信濃路
「悪い、準備を頼む! 賀茂も手伝ってくれるから」
「わかりました。お気をつけて!」
白鈴と白菊が、少しだけ寂しそうに俺を見上げる。
昨日、一緒に添い寝してあげたばかりだから、文句は出ないようだ。その小さな寂しげな表情に、ほんの少しだけ胸が痛む。
大事な儀式の準備を丸投げして旅に出る。外から見れば、遊んでいるように見えるだろう。半分は事実だ。
だが、同行者の名前を聞いた途端、クラス全体が一瞬、沈黙した。
「大祝兄妹と、阿智くんと、紅葉」
「え、その組み合わせ、何……?」
「大祝様か……大変そう……」
大祝兄は生徒会風紀委員長。全校集会では、目力だけで生徒を黙らせる“歩く武神”。
問題児ですら沈黙するほどの恐怖の象徴だ。
「失礼ね、出雲。兄さん、とっても優しいのに……」
いや、それを感じるのはお前だけだ。
クラスのみんなは、心の中でツッコミを入れているに違いない――少なくとも、俺はそう思った。
「ま、気をつけて行ってきな! 白菊と白鈴は借りるぞ!」
賀茂は、雨乞いの儀式の準備をクラス全員でやる案を提案し、賛成多数で可決していた。
満面の笑みで、やる気満々だ。
「お手間を取らせます。よろしくお願い申し上げます」
「清明様のご不在。ご迷惑をお掛けします」
白鈴と白菊が、すっと現れて丁寧に挨拶する。
「あ、いいのいいの。しばらく巫女寮に来なさい! 賀茂に雑用押し付けられたら大変でしょ」
規則には厳しい辛島さんが、珍しく柔らかい笑みを見せた。
「あ、楽しみにしてたのに……」
賀茂の一言に軽いテンポ感があって、女子たちの話題はすぐ式神かわいがりに移行していく。
俺は余計な説教を受ける前に、そっとその場を退いた。
※
「旅のしおり」
紅葉が差し出したのは、丁寧に書かれた予定表と地図。端正な文字で整えられている。
「凄いな、紅葉は!」
「先輩たちに、校外学習なんだから準備していけって。失礼があっては大変だからって」
「そっか、偉いね!」
「それと、清明は何も知らないし勉強しないから教えてやれって……」
……俺、女鬼たちに完全に下に見られてる?
珍しい来客が休憩室に入ってきた。
「葛葉様!」
紅葉が立ち上がり、深々と頭を下げる。
「どうしたの?」
嬉しさを悟られないよう、気を引き締めて答える。マザコンと思われたら困る。
「あら、甘えていいのよ、清明。せっかく一緒に出かけようと思ったのに。旅行に行くって聞いたわ」
どうやら保名先生に外出許可を取りに行ったらしい。
「すいません、私が……」
「いいのよ。私も息子を持つ身。よく分かるわ」
高校生と中学生の会話とは思えないが、年の差は二つしかない。
それでも、声が胸に温かく響く。
「気をつけていってらっしゃい!」
※
翌日。
大祝兄妹の黒塗り漆細工の大型車に乗り込み、俺、紅葉、阿智くんは諏訪へ向かう。
いつもは見送る側の俺たちが、今日は見送られる側だ。
紅葉は同級生や女鬼寮の先輩たちに囲まれ、ヒロインのように送り出されている。
「紅葉、行かないで……」
鉄輪を捨てた親友が抱きつき、泣きながら紅葉を止める。同級生とは思えない大きな身体だ。
「大丈夫よ、萬。心配症なんだから……」
俺のクラスは女子だけが全員集合。
男子はゼロ。さらに芦屋あたりもいない。
正直、来なくてちょっとホッとした。来ていたら、何か企んでそうで逆に怖い。
「阿智は、自分の車で迎えに来てないのか?」
「ははは。明日、諏訪に迎えに行きますよ。折角ですし、積もる話でも」
大祝兄の怪訝な顔も、阿智くんは余裕。
さすがコミュ強のガリ勉眼鏡。
瀬田を過ぎ、車が揺れる中で大祝兄が口を開いた。
「本当の出来事は、本人しか知らぬもの。それすら作られた物語に上書きされる」
紅葉はきょとんとする。
「兄さんの言いたいのはね、残っている歴史は権力者の都合で書き換えられてるってこと」
大祝妹がそっと補足した。
「例えば……俺が建御雷神に相撲で負けて、諏訪まで逃げたなんて話。酷いだろ? なあ阿智……いや、思兼神よ?」
「ははは、その通りですね」
「とぼけやがって!」
車内が笑いに包まれる。紅葉も興味津々で聞いていた。
「建御名方神が武闘派の連中と諏訪に移ってくれたおかげで、葦原中国の平定は始まった」
俺は揺れでうとうとしかけるが、話題が突然俺に振られた。
「こいつの祖先の天穂日命なんて、国譲りに交渉に来たくせに、すぐに俺たち出雲に取り込まれたんだぞ。呑気なやつだ」
「ええ、使者の選定を誤りました。まあ、子孫もこんな感じですね」
紅葉と大祝妹が笑う。俺も思わず微笑む。
「それで、紅葉の場合はどうなの?」
大祝妹が優しく聞く。兄妹なりの気遣いで、紅葉が話しやすいよう場を整えているのだろう。
やはり神だ、と思った。手を合わせそうになる。
「長くなりますよ」
「構わない、長旅だ」
いつの間にか車は美濃の山道を走っていた。
雨を忘れたような六月の空に、木々の緑だけが瑞々しさを保っていた。
紅葉の横顔には決意が感じられた。
旅は始まったばかりなのに、何か大切なものに触れる予感だけが、はっきりとあった。
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。




