光が嫌いな私は、月のようなあなたを愛してしまった ――余命二十歳の私と、約束を破った大人の恋
読みづらいところが多々あると思いますが、大目に見ていただけると助かります。
文章校正: AIMIさん、AI
大学のサークルで彼女と出会った。
彼女の周りにはいつも男たちが群がっていた。
二十歳の女の子は、男なら誰もが憧れる存在だ。
二十歳の男なんて、青臭く未熟で、まるで人気がない。
だからこそ私には分かっていた——彼女の方から私に近づいてくると。
そしてある夜、彼女は私のベッドに潜り込んできた。
私は彼女の若さに溺れ、彼女は私の金に目がなかった。
互いに利用し合う、公平な取引だ。
だがあの娘を、心から愛することになるなんて——思いもよらなかった。
***
私は西村海、三十歳。
とある大学のサークル活動に招かれた。寄付をした縁で。
長ったらしくて退屈なスピーチが終わり、連中は私の寛大さに感謝し、私は彼らの今後の活躍を期待した。
そしてその時、彼女を見つけた。
人混みの中で、周りの女の子たちが皆、さわやかなドレスに完璧なメイクで着飾っているのに、彼女だけはすっぴんに白いシャツ、黒いジーンズ、そしてマーチンブーツという身なりだった。なのに、彼女だけが圧倒的に輝いて見えた。
男たちが彼女を取り巻き、嫉妬に狂った女たちが彼女をじろりと睨みつけている。が、当の本人は全く意に介している様子もなかった。
彼女は豊かな長髪を揺らし、男たちには一応礼儀正しく応対してはいたが、その瞳には明らかな退屈の色が浮かんでいた。連中は、彼女のタイプではないのだ。
私はためらわずに彼女に近づいた。
「キャンパスを案内してくれないか?」
彼女の目が、わずかに輝いた。
彼女は私についてくる——そう確信していた。
彼女はキャンパスの隅々までを細かく案内してくれた。
長い時間、二人で歩き続けた。
彼女がハイヒールじゃなくて本当に良かった。
学内の石一つ一つに至るまで、彼女は詳しかった。
学校の歴史を語る彼女の声には、静かで落ち着いた時間が流れていた。
内心、少し慌てた。
もしかして、こっちの勘違いだったんじゃないか?
カフェテリアの前を通りかかったところで、私は訊いた。
「コーヒーでもどう?」
「コーヒーは苦手です。抹茶ミルクティーにしてもらえませんか?」
彼女がまじめな顔でそう言うので、私は少し驚いた。
どうやら彼女は、私が思っていたような女とは本当に違うらしい。
抹茶ミルクティーを買ってやった。
味の良し悪しは分からなかったが、その鮮やかな緑色は、若さと生命力そのもののように見えた。
私は暗い男だ。
太陽が嫌いで、愛なんて信じていない。純情なんてもってのほかだ。
はっ……まずいな。
歩いていると、桜並木の下に差し掛かった。
四月、桜は満開だった。
ひらりと一輪の花びらが、私のカップの中に舞い落ちた。
桜に飾られた彼女は、この世のものとは思えない美しさだった。
私はぼんやりと、花びらの浮かんだコーヒーに口を付けた。
「おいしいですか?」
「……え?」
「桜の味、しました?」
私は笑った。
私みたいな男に桜の味なんて分かるわけがない。私と彼女は合うはずがない。
作り笑いを消し、私は無表情で言った。
「多分、君の唇と同じ味だ」
彼女が怒り、平手打ちを喰らわすだろうと思った。
だが、彼女はただ驚いたように目を見開いた。
「もしかして、本当に私をナンパしに来たの?」
その目にちらりと喜びの色が浮かぶのを見て、私は初めて言葉に詰まった……
車を地下駐車場から出すと、鋭い太陽の光が差し込んできた。
私は習慣のように目を細めた。
ぎらぎらした光も、代わり映えのない日常も、すべてが煩わしかった。
彼女はバッグからサングラスを取り出し、さっと私にかけた。
私は何も言わず、彼女も無言のまま。
すべてが、あまりに自然に流れていた。
彼女をベッドに押し倒すと、微塵も抵抗しなかった。
すると、柔らかな腕が自然に私の首へと回ってきた。
そして——私が中に入ったその瞬間、
私はただ事ならぬ衝撃に襲われた。
彼女は処女だった。
もう、途中で止められるものではなかった。
彼女は痛みに速い呼吸をし、一粒の涙が私の指先を伝った。
温かく、そして熱く……
私は体を起こし、ベッドの端に座ってタバコに火をつけた。
私の生活は、退屈と孤独の繰り返しだ。
肉体の交わりは求めても、それに伴う責任からは常に逃げてきた。
女の子の“初めて”というのは、私にとっては面倒で煩わしい代物だ。
後ろでは、彼女の静かな呼吸だけが聞こえていた。
「ごめんなさい……」
これも、予想外の言葉だった。
彼女に出会ってから、私は物事を正しく判断できなくなっているようだ。
「面倒をかけないから、それだけは安心して」
私は再び彼女に覆い被さり、彼女の髪を掴んで引き寄せた。
「俺に惚れたりするんじゃねーぞ?」
彼女の瞳は濁りなく澄みきっていた。
「あなたは自己中だし、私も同じ。だから、惚れたりしないよ」
なぜ彼女が自己中だと言うのか、理解できなかった。
彼女の声は確信に満ちていながら、どこか自嘲的に響いた。
私に向けているのか、自分自身に向けているのか、
分からなかった。
私は少しむっとした。
結果としては私が望んでいたものだったが、否定されるのはやはり愉快ではなかった。
私たちは再び絡み合い、ただ恍惚の快楽に溺れていった。
よかった。魂が通わなくとも、肉体が合えばそれでいい。
まさに、私が求めた関係だ。
***
彼女はあっという間に私の住まいに引っ越してきた。
部屋には色とりどりの花が飾られるようになり、布団にはいつも太陽の香りが染み込んでいた。
食後の団らんの時間に、彼女の過去を少しだけ知った。
幼い頃に両親が離婚したという。
「二人とも私を育てたくなかったの。『邪魔』って」
彼女は楽しげに、その人生経験を語って聞かせた。
私はその話に笑うことはできなかった。むしろ、なぜ楽しそうに話せるのか理解に苦しんだ。
「だって、今の私は幸せだから。誰だって自分自身のために生きるべきで、あの二人の選択は間違ってないよ」
「あなたも、自分のために生きてるんでしょ?」
またしても、私は言葉を失った。
私はこの世界でただ〝生存”しているに過ぎないのに、彼女は〝生活”そのものを楽しんでいる。
二人の間の決定的な違いを感じずにはいられなかった。
果たして、社会に適合していないのは私なのか、それとも彼女なのか——答えは出なかった。
三ヶ月が過ぎた。
私の疑問はますます膨らんでいった。
彼女は実に特別な女の子だった。
普段は無表情なのに、どんなことにも驚くほど情熱的だった。
なぜ彼女が私についてきたのか、まだわからなかった。
聞くと――
「お金をくれるんじゃなかったの?」
彼女は何気ない口調で言いながら、市場で買ってきた花を手入れしていた。
「金が欲しいのか?」
私は驚いた。彼女はこれまで一切、何も求めてこなかった。
「お金がいらない人なんているの?飼われてるのにただでいるわけないでしょ?」
彼女の方はむしろ私の驚きようを不思議がっている風だった。
私はさっさと50万円を振り込んだ。
彼女は嬉しそうに満面の笑みでそれを受け取り、「ありがと」。
なんだか、少し不愉快だった。
すると彼女はケラケラと笑った。
土で汚れた手でいきなり私の頬をつねりながら、
「絶対に私に惚れちゃダメだからね」
私はぱっと彼女の手を払いのけ、洗面所で顔を洗った。
彼女はベランダで大笑いしていた。
ふと鏡を見上げると、そこに映っていたのは——いつも冷め切っている私の目が、なぜか笑っていた。
見慣れない、あるいは不気味な光景だった。
私はその変化に恐ろしさを覚え、すぐに目を伏せた。
彼女との初めての別れは、夏休みの始まりだった。
彼女は南方の島へ旅行に行くと言った。暖かな陽射しと美しい海を求めて。
「私を置いて一人で行くのか?」
私は彼女の長い髪を掴んだ。
彼女は白い目で睨みつけ、髪を掴んだ手を振り払った。
「よくもまあ、平気でそんなことが言えるな?」
私はからかった。
「ちょうどいい機会じゃない。一人でいることに慣れときなよ。
私がいなくなっても、あなたはきっと平気でやっていけるから」
私は嗤った。
その言葉の裏にある真剣味には、まだ気づいていなかった。
「お前と知り合う前から、私はずっと一人でやってきた。勘違いするなよ」
「それなら、それでいいよ」
彼女は嬉しそうに、しかしどこか達観したように笑った。
女なんてものは、いつだって永遠を求める。
天真爛漫で、そして愚かだ。
だが、彼女は明らかに違っていた。
「約束したでしょ、面倒をかけないって」
彼女はそう言い、そして文字通りそれを実行した。
私たちはある意味、完璧な関係だった。
別れの時でさえ、私から口にする必要はなかった。
泣き喚くことも、騒ぎ立てることも、執着することも一切ない。
束の間の自由を金で買い取る必要もなかった。
彼女は聡明で、私は満足していた——そう思っていた。
恋愛なんて、長く続けば疲れるだけだ。
同じ顔を毎日見ていれば、いつかは飽きる。
だから、適度な距離と別れは必要だ。
そう考えた瞬間、私はハッとした。
もしかすると、彼女も同じことを考えているのではないか?
彼女の方は、とっくに私に飽きているのではないか?
初めて、たった二ヶ月の別れが、気の遠くなるほど長く感じられた。
私は彼女に電話をかけなかった。
彼女からも、何の連絡もなかった。
不眠に悩まされるようになった。
おそらくは、体が彼女の存在に慣れすぎて、独りでは眠れなくなってしまったのだろう。
睡眠薬をコーヒーで一気に流し込んだ 。
カップがベッドサイドテーブルにぶつかり、鈍い音を立てた。
ふと、彼女が何気ない歌を口ずさみながら、そっと私の髪を梳かしていたあの頃のことを思い出した。
あの時は、いつも安らかに眠りにつけたのに。
目が覚めるともう九時を回っていた。
遅刻だ。
携帯を手に取り、一瞬ためらったが、結局は置いた。
孤独には、とっくに慣れているはずだった。
「私はきっと、独りで死ぬまで孤独なのだ」
再びコーヒーで睡眠薬を飲み干そうとしたその時、ふと父親の顔が脳裏をよぎった。
太っていて、無精髭が伸び 、だらしがない 。
六十歳だというのに、 溶けて形を失ったチョコレートのように 老け腐っていた。
全身からは、 腐敗したような 臭いを放っていた。
父親が死の床で言った言葉が蘇った。
「俺を見ろ。滑稽だろう」
痰のからんだ、耳をつんざくような声だった。
「何を見ているか分かるか?」
「……」
「お前の未来だよ!ははは」
母が二十六歳の時、家の金一切を持ち逃げし、初恋の男と駆け落ちした。
末期の父は、そのことしか頭になかったらしい。
『女は諸悪の根源だ。愛するな。』
それが、父の最期の言葉となった。
父が意識朦朧としてから亡くなるまでの半年間、私のことは一言も口にしなかった。
心配も恨みも、まるで最初から私などいないかのように。
私の女性観のほとんどが父から来ていた。
家には女が出入りしていたが、皆、 行きずりの女たちだった。
私が十歳の時、母が一度だけ戻ってきた。
顔中に後悔の色を浮かべていた。
初恋の男に若い女ができ、母は捨てられたらしい。
父は嘲笑し、「天罰だ」と吐き捨てるように言って、土砂降りの雨の中、しがみつく母を無理やり外に押し出した。
私は二階から、警察に囲まれて連行されていく母を見た。
母は泣き叫び、もはや尊厳のかけらもなかった。
母は上を見上げ、小さく手を振った。
私は嘲笑を浮かべ、さっとカーテンを閉めた。
カーテンの隙間から、母がぱったりと音を立てて静かになるのを、わずかに見てしまった。
母は連れ去られた翌日、ホテルの浴槽で手首を切り、血の海の中で死んでいるのが発見されたという。
父も私も、母の遺体と最後の対面をすることはなかった。
私も、いつか父のようになるのだろう。
孤独死だ。
暗闇の中で、私はぽつりと笑った。
父よりはマシかもしれない。私に子どもはいないから。
『これが、私からこの世界へ向ける、たった一つの善意だ』
かつては、そう信じ込もうとしていた。
二ヶ月後、彼女は帰ってきた。
手には抹茶ミルクティーを下げ、肌は健康的な小麦色に焼け、
いっそう生き生きと輝いていた。
私は待ちきれずというように、彼女を急ぎ足で家に連れ帰った。
再び彼女の体に深く入ると、この体の相性の良さに、思わず目頭が熱くなった。
ようやく蘇る血液が全身を駆け巡るような感覚だった。
私は際限なく彼女を求め、彼女はひたすら黙ってそれに応えた。
彼女の限界を超えるまでに。
「海……痛い……」
私は動作を止め、彼女から体を離した。
彼女の肌に浮かんだ無数のあざを見て、私は目を背けずにはいられなかった。
彼女は痛みに浅く速い息を続けていた。
しばらくして、彼女は私の緊張した背中を撫でた。
「どうしたの?久しぶりだから?」
彼女は本当に完璧だった。
人を困らせることは決してなかった。
ただ、自分の卑劣さに耐えられなかった。
私は自嘲的に笑った。
「ごめん……」
彼女は笑った。
「ずっと、よく眠れてなかったでしょ?」
心配そうに私の目の下の隈をなぞった。
一瞬、胸の奥が揺さぶられるようだった。
私は口を開き、「もし――」と、言おうとした。
その刹那、彼女は素早く指を立て、私の唇を押さえた。
「海、私は絶対にあなたを愛したりしないから」
彼女は私にキスをし、横になった。
その瞬間、父母から受け継いだ穢れた血が、再び全身を這い巡るのを感じた。
『ほら、お前は決して逃げられはしない』
と、誰かが囁くような気がして。
翌朝、彼女はいつもと変わらない明るい笑顔で私を起こしに来た。
軽く朝のキスをしてくれた。
私は少し放心気味だった。
これで、私たちは元の関係に戻ったのだと思った。
今日は週末。
居間に戻ると、彼女は遊園地に連れて行ってほしいとせがんだ。
妙なことに、彼女は私と同じで絶叫マシンが大好きだった。
それが、私たちの唯一の共通点だった。
彼女は言った。「生きてるって感じがするから」
私も全く同じ理由だった。
だが、それで尚さら理解できなくなった。
たった二十歳の女の子が、なぜ絶叫マシンに『生きている実感』を求めるんだ?
私たちはバンジージャンプをし、スカイダイビングをした。
今回の目標はローラーコースターだった。
便利なことに、私たちの住む街には国内最長最速のコースターがあった。
彼女は相変わらずすっぴんで、
「化粧は女の子への枷で侮辱よ」と言い張った。
だから彼女は毎日すっぴんだった。
私は嘲笑した。
「それは君が若いからだ」
彼女は不服そうに手を振った。
「じゃあ、80歳になった時に、もう一度言ってあげる」
コースターの上で、彼女は声を張り上げ、涙を流した。
蛾が火に飛び込むような壮絶さだった。
降りた後、私はハンカチを出し、彼女の顔を拭いた。
「怖いのに、なんで来るんだ?」
彼女はハンカチを奪い、適当に顔を拭いた。
「ほら、便利でしょ? 化粧が崩れる心配もない」
朝の言い争いをまだ覚えていたんだ。子どもっぽい。
メリーゴーランドにいると、カシャッというシャッター音が聞こえた。
見ると、近くにいた夫婦がこちらを撮影している。
私は眉をひそめ、詰問しに行こうとした。
彼女にさっと引き止められた。
「平気、平気。あれ、私の両親なの。私が元気かどうか、こっそり確認しに来ただけだから」
「なぜ、お前は元気じゃないかもしれないんだ?」
「さあね?『親の罪悪感』ってやつかしら」
彼女は私を引きずり、その場を去った。
その後、なんだか少し興が覚めてしまった。
これまで、責任という二文字に関わる一切合切を忌み嫌ってきた。
なのに今回は、なぜか心の奥底で微かな喜びを感じ、それと同時に激しい恐怖を覚えた。
私は病気なのか?
家に帰る道すがら、彼女は初夜の言葉を繰り返した。
「面倒をかけないから、安心して」
家の中は真っ暗で、カーテンの隙間からまだらな光が差し込んでいる。
空気は重くよどんでいた。
私はドアを開けると、ほとんど乱暴に彼女を室内に引きずり込んだ。
ソファに押し倒し、覆い被さった。
セックスに関して、彼女はいつも従順だった。
彼女はかつて言っていた。
「私にできることって、これしかないから」
私は答えた。
「それで十分だ。私が望んでるのも、それだけだから」
快楽はいつも短く、儚い。
まるで花火のように、一瞬の輝きで消え去る。
私は彼女の温かい体から離れ、心にぽっかりと虚しさが広がるのを感じた。
彼女の目は暗闇の中でもきらめいていた。
彼女は優しく私の頬をなぞり、言った。
「あなたはほんとに卑劣な人ね」
私は再び彼女に覆い被さり、荒々しく動いた。
彼女の声は次第に乱れ、鋭くすり抜けていった。
私は笑った。冷たく、残酷に。
ああ、そうだ。
私は卑劣な人間なんだ。
すべてが終わった後、彼女は背を向け、そっと私の指を絡めた。
「責任のないセックスって、男の人にとっては夢なの?」
彼女は真剣に尋ねた。
あたかも純粋な好奇心であるかのように。
私は彼女の背中に口づけ、胸の奥で沸き上がる何かを必死に押し殺し、はっきりと言った。
「ああ!そうだ」
私は次第に彼女がそばにいることに慣れていった。
だが彼女は、私以上に一線を引くのが上手だった。
私はますます彼女とのセックスに溺れていった。
少なくともその瞬間だけは、彼女が確かに此処にいて、忽然と消えはしないと信じることができたからだ。
十一月の雨の日、仕事から帰ると、彼女の姿はなかった。
彼女はきれいに身辺を片付け、何一つ言葉を残さずに去っていた。
私は慌てた。慌てて車庫を開け、運転席に飛び乗った。
窓から差し込む夕暮れの光に、私は思わず嫌悪感で目を覆った。
見ろ、彼女は太陽の下で生きる人間だ。
私は夕日さえも耐えられない。
彼女を繋ぎ止めることなど、できはしない。
最初から、 分かっていたことだ 。
これこそが私が望んでいた、完璧に無責任な関係だった。
私の勝ちだ。
──なのに、
涙が止まらなかった。
***
私は再び独りで生活に戻った。
慣れっこになったリズムだ。
朝起きて、朝のコーヒーを一杯。
出勤し、窓の外で延々と続く車の列に30分閉じ込められる。
一日働き、昼食は相変わらずコンビニの500円弁当。
夜帰宅、また同じ30分の拘束。
電子レンジで温めただけの冷凍食品で夕食を済ませ、
入浴。
明かりを消し、コーヒーで睡眠薬を流し込み、頭がぼやけてゆくのを待つ。
日々が過ぎ、ゾンピのようにただ時を潰していた。
ビルの谷間でネオンが虚しく夜景を背に、
私は一人、自由で、かつてなく孤独に生きていた。
ただ、ベランダの花には水をやる者もなく枯れ、土の嫌な匂いを放っていた。
布団からはもう太陽の匂いがしなかった。
傍にはもう、「海、今日ね──」と、わけのわからない話をぺちゃくちゃとしゃべり続ける人はいなかった。
巨大で、冷たく、どうでもいいような世界に、一人で直面していた。
私はずっと孤独だった。
だが、これほど孤独を感じたことは一度もなかった。
きっと、──愛したことがなかったからだ。
そして、愛されることもなかったからだ。
愛されることがなかったら、愛してしまうことにも気づかないだろう。
私は彼女を探しに行かなかった。
彼女も一度も電話をかけてこなかった。
再び彼女を見たのは、ごくありふれた街角のカフェだった。
車のエンジンがかからなくなり、仕方なく近くのカフェに入った。
彼女はカウンターに座り、どこか遠くを見つめるような、穏やかな顔をしていた。
一人の男が自然な動作で彼女の髪を撫で、
テイクアウト用の抹茶ミルクティーを優しく置いていった。
彼女はこぼれるような笑顔を見せ、手を振って見送った。
そして、視線がふと私に触れ、彼女は一瞬慌てたが、次の瞬きには平静を取り戻した。
さすがだ。
足音を響かせて近づき、彼女の肩に思い切り手を置いた。
口元に歪んだ嘲笑を浮かべて訊いた。
「あの男は誰だ?」
彼女の目にはっきりと軽蔑が見えた。
初めて、彼女の目に映る自分がどれほど惨めかわかった。
「あなたに関係ある?」
そうだ、私には関係ない。
私たちには何の関係もなかった。
無力に手を離すと、彼女は一層深く嘲笑うように私を見た。
「私に惚れちゃダメよ」
彼女も実はひどい人間なんだと思った。
「もし今、女の子が『あなたが好き。結婚して子どもが欲しい。家庭を作りたい』と言ったら、嬉しい?」
嬉しくない。私は逃げ出すだろう。
彼女は私の逃げる目から答えを読み取り、また軽蔑的に笑った。
「はっ、さよーなら」
彼女は私を見下していた。
それが、あまりにも当然すぎて、胸が痛んだ。
私はカフェを出ようとしたが、彼女の嘔吐する音が背後で聞こえた。
振り返ると、彼女の目に一瞬、捕らえられたような恐怖が走った。
一瞬にして、すべてが理解できてしまった。
突然の去り際。あの嘲笑。
――
「責任のないセックスは男の夢なの?」
「そうだ」
――
彼女はどうして私を平手打ちしなかったのだろう。
「他の男の、なんて言うな。信じない」
私は彼女を無理やり家に連れ帰った。
ようやく、道徳的優位に立ったような気分だった。
彼女をベッドに押し倒し、私は繰り返し言った。
「約束しただろう? 面倒をかけないって!」
それなのに、この体は今もなお私を狂わせる。
苦しんでいるのは妊娠のせいか、
それとも私と同じように、この歪んだ糸に未練があって――
彼女はやせ細り、鎖骨が浮き彫りになっていた。
一つの行為が終わり。
「責任は取らない、面倒をかけないって言ったのもよく覚えてるよ」
彼女は元気がなく、しかしどこかいらだっていた。
タバコがゆっくりと灰になっていくのを見つめながら、私の目は冷え切っていった。
こめかみで血管が脈打つのを感じた。
彼女は私を愛してなどいない。かつてないほどに、そう確信した。
私は笑った。顔は歪み、醜かった。
全部、彼女のせいだ!
私は彼女の前で病院に電話した。
「なら、きれいに片付けよう。後患は残したくないから」
彼女の目は最初は信じられないという表情だったが、
すぐに軽蔑に変わった。
彼女の顔に、見慣れない笑みが浮かんだ。
憐れみと嘲笑が混ざっているようだった。
彼女は冷笑した。
「あなたが満足すればいい」
病院に行く前、私は食事を作った。
彼女は一言も発さず、テーブルの向こうに座っていた。
キッチンの換気扇が唸りを響かせていた。
私は消しに行かなかった。家が静かすぎて、せめてもの音がした方がまだましだった。
私は料理を彼女の皿によそい、彼女は黙って食べた。
私は無力感で胸が苦しくなった。
彼女はトイレに入り、ドアをロックした。
むせ返るような嘔吐する音が聞こえた。
私はトイレの前で行ったり来たりし、ドアをノックしようかとためらった。
彼女は家に帰ってから初めて言葉を発した。
「ちょっと一人にしていてくれない?」
私はリビングに戻り、ソファに仰向けに倒れ込んだ。
今も、彼女の激しい嘔吐音がかすかに聞こえてくる。
手で目を覆い、天井の灯りがまぶしく目に沁みた。
私が求めてきたのは、責任のない欲望だけだった。
彼女もそれを分かった上でつき合ってきた。
自分が間違っているとは思わなかった。
だが今、いったいどうすればいいんだ?
私は彼女を病院に連れて行った。
車内では、彼女は相変わらず沈黙していた。
もう二度と私に話しかけることはないだろうと思った。
診察室に入ると、医者は彼女を見て少し驚いたようだった。
「どうしたんですか?予定より早いですね。何か問題でも?」
「いいえ、ただ検査結果を確認したいだけです」
医者は私を見て、理解したようだった。
医者は私の肩を叩き、私は驚いた。
この結果は、私には耐えられないだろうと思った。
帰り道、彼女が運転した。
私はもう気力も体力も尽きていた。
陽が差し込み、私は反射的に目を細めた。
ふと気づくと、彼女の顔にはもう皺があり、 肌は青白く、体は見るからにやせ細っていた。
水をやられることもなく枯れていったベランダの花のように、
今にも消え入りそうだった。
私は彼女をいくつもの病院に連れて回った。
彼女は静かに採血や検査を受け、体に傷を刻まれても従順だった。
ある朝起きると、彼女は無心に腕の針の跡を数えていた。
穏やかな笑顔を浮かべながら。
嵐の前の静けさのようだった。
あの日、子どもは流れてしまった。
彼女の体は、もはや命を育む力を失っていた。
彼女は泣かなかった。ただ冷たく私を見て言った。
「後患はなくなったよ」
私はその場に泣き崩れた。
彼女はその冬を越えられなかった。
生まれつき心臓に病を抱えており、医者には二十歳まで生きられないと言われていた。
彼女は大晦日に死んだ。
彼女がなぜ私についてきたのか、
なぜ私を選んだのか、
すべての謎が解けた。
「面倒をかけないから」
「私はあなたを愛したりしない」
「惚れちゃダメよ」
すべては、最初からこの結末のために用意されていたのだ。
私は女の子を欲望のはけ口と見なしていたが、
今度は私が彼女の臨終の狂おしい欲望の道具にされた。
彼女の葬儀には、思ったより多くの人が集まっていた。
私が知っているのは彼女の両親と、あのカフェの男だけだった。
よく見ると、二人はどこか似ていた。
彼は彼女の兄だった。
彼女の両親が近づき、私の手をしっかりと握った。
彼らの目は優しく、微塵も非難の色はなかった。
私はやりきれなさに目を伏せた。
彼女は言っていた。もしあなたが葬儀に来たら、
「西村海、ありがとう」と伝えて、と。
「ありがとう。あの子の最後の日々は、幸せでした」
私は涙が止まらなかった。
ほら、彼女は約束を守った。最後まで、本当に私に少しも面倒をかけなかった。
私は彼女のことを思い出すのが怖かった。
思い出すと、忘れたかった些細なことまで、すべてが鮮明によみがえってしまうから。
彼女の黒く長い髪が胸をかすめる感触。
いつもひんやりとした手が、私の眉や鼻、唇を撫でた感覚。
彼女の良い香りと太陽の匂いが混ざり合ったあの香り。
彼女のわがままな命令や、甘えたようにふてくされた態度。
私はいつも、彼女が突然現れるような気がしていた。
ふと彼女の姿が見える。
一人で楽しそうに花をいじり、何かの歌を口ずさんでいる。
私が起きると寄ってきて、朝のキスをしてくれる。
「海、抹茶ミルクティーが飲みたい」
私はずっと孤独死すると信じていた。
誰も愛せないと。
だが、夜が来るたび、コーヒーと睡眠薬の作用が現れると、彼女が見えた。
冷たい布団の中で、彼女の体と笑顔が恋しくなった。
温かくて、若々しくて、生き生きとしていた。
暗闇に慣れた目でも、光は欲しがるのだろう。
太陽はまぶしすぎて、すべてを焼き尽くしてしまう。
月がちょうどいい。
彼女のように。
私はきっと、このまま孤独死するのだろう。
だが、私は月を愛してしまった。
光が嫌いな私は、月のようなあなたを愛してしまった。
(完)
番外編
私の名前は佐々木華蓮、二十歳まで生きられないと宣告されている。
二十歳の時、一人の男に出会った。彼の名前は西村海。
素敵な名前だ。
私の両親は私がまだ幼い頃に離婚した。
父は兄だけを連れて行き、母も私を置いていった。
だが、彼らの罪悪感による養育費のおかげで、私は多額の貯金を持っている。
私は心臓病を患っている。時々、“心臓病でよかった” と思う。
死ぬまで美しくいられる。
私は結構幸せだ。
自分をきちんと世話し、自由気ままに生きている。
同世代の嫉妬や異性の驚嘆の眼差しを時折楽しむ。
死ぬ運命だけど、私は本当に美人だわ。
私は人生がくれた全ての不幸と喜びを受け入れる。
病気は不幸だが、西村海は喜びだった。
私は同世代の恋愛が好きじゃない。彼らは脆すぎて、愛を何よりも重んじる。
私が欲しかったのは、しがみつかない完璧なセフレ。
西村海は私が諦めかけていた時に現れた。
「私をナンパしに来たの?」と嬉しそうに聞いた。
彼は驚いていた。
私は笑った。
神様は私に結構優しい。
彼はハンサムで、何より冷徹で利己的。
私にとって、彼は完璧な恋人だった。
責任を感じずにセックスを楽しめ、感情を交わさなければ誰も傷つかないから。
私は人を傷つけるのが怖い。
両親の未練や罪悪感、息苦しい喧嘩や殴り合いを覚えている。
彼らが私を捨てたのは、きっと愛しすぎたからだろう。
私は彼らを許すべきだ。
だが、もう愛することはできない。
私は愛する能力を失った。
私と西村海は私が死ぬまで楽しく過ごせると思っていた。
私は彼を愛さず、彼も私を愛さないまま。
だが、私たちは約束を破った。
私は妊娠した。
嬉しかったが、私の体は耐えられない。
中絶手術すら受けられず、自然に死ぬのを待つしかない。
これは残酷すぎる。誰かと分かち合いたい。
「責任を取らないセックスは男の夢なの?」と聞いた。
彼は「そうだ」と強く答えた。
だが、彼の背中に葛藤を見た。
彼はますますベタベタしてきた。
時々、彼の目に愛おしそうなものを見る。
これは受け入れられない。
彼が本当に最期まで卑劣で利己的なら、私が傷つけることもないのに。
彼の期待に耐えられず、私は去った。
93日後、再び彼に出会った。
彼は痩せ、憔悴していた。
私は吐き気を抑えられず、妊娠がばれてしまった。
彼の目に喜びと狂気を見た。
その瞬間、彼を憐れんでいるのか、自分を哀れんでいるのかわからなかった。
彼は無理やり私を家に連れ帰った。
「面倒をかけないって言っただろ」と彼は再度強調した。
だが、彼の目には悔しさが見えた。
彼は子どものように、何かを証明しようとした。
だが、体の痛みは彼の気持ちに構う余裕も奪った。
彼は診断書を手にし、絶望的な瞳で震えていた。
私は何も言えなかった。
子どもはある晴れた朝に消えた。
彼は泣き崩れた。
彼を傷つけたくなかったが、もう慰める力もなかった。
私は死ぬ。
両親と兄に伝えた。恨んでいない、皆が幸せに生きてほしいと。
そして、
「最後の日々を幸せにしてくれた素晴らしい男に出会った」と。
「命を宿せたことが、私の二十年で最も偉大なことだった」と。
もし彼が私の葬式に来たら、伝えてほしい。
「西村海、ありがとう。そして、さようなら」と。
(番外編 完)
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