諏訪
一日じゅう車で移動していたせいで、俺はすっかり疲れ果てていた。
「まずは温泉。楽しみですね!」
「ああ……疲れた。早く畳で寝転びたい」
紅葉の明るい声に、俺は生返事しかできなかった。
「それじゃあ、私たちは用事を済ませてくるわ。あとで行ったげるからね」
途中の諏訪神社春宮で、大祝姉妹は 疲れた様子も見せず に車を降りていった。夜だというのに、彼らの帰りを待っていた地元の人々が迎えに出てくる。
「地元で人気なんだよ。特に妹は」
大祝兄が得意げに言う。
俺たちが泊まる宿は、下諏訪宿の旅館でも高級なところらしい。少し先の秋宮の近くで車は止まり、車を降りたのは俺と紅葉、それから阿智くんだった。
宿には手入れの行き届いた綺麗な庭があり、大浴場に露天風呂まで備わっている。
「お待ちしておりました」
受付を済ませ、部屋へ案内される。もちろん男女別だ。つまり、大祝先輩と同室というわけで……。
「げっ。紅葉と一緒のほうが気が休まるんだけどな……」
「じゃあ、貸切風呂で一緒に入りますか?」
「お前なぁ!」
「本気にしましたね?」
阿智くんの冷ややかな視線と、紅葉の無邪気な笑顔が同時に突き刺さる。
「今夜は地元のお偉方と宴会ですよ」
「え……」
「冗談です。少しは我々の苦労をご理解いただければと」
どいつもこいつも、陰キャの俺をからかってくる。
荷物を置いたあと、俺は逃げるようにして温泉へ向かった。
「透明で柔らかい湯。最高だ!」
露天風呂で、誰もいないと思って叫ぶと、子供が一人こちらを見ている。
いや、人じゃないな。
「おまえ、霊力つえぇだに……でも人だら? 晴明だな?」
「あたりだ。君は?」
「洩矢、だに!」
「ああ、大祝妹のペットか?」
俺は、いきなり湯の中に引きずり込まれて、溺れそうになる。龍の怒りの水害、陰陽師が温泉での溺死なんて。世間に笑われてしまう。
子供の目が怒りで赤くなっている。
「おまえ、すっご失礼じゃんかぁ!」
俺はなんとか顔を出して叫ぶ。
「私の可愛い龍だとも言ってたし!」
「ん、そぉなんけ。じゃあ最初から言ってくれりゃよかっただにぃ! それと、田舎もんだとか言うなよぉ!」
温泉の湯の揺れがぴたりと止んだ。
これが暴れ龍か。
「せっかくだ。九頭龍の話、何で怒ってるのか、教えて欲しいんだけど?」
「なんかねぇ、神域が汚されたーっつって、ぷんすかしてたん…だよ? あの龍王、すぐ怒るでなぁ……」
お前もだろうとツッコミを入れたいが、やめておく。溺死体を片付ける宿の人が不憫だ。
「ところで、どうしてここにいるんだ?」
「はぁ? ここ、オイラの地元だに! 温泉入っちゃ悪かねぇら?」
「うん。悪くないよ。大祝妹を出迎えに来たんだろう?」
俺の推理が冴え渡る。
「あいー。きょーは姉ちゃんと寝んだよぉ。だから綺麗にしとかんと、みっとねぇじゃんかぁ」
「じゃあ、体、洗ってやるよ!」
「まじか! おまえ、めちゃ気きくじゃん!」
俺は、子供の龍の背中を洗い機嫌をとることにした。
阿智くんは、その騒動を見てみぬふりをし、露天風呂に入ってくるのをやめていた。
風呂から出て、洩矢の髪をドライヤーで乾かしてあげる。髪が長く足元まである。それから、風呂上がりのコーヒー牛乳。これは欠かせない。
高級旅館だが、あった。
「はい、どうぞ!」
子龍にも渡して、二人でごくごくと飲んだ。
「お代わり、晴明!」
「すいません。あと二本」
竹細工の椅子に座り、体の火照りをさます。
「あら、清明様。その子供は?」
通りかかった風呂上がりの紅葉が、紅色の色浴衣で可愛い。
「洩矢、来てくれたの?」
隣には、大祝妹の姿。
「姉ちゃん!」
暴れ龍は、彼女にくっついた。嬉しそうな
全員で食堂で一緒に豪華な夕食を食べた。
鰻に、山菜に、馬刺しに、蕎麦に。お腹いっぱいだ。
「諏訪と言えば、酒だ。良い酒蔵が多いんだ」
「駄目ですよ!」
大祝兄の発言は、妹に一瞬で却下された。
「だが、いつも神事で……」
「あれは特例ですよ。お兄様」
「悪いな、清明」
え、俺のせいになってない。
「腹も一杯になったし、寝るか。明日も早いしな」
デザートを食べたら解散になった。
もちろん、阿智くんが手配していた飲み物が部屋に隠されていた。
二人は飲みながら、難しい議論を始め、俺はひたすら飲み続けいつのまにか寝ていた。
※
「起きろってば、晴明!」
俺は、洩矢に起こされた。
「ああ、頭が痛い」
「もう、寝てるのお前だけだぞ!」
大祝先輩は、諏訪湖の周りを走りに、阿智くんは散歩に出かけたらしい。
俺は、布団に寝かされていた。
「じゃあ、風呂入ってくる」
「はぁ」
龍の呆れた溜息を聞きながら、二日目の朝は始まった。
その日は、大祝兄の社、前宮で別れて、阿智くんを迎えにきた車で俺と紅葉も、目的地の戸隠神社へと向かう。
途中には、道祖神がところどころあった。
「あ、あれ猿田彦様と天鈿女様ですね。清明先輩、泣かないでくださいね」
「はぁ?」
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