しに来ている相手に話し合いが通じるというのか。
目的は僕を殺すことに決まっている。
無視され、彼女は僕とは対照的に涼しい顔で恐ろしいほどの速さで刀
を振るい続け、刀と障壁がぶつかる音が絶え間なく鳴り続ける。
「人違いだ!ただの学生だ!」
再び無視される。
このままじゃ壁が割られてしまう。
その前に障壁を消して、攻撃に転じようと決めたときだった。
少女はつぶやく。
障壁が消える。
僕の意思に反して。
魔力が尽きたのか。あと少しっ!あと少しだった!
判断するのがあと少しでも早ければ!
突然、天地が入れ替わる。
背中を強打し、視界が跳ねる。
腹がジンジンとする感覚だけがあり、他の感覚を覆いつくす。
熱さの正体を知ろうと、手を腹に伸ばす。ぬめりとしていた。
顔にその手を引き寄せると、赤かった。むせかえるような鉄の臭い。
血、だった。
理解した途端、熱さがすべて純粋な痛みに置き換わる。
僕はこのまま死ぬのだろうか。なら、熱さの正体は知らないままが良かった。
全身から力が抜けていき、首も上の方向を保てなくなる。
手をつぶれかけのトマトが見えた。
そうだった。おつかえの帰りだった。この空間と僕の日常は地続きだ。
狙われたのは僕だけか。
拾われてからの孤児院での十年間が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
ケビン。ケイト。シェイン。
孤児院のみんなも殺されるのか。だめだ。それはだめだ。
だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、だめだぁ、だめだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
叫ぼうとするが、出てくるのは唾液混じりの血と白い吐息ばかり。
その吐息も溶けてなくなる。
みんなのもとには行かせない。絶対だ。
ここで倒す。倒す。殺す、殺す、ころす、ころす、コロス、コロス、コロス。
割れるような頭痛だ単純化していく思考。
ぐちゃぐちゃに入り混じった感情がどす黒い怒りに塗りつぶされていく。
しかし、激しくなる感情とは裏腹に、手はぴくりとも動かない。
動けよ。動け・・・動けぇ!
真っ赤な血が広がっていき、見えていたトマトも血に濡れる。
そのトマトが少女のであろう足に踏みつぶされ、血と汁が混じったものが撥ねる。
それを見たのを最後にして。
意識が途切れた。
それを最期にニネの意識が途切れた。なんちって。
大丈夫。ニネはしっかり、ぴんぴんしています。