雨乞い
次の新月の夜を待ち、儀式は行われることになった。
俺がいつも、あの十二天将を呼び出す場所の近く――小川を遡った先に、小さな滝がある。
ここは、通る。
すでに、青龍は召喚してあった。
「見せ物だな?」
俺の隣に立った青龍が、口元だけで笑う。
結界の外側を意識するように、人の輪ができていた。
不用意に近づく者はいない。
生徒会は高みの見物だ。わざわざ宮を建て、こちらを見下ろしている。
「雨乞い、初めて目の前で見るぞ!」
声を弾ませているのは鴨先輩だ。
「言うことを聞かないなら、殺してしまえばいい」
須佐先輩が、冗談めかして言う。
冗談にしては、声が大きい。
結界の内にまで、はっきり届いてくる。
「清明、ちょっと待って。兄さんたちに文句言ってくる!」
大祝妹が宮へ昇ると、ざわめきは嘘のように静まった。
巫女たちは供物と清水を整え、場の気配に神経を張り巡らせている。
一つでも手順を誤れば、取り返しがつかない。
新聞部は声も出さず、紙とペンを構えたまま動かない。
最初から、最後まで書き残すつもりだ。
賀茂たち陰陽師と白鈴、白菊は、その背後で一歩も動かず見守っている。
青龍の人型は、緑の髪と特徴的な目。
痩せていて、異様に背が高い。
俺の倍はありそうだ。
「……どうして、そんな格好なんだ?」
少し前まで、平安時代風の陰陽師装束に、鱗模様の羽織だったはずだ。
「この方が目立つだろう!」
胸に「BLUE DRAGON」のロゴが入った高級そうな緑のスカジャン。
下はブルージーンズ。
「いくらしたと思ってるの?」
「お前の金じゃないだろ。それに、これは報酬だ!」
「……それはそうだね。じゃあ、始めるよ」
陰陽師が四方に塩と清水を撒く。
空気が、目に見えて変わった。
一段、冷える。
巫女たちは一斉に頭を下げ、半歩、下がる。
ここから先は、人の場ではない。
場は「ここではない場所」へと移された。
北に玄武。
東に青龍。
西に白虎。
南に朱雀。
四神の名が唱えられるたび、空間が固定されていく。
新聞部のペンが、音もなく走る。
生徒会は息を殺し、誰一人、口を挟まない。
この時、術者は自らの名を捨てる。
九頭龍王符は九枚。
和紙に墨で描かれた符には、それぞれ異なる龍の印と、「水」を示す文字。
一枚として同じものはない。
円を成して配置され、中央には鏡が置かれる。
それは姿を映すためのものではない。
意志が、留まるための器だ。
供物は清水、米、酒、魚。
すべて、水の循環に属するもの。
俺は地に膝をつき、九頭龍王の神名を唱える。
一度では足りない。
二度でも、まだ足りない。
九度。
同じ調子で、同じ重さで。
この段階で、願いは口にしない。
示すのは欲ではない。
ただ、敬意だけだ。
風が止む。
水面が、自ら揺れ始める。
新聞部の一人が、一瞬だけ筆を止めた。
それでも、続きを書く。
感じた順に、ありのままを残すために。
九つの光が浮かぶ。
九頭龍王は、完全な姿では現れない。
現れるのは、「声」だけだ。
「久しいな、九頭龍王よ」
青龍が、気軽に声をかける。
「呼び出しに応じてみれば……お前か?」
「ああ。わしと主人の清明様だ」
「力弱き陰陽師か?」
「まあな。だが神域の穢れは取り払われた。しかも、今までにないほど綺麗になっただろう。これは、清明様の力だ」
「ああ……あそこに鎮座して以来かもしれん」
満足しているのは、わかった。
光の一つが、強く瞬く。
「また、穢れにまみえるやもしれん!」
「二度と起きぬと、約束しよう」
「どこの社においても、供物は減るばかりだ」
「ならば、祭りが楽しいものになるよう努力しよう。そうすれば、人も来る。信仰も戻る」
条件が、重ねられていく。
一つひとつが、軽くない。
青龍はそれらを整理し、取引の形に組み直す。商人のように。だが、一切の嘘なく。
「いいだろ。人は忘れる生き物だが、こいつは書き残す。禁を破れば、俺が黙っていない」
清明は、ぎょっとした。
だが、否定はしなかった。
九枚の符が、順に水へ溶けていく。
一枚消えるごとに、空気が重くなる。
最後の一枚が消えた瞬間――
雷鳴はない。
風もない。
ただ、雨が降り始めた。
静かで、確実な雨。
新聞部の紙に、最初の雨粒が落ちる。
インクはにじむ。
それでも、文字は消えない。
誰も、書く手を止めなかった。
九頭龍王が姿を現す。
漆黒の龍の気配は、ゆっくりと水底へ沈んでいった。
九頭龍王の力は、恵みではない。
等価の、力だ。
「……これ、違反したら俺が罰せられるの?」
清明は、観客たちの沈黙を背に、理不尽さを噛みしめていた。
※
「まあ、自分の力を見せつけたかったのさ。困った御仁だ」
「これで信仰は?」
「戻るだろうさ。それも、最初から狙いだ」
青龍は新聞部の取材を受けている。
俺も頑張ったのに取材は来ない。
まあ、「龍神について語れ」と言われても困るけど。
「さあ、帰ろうか」
片付けを終え、白菊と白鈴と共に部屋へ戻る。
「やっと、清明様とゆっくりできるな、姉ちゃん」
「白鈴、馬鹿なこと言ってないで」
祭りから逃げるように、俺はその場を去った。
「待て待て、清明」
「どしたの?」
青龍に首に抱きつかれた。
「俺も帰るよ。寮に、あと数日いていいかな?」
白菊の目が鋭くなったのは、黙っておこう。
「貴賓室があるから、そこなら泊まれるかも」
俺は、しばらくの間、体が重くなる事態に陥ることになった。
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