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優良物件

作者: 中等遊民

 眠りからさめると、車窓は山の斜面を覆う晩夏の木々で覆われていた。四両仕立てのローカル列車はゆっくりと山を登ってゆく。

 車内にはガタンゴトンと電車特有の心地よい走行音が規則的に響くだけで、私以外この車両に人のいる気配はない。もう少し走れば小麦色の無数の稲穂に覆われた平野部へ出るはずだ。

 会った事もない母方の遠い親戚が亡くなったとの報を受け、たまたまその時に体調を崩してしまった母に替わり、私が葬儀へ出る事になった。

 行ったことも無い東北の街を目指し、新幹線を降りたまでは良かったのだが……。出がけに母が心配したとおり、何本目かのローカル線乗換え駅で私は見事に反対方向へと向かう車両に飛び乗ってしまった。間違いに気付いた私は焦ってすぐに次の駅で降りたものの、ローカル線特有の連絡の悪さの為、一時間半を無人駅で過ごした後、ようやくこの鈍行列車に乗る事ができた。

 ちょっと安心したのか、しばらくグーグー寝ていたらしい。私は固くなった体をほぐそうと大きく体を伸ばしながらあくびをした。

――あーあー……ふぅー

「あ~あ~~あ、ふぅ……」

 私のあくびに効果音をつけるように妙な人真似をする声が聞こえ、私はギョッとした。いつのまにか通路を挟んだ向かいの対面座席でニコニコと笑いながら、私のするように両腕を天井へ向けて伸ばし、大口を開ける真似をしている女の子がいた。歳は六、七歳くらいであろうか、白いシャツに紺のサスペンダースカート、頭にはちょっとサイズの大きい麦藁帽子をのせている。

「おじさん、いびきかいてたよ」

その女の子は屈託無く笑いながら私にそう言った。

 アハハ、はずかしいね、と私は苦笑いした。それにしても、この子はいつからここに座っていたのだろう? 保護者や兄弟が一緒にいる様子も無く、女の子は一人でそこに座っていた。女の子の膝には何やら厚手の雑誌がのっかっている。

「ところでお嬢さん、今日はお一人でお出かけですか?」

私が聞くとお嬢さんはコクリと頷いた。子供の相手があまり得意ではない私は、ちょっと困ったなと思いながらも、こんな小さい子が一人でこんな寂しい山間の路線を使うのか、とちょっと感心した。一体このお嬢さんはどこまで行くのだろう?

「そうか、お嬢さんはどこまで行くの?」

「決めてないよ、おじさんについていこうかなぁ」

それは困ったなぁと私は笑って見せた。ただ、先程から「おじさん」と呼ばれているのでちょっと苦笑いしてしまう。私は一応まだ二十代だった……。

「そんな事言ってると、お嬢さんみたいな美人はアブナイおじさんに連れてかれちゃよ」

ふざけてそう言い返してみたが、実際、最近は洒落にならないので私は少し女の子のことが心配になった。

 いつしか列車は山頂を越え、下り坂へと差し掛かっていた。

「ところでお嬢さんのお家はこの辺にあるの?」

私が聞くとお嬢さんは少し顔を曇らせて首を振った。

「前は住んでたけど、わたしのお家無くなっちゃった」

「それはかわいそうに……。でもすぐに新しいお家にも慣れるよ」

私がそう慰め言葉を掛けると、お嬢さんは膝に乗せた分厚い雑誌をめくり始めた。

「わたし、引越しはじめてなんだぁ。早く新しいお家見つけないと」

お嬢さんはそう言いながら食い入るように雑誌を読んでいる。

 よく見るとそれはこの地域の住宅情報フリーペーパーだった。JRの時刻表を暗記する小学生は以前テレビで見た事があったが、住宅情報誌を熱心に読む子供なんて初めてだ。幼い子供が不動産探しなんて奇妙な話だが、お嬢さんは何やら真剣な表情でページをめくっている。

 私は敢えてそれ以上聞くのを止めたが、今度は逆にお嬢さんの方が私に質問してきた。

「ねぇおじさん、おじさんは引越しした事ある?」

「あるよ、何回も。お嬢さんくらいの頃に四回くらいはしたかな。引越ししてすぐの時は前住んでた家が恋しいなぁって思ったけど、いつのまにかその家に慣れていたね。その繰り返しだったかなぁ……」

私は子供の頃の記憶に引き出した。私の幼い頃は引越しの連続だった。お嬢さんは幼いながらも私の話を真剣な顔で聞いていた。

「わたし、生まれてからずっとその家に住んでたから……」

「そうか、それは確かに寂しいし、前の家が恋しいよね」

しばらく、電車の列車の走る音だけが車内に響き渡った。

 列車は峠の中ほどまで下ってきたようだ。

 床に届かない脚をブラブラさせながら、しばらくぼんやりと車窓から外を眺めていたお嬢さんは急に思い立ったように体を伸ばして私の方を向いた。

「おじさんの家ってどこにあるの?」

「僕の家は遠くだよ、東京にあるんだ。東京へは行ったことある?」

お嬢さんはニヤニヤ笑いながら首を横に振った。

「トーキョーのお家は木でできてるの? わたしのお家は全部木でできてたんだぁ」

「へぇ、木造家屋かぁ……。僕の家は鉄筋コンクリートだからなぁ」

「じゃあさぁ、じゃあさぁ、おじさんちには神棚ある? 神棚」

神棚? 私は今まで神棚のあるような古風な家には住んだ事が無かった。

「うーん残念……。神棚も無いなぁ。ずいぶん伝統的なお家が好きなんだね」

そう言うと、お嬢さんは頷きながら照れくさそうに笑った。

 私はポケットに好物のミルクキャラメルが入っていた事を思い出し、ポケットから黄色い紙箱を引っ張り出した。

「お嬢さんはキャラメルはお好き? もし良かったらお一つどうぞ」

お嬢さんはわーありがとうと言って、キャラメルを一粒とった。

「キャラメルの味は変わってないね。何十年ぶりだろう」

お嬢さんの冗談に私は笑った。確かにそのミルクキャラメルは明治時代からある老舗のお菓子会社が昔に作っていたキャラメルの復刻版製品だったからだ。

 お嬢さんはキャラメルをなめながら、なんだかとても楽しそうな顔で私を見ている。どうしたの?と聞いてみるとお嬢さんは脚をばたつかせながら言った。

「わたし決めた。今度、トーキョーへ行くよ。おじさんが神棚のある木のお家作ったら、遊びに行くよ」

「そう? それは嬉しいなぁ。でも僕が家を建てるのはいつになるだろうなぁ……」

私はまだ安アパート暮らしで、自分の持ち家なんて夢のまた夢だった。

「大丈夫だよ。わたし必ず行くからね。約束しようよ」

「ははは、じゃあ約束しよう。指きりげんま、嘘ついたら針千本のーます、指切った」

こんな風にして人と約束したのは何年ぶりだろうか? 小指を絡ませながら、ほとんど忘れかけていた指切りのおまじない文句が口をついて出た事に我ながら驚いた。

そうしているうちに、列車は山を下りきって、森を抜けた。

すると一面西日に照らされた黄金色の稲で埋め尽くされた平野が車窓の景色いっぱいに広がっていた。

「きれいな眺めだねー、お米ももう刈入れ時だね」

私は窓の景色を見ながらそう言い、車内に振り返ってみて狼狽した。向かい側の席にはお嬢さんの姿は無く、キャラメルの包み紙一つと古ぼけた住宅情報誌のみを座席に残して煙のように消えてしまっていた。

 私は不思議に思って車内を見回すが、誰もいない。私は慌てて両隣の車両も見て回るがお嬢さんの姿はどこにもかった。

 私が困惑している間に列車は私の目的駅に着いてしまい、私は狐につままれたような気分で駅へと降り立った。

 取り残されたような寂しさと、お嬢さんの身を案じる心配と、白昼夢でもみていたかのような現実感と非現実感が心の中に同時に湧き上がってきた。発車してゆく車両の窓越しにもお嬢さんの姿を見つける事はできず、私は釈然としない気持ちのままその駅を後にした。


 翌日、なんとか無事に葬儀に出席し、挨拶を終え、その日の夕方には東京へ戻る為の帰路についた。

 私は土産を買うために寄ったとある小さな町の目抜き通りあるベンチに座り、駅へ向かう路線バスを待っていた。

 元々古い旧家屋が立ち並ぶ通りだったようだが、少しずつ現代風の新しい家や商店が建ち始めていた。特にこのバス停の真向かいにある大きな空き地には新しくコンビニエンスストアができるようで、看板の付いた柵で囲まれた更地が広がっている。

 そこへ、かなり年配のおじいさんがゆっくりとした足取りで、人気の無い通りを歩いてきた。そのおじいさんは目の前の更地を見ると、少し驚いた様子で口を開け、残念そうな顔をして首を振った。

「あーあ、とうとう壊しちゃって……。可哀相にな……」

おじいさんは空き地に向かってそう呟きながら、ポケットからなにやら小粒大のサイコロのような紙包みを取り出し、空き地の前へと軽く放り投げた。

――もしかして認知……。

おじいさんを見ながらそう考えていたところで、おじいさんが急に私の方へ顔をむけたので、それまで無意識に好奇の視線を向けていた私は慌てて明後日の方へと視線を逸らした。

「おたく、この空き地に、前何だったかご存知ですか?」

おじいさんが不意に私に話し掛けたので、私は首を振って旅行者だと答えた。

 おじいさんはくたびれたのか、難儀そうに私の横に腰を下ろした。

「ここは大昔からの旧家で、立派な家がついこの前まで建ってたんですが、いまではこの有様で」

私は、はぁと相槌を打つ。

「実はその屋敷には小さな子供が住んでいて。といっても、その家の者は誰もその子の事を知らないんだが、自分は一度だけ会った事があるんです。もう六十年以上前に、まだ十歳になったばかりの頃、お袋からもらった駄賃でキャラメルを買ってた帰り道にこの家の前で」

おじいさんはズボンのポケットからキャラメルの紙包みを一つ取り出した。

「一つくれと言うから投げてやったらニコニコ笑って喜んでたなぁ。小さな女の子で、でっかい麦藁帽子をかぶってた」

私は無言で頷いた。ふと昨日会ったあのお嬢さん思い出した。

「その女の子がこの家に住む座敷童子だって判ったのはその後で、この家にはそんな歳の娘はいないっていうんだから、不思議なものです。その後、あの子と会う事はなかったが、自分が大人になっても、こうやって偶にこの家の前でキャラメルを放り投げてやると、ちょっと目を外している内にそのキャラメルがなくなっているんですよ。そうするとこっちもなんだか嬉しくってね……」

私は目を丸くしてその話を聞いていた。

 普段なら、そんな馬鹿な話があるわけないと呆れるところだが、今日ばかりは何故かそんな気持ちにはならなかった。

「さすがに棲家を壊されちゃ、こんな所にいるわけないなぁ……。今はどこでどうしているのやら……」

老人はそう言うと、アスファルトの路面に転がっているままのキャラメルの包みを拾い、ゆっくりとした足取りで歩き出した。

「新しい家、見つけるんじゃないですか?」

私はおじいさんの背中にそう声をかけた。

 おじいさんが少し驚いた顔で振り返った。

「きっと、今ごろ新しい引越し先を探してますよ」

口から出任せと言われればそれまでだが、私は何故かおじいさんにそう言いたかった。

「ははは、自分もそう信じる事にしましょう」

おじいさんは振り返ってそう笑うと、ゆっくりと歩いていった。


 東京へ戻り、私はただ漫然とした労働が続くネズミ色の日常へと戻っていった。

 それから数年、私の日常は相変わらずだった。

 敢えて報告するべき事といえば、何の因果か普段買わない宝くじをたまたま買ったそのクジが当たり、その賞金で都内にこじんまりとした木造の一軒家を構えたこと。

 そして、母の強い勧めで見合いをし、言われるままに結婚。子供が一人できたが、その妻には三年足らずで逃げられたことぐらいだろう。

 それ以外に私の人生にこれといったイベントは起きていない。

「ただいまー」

 玄関から板の間をドコドコと走る足音が聞こえてきた。

「お父さん、お昼まだー」

白いシャツに紺色のスカートをはいた娘の御藻ミズクが赤いランドセルを背負ったまま居間へやってきた。

「おかえりー。ミズクさん、先にやることあるでしょ?」

私は洗面所の方を指さしながらミズクに言った。私は昼食の為にこしらえたスパゲッティ・ナポリタンをフライパンからお皿へとよそい、テーブルへと持っていった。

 またドコドコドコと駆け足がして、うがいと手洗いを終えた娘が居間へと飛び込んできた。

「じゃあ席について、はい、頂きます」

ミズクとテーブルに向かい合って座り、スパゲッティを食べ始めた。

「美味しいかい?」

「味うすーい、でもまぁまぁだからこれでいいや」

そう言って娘はスパゲッティを貪りつづける。がっついて食べるものだから口のまわりやほっぺたがソースのせいでオレンジ色になっている。

「そんな慌てて食べなくてもまだ沢山あるよ」

私はそう言って紙ナプキンで娘の頬についたソースのケチャップを拭ってやった。

 私と娘はもう六年間、こうして平凡に暮らしている。ただ、事あるたびに何やらデジャブのような不思議な視界や感覚が脳裏で騒ぐことがあった。今ミズクの頬を拭いた時も私は何やら以前の記憶が騒ぐような感覚を感じていた。決まって思い出すのは数年前東北で出合ったキャラメル好きの女の子の顔だ。

 私は肩越しに背後の天井を振り返った。背後には、洋風の居間にはなんとも不似合いな白木づくりの大きな神棚が設けられている。私はふたたびスパゲッティと格闘しているミズクを見た。やはりよく似ている……。

「ねぇねぇ、おじいちゃんとおばあちゃんちにはいつ行くの?」

不意に娘にそう尋ねられ、私はカレンダーへと目をやる。

「そうか、もう夏休みだもんな……。じゃあ来週行こうか?」

「やったぁー、おばあちゃん料理上手だからなぁ。今度は何作ってくれるかなー」

娘ができて一番喜んでいたのは、私ではなく他ならぬ私の両親だった。幸いな事に娘も両親にはよくなついている。特に母とは仲がいい。

 私はオレンジ色に染まったスパゲッティの麺を手繰りながら再びこの数年間を思い返してみた。

 私は急に顔をしかめ頭を抱えた。どうしても急に思い出せない事柄があることに気付いたからだ。

 それまで宝くじを買う習慣がなかった私は、あの当たりクジを一体どこの売り場で買ったのだろう?

 家が建った時のことははっきりと覚えている。その時に両親と大喜びした記憶もある。

 その後、結婚して……。あれ? 見合いをして結婚したような気がするが、なぜか私に三行半を突きつけて出て行った元妻の顔が思い出せない。

 そもそも、顔どころか人として「こんな奴だった」という個性自体がまるで霧に包まれたかのようにボンヤリしてしまって、どうしても思い出せなかった。

 私はミズクを見つめた。何を思ったのかミズクもフォークを握る手を止めて不思議そうな顔で私を見ている。私も瞬きしながら娘を見つめる。私は再び、背後の神棚を見上げた。


――……? やはり、憑かれたか?


私はため息をついた。まぁ、それはそれで、いいじゃないか……。

私は少し笑いながらスパゲッティを掻き込み始めた。

「お父さん、なに急に笑ってるの?」

「いや、何でもない……。思い出し笑い」

私は笑いながら娘に答える。

「ねーねー、ご馳走様したら、キャラメル食べていい?」

ミズクがテーブルの端に置かれた黄色いミルクキャラメルの小箱を指さして聞いた。

「三時になるまでダメー」

私はそう言って、フォークを回してソースに染まった皿の上のスパゲッティを絡げた。


(おしまい)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

多分に独り善がりな作品に仕上がってしまったこと、反省しております。


多分に誤解を招きそうなので一つだけ弁明させていただくならば、この作は「やさしい彼女とかきれいな奥さんとかいう、そんな都市伝説や幻みたいなものはもういらないし、どうでもいいが、せめて愛情をそそげる自分の子供だけはいてもいいかな」という喪男の妄想的願望が形になっただけです。

だから断じてこの物語を「ロリコン趣味」的に解釈してはいけません。(↑説得力ないかもしれませんが……)

ただ、娘の名前だけは自分でも「どうにかならなかったのか?」と思います。色んな意味で……。

岡本 綺堂の一ファンの乱心として御容赦いただければ幸いです。

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[一言] 「後日」って今日さ!  今日卒論提出してようやく一息吐けたヒメノです。  ぶっちゃけ執筆期間約一週間のやっつけでしたが。  その分口頭試問が怖くて仕方がないです……。    私事はさておき御…
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