第4話 騎士の亡霊戦・開戦
「人色蔵人だ。で、時雨とやら、お前はなぜ俺をここへ呼んだ?」
時雨に向かって早速本題へ切りこむ。社交辞令を好まない蔵人にとり挨拶は既に済んでいる。
「私は今ゲームの助っ人を探している。お前はその候補の一人だ」
「ゲーム?」
数学オリンピックでの成績に着目して演算能力の必要とされる事業の依頼であろうと想定していた蔵人にとり、ゲームというのは想定してない返答であった。一方で、その返答は蔵人を失望させるものだった。ゲームとは遊びであり、自分はとっくに卒業している。蔵人はそう思っていた。
「お前に今からやってもらうゲームはこれだ」
時雨が出してきたモノ――それは黒い箱。
《HYPER CUBE》だった。このゲーム機は確かにゲーム史上において革命的な発明であった。
だが、蔵人にとってゲームである以上それは遊びでしかない。
「興味はないな。俺は帰る!」
「3000万だ」
時雨の大声に、踵を返し始めた蔵人はその動きを止める。
「日本円で3000万円。お前がこのゲームで私のパートナーに選ばれたら、即金でそれだけ払おう」
「……その言葉、本当か?」
蔵人は瞬時に考える。これだけの屋敷で、あれだけの使用人を抱える少女だ。
3000万円だって、すぐに用立てられるのだろう。
蔵人には金が必要だった。いまは難病で入院している妹の七里。七里の手術代が3000万円と主治医から告げられていた。高校生にすぎない蔵人が、そんな大金を用意することはできない。祝賀会で引き抜き合戦をしていた者たちに頼めば、容易に即金を用意してくれるであろう。だが、そんな施しを受けることは彼の流儀に反する。だが、自分の為でなく七里の為。自分の流儀を貫くべきではないのではないか。それこそが彼の祝賀会の帰り道での葛藤であった。
時雨の提示する3000万円は報酬である。それは反対給付を伴うものであるから施しではない。自分の流儀に反することなく、七里のためになる。
ゲームにもはや興味はない、だが七里のためなら――
「わかった、やってやろう」
蔵人は覚悟を決めた。
◇
「やり方は知っているんだろうな?」
「無論だ。このログインボタンを押すことで、あちら世界へ跳んでゲームスタート」
蔵人は、時雨から《HYPER CUBE》を受け取ると、ふかふかの赤い絨毯の上の高級そうな椅子に腰を下ろした。
余裕ぶって答えたものの、その実、プレイするのは久々だった。
最後にやったのは、そう、父親ジンが行方不明になった日。
父の行方の手がかりを捜して《CUBE SPACE》を彷徨ったあの日以来だ。
4年前に《HYPER CUBE》のプログラムが暴走した事件に遭遇したのを最後に、ここに親父の行方の手がかりはないと判断して、それからはまったく触ってこなかった。
「まあいい。やるべきことをやるだけだ。シンプルにな」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、蔵人は《HYPER CUBE》のログインボタンを押した
そして――
跳ぶ。
ボタンを押した直後、視界が歪むような錯覚を覚えた。
そういうものだと、蔵人は知っている。
歪んだ視界がすぐ元に戻ることも、蔵人は知っていた。
「懐かしい感覚だな……」
目を細める蔵人。
その瞳には、どこぞの富豪のお屋敷の一室とはまったく異なる風景が映っていた。
ステージ『地下墓場』
地下に穴を掘って造られた薄暗い墓場。明かりは壁に設けられた松明だけ。地面には傾いた墓石が雑然と並んでいる。
カビ臭い空気。湿った土の匂い。時折頬を撫でる生ぬるい風。
不気味さを見事に演出できているな、と蔵人は他人事のように思った。
これは仮想空間であり現実世界ではないと。
「さてと」
蔵人は自分のステータスを表示した。
――――――――――――
プレイヤー名:クロウド
身長:178センチ
体重:67キログラム
Level:80
HP:460
KI:180
特殊能力系統:『練気』(気を溜めることによる身 体の強化と攻撃力の大幅上昇)
――――――――――――
《HYPER CUBE》をプレイするのは4年ぶりだった。身長、体重が成長に応じて変化したのは当然として、特殊能力の系統は変わっていない。だが、レベルが75から80、HPが450から460へ、気が170から180へ上昇していることに蔵人は気づく。
しかし3ヶ月ほど前、クラスメイトの水内泉と雑談していたとき、たまたま主人公のレベルキャップが解放されたことが世界中で話題になっていることを教えられたのを思い出す。《HYPER CUBE》においては運営はゲームサービス開始からずっとレベル上限を75に設定していたが、今回の大型アップデートによりレベル80が上限と変更されたという話だったっな。数年前にすでに俺はレベルカンストしていたはずだが、表示されてなかっただけで水面下でのカウントがなされ、その際のカウントされていた分の数値が持ち越された、実際にはレベル80以上あったので何もせずともレベルが5つ上がっただけ、レベルキャップ解放に伴いHPや気の上限も一定程度のキャップ解放がされただろうから俺のHPも10ずつあがったというだけだな、蔵人は一瞬で状況を把握する。
早速、気を貯め始める。
と、そこに小窓が右上のほうにちょこんと現れる。
時雨の姿が見えた。
現実世界にいる時雨が通信を仕掛けてきたのだ。
「で、俺はここで何をすればいいんだ? 俺のステータスデータは非公開設定にしてるが公開にすればいいよな。今やるから、やったらログオフしていいか?」
「いいわけないだろ。こからが本番だ。お前にはこれからこの墓場ステージに出没するあるNPCを倒してもらう。倒せたら合格だ」
「面倒だな。で、それはどんなNPCだ?」
「バカか? それを教えたらテストにならんだろ。ま、今までテストさせた人間は誰も倒せなかったとだけ言っておこうか。せいぜい頑張るんだな」
そう言い残して、時雨のいた小窓はクローズされる。
そのときにはすでに気を貯め終わっていた。
蔵人は辺りの様子を探る。
――突然、足元の地面が盛り上がった。
(始まったか……!)
蔵人は後ろに跳んだ。さらに跳躍した先の地面が盛り上がったので、蔵人はさらに後ろに大きく跳んだ。
先程盛り上がった地面から、ゆらり、ゆらりと立ちあがる者たちがいた。
地面の盛り上がりはすぐさま数十にまで達した。
墓場から甦ったものたち――『屍者』だ。
おぉぉぉん…… おぉぉぉん…… おぉぉぉん…… おぉぉぉん……
おぉぉぉん…… おぉぉぉん…… おぉぉぉん……
おぉぉぉん…… おぉぉぉん…… おぉぉぉん……
おぉぉぉん…… おぉぉぉん…… おぉぉぉん…… おぉぉぉん……
「雑魚が!」
腐れ果てた人間の成れの果て。
ぶら下がる目玉。吐き気を催すような悪臭。歯の抜け落ちた口から出てくる芋虫の群れ。
蔵人は貯めた気を解き放って、『屍者』の一掃を試みる。
蔵人の攻撃戦法はただ一つ。
気を貯めて強化した己の肉体を用いて、ただひたすらに敵を殴りまくり、蹴りまくる。
自分の頸動脈に噛みつこうとしてきた一体を、蹴りで上半身と下半身を分断する。
足にしがみついて脛をかじろうとしてきた一体の頭部を、無碍もなく踏み砕く。
近くにいた一体の首を引きちぎり、その首をまた近くにいた一体の顔面に向けて投げつけて、顔面を破壊する。
無数にいたはずの『屍者』だったが、蔵人の鬼神の如き攻撃の前に、その数はみるみると減っていった。
HPゲージがゼロになった『屍者』から、次々に青白い粒子となって霧散してゆく。
そして蔵人の溜めた気が尽き果てた頃、『屍者』もすべてその姿を消した。
「これがなテストなのか? 誰も倒せなかったって一体どんな奴らをテストしてたんだ?」
手をポンポンと払いながら、蔵人は悪態をつく。
が――次の瞬間。
「ん?」
蔵人は洞窟の奥の暗闇から何かが近づいてくる気配を感じ、表情を強張らせた。
パカ、パカ、パカ……
馬の蹄の音が、誰もいない墓場で静かに響く。
青白い炎に包まれ厚い鋼の鎧で重装備した馬の乗り物。
そこに居座るは巨大な槍を構えた首なしの騎士。
『騎士の亡霊』
右上の小窓が再び開き、時雨が現れる。
「情報提供しておこう。そいつはNPCとしては特A級の怪物だ。通常こいつは一人で相手にするような怪物ではない。高火力の8人の猛者からなり攻撃役、タゲ取り役などを配置した統制のしっかり取れたり超一流の『最前線』と言う名前のギルドでも苦労してやっと倒せる怪物だ。そいつを倒せたら、お前が私のパートナーだ。せいぜい頑張るんだな」
時雨はニヤリと笑ってそう言うと消えた。
蔵人の顔が緊張に引き締まる。
(気を貯める余裕はあるだろうか……?)
(いや、考えている場合じゃない)
(考えている暇があったら、気を貯めるべきだ……)
蔵人と『騎士の亡霊』との距離は、まだ30メートル程あった。
蔵人は気を貯めながら小刻みに移動する。
蔵人を攻撃すべく『騎士の亡霊』も移動する。『騎士の亡霊』が間合いを詰めようとすれば、蔵人は『騎士の亡霊』を引き離す。先制しようとする両者の駆け引きが行われる。同時に蔵人は気を貯める。
気をマックスである180までほど貯めたところで、白骨の馬が前足を宙に放り出して激しく嘶いた。
次の瞬間――
『騎士の亡霊』の突進だ。
「マジでか……!」
その速さは蔵人の予想をはるかに超えていた。移動の姿を全く見ることができなかった。
蔵人は避ける間もなく『騎士の亡霊』の馬に跳ね飛ばされ、きりもみ状に虚空を舞った。
地面に激しく打ちつけられる、そのへんを転がる、墓石に背中を強打して、やっと止まった。
すぐに立ち上がって、相手の第二撃に備える。
同時に、自分のHPゲージを確認した。
一撃で半分近くにまで削られているのが分かった。
せっかく気を貯めていたが、さっきの一撃で気のゲージの方は40までに戻っている。
(速さも、突進の威力も厄介だな、二発喰らったらHPゲージがゼロ、すなわちゲームオーバーか……)
「なるほど。たしかにこれはメンドイ」
少し笑う蔵人。
もう奴の攻撃はどんなものでも喰らえない。
そう判断した蔵人は、手近な墓石を引っ掴む。
「うおおお!」
地面から引き抜く。
「くらえ!」
『騎士の亡霊』のいる方向を目がけて思いっきり投げつけた。
ドゴンと鈍い音がして、墓石は『騎士の亡霊』に命中した。
『騎士の亡霊』のHPゲージがわずかに減少する。
「『騎士の亡霊』は重装だぞ、そんなもの焼け石に水だ。しかも水滴にすぎん。お前自身の攻撃を当てねば到底勝てんぞ。1番いい物理スキルでクリティカルしてみろ。まぁそれでも焼け石にコップの水程度かもしれんがな。必要なのはバケツ1000杯の水だからな」
再び小窓から顔を出した時雨が少し呆れながら皮肉を言う。
「外野は黙ってろ」
時雨を一喝して、蔵人はさらにまた別の墓石を引っ掴んで、『騎士の亡霊』のいる方向へ投げつけた。
今度は外れた。
投げつけた墓石が、遠く離れた地面に深々と突き刺さる。
さっきのお返しとばかりに『騎士の亡霊』の突進。
蔵人も今度は巧く躱した。
また距離を取って、墓石を投げつける。
外れる。
突進される。
避ける。
投げる……。
戦いはやがてその繰り返しになった。
「おい。よく粘ってはいるのは認めるが、このままじゃじきに限界が来る。相手はコンピュータープログラムだ、疲れを知らない。もっと効果的な反撃をしないと、いずれ押し負けるのは目に見えてるぞ」
戦況を見続けていた時雨が、その様子を見かねて小窓の中からそう助言を送る。
「外野は黙れと言ったはずだが。それに、すでに前提条件は充足されている」
蔵人はそう言うと、さっきまでのパターンを変えて一転、再び気を貯め始めた。
「バカかお前は! この状況で気なんか貯めてどうする?! また突進を喰らうぞ!」
叫ぶ時雨。
しかし蔵人は気を貯めつづけた。
100、120……
蔵人の気のゲージが貯まっていく一方で、『騎士の亡霊』が突進の態勢に入った。
が――できない。
「あ、まさか……っ!」
そこで時雨は、その事実に気づき驚愕する。
そんな時雨とは対照的に粟山さんは不安そうに蔵人を見守ったまま。
無数の墓石が『騎士の亡霊』を幾重にも囲んでいた。蔵人がやみくもに投げていたと思われた墓石が、『騎士の亡霊』の周辺を綺麗に取り囲んでいたのである。
時雨より一瞬遅れて、粟山さんも、その事実に気づく。だが、事実として存在することと、その事実を事実と認識することはイコールでない。粟山さんは顔の色を変えて慌てる。
「そ、そんな、そんなの不可能です。『騎士の亡霊』は超高速移動しているのではなく、その実態は『瞬間移動』です。《HYPER CUBE》運営でのこのNPCの制作担当は私だったんです、間違いないです。どんなに動体視力や反射神経に優れていても、進行方向でない場所に移動するNPCには対処できません。対処するには『騎士の亡霊』が移動したことを知覚した瞬間、いえ移動した瞬間ですら遅すぎます、移動する前の投石が必要になります。
ですが、『騎士の亡霊』の移動はランダム設定こそしてませんが、ステータスバーにある外骨格やDNAデータだけでなく、プレー現在の西暦年月日時刻までを含めた30項目を変数としてアルゴリズム化してます。ですから彼が仮に過去に『騎士の亡霊』と対戦していたとしても、その時と『騎士の亡霊』は違う動きをすることから、その経験を行動予測にいかすことはできません。予測するためには人外の事象観察力と物理演算能力が必要になります……それを戦いながら瞬時に……ありえません」
「だがそれが今現実のに行われているのもまた事実。先ほどからの彼奴の動き、やたら無駄が多いように思えなかったか? 『騎士の亡霊』から食らった1撃目、私にはあれは本気をだせば避けられたが、あえて回避しなかったようにも見えた。そう、まるでデータやサンプルを収集するかのように……」
時雨はつぶやいた。まるで自分自身に言い聞かせるように。
「そんな……そんなスパコンレベルの高度な物理演算能力のある人間なんているはずないです」
「だが、それ以外で我々の目の前の現象を説明することはできまい。たとえ30項目の変数があるとしてもNPCである以上、動きに法則性があるのも、また事実。そしてかかる法則性のあるNPC相手に事象観察力が極めて高い能力者がプレーした場合、NPCとプレーヤーの戦いは、その瞬間、プログラマーとプレーヤーの二人零和有限確定完全情報ゲームへと転化する。これはヒントのつもりで言ったんだが」
時雨は、ようやく冷静さを取り戻し、自分が混乱しながらも辿り着いたばかりの解への賛意を求めるために粟山さんもその解への到達に辿り着くための助言をする。だが、時雨は固く手は握りしめたまま、冷や汗は止まらない。
「二人……零和……有限……確定……完全情報……ゲームですか……
はっ!
い、いました! そう4年前……チェス、将棋、囲碁といった二人零和有限確定完全情報体ゲームの全ゲームでグランドマスターとなったんですよね……その後、スーパーコンピューター京相手に21億円の対局料で二人零和有限確定完全情報ゲームの全ゲームを戦い全勝し、そして、ハイパーキューブに参戦するも謎の失踪……。盤上の唯一神リトに最も近づいたと言われた伝説の無敗プレーヤー……『盤上の唯一神に最も近づいた男』人色ジンなら、はい、可能です」
「そう、それが唯一の合理的に説明する方法だな。それが私が導き出した解……だが、あいつと人色ジンとでは年齢が……あまりにも違う……
私もそこで混乱が残っている……
はっ! 黒野っ、黒野はいるか、いま戦ってる男の名前は何といってた?」
時雨の声を受けて部屋の外に待機していた黒野が参上する。
「はい、お嬢様。彼の名前は人色蔵人でございます」
「人色……そう……だったな……。『盤上の唯一神に最も近づいた男』に息子がいたか……先に見つけられてよかった。あいつより……」
時雨は平常心を取り戻しつつあった。
「ニ、ニアリーリトの息子さんなら……可能です」
粟山さんも、冷静さを取り戻そうとはしていたが、まだ体の小刻みな震えを止めることはできていない