第16話 時雨と月乃
《HYPER CUBE》最強ギルド「最前線」に所属し、世界屈指の実力を有する女性プレイヤー二神時雨と矢沢月乃。この2人がスターティングポイントに設定したのは、草原の中央にある往来のど真ん中。
ゲームスタート!時雨と月乃は、互いに僅か3mという至近距離で対峙している相手を見る。その瞬間。
東京ドームいっぱいに広がる強力な明るい光、観客たちは眼を開けていられなくなる。と同時に。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドン
観客の誰もが耳の鼓膜が破れたかと思うほどの大きな雷鳴。
この時、東京ドームの観客たちは、みんなドームに落雷があったと思った。雷鳴の余韻に空気が震える。
だが、その強い光と爆音の源は草原の中央にいる時雨。時雨の特殊能力『竜の雷槌』の最終形態『竜神の逆鱗』が発動した瞬間であった。時雨の特殊能力である『竜の雷槌』は最前線でも屈指の貫通力を誇っていたが、矢沢月乃のレアな固有特性である『避雷神』はまさに時雨の天敵とも言えるものだった。このレア特性で月乃は時雨の『竜の雷槌』の与ダメージを90%をも軽減できた。これでは時雨は月乃のHPの7%しか削れない。それでは1ターン分のリジェネで容易に回復されてしまう。矢沢兄妹の出場を知ってからの2ヶ月、時雨は毎日ひたすらに『竜の雷槌』の火力を上げることに特化する形で強化をし続けた。この特異な行動の結果として出現したエクストラスキル、それこそがこの『竜神の逆鱗』。この『竜神の逆鱗』を時雨は1ターンめから全身全霊を込めて月乃へ打ち込む。
『竜神の逆鱗』の副産物として生じた煙幕が次第に晴れる。そこに立っていたのは時雨……そして笑顔の月乃だった。
「めっちゃびっくりするやん。さすが時雨ちゃんやな」
余裕を持った笑顔の月乃に時雨は絶句する……。東京ドームのバックスクリーンには各対戦者のHPバー、KIバーとそれらの数値が表示されている。時雨がバックスクリーンを見やると月乃のHPは412……時雨の『竜神の逆鱗』は月乃のHPをわずか38削っただけだった。
最強の火力を誇る特殊能力『竜神の逆鱗』を時雨は全身全霊で打ち込んだ。だが、この時雨の行動のおおよそは月乃の予測範囲内のものであったのだ。月乃は時雨と同じギルド「最前線」に所属して戦いを共にしてきたし、女性どうしということもあり他のメンバーよりも仲が良い。そんな月乃は時雨の性格を熟知していた。その性格とは、一言で言えば「負けず嫌い」。時雨は姉の時雨と姉妹喧嘩をしていて、姉の雫に負けたくないとの思いから《HYPER CUBE》世界大会で優勝しようと固く決意していることを月乃はよく知っていた。そして、今まで月乃は自らが固有特性として持つ『避雷神』により、時雨にとって最大火力の特殊能力であった『竜の雷槌』をはじめとして、あらゆる雷系統の特殊能力を無効化させ、勝ってきた。
負けず嫌いの時雨であるから、雷以外の系統の特殊能力を覚えるのではなく、『竜の雷槌』の火力を高めるに決まっている、月乃はそう予測した。月乃の予測どおり、時雨は『竜の雷槌』の火力を上げることに特化した特異な強化をした。そんな強化により時雨が得たのが『竜の雷槌』と同じ雷系統のエクストラスキル『竜神の逆鱗』であった。月乃は時雨が雷系統の特殊能力を高めることを想定し、それへの防御のために自らのレア固有特性である『避雷神』を上昇させることに専心した。その結果、月乃が得たのは固有特性『避雷神ⅩⅨ』。それまでの固有特性『避雷神ⅩⅣ』を5段階上昇させることに成功した。
全ては月乃の読みの範疇にあった。
それは親友である美沙を思うゆえの月乃の執念。
「時雨ちゃんには悪いけどな。美沙は私の中学時代からの親友やからね」
「へ?」と時雨。
「ううん、なんでもないねん。こっちの話やから。これからが本番やでっ!」
月乃はミスリルの小剣を構える。
2ターンめ時雨は『竜の雷槌』を選択。『竜神の逆鱗』を連続発動することはできないから。だが、『竜の雷槌』は『竜神の逆鱗』よりも火力が弱い。月乃は自らがたとえ僅かとはいえHPが削られることへ対処するため用意周到にも1ターンめでリジェネを選択していた。それは親友美沙のための必勝の体制。『竜神の逆鱗』で削られていたHPはリジェネによりフルの450へ戻っていた。そして数ターンに渡って継続してHPを回復するリジェネの効果により、『竜の雷槌』によるダメージも即時に回復される。時雨の攻撃は月乃の前に完全に無効化される。
月乃は反撃をかける。ミスリルの小剣を構えた月乃による時雨への連続攻撃。それは世界最巧の近接戦闘家といわれる月乃の真骨頂。時雨は懸命に月乃の小剣を躱し続ける。
攻められては躱し、攻められては躱す。躱せたと思った瞬間に、またも眼前に小剣が――なんとかそれも躱せた……と時雨は思った。
次の瞬間。
月乃の小剣から爆炎が上がる。
「ひゃん」と時雨。
時雨はその小爆発の爆風で、数メートル後方に吹き飛ばされた。
『爆発する小剣』。
連続攻撃の中で小剣が一定の超高速度に達することを発動条件として、小剣はたとえ対象者に触れなくとも術者が被対象者への攻撃意図を有している限り小爆発を起こすことで対象者を攻撃するという特殊能力。
連続攻撃の中で、月乃の小剣は超高速度に達し、この特殊能力が発動した。この月乃の特殊能力を時雨もよく知っていた。だが、時雨にそれを防ぐ術はなかった。
時雨のHPが450から300へと激減する。『爆発する小剣』を、あと2撃受ければ時雨のHPは尽きる。それは今までの負けパターンに他ならない。時雨の頬に1筋の冷や汗が流れる。
その瞬間、激しい青い閃光が東京ドームを包む。その青い光の正体は、『隻眼の使徒』蔵人による特殊能力『集極の波より来たりし闇』。なぜ青い閃光が走ったのか、その意味を月乃は理解していない。だが、それが自分にとっての勝機であることを世界最巧の近接戦闘家との異名を持つ月乃は瞬時に分かった。勝利のためには、それだけが分かれば十分であった。
青い閃光で時雨は目を開けていられない。それは月乃も同じだった。だが、月乃の特殊能力『爆発する小剣』は、連続攻撃の中で小剣が一定の超高速度に達することを発動条件とし、小剣がたとえ対象者に触れなくとも術者が被対象者への攻撃意図を有している限り小爆発を起こして対象者を攻撃するもの。つまり連続攻撃の中での小剣の一定の超高速度到達という発動条件の充足があれば、月乃は目を閉じた状態であっても、時雨への攻撃意図を有する限り、たとえ小剣を時雨に触れさせなくても『爆発する小剣』による攻撃で時雨を加害できることを意味する。
それが分かっている月乃は、目を閉じたまま時雨のいたあたりへ全力で2撃目の『爆発する小剣』を叩き込む。視界を失っている時雨は動くことができず、その2撃目をまともに食らう。
この2撃目を受けて、負けず嫌いの時雨は吹き飛ばされてはならないと全力でその場に踏みとどまる。
だが、その選択は誤っていた。時雨の負けず嫌いな性格から時雨の行動を先読みしている月乃は、意地を張って時雨が留まっているであろうその場所へ続けて3撃目の『爆発する小剣』を発動した。その衝撃に時雨は、10メートル以上後ろへ吹きとばされ地面に倒れる。
それを東京ドームの観客たちは全く観ていなかった。『隻眼の使徒』である蔵人による特殊能力『集極の波より来たりし闇』が発動した時点より以降、観客たちの視線は草原の南端の丘のあった場所、今はただの草原となった場所に釘付けとなっていた。極限状態の興奮から、その時に観客たちは恰も草原の中央には戦いが存在しないかのごとくの錯覚をしていた。観客たちの中で、その錯覚に1番初めにそれに気づいたのは粟山さんだった。
「戦いは1つではなく、2つ。草原の中央でも戦いがあった。そこで自分の親友二神時雨は戦っている。なんで観てなかったんだろう??」
そう思った粟山さんは、視線を草原の中央へ移す。そして、粟山さんは見る。草原の中央にある往来の中央で二神時雨が倒れているのを。時雨は動かない。その側には矢沢月乃が立っていた。
「そ、そんな……」
粟山さんが絶望のつぶやきを漏らす。
次第に視界を回復した月乃は、地面に倒れた時雨に近づく。月乃は時雨が動かないのを確認する。慎重な月乃は、東京ドームのバックスクリーンでも月乃のHPバーとその数値を確認する。時雨のHPバーは消滅し、HPは0を表示。世界屈指の《HYPER CUBE》プレイヤーにしてエクストラスキル『竜神の逆鱗』の使い手二神時雨は矢沢月乃の前に敗れ去っていた。
時雨との激しい戦いに勝利したのを確認した月乃は安堵のため息を吐く。同時に、月乃は先ほどの青い閃光の意味を考えていた。
「京介兄さんの狙撃を妨害するための目眩まし用の特殊能力? まったく京介兄さん油断のしすぎやん」
月乃は1人ごつ。この時点では、月乃は京介が蔵人の1撃で敗北しているなど夢にも思わなかった。
それよりも月乃には気がかりな点があった。月乃が3撃目の『爆発する小剣』を発動する少し前から観客席で「シート!シート!」というコールがされていることの意味が理解できなかった。より勝てる可能性を追求する月乃は、《HYPER CUBE》の設定を、五感の全てについて最大までゲームへ集中できるものにしていた。もっとも、《HYPER CUBE》はゲーム中に火事で逃げ遅れるなどの事故を防止するため、最小限の聴覚と臭覚だけは、どんな設定にしても現実の方に少し残るよう設計されている。だから、月乃には「シート!シート!」というコールが観客席でされているのがわずかとはいえ聞こえるのである。
コールが起こったタイミングから、自分と時雨のバトルでなく、京介と蔵人のバトルに観客が興奮してのものだと月乃は推理できていた。
「でもシートって誰? 外人? 外人いないんやけど? 小さくしか聞こえてないから私が聞き間違えてる?シートって言ってないかも。もしかしてニートって言ってる? そりゃ京介兄さんはニートみたいなもんやけど、まだ大学院に籍があったはずやからギリギリでニートじゃないはずやけど」
月乃はそんな京介が聞けば苦笑しそうなことを考えていた。
次の瞬間。
「はっ! 観客たちはチートと言ってるのかも?! も、もしかして京介兄さんの対戦相手がチートを使ったってこと……」
月乃はそう思った。それは間違っているのだが、ある意味では間違ってはいなかった。
「矢沢月乃、今度は俺が相手だ」
その声に驚いて月乃は振りかえる。そこに立っていたのは人色蔵人。
「ま、まさか、なんで……あんただけ……」
ここに蔵人がいるということは、京介が敗北したことを意味する。わずかな危惧が現実の事態となったことに月乃は驚きを隠せない。
「や、やっぱりあんたはチート使いなんやな!」
驚きが怒りに変わり月乃は一気に蔵人を捲し立てる。
「クロウドなんてアカウントは最前線どころか前線ですら見たことあらへん。あんたが京介兄さんに勝てるわけないやん。どんな汚いチート使ったんや!京介兄さんは……美沙は……勝たんとあかん理由があったんよ。あんたなんて時雨ちゃんにお金で雇われただけの傭兵やん。傭兵のあんたに……傭兵のあんたなんかにどんな勝たんとあかん理由があるの?」
月乃は激情を蔵人にぶつける。
「傭兵……そうだ。確かに俺は傭兵かもしれない。だが傭兵にも勝たなければならない理由がある。ジン、そして七里のために……」
それは蔵人が蔵人自らへつぶやいたものであるから、月乃はその言葉の後半を上手く聞きとれてはいない。
人色蔵人と矢沢月乃。隻眼の使徒と世界最巧の近接戦闘家。《HYPER CUBE》世界で頂点に立つ二人が、今、草原の中央の往来で対峙していた。




