第15話 完全なる混沌(カオス)
「あの隻眼……それにこの凄まじいまでの威力……これってまさか……」
「ああ……4年前のバビロン事件のときの……『隻眼の使徒』に間違いない……」
「ずっと行方が分からなかったあの『隻眼の使徒』が遂にこの世界大会に現れた……」
「こりゃすげえよ……『隻眼の使徒』の再来だ!!」
ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
ウオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ
ウアアアアアアアアアアアアアアアアアァァ
ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ
ウアアアアアアアアアアアアアアアアアァァ
東京ドームの観客席は未曾有の興奮に包まれた。
観客たちはその興奮を抑えられない。
観客席は完全なる混沌。
観客同士で顔をみあわせる。どの顔も驚愕と興奮、そして狂喜。
この事実を会場外の人々に伝えたい。そう思った観客たちは、一斉に知人に電話をしたりツイッターやLINEで情報を発信する。
そんな興奮は、東京ドームの外でも同じだった。この予選決勝の模様はインターネットでも、YouTubeやニコ生公式などが全世界にリアルタイムで無料配信していたし、個人でもこの時代には日本でもグーグルグラスが普及していたことから、それを利用して東京ドームからツイキャスやニコ生で実況する者が多かった。これらを通じて世界中の《HYPER CUBE》ファンが東京予選決勝を観戦していた。
また札幌ドーム、国立競技場、横浜国際総合競技場、京セラドーム、ヤフードームなど日本各地でのパブリックビューイングや、渋谷のスポーツカフェなどには、興奮や喜びを多くの人と共有したいと思う沢山の《HYPER CUBE》ファンがつめかけていた。そんな《HYPER CUBE》ファンたちも大騒ぎしていた。その興奮は東京ドームのファンたちに負けないほどの狂気に似た興奮であった。
《HYPER CUBE》東京予選決勝は、国民的な関心事であったことから、NHKで生中継されており、また民放でも放映権を得られた日本テレビが生中継をしていた。『隻眼の使徒』が出現したときの瞬間視聴率はNHKが58%、日テレが34%、あわせて92%という極めて高いものであった。
世界は完全なる混乱に支配された。
この瞬間。警視庁長官は興奮した若者たちにより予選決勝後に大きな混乱が生じることは必定、それが発展し暴徒化する蓋然性が高いと判断。警視庁長官は、それまで渋谷駅前スクランブル交差点周辺に機動隊員5000人を出動させ厳戒体制を敷いていたが、さらに1万2000人の機動隊員を増員、渋谷の完全封鎖を指示する。同時に長官は、非番であった都内の全警察官に緊急出勤命令を発動する。世界各国の警察トップも、自国の主要な繁華街について同様の指示をしていた。世界は、かつてない興奮に高揚していた。
この時、ツイッターのトレンドワードは「隻眼の使徒 集極の波より来たりし闇 エターナル・ウェーブ・サデニシオン 隻眼の使徒再来 隻眼の使徒のためのオブジェ 人色蔵人 興奮 信じられない #《HYPER CUBE》東京予選決勝」という今回の東京予選決勝の関連ワードが独占する。それは翌日の昼間になっても変わらなかった。それほどの狂気に近い興奮が《HYPER CUBE》ファンたちにあったことから。
東京ドームを満員した熱狂的なファンから、やがて自然発生的にコールが起こる。
シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!」シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!シート!
4年の沈黙を経て再来した隻眼の使徒、そんな使徒を我々は歓迎する。そんな想いを込めた《HYPER CUBE》ファンたちによる使徒コールの大音響が東京ドームに響き渡る。
「く、蔵人君が……『隻眼の使徒』……こ、これって……どういうこと……」
大音響の使徒コールの中で泉の言葉を粟山さんは辛うじて聞くことができた。
「え? 泉さんは知らなかったんですか?」
そう言いながら泉の方を向いた粟山さんは驚く。
泉の瞳から1粒の涙が頬へと流れたことに。ここで粟山さんは1つの誤解をする。この涙は蔵人が泉には『隻眼の使徒』であることを秘密にし、恋敵の時雨や自分には言っていたことへの悲しみの涙だと粟山さんは誤解した。
それは粟山さんの習性でもあった。粟山さんは時雨と幼なじみであったが、小さい頃から我が儘な時雨が問題を起こし、その後始末の役目は親友の粟山さんとなるのが常であった。そんな中でフォロー上手になっていった粟山さんの中学時代のあだ名はフォロ山さん。
「く、蔵人君は戦いのサポートをしている私や、戦いのパートナーの時雨にも、瞬間移動能力者であることを内緒にしてた超秘密主義者なんですよ。そんな人なんですから。時雨も私も困ってばかりなんです。困りまくるのが普通です」と粟山さんはフォロー。
そんなフォローは実は全くの不要であった。泉の涙は、嬉し涙であったのだから。自分は蔵人のことが好きだ。そんな自分の気持ちに泉は気づいていた。ハッキングをして蔵人の父親の情報を蔵人へ伝えることは最初は契約の履行としてであった。そんな泉の成果に蔵人は多大な感謝を示す。契約を終わってからも泉は正義感から調査を続け、やがて泉は自分の恋心に気づいた。他方で、4年前《HYPER CUBE》プログラムが暴走し、全プレイヤーがログアウト不可能となりバビロンの塔最上階のラスボスに100人の人質がとられるというバビロン事件。その事件のとき100人の人質の1人であった泉は『隻眼の使徒』に命を救われた。『隻眼の使徒』の様に自分も人の役に立ちたいと考えるようになり泉は荒んだネット生活から更生し、善意のハッカーとなった。命の恩人であり憧れの存在である『隻眼の使徒』にお礼をしたい、いつからか泉はそう思っていた。
「私も『隻眼の使徒』の役に立ってたってことよね」
泉は心の中でつぶやく。泉は嬉しかった。蔵人のために頑張っていたことが、『隻眼の使徒』の役にも立っていたということが。自分の憧れの存在である『隻眼の使徒』が、自分の大好きな蔵人であるということが。
◇
大衆は時に錯覚を起こす。この時の東京ドームの観客たちが、まさにそうであった。それは泉と粟山さんも例外ではなかった。たとえばマジシャンが右手を高らかに上げて1枚のトランプを示す。このときマジシャンは左手をポケットに入れてタネとなる別のトランプを取り出している。だが、右手に注目している大衆は、その左手を見ていない。これは錯覚を利用した古典的なマジックの手法である。それと同様の錯覚が、今、東京ドームで起こっていた。
観客たちの視線は草原の南端の丘のあった場所、今はただの草原となった場所に釘付けとなっていた。だが、戦いの場所は1つではなく2つある。しかし、大衆は、草原の中央での戦いを全く観ていなかった。恰も草原の中央には戦いが存在しないかのごとくの錯覚をしていた。極限状態に近い興奮の中で、誰もが錯覚をしたことはやむを得ないことでもあった。観客たちの中で、その錯覚に1番初めにそれに気づいたのは粟山さんだった。
「戦いは1つではなく、2つ。草原の中央でも戦いがあった。そこで自分の親友二神時雨は戦っている。なんで観てなかったんだろう??」
そう思った粟山さんは、視線を草原の中央へ移す。
粟山さんは見た。
草原の中央にある往来の真ん中で。二神時雨が倒れているのを。時雨は動かない。その側には矢沢月乃が立っていた。
「そ、そんな……」粟山さんを絶望が襲う。




