登校風景
雲ひとつなく晴れ渡る青い空。
照りつける太陽は紫外線を浴びせながら人々からやる気という力を奪っていく。
要約すると
「暑い、だるい、太陽死ね」
ということになる。
「お前はやはり馬鹿だな。太陽がなくなれば世界中の人々が困る。いや、人間だけでなく多くの生物が困る。なぜなら太陽があるからこそ人間をはじめとした生物が生きていける気候が形成されているのだし、そもそも植物が光合成を行うことだって……」
「独り言にマジなレスポンスを返してくんなよ、鬱陶しい」
「そうか、僕はてっきりお前ごときがお兄ちゃんと会話を試みるために苦肉の策として太陽をディスったのかと勘違いしたようだ。だが忠告しておくぞ、太陽が消滅してもいいことなぞない。このことは少ない脳みその皺の一つとして刻みつけておけ」
「へいへいっと」
嫌みったらしいったらありゃしない。
だが、こういったやり取りが多少形は違えどもほぼ毎朝繰り返されているから多少は慣れたものだ。
そもそもよくよく思い返せば拓弥と一緒に登校する必要はない。昨日の俺と今日の俺とではまったく違う存在といっても差し支えない。故に拓弥を撒くなりなんなりすることも可能なのだ。しかし、どうやら今までの生活で染み付いてしまった習慣というもので普通に一緒に登校してしまった。
「副会長おはようございます」
「拓弥様おはようございます」
未だ校門を通ってはいないというのに学園生から口々に声がかけられる。拓弥にだけ。
「おはよう」
誰こいつと思うくらいに拓弥は人が変わったような爽やかな笑顔で挨拶をしてきた生徒一人一人に言葉をかけていく。相変わらず外面はいい。
「何を見ているんだ、偏差値が下がるから見つめるな」
俺にはこれ。人の目があろうとも俺への態度が変わらないのは褒めてやる。いい度胸だ。
「出来損ないの弟がいつまで拓弥様にべったり張り付いてるのかしら? 目障りだからさっさと視界から消えて欲しいわ」
「本当にねー」
ぼそぼそとした女子生徒の声が耳に届く。この声は俺に聞こえつつも拓弥には聞こえないという無駄に絶妙な声量で呟かれたものだ。それを聞くとまた本日も憂鬱な一日の始まりかとため息が出る。だが、今日の俺は一味違う。むしろ、絶妙で無駄に緻密な声量を発せられる言葉に賞賛すら送ろう。それも俺が神としての記憶と力を思い出したから器が大きくなったことに由来する。
「聞こえてんだよメス豚共」
間違えた。
「皆さん、おはよう」
こっちが正解。
そもそも女子生徒の容姿はずんぐりむっくりのだるまのような体型の奴と鶏がらのような細長い奴の二人組みなので豚という表現は片方にしか当てはまらない。いや、性格が腐ってればどんな可憐な女性もメス豚同然だな。とゆーか女子用の水色のブレザーの制服を着用しているからかろうじて女だと判別できるが、そうじゃなければ男と間違えてしまいそうな顔だ。ちなみにうちの学園の制服は水色のブレザーに銀色のシャンクボタンというのが指定のものであるが、特に決まりはない。理由さえあれば私服での登校でさえ許可される。とは言っても私服で登校してるのは全校生徒で千名ほどいる学園生のうち三人しかいないのだが。
ちなみに俺や拓弥の着る白い学生服も当然指定の制服ではない。だが、拓弥が「生徒会役員たるもの学園生の相談を受けることもあるでしょう。そうした時に誰が生徒会役員なのかわかりやすくするために」という理由で押し通して今の生徒会専用の制服ということにした。まあ、つまり俺も生徒会役員だったりするわけだ。「お前は目の届くところで監視しないとどんな問題を起こすかわからん」という理由で入学したその日に強制加入だ。当時から副会長だった拓弥の副会長権限とやらで生徒会庶務係の役職として過ごしている。
「今メス豚って言ったか?」
「ああ、そう聞こえた。いくらなんでも言いすぎだろ。俺も思ったけど…」
「やはり彼には攻め属性があったわね。私の光君×拓弥様のカップリングは正しかった」
「聞き捨てならないわ。拓弥様×光君こそが王道よ!」
周りの者たちがひそひそと話し合っている中、俺に謂れなき中傷を送った女共は最初はポカンと次いでこちらを睨みつけるように見てくる。
だがそこで声を荒げたりはしない。それは拓弥が傍にいるからだ。拓弥は学園でもトップクラスの秀才であり顔もいい。おまけに生徒会の副会長として学園生たちの認知度も高い。だからこそ拓弥を憧れの存在として見る女子生徒も少なくなく、その中には『拓弥様のご兄弟として神代光の存在を認めない派』と『拓弥様のご兄弟は丁重に扱いましょう派』が存在する。前者はこの女共のように拓弥の目の届かない範囲で俺に嫌がらせをしてくる。後者はうざったいくらいに親切だ。他にも『拓弥様以外は視界に入れない派』等もあるのだがこいつらは俺に実害はない。
今までの俺はそれらに文句を言ったり、ましてや反抗することはなかった。なぜならそれだけの力がなかったからだ。
「いてっ」
何かが額に当たって落ちる。
それは小さな石。それを確認すると同時に女共をみると嘲笑するように吊り上がる口角。だからといって彼女らが投擲したわけではない。その証拠に彼女たちが石を拾い上げて投げるという動作そのものがなかった。だが、それは明らかに彼女たちの手により成し遂げられたもの。
『才核』
読んで字の如く才能の核だ。この世界の人間は全ての者がそれを身体のどこかに所持し、それを使用することで異能の力を発現する。その力は十人十色で同じような力でも出力などの違いなどで一つとして同じものがないと言われる。
昨日までの俺はその力を発現するどころか才核を持ってるかどうかも疑問視されるような存在だった。そのせいで多大な苦労を強いられているのだが、それはまた別の話だ。
明らかにどちらかの力で石を拾い上げてぶつけられたのだろう。
上等だ。昨日までの俺とは違うということを知らしめるいい機会だ。
さてどんな力でやってやろうか。
基本的には人一人に能力は一つであるが今の俺ならおよそ考えられる限りのことが可能だろう。手足をもぎ取って首を捻り切ってやるか、灰すらも残らない灼熱の炎で燃やし尽くしてやるか、はたまた身体の中に空気を詰め込みまくって風船のように弾け飛ばしてやろうか。
などと考えていると再び小さな石が迫ってくるのが見えた。楽しい妄想に浸っていたら第二弾がきてしまったみたいだ。
俺はそれを消し飛ばそうと力を行使する。
が、それは俺の力を受ける前に何か見えない壁に阻まれたようにぶつかり、地面に落ちる。
「やめたまえ」
そういって俺と女共の前に割って入ってきたのは拓弥であった。
とすると先ほどの現象は拓弥の能力である『絶対守護領域』によるものか。
「あ、た拓弥様……」
「このクズの言動如きに反応してくだらない嫌がらせなどするものじゃない。それは君達の品位を貶めるだけだよ」
「も、申し訳ありません」
「いいんだ。以後気をつけてくれたまえ。次に弟になにかするなら……」
そう言って拓弥がちらりと俺を見る。
「僕に一言断ってからにしてくれたまえ。僕の許可なしに弟にちょっかいは出すんじゃない」
「はい、わかりました」
罰が悪そうにしていた女共を拓弥が諭すとやけに元気良く揃って返事をした。とゆーかお前の許可があればちょっかい出してもオッケーなのかよ。とりあえずむかつく。それはせっかくの機会を潰されたこともそうだし、拓弥の態度で倍率ドンさらに倍だ。
「勘違いするな。お前を助けたわけではなく、彼女達の人としての品位を守るためにしたことだ。感謝などされる覚えはない。だが、どうしてもお前が僕に謝辞を述べたいというのなら受け取ることもやぶさかではない」
「だれが感謝なんかするかよ」
「そうか」
拓弥が俺を助けるなんて天地がひっくり返ってもありえないことであるのは理解している。結果的に助けられたことは幾度もあるが今回のはまさしく余計なお世話だ。
どうやらまずは拓弥から俺の力を見せ付けて地べたに這い蹲らせる必要があるようだ。
「そこ、何を騒いでいるのかしら?」
透き通るような声が通り抜けていく。目を向けて見ればそこには他の生徒達の色違いの黒い制服を身にまとう女生徒の姿があった。
背中にかかるほどの長さの黒い髪は上等な絹糸の如くさらさらと風に揺れ、すらりとした形のいい鼻に男を魅了するかのように吸い付きたくなる桃色の唇、揺れる前髪の間を縫って意志の強そうなブラウンの瞳がこちらを見つめていた。しゃんと伸びた背筋から窺い知れる胸の大きさはさほど大きいわけではないが女性にしては高い身長とすらりと伸びた黒いストッキングに包まれた美脚といったスタイルの良さからカッコイイ女性としての認識が強いため気になりなどしない。
「む、沙耶君か」
「会長」
俺と拓弥が同時に彼女のことを認識する。
竜胆雪菜。生徒会役員のトップである生徒会長の肩書きを持つ才女だ。拓弥が秀才なら彼女は天才というにふさわしい。
そんな彼女がつかつかと校舎からこちらに近づいてくる。いかんな、大したことはしていないが校門前で何やら問題を起こしたと思われてしまったようだな。
「説明」
「了解した。愚弟が少々問題を起こしたのでね、嗜めていたところだ」
雪菜の簡潔な言葉に拓弥が答える。よく見かける二人の光景だ。って拓弥の奴嘘言ってんじゃねーよ。
「そ、わかったわ」
俺が何かを言う前に沙耶は納得したとばかりにうなずいた。甚だ不服である。
「はいはい、皆早く教室に行きなさい。そこで固まっていると他の登校してきた生徒の邪魔になるわ」
パンパンと手を打ち鳴らしながら沙耶が告げるとそれまで足を止めていた学園生達が動き出す。その数はざっと二、三十人。って、いつの間にこんなにギャラリーが出来てたんだ。
「光君も」
俺もまた同じように促される。
だが、俺にはまだするべきことがある。それは拓弥の説明の訂正。あれには間違いがある。それを訂正しないと雪菜の俺に対する心象が悪くなる。
いや、そもそもなぜ雪菜の心象を気にしなければならない?
確かに昨日までの俺は雪菜に憧れのような気持ちを抱いていた。高嶺の花に憧れる気持ちは誰だってある。しかしそんな気持ちは昨日紙飛行機にしてゴミ箱にホールインワンさせた。今の俺は紙飛行機ならぬ神飛行機(意味不明)。
そう、俺が雪菜の心象を気にする必要はない。つまりここは大人しく教室へと向かってもなんら問題がない。
「会長、あの……」
しかし内心とは別に雪菜を呼び止めてしまう。
「うん?」
「あ、えっと……」
続く言葉が出ない。雪菜を前にすると言葉が詰まるのは昨日までの自分と変わらない所作だ。神の記憶を取り戻してまだ数時間。十七年間のうちに築き上げた神代光という人間としての存在は切っても切れないところに未だいるらしい。
「ふふっ、わかってるわかってる。私も拓弥君の言うことを一から十まで鵜呑みにしてるわけじゃないから。だから早く教室に行きなさい。サボったりしたら、めっだからね」
そういって雪菜が微笑む。
年上ぶったその言い方になんか毒気を抜かれる。
沙耶に頭だけを微かに下げて礼をするとその場を後にする。
自分の身体をうまく扱えないという不思議な感覚を携えながら……