第4話 泉と蔵人
20X5年4月5日
AM06時55分
名門・秋葉原学園高校。
そのコンピ研の部室へ向かって、一人の美少女が早足で廊下を歩く。
少女の名は水内泉。
蒼い髪に小さな顔、優しげな眼差し。
学内屈指の美少女として、学園内では時雨と並んで知らない者はいない存在である。
コンピ研の副部長であり、前回のハッカーの世界大会ブラックハットで準優勝した実績を持つ。
《HYPER CUBE》では、準最強ギルドと言われる『旅団幻影』のメンバー。
そんな泉の真の姿は『Dr.I』と言われている世界最強のハッカー。だが、それを知るのは蔵人のみ。
コンピ研の朝練の為、早めに登校した泉は、今日から新しい学年が始まるという期待と不安が漂う校内を、足早にドンドン進む。
ガチャ
コンピ研の部室の扉を開ける。
そこにいたのは半裸の蔵人。
蔵人は上半身を裸にして、全身汗まみれになりながら、右腕のみで腕立て伏せを繰り返す。
「く、く、蔵人くん? 何やってるの? ……」
部員でない蔵人がいることに、のみならず蔵人が半裸であることに、泉は驚愕する。
「腕立て伏せだ。知らないのか?」
そう言いながら、さらに蔵人は右腕のみでの腕立て伏せを繰り返す。
「それは見れば分かるよね……そういう意味じゃないんだけど……」
いつもの泉なら、正式な部員でない蔵人が、勝手に職員室から鍵を持って入室していることに、激しく叱責する。
だが、今、泉は憧れの蔵人が、半裸という特異な格好でいる光景に動揺して、上手く言葉を出せない。
「そ、そ、外から見たら、カーテンが開いてたから、てっきり白河院部長が来てるもんだと思って急いで来たんだけど……」
「白河院先輩は、風紀委員の仕事があるから朝練には出れないって、さっき言いに来たぞ」
そう言いながら、蔵人は腕立て伏せを続ける。
そして、腕立て伏せを止めると、立ち上がり泉の方へと向かう。
「え、え、え……」
半裸の蔵人に接近され泉は戸惑う。
「今は白河院先輩がいない。お前と2人きりだな。丁度良かった。
泉、お前を待ってたんだ。お前に会いに来た」
蔵人は、そう言って泉の肩に手を置く。
「え、え……そ、そんな……」
泉は混乱して言葉を続けられない。2人っきりになれて良かったと言われて、また自分を待つため半裸待機したと言われ、さらに今、蔵人から体を触られた。
泉は蔵人が思春期で精力旺盛な16才男子であることから、きっと四六時中エッチな妄想ばかりしているんだろうという先入観を普段から持っている。
ゆえに泉の緊張は高まる。
「え?!」
泉は蔵人のズボンのチャックの横に濃厚な黄色い液体が付着しているのに気づく。
(こ、これって……せ、精液……蔵人くん、私が来るまで部室で何してたの……)
これにより泉は、蔵人から体を求められていることを確信した。
「こ、こ、ここは学校なんだよ。しかも、いきなりだなんて……まだ蔵人くんとは手をつないだことも無いのに……
べ、別に蔵人くんが嫌いなわけじゃないのよ……そこは誤解しないで……
で、でも、部室でいきなりって、そ、そんな……」
泉は顔を真っ赤にしながら俯く。
「……泉、なにか誤解してないか? ……」
泉の言葉の意味を理解できず蔵人は戸惑う。
「え?」
「水鏡さんから、昨日、お前の所属しているギルド『旅団幻影』の48人が、わずか3人に敗北したと聞いた。お前たちは前線の精鋭たちだから、通常はありえない。そんな戦いの話を聞かせて欲しいんだ」
蔵人は真剣な眼差しで泉を見つめる。
「え? え? そっち? はー」
泉は自分が誤解していたことを知り、また残念そうな表情で深い溜め息をつく。
「て言うか、その濃い黄色いやつ何?!」
泉は、冷たい表情で蔵人のズボンに付着した濃厚な黄色い液体を指さす。
「おわっ!」
蔵人はズボンを見て驚く。
「登校するとき、曲がり角で食パン咥えたドジっ娘と衝突したんだ。その時ついたマーガリンだな……謝りもしないで、こんな……あの生意気女!」
蔵人は愚痴りながら、ハンカチで黄色い液体を拭う。
◇
蔵人が怒っているので、空気を変えるべく話題を変える。
「そ、そう言えば、さっきクラス替えの発表、見に行ったんだけど、私と蔵人くん、今年も一緒のクラスだったよ。時雨は違うクラスだったけど。また1年間よろしくねっ!」
「そうだったのか? また宜しくな」
気を取り直した蔵人は、笑顔で泉を見る。
「で、昨日の戦いで聞きたいのは、どの辺りだろ? なんでも聞いて!」
「3人組はツカサ大将軍、ゴースト、ビーストという名のプレイヤーだと聞いた。彼奴らの容貌と特殊能力について詳しく教えて欲しいんだ」
「はっ! 蔵人くんが知りたいってことは、やっぱりアイツらはビグースってこと!」
泉は驚きながら蔵人を見る。
《HYPER CUBE》は単なるゲーム機でなく、地球外生命体ビグースを殲滅するための訓練装というのが本当の役割。だが、そんな真実を知るものは、世界中でもわずかしかいない。その真実を、蔵人は泉との雑談の中で偶然に発見した。だから、泉も、そんな《HYPER CUBE》の本来の機能を知っていた。
ゆえに、蔵人の真意を推察できたのだった。
「ああ、そうだ。そして彼奴らは、必ず、近いうちに現実世界で俺へと接触するだろう。だが、俺の能力は第4回《HYPER CUBE》世界大会で既に世界中に知れ渡っている。他方、俺は彼奴らの情報を、ほとんど知らない。
事前の情報戦において、既に俺は圧倒的に不利な位置にいる」
苦しげな表情で、蔵人はつぶやく。
「分かった! 蔵人くんの為に全力で応援するね」
厳酷な状況を理解し、泉も真剣な眼差しで蔵人を見つめる。
「アイツら3人のプレイヤーネームはツカサ大将軍、ゴースト、ビーストで間違ってないよ。でも容貌は……分からないの……」
泉は申し訳なさそうに俯く。
「昨日戦ったんじゃなかったのか?」
蔵人は思わず咎める口調で言う。
「だってアイツら、3人とも全身を濃紺のローブで覆っていたから……ごめんなんさい……」
泉は悲しそうな声で謝る。
「全身を覆うローブか……俺の方こそ、すまない。彼奴らが、そこまで情報戦を意識しているとはな……」
蔵人は、頭を下げる。
「で、彼奴らの特殊能力は、どんなだ? 昨日の戦いを、できるだけ詳細に教えて欲しいんだ」
「うん。昨日は、私たちギルド『旅団幻影』は、48人全員で先週アプデで更新されたばっかの新MAPダイダロス渓谷を探索してたの。月の初めの日曜は、みんなで探索するのが私たちギルドの例会っていうか1番の楽しみなの。だから、第1回《HYPER CUBE》カップが発表されたときも、誰も例会を中止しようと言わなかったし、休む人もいなかたのね」
「私たちは朝8時からダイダロス渓谷の表1番目のMAPを出発して、順調に進んでいったよ。お昼すぎには表7番目の吊り橋を渡り終えて、ダイダロス渓谷の奥1番目のMAPに入ったの。《HYPER CUBE》は、いつも奥MAPに入った途端、雑魚キャラのNPCは強くなるから私たちも緊張してた」
「その時、突然アイツら3人から私たちに対人バトル申込みがあったの。事前にメールでの連絡無しにだよ。それだけでも失礼なのに、私たち前線の精鋭48人相手に、わずか3人がなんだよ。舐めプだよね。だから、みんなは返り討ちにしようって、対戦を承諾したの」
「みんな、ムカツいたわけだな?」
「そうなの! でも、私は、みんなより冷静だったよ。新MAPを歩けるほどの強いプレイヤーなのに3人とも、聞いたことのない名前なのは、おかしいなって思ってたからね」
泉は得意そうに言う。
「だがな、泉。対戦を承諾した時点で、お前たちは彼奴らの術中に嵌ってたんだ。なぜだか分かるか?」
蔵人は真剣な眼差しで問いかける。
「え、どうしてそんなことを私に聞くの? ……はっ!」
泉は思い出した。
いつかの朝のホームルーム前の蔵人の言葉を。
『なあ泉、CIAのIってどういう意味か知ってるか。これは、お前の弱点でもある。だから聞いて欲しい。CIAのIはIntelligenceつまり知力だ。彼らは情報を集めるだけでなく、それを徹底的に知性を使って分析する。その結論は俺の知る限り全てが最善手だ。ウォーターゲート事件、スノーデン事件と何度も組織解体の危機に陥りながらも、彼らはその度ごとにむしろ自らの力を強めてきた。奇跡といえるほどに。泉、お前は世界の誰より情報を収集できる力がある。だが、それは世界で1番情報の海で溺れるリスクがあるということでもある。俺はいつまでも、お前の側にいられるとは限らない。高校を卒業すれば、みんな進路は違うだろう。もし、お前が困った自体に陥ったとき、「知力を使って分析すること」このことを覚えていて欲しい』
そのようないつかのホームルーム前の蔵人の話を泉は思い出した。
泉は、懸命に考える。
「分かった! 私たちは月に1度の例会として、新MAPを進めることを最優先にしてた。だから、アイツらが普通に事前にメールで私たちの都合を丁寧な文言で聞いてきても、私たちは断ってた。でも、アイツらは、いきなり対人バトル申込みボタンを押してきた。だからこそ私たちはムカツいてバトルに応じたんだよね。あいつらの思うツボだったわけなんだ」
「正解だ」
蔵人は笑顔で泉の頭を撫でる。
蔵人の期待に応えられた喜びを、泉は満面の笑みで表す。
蔵人は、泉の正解に付け加える。
「ダイダロス渓谷の奥1番目のMAPに入った直後というのも、ポイントの1つだな。
表をクリアーしたことで、お前たちは小さな達成感を味わったはずだ。ゆえに、対人バトルを承諾するだけの心の余裕が生じたばかりだった。彼奴らは、お前たちのそんな心の隙につけこんだわけだ。人間心理も巧みに計算してるようだな。なかなかの切れ者のようだ」
「たしかに……」
「まぁそれは付随的な理由だから、泉は正解したことに自信を持て! 昨日の話の続きを頼む」
「うん!」
蔵人に褒められた嬉しさから、満面の笑みのまま泉は続ける。
「それで第1ターンね。私たちは48人で最も精鋭と言われてるチームRが前衛に出たの。
チームRは高貫通の特殊能力を持ってる15人からなるの。強力な攻撃を、いきなりお見舞いしようっていう戦術ね。だからチームRは第1ターンが始まる前から、1番の高貫通を入力して、後は第1ターン開始時にターゲットに狙い定めるだけにしたのね。
一方、アイツらは、前衛にゴースト1人だけを出してきたのよ! さらに舐めプだよ。信じられないよね。で、第1ターンになる直前、ゴーストは濃紺のローブを脱いだの……
そしたら、姿が消えてたの……」
「姿を消す能力か? ……」
蔵人が驚く。
「そう。βテスター時にいたって噂されていたけど、実際に見た人はいなくて、いつしか都市伝説になった幻の特殊能力……『Invisible dance on the moon』が発動された。
チームRのみんなは、ターゲットが分からないから四方八方にぶっぱしたけど、結局一撃も当たらなかったの……」
「ヤバいな……」
蔵人の頬に冷や汗が流れる。
「第2ターン。私たちはチームRが前衛のまま。
アイツらは、ゴーストから同じく濃紺のローブを被ったビースト辺境伯へとスイッチした。
そして、ビースト辺境伯が発動した特殊能力は『Kreis』。これによって、私たち48人は第5ターンまで眠り続けてたの」
「え? 48人全員が4ターンに渡って寝てたわけか?」
蔵人が驚く。
泉は神妙な面持ちで頷く。
「そう。恐ろしい範囲攻撃よ。しかも、アイツらは、その4ターンの間、何もしないで放置っていう舐めプっぷりよ」
泉は続ける。
「そして、第6ターン。私たちはチームRが前衛のまま。
アイツらは、ツカサ大将軍へとスイッチしてた。ツカサ大将軍も濃紺のローブを被ってて、顔とかは分からないけど、身長190cmくらいあるデカいヤツだったわ。
チームRは、リキャストタイムが経過してたから、一斉に1番の高貫通をツカサ大将軍へとぶっぱしたの。
その瞬間、ツカサ大将軍が発動したのは、『Cocytus』。
これで私たち48人は完全凍結されてゲームオーバー。
完敗だったわ……」
当時の状況を鮮明に思い出したことで、泉の顔は青ざめている。
「でも、蔵人くんなら、勝てる……よね」
泉は心配そうに蔵人を見る。
蔵人は首を横に振る。
「ゴースト……姿を消されたら、俺の特殊能力『集極の波より来たりし闇』といえど、永遠に当てることはできない。一方、俺はゴーストに、やられたい放題だろう……」
「え?」
泉は声を失う。
「そして、ビースト辺境伯……彼奴に先手を打たれて眠らされた場合、俺は『集極の波より来たりし闇』を発動することすらできない。そして、彼奴らは、現実世界での真剣な戦いでなら、舐めプをしないだろう。つまり、俺が眠ってる4ターンの間に全力で俺を殺しにくるし、俺は確実に殺される……」
「そ、そんな……」
泉は声を震わせる。
「そしてツカサ大将軍の『Cocytus』……ギルド『旅団幻影』の中の精鋭15人の1番の高貫通全てを相殺しきった上で、さらに48人を完全凍結させるなんてデタラメな特殊能力だ。これが現実世界で具現化したのが、昨日のイタリア半島への完全凍結なんだ」
「昨日のあの事件がビグースの……」
驚愕の事実に泉は声を失う。
「昨日、セレーゾ神父は、ローマ教皇の護衛の任務にあったが、昨日のローマ教皇はアフリカ布教に行っていて、セレーゾ神父は何とか無事だった。だから、俺たちギルド『最前線』はセレーゾ神父という貴重な戦力を失うことはなかった。しかし、それとて焼け石に水。『Cocytus』の前には、俺たちギルド『最前線』に太刀打ちできないだろう……イタリア半島を完全凍結させるという圧倒的な力。それこそが『Cocytus』。
まさしくビグースは最強にして最後の切り札を切ってきた。
そんな『Cocytus』の前には、俺の『集極の波より来たりし闇』も、今のところは無力だ。ゆえに彼奴と戦ったとき、俺は死ぬ」
「そ、そんな……」
泉は涙ぐみながら、言葉を飲む。
蔵人は続ける。
「泉、最後の質問だ。彼奴らは、自分たちを、どう名乗っていた? ギルド名とかはあったか?」
蔵人の真摯な問いかけに、泉は懸命に平常心を取り戻そうとしながら答える。
「うん……あったよ。ビーストが自分たちのことを名乗ってたよ。『ISLANDERS』って」
「そうか。いろいろ、ありがとう。泉、俺は座して死ぬつもりはない。ビグースが最後の切り札を切ってきたことから、いよいよ人類とビグースの最終決戦が、これから始まる。
確かに今の俺には彼奴らに勝つだけの戦略はないが、戦略なんて考えればいいだけだ。ありがとな、泉」
蔵人は泉の頭を撫でながら感謝する。
「どういたしましてっ!」
泉は蔵人の役に立てたことに喜ぶが、蔵人がいつもの自信たっぷりな口調ではないことに不安を持つ。
ふと泉は窓の外を見る。
真新しい濃紺のブレザーを着た初々しい新入生たちが、登校して来るのが見える。
「私たちが、この秋葉原学園高校に入って、もう1年なんだね。早いなっ。この分だと、残り2年の高校生活も、あっという間だよね」
「俺は残り1年だけどな」
泉の横で新入生たちを見ながら、蔵人はつぶやく。
「え?」
「俺は死の病ハイパーキューブ症候群S型を発症している。俺の余命は、あと1年。
今年の2月時点での診断だから、正確には残り10ヶ月だな」
蔵人は平然と言う。
泉は絶句する。




