私は愚痴をこぼしたいだけで、あなたの助けは求めておりませんので
「ラファーゼ・アスモス。君に婚約を申し込む」
在学中、私は公爵令息エルヴィン・シュクレード様と婚約を交わした。
校内のダンスパーティーで一緒に踊ったことをきっかけに意気投合。瞬く間に恋に落ちてしまう。
互いの家族の了承も得られ、卒業後の結婚を誓った。
エルヴィン様は襟足の長い金髪で長身、眉目秀麗でスタイルもよく、脚も長い素敵なお方。
こんな人と結婚できることを嬉しく思うし、私は世界一の幸せ者だと思う。
じゃあ、悩みなんか一切ないかというと、そんなこともないのよね。
私は長い蜂蜜色の髪をいじりつつ、教室で勉強していた。
クラスメイトのミリカ・フロインという女子が近づいてきた。
私と同じ伯爵令嬢で、ベージュの長い髪と赤い瞳が美しい女の子なのだけど、どうにも出会った時から反りが合わなかった。なにかにつけて突っかかってくる。
「あら、あなたの使ってるペン」
「……なに?」
「私のより安物ね。お金を恵んであげましょうかぁ?」
人の持ち物にケチをつけてきたり、
「ミステリー小説を読んでるの? それ私読んだわ。犯人を教えてあげましょうか」
「ちょ、ちょっとやめてよ!」
「犯人の性別はね……」
「やめてったら!」
こんな嫌がらせをしてきたり、
「ノートにウサギの落書きをしてるなんて、ずいぶん子供っぽいのね」
「いいじゃないの、別に……」
とにかく色んな場面で絡んでくる。
ひとつひとつの事案の不快さは大したことないんだけど、積み重なるとうっとうしくなってくる。
だけど、今の私にはエルヴィン様がいる。
(たまには愚痴でもこぼしてみよう)
私はカフェでお茶中に、ミリカについての不満を漏らしてみることにした。
きっと「女性の世界も大変だね」「君には私がいるよ」だなんて励ましてくれるに違いない。そうすれば、私のストレスも一発で消し飛んでしまう。
ところがエルヴィン様の反応は予想外のものだった。
「よし、ミリカを退学に追い込もう」
「……え」
「シュクレード家選りすぐりの影たちを使って、弱みを握り、ミリカを退学に追い込む。もちろん、それだけでは済ませない。ミリカがなんらかの罪を犯すように仕向けよう。さすれば、ミリカは辺境の修道院にでも送られることとなるだろう。さぞ厳しい生活が待っていることだろうな」
てきぱきとミリカを陥れる計画を立てていく。
「心配はいらない。君の人生の障害であるミリカは一週間以内に貴族世界から跡形もなく排除されることになる。さっそく手配を……」
私は咄嗟に叫んだ。
「ま、待ってください!!!」
「ん?」
「確かにミリカとは仲が悪いですけど、エルヴィン様がそこまでされるほどの相手じゃありませんので!」
「そこまで? 婚約者の君にそこまで嫌がらせをしているなら、私が動く理由としては十分だと思うが。というより、私が許せないのだが」
エルヴィン様の目は本気だった。
「そ、そのお気持ちはありがたいんですけど、ひとまず落ち着きましょう! まずは私が自力でミリカをなんとかしたいんです! やっぱり私も自分の力を高めたいですし!」
「……分かった。しかし、私から見て、ミリカに改善が見られないようであれば私が動く。それでいいね?」
「は……はいっ!」
この時の私はこう思った。
(どうしてこんなことになっちゃったの!?)
後日の放課後、私はミリカを校内の一室に呼び出した。
ミリカは不快そうな顔をしている。一対一で向かい合って座る。
「なんなの? こんなところに呼び出して」
私も遠慮せず切り出す。
「あなたは私のことが嫌いよね?」
「……まあね」
「そして、私もあなたのことが嫌い」
「でしょうね」
私は身を乗り出す。
「だけど! このままじゃいけないと思うの!」
「……! どうしてよ?」
「人間誰だって好き嫌いはあるわ。でも『あれは好き、あれは嫌い』と自分の主張だけをして生きていけるほど、世の中は甘くない。私たちのいる社交の世界なんてなおさらだわ」
ミリカは答えない。無視しているのではなく、否定しきれないといった感じだ。
「だからね、今日はとことん自分の“嫌い”と向き合いましょう」
「どうやって?」
「私とあなたで、腹を割ってとことん話し合うのよ!」
私はテーブルの上にティーポットとカップ、クッキーを置いた。
「どうしちゃったの、あなた……?」
頭がおかしくなったような人を見る目だ。
私だって我ながらそう思う。
だけど、ここでミリカをなんとかしなければ、エルヴィン様という最強の切り札が発動してしまう。
「いいから! 話し合いましょう、ミリカさん!」
「分かったわ……やってやるわよ!」
ミリカも腰を据えたみたい。
この後、私たちは日が暮れ、夜が更けるまでとことん話し合った。
時に睨み合い、つかみ合いになることもあったけど、だんだんとミリカの気持ちも分かり、私たちは和解――とまではいかないまでも、分かり合うことができた。
「やはりやるわね、ミリカ……」
「あなたもね……」
私は、きっとミリカも、心地よい疲労感に包まれていた。
***
学校のテスト前、私は悩んでいた。
私も校内では有名になっていたから、色んな人のお誘い――お茶会や読書会、ダンスパーティーなんかに参加していたら、全然勉強していなかった。
学校での成績というのは、卒業後も意外とついて回る。
たとえば美しい貴婦人に成長したけど、学生時代は赤点を取っていました、ではやっぱり格好がつかない。貴族って見栄で生きる生き物だしね。
まして、私はシュクレード家に嫁ぐことが内定している。エルヴィン様のためにも、テストの成績で恥をかくことはできない。
残り日数は少ない。焦りだけが募り、勉強は手につかないという悪循環。
切羽詰まった私は、エルヴィン様とお茶をしている時に、こんな愚痴をこぼしてしまう。
「今度のテスト、難しいし範囲は広いしで、自信がないんですよね……」
公爵家のエルヴィン様とは授業そのものが違うから、助力は期待できない。
だけど、「君なら頑張れるさ」みたいな言葉を貰えればやる気出るかも、なんて期待していた。
ところが――
「よし、さっそく試験問題を入手させよう」
「……へ?」
「大丈夫。我がシュクレード家の影なら、その程度の芸当はお安い御用さ」
エルヴィン様はにっこり笑っているけど、私は唖然としている。
「それに、もし君が低い点を取っても心配いらない。我が家が総力を挙げて教師に働きかけて、君に満点を取らせることを約束しよう」
大貴族による大規模な不正行為が始まりそうになったので、私は慌てる。
「ちょっと待ってください!!!」
「ん?」
「エルヴィン様、ご安心を。私は自力でいい点を取ってみせます」
「だけど、勉強の時間をあまり取れていなかったんじゃ」
「実は……きちんと勉強してるから大丈夫なんです!」
「そうは見えなかったけど」
「そこが私のすごいところなんです。とにかく、テストは自力で頑張りますから! 大船……いえ、豪華客船に乗ったつもりで見ていてください!」
「分かった。期待しているよ」
こうなったら、やるしかない。
これで赤点なんて取ったら、切り札が自動的に発動して、
『愚かな教師よ。よくもラファーゼに赤点を取らせたな。かくなる上はお前の全身を赤く染め上げてやろう』
……なんてことになりかねない。
この日から私は猛勉強した。
目を血走らせる勢いで教科書を読みまくり、問題を解きまくり、暗記しまくり、残り時間でやれることは全てやった。
――結果、クラスで一番の成績を取ってしまった。
私は高得点の答案を眺めながら、ぼそりとつぶやいた。
「……やればできるものね」
***
貴族には領地の問題が常につきまとう。
私の家ももちろん例外ではない。
アスモス家は隣領であるニーア子爵家と揉めていた。
領と領の境目にあたる、今までどちらのものか曖昧だった土地にある有用な資源の埋蔵が認められ、ニーア家が「ここは我々のものだ」と強硬に主張してきたのだ。
当然父もそうはいかないと反論するのだが、父はいかんせん気が弱かった。それに、もし軍事的な衝突になったら向こうに分がある。
「なんとか折半するような案に持ち込みたいが、難しいだろうな」
父が頭を悩ませている。
そんな父を見ていると、私も胸が痛む。
もしニーア家との抗争に発展すれば、我が家に仕える人たちも無事では済まないだろう。
私はついエルヴィン様に愚痴をこぼしてしまう。
すると、エルヴィン様はにっこり笑った。
「よし、私が兵を率いて、ニーア家を滅ぼそう」
「え」
「私もいざという時、兵を率いる訓練は受けている。ニーア家などたちまち滅ぼしてみせるさ」
私の全身に冷えた汗が浮かぶ。
「で、でも、いきなりシュクレード家が攻め込むというのはまずいのでは……」
「大丈夫だ。大義名分などどうとでも用意できる。我が家にはそういったマニュアルもあるのでね」
「……!」
公爵家だけあって、これまでの歴史でも数々の黒よりのグレーなことをしてきたのだろう。
貴族は清いだけでは生きていけない。時には泥水の濁流を巧みに泳ぐような狡猾さやパワープレイも求められる。それは理解している。
だけど――
「まだ対立が本格化したわけじゃありませんし、まずは私が交渉してみせますよ!」
「そうかい? ではいつでも兵を出動できるようにしておくよ」
「あ……ありがとうございます!」
お礼を言いながら、絶対出動させてたまるかと誓った。
その後、私は父に同行させてもらい、ニーア家との交渉に参加した。
私は必死かつ全力で交渉した。
なにしろ私が失敗すれば、ニーア家はこの世から消えてなくなるかもしれない。
「私は血眼になって、あの問題となっている土地の歴史を調べたんです!」
「独り占めするより、分け合う方がメリットは大きいかと!」
「我々が手を組めば、無敵ですよ! アスモス・ニーア同盟を結びましょう!」
ついにはニーア家のご当主も私に押し負ける。
「わ、分かった……。あそこは両家で上手く分け合おうではないか……」
勝った……!
帰りの馬車で、父が私に言う。
「ラファーゼ、お前があそこまで交渉巧者とは知らなかったよ」
私は通りすぎていく景色を見つめながら答える。
「私も驚きだわ」
***
さまざまな危機や試練を乗り越え、いよいよ卒業間近。
お友達同士で遊ぶことも多くなり、なにかと物入りになる。
もちろん、ただ遊んでいるわけじゃなく、こうした交際で築き上げた人脈は立派な武器になる。
だからこれは必要経費――とはいえ、やっぱり楽しんでる部分もあるんだけどね。
私はエルヴィン様に会っている最中、愚痴を漏らす。
「お友達との交際で多忙なのはいいですが、お小遣いのやり繰りにも一苦労ですね」
エルヴィン様は言った。
「よし、私に君の交際費用を工面させてくれないか」
この頃になると、さすがにこうなることは分かっていた。
「ひとまずは金貨を一袋渡そう。不足していたら、どんどん追加を……」
私はきっぱり言った。
「不要です」
「え……」
「今回も、いえ今までも、さまざまなご助力の提案、ありがとうございます。ですが、全て不要なんです」
「ど、どういうことだい? 不要……!?」
「私は愚痴をこぼしたいだけで、あなたの助けは求めておりませんので」
「……!」
「あなたには公爵家嫡子という地位があり、それに見合う能力や実力もある。婚約者として、私を助けたいという気持ちは本当にありがたいです。ですが、私も貴族のはしくれ、自分のトラブルぐらいは自分で解決してみせます。ですので、エルヴィン様は私に『頑張ってね』と言ってくれればそれでよかったんです」
「そ、そうか……。私はこれまでだいぶ余計なことをしてしまったみたいだね。つい、張り切りすぎて……」
凹んでいるエルヴィン様に、私は首を横に振る。
「いいえ。私を助けようとしてくれることは嬉しかったですよ。それに、あなたはあなた自身のためにはシュクレード家の力をむやみに振るわないお人です。ですから、私のためになら人が変わったようになるところが、どこか誇らしくもありました」
精一杯の謝意と敬意を込めて、私は頭を下げる。
「もし、本当にお力を借りたくなった時はどうかよろしくお願いします」
エルヴィン様は笑ってくれた。
「ああ、任せてくれ!」
そのまばゆく頼もしい笑顔を見て、私はこの人と出会うことができて本当によかったと思った。
***
――私たちは結婚した。
結婚後程なくしてエルヴィン様は家督を継ぎ、私は公爵夫人として、優雅で平穏な日々を過ごしている。
さてそんなある日、今日のお昼はミリカが邸宅まで遊びに来る。彼女もある侯爵家に嫁ぎ、今では立派な貴族夫人だ。
珍味として入手した缶詰のドライフルーツをおやつとして振る舞いたいのだけど、メイドが準備に手こずっている。
「どうしたの?」
「奥様、この缶詰が開けられなくて……」
「あらあら、貸してみなさい」
私も缶切りを借りて蓋を開けようとするけど、これが開かない。
「ぐぐぐ……! か、固い……!」
「奥様、あまり無理はなさらぬよう! 怪我をしてしまいます!」
「そ、そうね」
こういう時は、頼りになる旦那様にお願いするに限る。
「あなた、缶が開かないの! お願い!」
「任せてくれ!」
今や公爵としてすっかり貫禄を帯びたエルヴィン様が、缶をやすやすと開けてくれた。
エルヴィン様の助けを借りるのは、これぐらいのことがちょうどいいわね。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




