第十一話 探り
俺の住む家は親がいなくなった一軒家──というより、都心に置かれた別荘のようなものであった。所有者は今も親だが、管理は柊真に任されている。しかし、元々は家族で過ごすための家、ということもあり、一人暮らしにはもったいないほどの広さを持っている。一階と二階あわせて部屋が四つもあるが使っているのは一部屋だけだ。
ベッドから身を起こすと、カーテンの隙間から昇りかけの太陽の光が飛び込んでくる。部屋のカーテンを開くと、青色の絵の具で塗りつぶしたように透き通った晴天が町を包み込んでいた。春の澄み切った空気を感じる青さだ。
時刻は六時三十八分。まずはパジャマを脱ぎ制服に着替える。その後は顔を洗ったり歯を磨いたり弁当を作ったり朝食を食べたり。一人暮らしの朝は忙しい。今日は卵焼きが上手く作れた。
そうこうしているうちに七時二十五分。乗る列車は四十二分発。家から駅までは普通に歩いて十五分ほどかかる。今から出ないと余裕が無くなる。コーヒーを飲み干し制服の襟を正して家を出る。走らなくても間に合う時間ではあるが、信号に引っかかることを考慮して少しだけ早歩きになる。
駅に着くと、その勢いのまま自動改札機を通過しプラットホームに向かうエスカレーターに乗る。ホームに昇り、だれか知り合いはいないかと少し周りを見渡す。いつもならクラスメイトが誰かしらいるのだが、今日は誰もいなかった。
ホームに快速列車が滑り込んだ。俺はいつもこの電車に乗って学校の最寄り駅に向かう。列車の扉が開き、降りる人が降りきってから乗車する。手すりをつかみ、スマホを触っていると、右下から「あ、大井じゃんかー」という声が聞こえた。
「よっ」
そこにいたのは子吉雛。いつも咲良さんと過ごしているギャルだ。普段から俺とよく喋るわけではないが、この日はあちらから話をかけてきた。
「あれ、子吉さんっていつもこの電車だっけ?」
「違うよー。いつもはこの二本後の電車なんだけど、今日はいつもより早起きできたから」
子吉さんは無邪気に笑いながら言った。
「いつもは結構ギリギリで登校するんだね」
「まあそーだね。んで、風紀委員に入ってどうよ」
「いや、まだ活動してないし──」
「にははっ、そっか」
子吉さんとの関係はそこまで構築されていない。話した経験はあまりないのだ。しかし、既に血は吸われている。こう言ってはなんだが、歪んだ関係性だ。
「それで? 咲良との関係はどーなの?」
「人格とか、種族とか、聞きなれない情報の波に混乱しっぱなしだよ」
「そーだよねー。親友だと思ってるウチでもよくわかんないもん。もしかしたら咲良自身もよく分かってないかもだけどさ」
子吉さんはニハッと笑うが、その顔の中にはなぜだかもの寂しさを感じた。俺はよく分からない恐怖のようなものを感じた。咲良さんと付き合うことが気に入らないのだろうか。笑っていることがさらに恐怖を煽る。
「どした?」
子吉が顔を青くしている柊真を、悪気なく心配する。
「い、いやなんでもない」
柊真は目を泳がせながら答える。しかし、不安は募るばかりだ。
「な、なぁ、咲良と付き合うことってそんなダメなことか……?」
柊真はただならぬ不安を解消するために子吉に問う。
「なんよそれ? そんなわけないっしょ。人の恋愛にケチつける程性格悪くないって」
「え? じゃあ含みのある顔をしているのはなに?」
子吉は扉付近の吊革をつかみながらニヤリと口元をゆるめる。
「考えすぎだって〜。ただ、親友にふさわしい彼氏になるかどうか……品定めしてるってだけっ」
子吉さんのその言葉は、俺の心に新たな混乱を植え付けてきた。そして、その言葉の奥に隠されたより深い意味を考えれば考えるほど不安が募っていった。
そんなこんなで最寄り駅に到着し、学生たちがドッと下車していく。俺と子吉さんもその流れに沿うように下車する。すると、子吉さんは「じゃっ、先に行ってるなー」と言ってダッシュして去ってしまった。──怖いな、ギャルってのは。
◇ ◇ ◇
その日の授業は、特別なこともなく終了した。──いや、あんなことを聞いてしまったゆえの自意識過剰かもしれないが、子吉さんによく見られていたような気がしなくもない。これが事実かどうかは置いておいて、「品定め」と言われてしまったら気にもなる。
「──柊真くん! 帰ろっ」
「うん、もちろん」
黄色目の咲良さん──美宙に手を掴まれ、俺たちは帰路につく。女子と帰宅する──それは、高校生においては優越感に浸ることができる出来事のひとつ。
しかし、それを全面に出したとしたら、むしろ学内での評価は下がってしまう。そうならないように気をつけつつ、家へと向かって歩いていく。
「ねぇ、せっかくだしどこか行かない?」
「──そうだね。どこ行こっか?」
「うーん、ショッピングセンターはこの前行ったし、遊園地は今から行くには遠いよね」
美宙は頭をグルグルと回しながら考える。その様子を見ていた俺は、頭に思いついた言葉をふっと言葉にしてしまった。
「──せっかくなら、俺の家に来てみない?」
「──大胆だねぇ。でもいいの? 親御さんとかいるでしょ?」
「いや、俺はいま一人暮らし中だから、その心配はないよ」
「へー、いいね。行ってみよっかなっ」
こうして、咲良さんが家に来ることが決まった。──てか、勢いで言っちまったけど片付けとかしてないな……!?