第22話 時雨と蔵人
アマゾンの小さな町にある飛行場。
普段は時代遅れのプロペラ機しか離着陸しない。
そこへ最新鋭のプライベートジェットが着陸する。
人色蔵人は機内からタラップを降りる。
蔵人に続いて二神時雨も降りていく。
「私が言ったとおりだろ。日本からアマゾンへは、太平洋の上ばっかだから直線で移動できるからな速いもんだ。海の上ならソニックブームで住民から文句を言われない。エアラインなんか使って、いろんな空港を経由するより、ずっと早く着いたな」
タラップを降りながら時雨が言う。
「え?」
蔵人は、タラップを降りる足を止めて振り返り、不思議そうに時雨を見上げる。
「ん? 今、私はなんか変なこと言ったか?」
キョトンとした顔で不思議そうに蔵人を見る時雨。
「いや時雨が、そっちの方のソニックブームを知ってるのにビックリしただけだ」
そう言ってニンマリする蔵人。
「こ、このー、私はゲーム脳か!人のことをなんだと思ってるんだ!」
時雨は顔を真っ赤にしながら頬を膨らませて拗ねる。
◇
時間は少し遡る。
泉からアマゾンにあるビグースの秘密基地となっているダンジョンの情報を受け取ると、蔵人は即座に航空チケットの手配をしようとするが、どこに問い合わせても7日待ちと言われた。ビグースの事件以来、世界中に不安が蔓延し、航空会社各社も便数を大幅に削減していたからだった。
時雨の二神財閥は系列に日本を代表する航空会社を抱えていることから、蔵人は時雨にチケット手配の相談をした。
「アマゾン? 変わったとこに行きたがるやつだなぁ。それなら、私の家のプライベートジェットの方が速いぞ。執事の黒野は、ああ見えてライセンス持ってるから操縦できるしな。ジェット燃料の備蓄もいつだってさせてるからな。よし、今からスグに行くぞ」
時雨はそう言って、アマゾンまで蔵人について来たのだった。
◇
タラップから2人は地上へと降りる。今回の旅の目的を蔵人は時雨に一言も話さなかった。時雨も、それを聞かない。
だが、時雨は全てを察していた。それは蔵人が左耳にルビーのピアスをしていたから。
先日の《HYPER CUBE》東京予選決勝後の東京ドーム控室での蔵人と水鏡恭一郎との会話に立ち会っていた時雨は、そのピアスを蔵人がつけているということの意味を分かっていた。
そして時雨は、ずっとある気持ちを堪えていた。
「時雨、ありがとな。あとは俺1人で大丈夫だから」
蔵人は微笑みながら礼を言う。
「ダ、ダメだ。いくらお前でも無茶だ。相手はビグースだぞ。得体の知れない存在なんだ。『Darker Than Crimson Red』なんだぞ」
ついに時雨は叫ぶ。
他方、蔵人は時雨とは別のことを考えていた。それは『Darker Than Crimson Red』の正体。人類と『Darker Than Crimson Red』との戦いの真の黒幕の存在を。
それは得体の知れない存在などではないと。蔵人の論理が誤っていないならば、『Darker Than Crimson Red』の正体は、得体の知れない存在などではない。『Darker Than Crimson Red』の正体は、きっと蔵人がよく知っている「あの人」なのだから。
だが、それを蔵人は言わない。『Darker Than Crimson Red』の正体が「あの人」であることは、蔵人が勝つ可能性を高めるものではない。むしろ負ける可能性を高めさえする。だから余計なことを言って時雨を混乱させるべきでない。蔵人はそう思った。
そんな蔵人の考えを時雨は勿論知らない。
「お前でも1人では無茶だと言っている。お前が行くなら私も行く」
時雨は叫ぶ。
「大丈夫だ、時雨。俺には戦略がある。その戦略上、お前がついて来ると足手纏いにしかならない」
蔵人のその言葉自体は冷たいものだが、蔵人の口調は穏やかで温かい。それは蔵人が時雨を戦いに巻き込みたくない一心でかけた言葉だったから。
実際のところ、蔵人は勝算を持っていない。だが、たとえいつものような常勝の戦略というものがなくても戦わなければならない時がある――ジンと七里のために――蔵人はそう考えていた。
他方、先日の《HYPER CUBE》東京予選決勝で、蔵人が戦略を練ることで矢沢兄妹に大逆転勝ちをしたのを見ているだけに、時雨は戦略があると言われると即座に蔵人へ反論する言葉を見つけられない。
だが、そんな時雨だからこそ、堪え続けている気持ちというのがあるというのも事実だった。
世界有数の資産家である二神財閥の令嬢として生まれ、才能にも恵まれた時雨は、今まで挫折というものを知らずに過ごしてきた。だが、そんな時雨は《HYPER CUBE》世界で矢沢兄妹に敗れる。《HYPER CUBE》世界で屈指の貫通力を誇る時雨の特殊能力『竜の雷槌』は、矢沢兄妹がレアな固有特性として持つ『避雷神』により与ダメージを90%軽減された。時雨が与えた僅かなダメージも、矢沢兄妹のリジェネで簡単に回復され、時雨の攻撃は完全に無効化されてしまう。
それは時雨にとって生まれて初めての挫折であった。初めての挫折に直面し、時雨は一時は他ゲームでマクロを組んだり、RMTをしたりという荒んだ生活をしたこともあった。だが、RMTはMMOの貨幣秩序を乱すし、マクロでは見かけの数値が上がるだけで本当の実力はつかない、時雨は荒んだ生活の中でそのことに気づいて、悔い改めた。《HYPER CUBE》世界大会で優勝することに、もう1度チャレンジしてみよう、時雨はそう思った。
だが、そこへ再び立ちはだかったのは、またもや矢沢兄妹だった。世界大会へのシード権を持ち、東京予選には出場するはずがないと思われた矢沢兄妹が東京予選にエントリーしていた。バトルロイヤル形式で行われる世界大会と違って、トーナメントで行われる予選では、矢沢兄妹との戦いを避けることはできない。矢沢兄妹への勝利は、不可能。時雨は再び絶望した。
もう勝てるわけがない。時雨は諦めた。だが、蔵人は諦めなかった。蔵人の《HYPER CUBE》での熟練度の数値は攻撃も防御も共に全くの初心者のそれであった。それなのに蔵人は、戦略を駆使し絶望的な状況から、たった1人で世界屈指の《HYPER CUBE》プレイヤーである矢沢兄妹を撃破した。
そんな中で時雨は蔵人を次第に尊敬するようになっていった。だが、尊敬と両立するもっと心の奥が痛むような気持ち、そんな気持ちが自らにあることに時雨は気づく。
時雨は蔵人へ恋心を持つようになっていた。
「人色蔵人、お前が……お前がいなくなるのは嫌なんだ。私が……この私が嫌なんだ」
時雨は全力で泣き叫ぶ。今ここで蔵人と別れては、もう2度と会えない。時雨には、そんな予感がしてならなかった。
蔵人は時雨に近づくと、不安そうに涙を浮かべている時雨の頭を撫でる。
「え?」
掠れた声で時雨は見上げる。
蔵人は優しげに微笑む。
「時雨、矢沢兄妹が東京予選にエントリーしたと分かった夜のことを覚えているか? その時も言ったはずだぞ。なぁ時雨、俺を誰だと思っているんだ。ニアリーリトの息子? 隻眼の使徒? そんなのどうでもいい。俺はお前の契約者だ。お前の契約者に敗北の2文字はない。覚えておけ。」
優しげな眼差しで蔵人は時雨を見つめ、いつかのセリフを再び口にする。
時雨は涙を浮かべ、返事をしない。
「私もそう思う。」
そんな返事をすれば、涙が嗚咽に変わるから。それを時雨はできない。契約者の矜持として。
蔵人は向かった。
『Darker Than Crimson Red』との戦いへ。
「あの人」との最終決戦の地、ラストダンジョンへ。




