第17話 七里の思い
それは《HYPER CUBE》東京予選決勝の丁度2週間前のことだった。
蔵人は妹である七里の入院している病院の主治医の執務室にいた。その主治医より呼び出しを受けていたからである。蔵人が主治医の執務室を訪れると、主治医は満面の笑顔で、開口1番こう言った。
「いい報告だよ、蔵人くん。執刀医が決まったんだよ。フランスの名医ジャン・ピエール・デサイーが来日してくれることになったんだ。難しい手術だけど、彼はこの分野で世界で1番の腕と言われてるからね。手術は今から丁度2週間後なんだ。最高のチームで絶対に上手くいくから。七里ちゃんには僕から言っておいたけど、蔵人くんも七里ちゃんを励ましてあげてね」
「ありがとうございます」
蔵人は尽力してくれた主治医に深く頭を下げる。
蔵人が時雨と契約を交わした最大の理由、それは難病にかかっていた七里の病状が深刻なものとなりつつあり、最先端医療技術による手術が必要だが、その為には3000万円もの大金が必要であるということだった。時雨が蔵人に提示した額は3000万円。蔵人は時雨と契約を交わし3000万円を受け取ると、すぐに七里の入院する病院へ持って行った。
以来、その主治医は七里の手術の準備を懸命にしてくれていた。世界でも臨床例の少なく難易度の高い心臓の外科手術であったことから、それに相応しい技術と経験を持つ執刀医を見つけることが1番の難題であった。
だが、実直な主治医は懸命に骨を砕いてくれて、やっと執刀医を見つけてくれた。そして今、その執刀医と手術の日程とが決まったことを蔵人に教えてくれたのであった。
蔵人はノックして病室の扉を開ける。その個室のベットの上に座っていたのは、栗色の長い髪の見目麗しい少女。少女は読んでいた本を、静かに閉じる。
「あ、お兄様、今日も来て下さったんですね。ありがとうございます」
素直で誠実なこの少女は、実の兄にも明るい笑顔で丁寧に挨拶をする。少女の名は人色七里。人色蔵人の妹である。
3年前に心臓の難病を発症した七里は、以来入院して、この病室で過ごすこととなった。心臓に少しでも負担をかけないよう移動には車椅子を使用し、あまり外出しないようにとの指示を主治医から受けていた。そんな七里に寂しい思いをさせないようにと、それ以来、蔵人は学校の帰りには毎日、七里の病室を訪れ、いろんな楽しい話をするのを日課としていた。
そんないつものように蔵人と七里は楽しく話をする。七里はいつも蔵人の話を笑顔で楽しそうに聞くのだが、その日は、ひときわ楽しそうであった。やっと手術の日が決まったことに七里は喜んでいた。七里は温厚で優しい女の子であるから、蔵人と兄妹喧嘩をしたことなど1度もなかった。
だが、蔵人の次の一言から2人にとって初めての兄妹喧嘩となる。
「手術中は俺も手術室の前で祈っているからな」
七里が受ける難しい手術、手術室には入れないが、できるだけ近くで見守り続けたい。蔵人はそう考えていた。
「なりません! お兄様、手術の日は2週間後。その日は《HYPER CUBE》の東京予選決勝じゃないですか。お兄様は決勝に行かなければなりません」
「いや、《HYPER CUBE》はゲームなんだから。手術の方が比べものにならないくらい大切だよ」
「たとえ《HYPER CUBE》がゲームでも、大会はゲームじゃありません。決勝に行くまで、沢山の方たちが戦い、大会を運営する皆さまも頑張ってこられたじゃないですか。ファンの皆さまも予選決勝を楽しみに待ってます。お兄様の我が儘で皆さまの努力や期待を台無しにするなんて絶対に許されません。お兄様はいつまでも七里を子ども扱いしすぎです。七里はもし入院してなかったら、中学校に通っている年齢ですよ!もう中学1年生なんです。七里は手術くらい1人で受けられます!」
七里が生まれて初めて見せた剣幕に蔵人は驚く。
心臓の難しい手術を受けるのだから怖さや不安はあるに決まっている。それなのに気丈に言い張る七里。そこにあるのは人として最も大切な他の人を思いやるという気持ち。優しさ。みんなが幸せになりますようにとの思い。
そんな思いが七里にはあるということであろう。ならばそんな七里の思いを自分は尊重しなければならない。蔵人はそう思った。
「すまなかった、七里。俺は《HYPER CUBE》東京予選決勝を全力で戦う。だから七里、お前も手術を頑張ってくれ」
「それでこそ七里のお兄様です!! もちろん七里は手術頑張ります。お兄様も勝ってくれないと、この七里が承知しませんよ!!」
七里は一転していつもの柔和な笑顔でおどけながら蔵人を励ます。蔵人は心から安心する。
「お兄様、それに七里は楽しみなんですよ」
嬉しそうな笑顔で七里は言う。
「え?」
「だってこの手術が終わったら七里も退院して、みんなと同じように中学校へ通えるじゃないですか。お兄様が、泉さんや田所先輩さんとお見舞いに来て下さっていつも楽しそうに喋られるのを見て、学校っていいなあって。七里は今までずっと病室でしたから……勉強はいつもお兄様にみてもらっているからついていく自信があります。お兄様にはいつも感謝してばかりです」
「学校か。そうだな、七里ならきっと大丈夫だ」
蔵人も笑顔で、七里の頭を撫でる。
「それに退院したら、またあの白浜で夕陽をみたいです。あのときみたいにお父様とお兄様と」
七里は窓の外の遠くの景色を眺めながら笑顔でそう言った。5年前、七里はまだ難病を発症しておらず車椅子なしでも自由に移動できたし、また2人の父親ジンも危険種ビグースに連れ去られてはいなかった。
七里は、その頃にジンと蔵人と一緒に家族旅行に行って、みんなで見た白浜の海岸に沈む夕陽が深く印象に残っているらしく、その時の思い出を話すのが大好きだった。
「そうだな、ジンもきっと帰ってくる。3人できれいな夕陽をまた見ような」
優しい声で蔵人は返事をする。
「それに七里は分かるんです。《HYPER CUBE》東京予選の決勝でお兄様が勝ったら、七里の手術も上手くいく。七里はそんな予感がしてならないんです」七里は満面の笑顔でそう言った。
「そうだな。絶対勝ってくるよ! 七里」
蔵人も笑顔で力強く返事をする。
七里の期待を裏切るわけにはいかない。七里の思いに応え、自分は勝たねばならない。蔵人は心中に必勝を固く誓った。
◇
『集極の波より来たりし闇』により京介が丘ごと消滅したのを見届けた蔵人は、視線を草原の中央へと移す。
そこでは、時雨が月乃と懸命に戦っていた。世界最巧の近接戦闘家といわれる矢沢月乃が特殊能力『爆発する小剣』を時雨に叩き込む。それをまともに食らっても、負けず嫌いの時雨は、吹き飛ばされてはならないと全力でその場に踏み留まる。月乃は留まる時雨へ続けて『爆発する小剣』を発動。その衝撃に時雨は、10メートル以上後ろへ吹きとばされ地面に倒れる。
蔵人は瞬間移動で時雨のすぐ側へ移動して援護しようとしたが、それはできなかった。東端の丘から南端の丘への瞬間移動、そして『集極の波より来たりし闇』。大きな気(KI)を消費する特殊能力を既に蔵人は2回連続で発動していた。これにより気の残量が少なくなっている蔵人は時雨のすぐ側までは瞬間移動できず、移動できたのはその手前20メートルの地点。そこまでの瞬間移動で蔵人の気(KI)は尽きゼロとなっていた。
「後は頼んだぞ、私の契約者人色藏……」
地面に倒れながら蔵人に最期の言葉をつぶやききるその前に、二神時雨はゲームオーバーとなった。移動できた20メートル手前の地点から時雨の側へと蔵人は懸命に走る。
「時雨、ありがとな。それだけやってくれたら十分だ」
プライドの高いあの時雨が地面に這い蹲りながら最期まで戦い抜いた光景を目にし、蔵人は静かに労いの言葉をつぶやく。
「矢沢月乃、今度は俺が相手だ」
人色蔵人の言葉に月乃は振り返る。
「ま、まさか、なんで……あんただけ……や、やっぱりあんたはチート使いなんやな!」
驚きが怒りに変わり月乃は一気に蔵人を捲し立てる。
「クロウドなんてアカウントは最前線どころか前線ですら見たことあらへん。あんたが京介兄さんに勝てるわけないやん。どんな汚いチート使ったんや! 京介兄さんは……美沙は……勝たんとあかん理由があったんや。あんたなんて時雨ちゃんにお金で雇われただけの傭兵やん。傭兵のあんたに……傭兵のあんたなんかにどんな勝たんとあかん理由があるの?」
月乃はその憤りを蔵人にぶつける。
「傭兵……そうだ。確かに俺は傭兵かもしれない。だが傭兵にも勝たなければならない理由がある。ジン、そして七里のために……」
蔵人はつぶやく。それは蔵人が蔵人自らへつぶやいたものであるから、月乃はその言葉の後半を上手く聞きとれてはいない。
「男やったら、ちゃんと大きい声で言うてみい!」
月乃は叫んで蔵人を挑発する。
「お前には関係のない話だ、矢沢月乃。俺も時雨と同じ負けず嫌いだから勝ちたいだけだ。それだけを理解してれば、お前には十分だ!」
蔵人も月乃へ投げやりな言葉で挑発を返す。
人色蔵人と矢沢月乃。隻眼の使徒と世界巧の近接戦闘家。《HYPER CUBE》世界で頂点に立つ二人が、今、草原の中央の往来で対峙する。
『集極の波より来たりし闇』により京介が丘ごと消滅するという光景に茫然自失していた東京ドームの観客たちも、平常心を取り戻し、蔵人と時雨の草原中央での戦いに視線を動かしつつあった。
先手をとったのは月乃だった。月乃はミスリルの小剣で蔵人へ連続攻撃をかける。世界最巧の近接戦闘家といわれる月乃の真骨頂である剣技、それを蔵人は全く躱すことができない。なすがままに攻撃を受け続ける蔵人のHPは460から380まで減少する。蔵人が反撃しようとした瞬間、月乃は瞬間移動でそれを躱しつつ蔵人の背後へ回り込む。
矢沢月乃の特殊能力『爆発する小剣』。連続攻撃の中で小剣が一定の超高速度に達することを発動条件として、小剣はたとえ対象者に触れなくとも術者が被対象者への攻撃意図を有している限り小爆発を起こすことで対象者を攻撃するという特殊能力。
先ほどの時雨との戦闘で月乃の身体は十分すぎるほどに温まっていた。ゆえに条件充足である小剣の一定の超高速に到達することは容易であった。月乃は蔵人の背後から特殊能力『爆発する小剣』を発動する。月乃の小剣から爆炎が上がる。その小爆発の爆風を受けた蔵人は、なす術もなく数メートル後方に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。蔵人のHPは380から230まで激減する。
東京ドームの観客席がざわめき始める。
「戦っているのは『隻眼の使徒』なんだ……よな……」
「『隻眼の使徒』がやられっぱなしって……どういうこと?」
自分たちの前に再来した伝説の英雄『隻眼の使徒』。
《HYPER CUBE》世界に君臨せし絶対的序列第1位。
そんな『隻眼の使徒』が矢沢月乃の攻撃を前になんの抵抗もできないまま打ちのめされている。観客たちは目の前の光景の意味を全く理解できず、混乱をはじめる。動揺した観客たちのざわめきが徐々に東京ドームに広がっていく。そんな中で。
「さ、最悪です。こ、これは……想定されていたものです。私たちが想定していた中での最悪のシナリオへ突入してしまいました。そして蔵人くんがゲームオーバーするまで、この流れを変えることは絶対にできません……この最悪のシナリオが選択されてしまったからには……」
粟山さんは、つぶやく。泉は粟山さんを見て驚く。粟山さんの顔はすっかり青ざめ、その唇は小刻みに震えていた。
「そ、それってどういうこと? ……」
泉は粟山さんに問いかける。




