第十話 名前
「──きみが、四人目の咲良さん……?」
「察しがいいわね。そう、わたしが最後の人格。まあ、それは柊真くんの都合だから、実際に四人目なのかは分からないけどね」
「なるほど……ということはもしかして、悪魔、さん?」
「そう、わたしが咲良ちゃんの中の悪魔人格。色は紫。覚えてくれると嬉しいわ」
そう言って咲良さんはニコリと笑った。しかし、その顔には、今までの咲良さんにはない艶めかしさのようなものがあった。
「悪魔って、なにか能力が使えたりするの?」
「そうねぇ、まあ使えなくもないってところかしら」
「それって──どんな能力なの?」
「例えば──」
そう言って咲良さんは、俺の目を見つめてきた。すると、俺の体に異様なまでの力が溢れるような感覚がした。
「な、なんだこれっ!?」
「ふふっ……身体能力を向上させることができる、ってわけ」
なるほど、これが悪魔の力……まさに、魔力──? って感じの力だ。
「面白い力でしょう? でも、こんな力が使えるなんておかしいと思わない?」
「──変なことを言うようだけど、俺もそう思う。咲良さんが吸血鬼の能力に悪魔の能力を使えるなんて。それこそ、なにかを犠牲にしているとしか──」
俺の言葉に、咲良さんは顔をゆがめたような、緩めたような、不思議な顔をした。
「そう。だからわたしたちが生まれた。咲良ちゃんは、四つの種族の血が混ざりあってる上に、それぞれの力を使える。そんな状態だから、もちろん身体にとんでもない負荷がかかる。そのストレスに耐えかねて人格が分裂したのね」
「──そんな」
「ま、気にすることでもないわ。だって、柊真くんはこんなわたしたちを受け入れるんでしょう?」
そう訊かれ、こくりと頷く。俺はどんな咲良さんでも受け入れると決めたんだ。
「──受け入れてくれるなら、ちょっとしたお願いくらいは聞いてくれる?」
「も、もちろん。聞くよ」
「じゃあ、名前を決めてくれないかしら」
「──名前?」
「人格の名前よ。ずっと咲良じゃ困ることがあるだろうから、ね」
突然の重い出来事に、ドキリと胸が突き動く。名前なんて、俺が決めていいのか!?
「ちょ、ちょっと待って? 俺が決めるの? てか、今まで親とかにどんな風に呼ばれてたんだ?」
「親は一貫して『咲良』よ。誰が喋っててもね。頭の中ではふつうに『吸血鬼ちゃん』とか『宇宙人ちゃん』とかって呼んでたわ。わたしたちはそれで良かったのよ。でも、あなたは呼びづらいでしょ? だから名前を決めて?」
俺は投げやりな態度に少し困る。しかし、今からつける名前は彼女にとって一生の付き合いになる、と思い真剣に考え始める。
「えっと、じゃあ悪魔さんは悪っていう字の、心と亜って字をとって、心亜……とか?」
「あら、いい名前じゃない! 心亜、ね。了解。あと、『心亜』は呼び捨てで呼んで」
「あ、その方がいいんだ……」
俺は心亜の反応が良いことに安堵しつつも、初めて呼び捨てで呼ぶことにドギマギする。この調子で次の名前を考える。
「宇宙人かぁ……美しい宇宙人で美宙とか?」
(意外と普通だね。でもボクっぽいっちゃぽいかも。おっけー、美宙ね)
突然、脳内に美宙の声が響いた。俺は驚き、辺りをキョロキョロと見回した。咲良さんの瞳は紫色のまま。何がどうなっているんだ?
(その質問、お答えしましょ〜う! ボクはテレパシーが使えるのだ!)
(──なんだそりゃ!? しかも俺の声も聞こえるのかよ!?)
(そうそう、でも安心して。ボクが声をかけてから十秒しか使えないよ)
(てことは十秒の間は思考が筒抜けだし、声をかけ続ければいくらでも盗み見ることができるってことじゃん!?)
(へへっ。ま、ご愛嬌ってことで、ね?)
「宇宙人ちゃん……いや、美宙ちゃんから連絡が来てると思うんだけど、わたしも話していいかしら?」
「う、うん。もちろん。てか、急に頭の中に喋りかけてくるもんだからびっくりしたよ」
「そうよね……わたしたちは常に頭の中でおしゃべりしてるから頭の中で別の人が喋ってても驚かないけど、普通の人はしないものね……」
「やっぱり人格どうしで話すことはあるんだ」
「そうね。わたしたちはそうやってきたから。人格たちはメインの視界を中心として、それぞれがお話できるようになっているの。イメージとしては……体を動かす操縦席に人格が座っていく感じかな」
「──なんか、ロボットアニメみたいだな」
二人の名前を決め、残るは人間人格と吸血鬼人格だけとなった。
「――人間人格の子、どうしようか」
「どうしようってなによ。あの子が本来の『長良咲良』なのよ?」
あっ、そうか。あの子が咲良さんなのか。俺が好きになった長良咲良さん……なんだよな? あれ、本当に俺が好きになったのは「長良咲良」なのか? そもそも、咲良さんには複数の人格があるわけで、でも好きになった理由は一目惚れに近くて──
あー、もう考えるのやめよ。
「だからさ、人間人格は咲良ちゃんでいいんじゃない?」
「あ、ああ。そうだね」
俺は心亜の一言で現実に戻され、投げやり気味に回答する。
さて、残るは吸血鬼人格だけ。これだけはすごく難しい。吸血鬼の言い換えであるドラキュラからもヴァンパイアからもいい名前が思いつかないのだ。
そこで、俺は吸血鬼、ヴァンパイア、ドラキュラの三単語から一文字ずつ取り出すことにした。
上手い組み合わせはないものか、何とかひねり出そうと思考を回す。二十通りほど考えたとき、「血」と「ア」と「キ」の組み合わせがフッ、と思い浮かぶ。チアキ……でどうだろうか。
「吸血鬼人格はチアキでどうかな?」
「いいんじゃないかしら。新しい名前について、吸血鬼ちゃんに聞いてみる?」
「聞けるなら聞いときたいな」
「おっけー♪ 呼んでくるわね〜♪」
心亜が目をつぶると、少女の全身から力が抜け、まるで人形のようにぐでっとした姿になる。それから三秒ほど経過し、瞳に赤色が灯る。
「ちょ、なによ!なんでアタシが呼び出されてるのよ!」
「あ、この瞬間から吸血鬼さんをチアキさん……いや、チアキちゃんって呼んでもいいかな?」
「はぁ?何よ急に。別にいいけど……ってなんでアンタが決めてんのよ!」
チアキはプンスカ怒り、赤色の目がキッと細くなる。少しだけ見える牙も相まって、彼女はかなりの威圧感を孕んでいた。
「えっ、いや、心亜が決めて欲しいって言ってた──てか、同じ体なのにここまでの出来事知らないの?」
「昼にアンタと話したあとはずっと頭の中のアタシの部屋にこもってたのよ!」
チアキは口調を変えず怒り続ける。赤色の瞳が大きくなったり小さくなったり……なんだか面白い。というか、頭の中に部屋があるのか……。
「なんか……猫みたいだな。怒る姿とか、マイペースな所とか」
「はぁぁぁ!? なんなのよ! アンタの方こそマイペースじゃないの! 風紀委員に入れるだのなんだの言ってるんだから!」
「でも、良いよって言ってくれたよね?」
俺がそう言うと、チアキは瞳の色に負けないくらい耳と顔が真っ赤に染まる。
「うるさいうるさい! あーお腹減ったから血でも吸っちゃおうかな!」
チアキはまたも口を大きく開け首筋…というか肩に噛みつき血をチュウチュウと吸いだした。心做しか吸い方が強い。なんか、恨み節のような感じだ。
「美味しい?」
俺が尋ねると、チアキは血を吸う量を少しだけ多くした。全身の血の巡りが速くなることで、俺はそれを感じ取る。
「俺、貧血とかにならないかな?」
「っ……さあ? わかんないわ」
「相変わらず無責任だなぁ……って吸いすぎ吸いすぎ!!」
……俺は、機嫌を悪くしたチアキに血を大量に吸われ、貧血状態になってしまった。体質のおかげか、すぐに血の量は回復したとはいえ、なんとなく感じる気だるさは残ったままだった。