熊野巫女
「ちょっと見て欲しいものがあるの」
毎日、憂鬱な雨が降り続いていたが、夏休みになる前日、ぱたりと止んだ。
校則なしの学園高等部。美術部に所属する個性派、すっとした顔立ちと軽くソバージュのかかったセミロングが印象的な女子——同じクラスの熊野さん。
ついに来た、告白イベントか。いや、俺の自己評価は正確だ。碌でもないことにまた巻き込まれる。
「いや……用事があって……」
「どうせ暇なんでしょ?」
「大事な図書委員がある」
「図書室、改修中じゃない」
俺の心のオアシスは、夏休みを前に工事を始めやがった。
「そうだったっけ」
これ以上、引き延ばしは無理だ。しかたなく連れられていく。
まあ、文化部の棟だから安心だ。
「これよ!」
美術部は、部屋をいくつも持っている。その中の小さな部屋に入ると、真ん中にあるイーゼルに置かれた絵を指差した。
「どうしたの? これ?」
美しい女性の横顔。だが、顔色はすこぶる悪い。そして——その表情には、言葉にできない切なさが滲んでいた。
「花山という人の依頼で、私が描いたの」
「ふうん。やっぱり熊野は絵が上手いんだな」
彼女は首を振った。
「何も感じない? いや、この顔の人知らない?」
「知らないけど……この表情が、妙に気になる」
「でしょう?」
熊野さんが小さく息を吐いた。
「口寄せで浮かんできた映像を描いたんだけど、描き終えてから何日も、この女性の顔が頭から離れないの。こんなこと初めてで……それで、清明に見てもらおうと思って」
彼女の声には、珍しく迷いがあった。数百の巫女の思念を抱えながら生きる彼女が、たった一枚の絵にこれほど囚われている。
「うん。特に悪いものは感じられないけど、
どうかな? 二人とも?」
晴明ブランドだが、俺は清明。式神たちの力を借りるのは当然だ。
白菊と白鈴は、熊野女史に礼をしながら現れた。この間、俺が信州旅行に行っている間、巫女寮で世話になっていたから、当然顔見知りだ。
「清明様、熊野姉ちゃん。悪霊や怨念はこもってないよ!」
白鈴が答えると、白菊に怒られる。
「当たり前です! 熊野様、失礼な発言お許しください!」
ぽこりといつも通り頭を叩かれる。
「いえ、こんな私でも、絵によっては……」
「それよりも、この絵は花山様の依頼と申されましたか?」
白菊は眉間に皺を寄せて尋ねた。その声音に、普段にない緊張が混じっていた。
「ええ。そして、描いた絵を晴明に見せて欲しいと」
白鈴の表情が曇った。
「花山様……」
事情を説明するために、俺をソファに座らせ、熊野はパイプ椅子に軽く腰掛けた。白鈴は、お茶の準備を始める。
熊野女史は、巫女たち数十、数百の思念が宿っている。彼女たちの場合は極端だが、紅葉だって数人の鬼の生まれ変わりだ。
「熊野巫女」——口寄せを生業とした巫女たちだ。その一人一人の生き様や想いを感じて生きている彼女を、俺は尊敬している。俺なら頭が焼かれそうだ。
湯の峰温泉で巫女の活動をしていたところに話しかけてきたのが、花山様だったらしい。
「珍しい能力を持っていますね」
背の高い美しい青年だが、熊野女史は見ただけで嫌悪感を抱いた。青年は帽子を被り、洒落たスーツの装いだった。
「何のことでしょうか?」
彼女が逃げようとすると、腕を掴んできた。
「おっと! どこ行くのかな?」
「手をお離しください」
彼女が大声を出すと、彼女の警備数人が気づいて花山という男を取り囲んだ。
「ああ、なるほど。お前、国に飼われているのか?」
男は、むしろ愉快そうに笑った。
「暴力は困ります。こちらへ」
その男は、警備によって彼らの詰め所に連れて行かれた。
しばらくして、彼女の警備長が、護符を配布している熊野に話しかけに来た。
「熊野巫女、先ほどの者ですが……」
山科の出版社や画商をしている実業家の男。そして、花山法皇の御霊を宿している人物だった。正式に面会を申し込んできたらしい。
熊野は巫女仲間に後を託して、面会の場所——彼の宿を訪れた。
彼の他に、彼の部下の男女が数人いた。どこか浮ついた雰囲気が彼らから漂っている。
男たちは盲目的に彼を崇拝し、称賛を重ねた。
一方で女たちは、媚びと欲を隠そうともせず、いやらしい色を帯びた視線を彼と絡ませていた。
『口寄せとして浮かんだ絵を描くこと』を依頼された。高額な寄付額も口にしている。
「わかりました」
もちろん、熊野女史としては断る理由もない。
花山は、根掘り葉掘り学園のことを尋ねてきた。特に、ある生徒の名を繰り返し口にした。熊野女史は初めての事態に戸惑った。
「巫女様、特に問題はございません」
警備長の田辺の許可を得て、ある生徒、晴明のことを話したという。
「晴明には昔、世話になってな。一緒に熊野で修行をしたのだ」
懐かしむように、親しげに、自慢げに話したという。だがその眼差しには、懐かしさだけではない何かが——熊野には、そう感じられた。
そこでさっきの依頼に繋がる。
「コーヒーでもお召し上がりください」
白菊がテーブルに二つ置いた。もちろん、ミルクたっぷり入っているのが俺の方だ。
「知っての通り、俺には記憶がない」
「うん、知ってる。その事も話した」
熊野女史の回答に、白鈴と白菊が割り込んだ。
「清明様、あやつは昔から我儘な奴なのです。忙しい晴明様を熊野に呼びつけてきました」
「それに、色々とだらしのない男です。晴明様のお優しさにつけ入りますし、関わりを持つべきではありません! 仲間とみなされます」
二人の式神が、ここまで強く反対するのは珍しい。だが——
「でも、一度会ってみよう。この絵の感想を僕が話したところで、何か変わることもないだろうしね」
なぜだろうか。花山様に会わなければ——俺はそう感じてしまった。
そしてもう一度、あの切ない横顔を見つめる。この女性は、一体誰を想っているのだろう。
その答えが、花山に会えば分かる気がしたし、彼の狙いだったのだろう。
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