02 王女殿下と母の手袋(短編版)
そうそう。そうでした。
母が編んでくれた手袋を貰ってとても嬉しかったのでした。小さいわたしの手にぴったりと合う小さな毛糸の手袋。一見すると黒色です。
母が「ママとマニータの髪の毛に合わせたのよ」と照れながらも微笑み語ってくれました。
この色は母とわたしの瞳の色に似ていて黒髪だけど、光の当たり方でワインレッドになります。
もちろんわたしたちの好きでもあり大事な色です。父がこのワインレッドのマントやハンカチをとても大切にしてるとかかんとかはまた別のお話。
…ともかく、おそらくこの毛糸の色は母の魔法で色をつけたのでしょうか? だって母はすごい魔女なんだから、そんなことは朝飯どころか昼飯前でしょう。実際のところは分かりません。
わたしはうれしさいっぱいでした。
中庭で母からの手袋に魔力を少しだけ注いでは、両手の手袋を跳ねさせて遊んでいました。喧嘩っぽいことさせたり、握手させたりと…。
わたしの魔法の才能はきっと母譲りだったのでしょうが、母だけでなく誰もがわたしの魔法の上達ぶりに驚いていたから。
母にとってわたしは自慢の娘であり、自慢の魔女だったのかも知れませんね。
母の弟子であるテラ先生も「この遊びは魔法実践にとても基本で大事なことなので、授業に取り入れましょう」と言ってくださってびっくり。
…こっそり使用人にカンチョーさせるフリもしました。もちろんフリですよ。フリ。
このカンチョーと呼ばれる遊びは、ルルさんとシシさんがよくやる男の子向けの下品な遊び(?)らしいけど。フリじゃないと危険だと思います。
…そうじゃなくて、ときには回転し、ときにはふわりと浮かぶように動く手袋たちは、まるで妖精さんのよう。わたしは夢中になっていました。
うーん。これって同列に並べられた妖精さんたちに対して失礼極まりないですよねこれ…。
すべてはカンチョーと悪戯男子たちの所為。レレちゃんに「ひめさま、そんなことしたら女子力マイナスやよ」と言われるぞい。
まあ、テラ先生の雷が落ちたことは言うまでもなく、これは言葉の例えじゃなくて、ちゃんと魔法の雷が落ちましたよ。男子たちとわたしにも。どうしてわたしまで?
しかし、ある日のこと──
こんな時じゃなくてもいい狙ったかのような突風が吹き、左の手袋だけがふわりと飛ばされてしまったのです。
「あっ……!」
気づいたときにはもう遅く、わたしは心では大慌てだったのに関わらず、思わず呆然としていました。
やはり、見つかりませんでした。
木の根元も、石畳の隙間も、薔薇の茂みも、草陰のどこにもありませんでした。
どうしよう…。どうしよう……。
今までにないほどの不安と絶望感。
母に言おうか、言わないでおこうか。
怖かったのは、叱られることではありません。
母がとても悲しむ顔は、絶対に絶対に、見たくなかったのです。
だから、わたしは嘘をつきました。
「大事な手袋が汚れたり失くすといけないので、お部屋にあります。いざと言う時に着けたいのです」
母は「そう?大事にしてよね~」と言って、いつものように微笑んでくれて、手につけてた違うボロ手袋をやさしく撫でてくれました。
もしかすると、母は知って感づいていたのかも知れませんね。わたしの下手な嘘を。それくらい母はやさしさの塊です。
そんなやさしい母は、代々続く魔法使いの血を引く優秀な魔女で王家に仕え、魔法教育に関して厳しい人でもあったと聞きます。
特に『生活魔法』と『防御魔法』と『攻撃魔法』の定義づけや法律作りに尽力し、魔法での失態や事故に関して検証や裁きを義務付けられました。
殺傷や破壊するほど威力のある魔法は『攻撃魔法』にあたるとして、正当な理由なく発動した者は法に基づいて厳しく罰せられるのです。
母は「魔法は決して魔法使いだけのものであってはなりません。魔法は誰もがハッピーなものでなくてはなりません」とよく人々に語っていましたね。
さらに母は、何世代にもわたって継承されてきた魔王の封印の延長を、引き継いでいたのです。
しかしながら、魔王と匹敵するほどの膨大な魔力量を必要とする封印の延長は、生命を削るような危険なものだったと、のちに知ることになります。
ある日、母は突然倒れました。
母の魔力どころか身体が限界に達していたのでしょう。
よりにもよってわたしの目の前で倒れたから、母は「ママのことより、大事なテラ先生の魔法教育を受けなさい!今のあなたには必要なことです!」と倒れた後なのに信じられないくらい強い声で叱られました。今思えば母もわたしに弱った姿を見せたくなかったのでしょう…。
なぜなら、母はそのまま静かに眠るように亡くなったそうです。
そのとてもつらい知らせを聞いたわたしとテラ先生は、もはや授業どころではありません。
気づいたらインク瓶を倒し袖をインクまみれにして、メモ用の巻紙の上で抱き合って泣いてしまいました。巻紙はわたしたちの悲しい涙で濡れて使い物にならなくなりました。
テラ先生は若々しくお美しいお姉さまで、小柄の身体のどこから声を出してるのかと言うほど、大きな泣き声がこの王城中に響くかのようなものでした。なにせ実親よりも心から尊敬し、時には親のように接していた師匠があんなにあっけなく亡くなったのだから。
葬儀のあとの夜。わたしは使用人を下がらさせ誰も居ない自室のベッドで、残された手袋を頬に当てて泣きました。
泣くのに声に出そうとしても喉が締め付けてきて声が出なくてつらい。
どんなに泣いてもあの温かい手で髪を撫でてくれるわけでもなくてつらい。
気付いたら、わたしは数日どんだけ泣きつかれて寝ていたのでしょうか? どんどん日が変わっていきます。
「イシドラさ…。あ、王妃さまはこうなることを知っていたのかもですね…」
あれから、テラ先生と毎日のように中庭で見つからない手袋を探していました。
わたしは頭に母からもらった片方の手袋を乗せていました。適度に撫で撫でしてくれる動きにテラ先生に制御してくださっています。うれしい。
お手手繋いで仲良し師弟というか、教師と教え子です。
「王妃さまは、うちと出会ってから、もうずっと手の平の上で踊らされているように見透かされてた感じありましたし、うちが転生者…違う世界で生まれた人の記憶持ちであることも少ない会話ですぐに見抜き、得体のしれないうちら転生者たち四人を才能ある愛弟子として厳しく指導しながらも、守ってくださった。うちはもうイシドラさまなしでは生きていけないし、恩返しできないと思うと、とてもつらくてつらくてたまらない…」
テラ先生は、母の想いを溢れんばかりにわたしに話してくれました。むしろわたしだけに話してくれたのだと思います。わたしは常に目元を濡らしながら静かに頷くばかりでしたが、話の中にもやさしくて厳しい母の姿がありました。
「イシドラさま…。うちの授業なんかいつでもいいのに…。母娘との時間のほうがもっと絶対大切なのに。そういうところほんと好きくない…嫌い…」
「…ママを嫌いにならないで」
「いいえ。とてもイシドラさまを嫌いになんてなれない……。ただ好きなところと、好きくないところがあるだけ…。イシドラさまは我々にやさしくも、自分自身に厳しかったところがあって、うちとマニータさまがいつも通り一緒に過ごすことをお師匠さまという立場からして優先したのかもですね。きっと…」
テラ先生の目から出てくる大粒の涙は、ものすごい速度で流れ落ちて消えていきました。涙はどうしても流れてくるけどそれは教え子には絶対に見せないという強い意思を感じる。まあ隠しきれてませんし、かえって目立ってるのがかわいい。そういう粋な魔法でもあるのかな? 今度おせーて先生!
「あと、三人はあなたを心配していた。それぞれ仕事に追われていてあなたに会えないからすごく心配していて…」
三人とは、先生と同じく転生者です。偶然にも前世も今世も先生の教え子なのだそうです。どおりで四人とも仲良しである。
「ルルくんは『四人でとっとと魔王討伐隊を結成だ!』と言ってるし、レレちゃんはそれに大反対してるし、シシくんは『とりあえず封印が解かれるまでぼくらで監視しないと』と冷静だしで、三人は相変わらずかもね」
などなどと、話してるうちに二人とも目元がすごい腫れていたことに気づいて笑い合いました。わたしたちはお互いに治癒魔法で目元の腫れを治し合いっこしましたが、どうしても二人の泣き虫は治りませんでした。がっくり。
ウジウジ泣き虫毛虫の二人は、毛糸の感触と母の手のぬくもりを探していました──。
……そのときです。
何かがふわりと舞い上がる気配。
目を向けると、そこには失くした黒色からワインレッドに光る手袋が、宙に浮いていました。
「テラ先生! ぶぃ、び、み…見つけました…」
「えっ? うそーん?」
わたしは頭に被っていた手袋で涙を拭いてポケットにしまい、走って反射的に手を伸ばしていました。
これです。これなのです! …ずっと探していました!
大切な。温かい。母の思い出。
だけど、それはふわりと逃げるように、こんな時じゃなくてもいい狙ったかのような突風で都合よく去って行きそうです。
まるであの時と同じように。
「先生ええええええ!」
もう!! ほんといいところなのに、わたしはそこで夢から目を覚ましました。