救えない者
「主様、大丈夫ですか?」
俺は、うっすらと目を開けた。そこには、心配げな白菊が俺を見ながら、扇子で俺に涼しい風を送っていた。足元には、白鈴がうちわを使っていた。
「ああ、又、迷惑をかけたみたいだな」
「迷惑をかけたのは、あの方々です」
俺は、目を瞑り、彼女たちが立ち去るのを待っていたが、体を洗ったり、雑談をしたり、遊び出したりと彼女たちが自由にしている間に、湯当たりをして気絶したようだ。
笑い声が記憶に残っている。
「誰が運んだ?」
「……騰蛇様と百虎様だよ! 清明様」 白鈴が元気に答えた。
恥ずかしい。死にたい。
※
翌日の朝、最終日。太陰は夜の内に姿を消していた。
湯の余韻が体に残りながら十津川温泉を出立した。
空気は冷たく、静かで川音だけが朝を満たした。行が再び始まった。
山と谷を抜ける。景色が流れ、意識が内側へ。ただ、進んだ。
「気持ちいいな」無我の境地という奴だろうか。
「ほう、清明も良さを思い出したかい?」
加茂役が嬉しそうに言った。
観光地の気配と山の気配が混じる熊野那智大社が近い。
「天狗はどうなった?」
「ああ……葛葉様の眷属に始末をしてもらった」
「そうか……」
天狗は五鬼の鬼人を狙っていた。
「天狗は、妖。鬼人は人に分類される。人を犯す妖は成敗の対象になる。その禁を犯さぬ限りは自由だ。それに妖同士の戦いに国は口を出さない」
「過去の俺も幽閉したらしいしな」
「それは、反省をさせる為だったんじゃないかな?」
神社の石段を登り、鳥居をくぐる。人の多さに一瞬たじろいだ。
「最後は滝に打たれて、終了だ」
那智の滝への道は、狐人たちによって閉鎖されていた。
白虎たち三柱と葛葉待っていた。
俺は滝を見てクラクラした。
百メートルを超える滝。
那智の滝は、落ちているのではなく、天から地へ貫かれている一本の柱。つんざくような爆音と水飛沫。
「これは無理だろう」
人がそのまま、滝に打たれれば、骨が折れ、無事では済まないだろう。最悪死ぬ。
葛葉の眷属の狐人の目が俺に注がれている。
「清明、どれくらいの者か?」と。
「皆、お前の姿を見守っています」
葛葉の言葉に背を押された。いや、威圧だ。逃げ出したい気持ちを抑える。母に恥をかかせられない。
「さあ、行け!」
加茂役が、滝を指し示す。冷水で体が震える。
「清明、わしらを信じよ!」
三柱が俺を見た。
天后が、滝の水に手を浸すと、その場が更に静謐な空間に変わった。
三柱が俺を助ける。天后が水そのものを抑えている。白虎は周囲を固め、邪気を退ける。騰蛇は俺の内に入り、心を支える。
頭、顔、胸、腹、両手、両足。足を踏ん張り、背筋を伸ばす。心を平静にする。
「南無不動明王」
俺が、滝から出ると、狐人たちから拍手が起こった。
「さすが、晴明様の生まれ変わりだ!」
「葛葉様のご子息だ。当たり前だ!」
「十二天将を従え、自在に操る。稀代の天才を俺たちは観ているんだ!」
そして、賞賛を口にする。
「主様、ご立派でした」
「清明様、カッコ良かったよ」
白菊と白鈴は嬉しそうだ。葛葉も微笑んでいる。
「助かったよ! 天后、騰蛇、百虎」
「私たちを信じすぎじゃないか?」
「そうかな」
俺の仕草に、三柱は、顔を見合わせて笑った。
「じゃあな、主、主人、約束の品を忘れるなよ!」騰蛇と百虎は帰っていった。
天后も、滝壺に入ると静かに消えた。
※
俺は、着替えて暖かいお茶を飲んでいると、葛葉が声をかけてきた。
「じゃあ、帰りましょう」
車に乗り込もうとしたところに、花山の部下と名乗る背広姿の男が近づいてきた。
「清明様ですね、花山が、花の窟にてお待ちです」
「わかりました」
理由はわからない。だが、何故か会わないといけない気がしたのだ。
「お人よしね、清明」
葛葉は呆れていたが、特に拒否はしていなかった。
だが、その社についた時には、日が沈もうとしていた。
「ここで待っているわ」社の駐車場所の車の中に残った。
「社でお待ちです」
花山の執事が社の入り口で立っていた。
もう誰もいない。しかも、暗闇に包まれつつある。
「久しぶりだな」
黒い背中が、こっちを向いた。
「ああ、記憶が無いんだったな」
「ええ、何もわかりません」
だが、何故か古き共に友に会ったような懐かしさがあった。
「だが、晴明は俺の師でもあり恩もある。恥ずかしい話だがするよ」
魘魅という、妖魔に取り憑かれていたこと。そのせいで最愛の女性を死なせたこと。
「まあ、俺に取り憑かれる素養があったんだ。帝を祓うわけにはいきませんと言われて、俺は出家した」
「そうでしたか?」
「祓うことは、私を殺すことにもなりかねぬと、魘魅を流すことにした。お前はわざわざ熊野に来て共に修行をしてくれた。そうだ、俺たちを邪魔した天狗どもが又、暴れてるそうだな?」
「ええ、ですが退治されました」
「いくら生きようが、生まれ変わろうが、持っている性根は変わらないと言うことだ。お前が気に病むことは無い」
「花山様のところにも、人族解放軍が来ましたか?」
「ああ、きたよ。帝にならないかってね。もちろん断ったよ」
やがて花の窟の神体。盤座が見える。
「ここは、冥界への入り口だ。愛する怜子に会えんかと。ここで何日も待っていたのだ。泰山府君祭をやれるお前の力なら何とかなるかなと?」
花山は、微かに微笑んだ。
「そんな力など存在しないことはわかっているでしょう」
俺は言葉を続ける。厳しい言葉だ。
「それに……熊野巫女の描いた絵を見たでしょう。女性の横顔」
「ああ、画廊に飾ってあるよ。見るたびに死にたくなる。たとえ、輪廻の輪が回ろうとも、俺には会いたくないと」
彼はとめどなく流れる涙を流していた。花山の中にある魘魅は、全てが流れ出してはいない。そして、生まれ変わった今でも同じだ。だが力が弱く、帝の生まれ変わりだから、誰も手を出さないだけだ。
「何もできずに……」
「いや、充分。お前に会いたかっただけだ」
花山と握手をして、俺は車に乗り込んだ。
母は、俺の肩に手を乗せて言った。
「救えることと救えないことがあります」
「はい」
熊野灘から見える海は、漆黒だった。
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