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魔女のワルツ  作者: 祈詩川 聖悟
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主題曲:弦楽五重奏「魔女のワルツ」 https://youtu.be/j2nu0ZIQpwQ

 僕は蒼汰の家からの帰り道、電車の中から真理亞にメールを送りました。

⇐ 僕が見ていたものは、心意気

 ほどなくして真理亜から返信がありました。

⇒ いま外なの?

 真理亞との会話は、いつも意思の疎通が行き違っているように感じます。

⇐ 外だよ

⇒ 早く帰りなさい

⇐ いま帰っているところ

⇒ 帰り道には気をつけるように。何があっても冷静に。

⇐ どういうこと?

⇒ 帰れば分かります

 肝心なことは言わない。真理亞の常套手段です。まあ良いでしょう。何が起こるか見てみる事にしました。

 駅を降りて、徒歩で帰ります。だいたい二十分くらいです。もう少し近いと楽なのですが、家賃も高くなります。

 日本はどんなに夜遅くなっても、駅から歩いて帰れます。全く不安がありません。

 むしろ危険なのはコンビニです。二十四時間営業しているので、深夜帯など、ついつい寄りたくなります。寄ればお菓子や軽食を食べたくなり、ついつい買ってしまいます。生活はそんなに楽ではないので、浪費を誘う深夜のコンビニは危険なのです。

 コンビニのお菓子や軽食は本当に種類が多くて美味しいものばかり。特に冬はレジ前におでんや肉まんなどが並びます。これが安いですし、美味しいのです。特に肉まんはお金がない時に僕を助けてくれます。夕飯を買うだけのお金が残っていない時、肉まんは唯一の選択肢となる場合もしばしばです。それに温かいので心まで満たされます。神様に助けてもらった事はありませんが、肉まんには数え切れないほど助けてもらいました。

 家に帰るまでの道の途中に一軒だけコンビニがあります。僕は店の前に立ち止まって、猫背のままで、ハムレットの如く思い悩むこと暫し。

 僕は用もないのにコンビニに立ち寄ってしまうコンビニ依存症だと思います。でも治療する事はないとも思っています。

 ……帰ろう。

 夏休みにアルバイトができなかったので、少し困窮状態なのです。季節は夏です。まだ肉まんは売っていません。

 夜空に星はなし。

 夜道を帰るのに僕の危機感知能力は電源がオフのままです。もう随分長い間、電源を入れた記憶がありません。それが当たり前だと当然のように思っています。でも、真理亞が気になることを言ったので、ウェイクアップ機能は生きていたようです。

 次の角を右に真っ直ぐ行ったところにある粗末なアパートが僕の住んでいるところなのですが、角を曲がった直ぐの家は、前に嫌なものを見たところです。今も少し嫌な感じがします。

 角を曲がって、家の庭先を見るとはなしに見ると、居ました。

 黒い縁取りの白い服の目の周りがぼんやりと真っ黒な髪が乱れた女性。

 真理亜が言っていたのは、これだろうか。

 僕は米国人です。問題を曖昧なまま先送りはしません。しっかり見てやりました。

 はっきり、そこに居ました。

 僕が彼女を見ながら通り過ぎると、彼女は前へ踏み出して歩いてきます。僕は少し急ぎ足で通り過ぎましたが、彼女は庭から出て、ゆっくり追いかけてきました。

 ……えぇ、庭から出られるの?

 庭から出られるとは思っていませんでした。

 もう少し、歩く速度を上げます。

 彼女はゆっくり歩いているのに、僕と同じ速度で追ってくるのです。

 ……マズいぞ。

 僕が走ると、彼女はゆっくり歩きながら、走る速度で追ってきます。

 アパートの階段を駆け上がり、部屋の中へ入って、鍵を閉め、全ての明かりを点けました。

 部屋の奥まで入って、玄関を見張っていましたが、背筋に寒気が走ります。

 僕の隣に彼女が立っていて、僕を見ていたのです。

 横に飛び退いて、距離を取ります。たぶん変な声が出ていたと思います。

 彼女は僕を見たまま。たぶん見ていると思います。顔はこちらを向いていても、瞳が見えないので分かりません。目が空洞にも思えます。

 ポケットからスマートフォンを出して、真理亞へ電話を掛けました。

「マリア?」

「何があったの?」

「何か着いて来ちゃった」

「……あなた、見たでしょ?」

「見た。しっかり見たら、着いて来ちゃった」

「どんな風に見える?」

「女の人。髪が長い」

「人の形をしているのね。顔はどんな顔?」

「目が真っ黒。ぼんやりしてて空洞みたいに見える」

「すぐ家を出なさい。早く」

 真理亞に言われて、僕は彼女から目を離さずゆっくり後退りして、靴を持ったまま出て、階段を駆け下りました。

 靴を履きながら、周りを見渡し、真理亞に状況を報告しました。

「いまは何もできないから、逃げなさい。ちょっと待って……」

 僕はスマートフォンを持ったまま、とにかくコンビニまで逃げてきました。お店の照明の明るさが助かります。

「アーサー。東の方角に逃げなさい。できるだけ明るくて(にぎ)やかな場所。ひとりになってはダメよ。分かった?」

「分かった」

「明日の昼前には行きます」

 ……え?

 電話は切れました。

 ……真理亞、来てくれるの?

 心強く思いました。

 とにかく真理亞に言われた通りに、東の賑やかな場所……。新宿があります。今は新宿まで撤退です。


 新宿の人通りの多い場所で一晩過ごしました。

 新宿は一日中人通りが絶えることがありません。不夜城と呼ばれる所以です。皆、欲望を吐き捨てに来るのです。それでいて治安も良いのですから不思議です。

 昔はヤクザが仕切り、街の秩序を作っていたような時代もあったそうです。長いこと警察と商店街の人々の努力でヤクザを一掃したかと思えば、今度は外国人が入ってきて、新しい社会を作り始め、そこに社会からあぶれた日本人も参加して、いまや混沌とした主人公の居ない悪人劇を演じている有様となっています。

 闇を取り除いたら、もっと厄介な闇が蔓延ったと言えばご理解いただけるでしょうか。

 誤ってボッタクリバーに踏み込んだ一般人が、翌朝には裸のまま裏路地で凍え死んでいることなどもあります。

 僕は蒼汰から、行ってはいけない場所について教えられていました。裏路地や雑居ビルの小さな店には一人で行かないように言われています。

 でも新宿を歩いていると、綺麗な女性が飲みに行かないかと誘ってきて、ついて行くと雑居ビルの小さなお店に連れて行かれ……。そんな事もあるようです。あとは運が良くても、有り得ない金額を請求されることになるのだとか……。

 日本にも危険が存在する事は認識しなければならないと思います。

 ニューヨーク出身の米国人で、ニューヨークでは銃声を聞いたことがなかった人が、日本に来て部屋を外から銃撃された事があります。本人には何の落ち度も無かったのですが、その部屋の前の住人がヤクザで、そのヤクザが今でも住んでいると勘違いされて敵対するヤクザから銃撃されたというのが真相です。

 日本でも犯罪被害者になる可能性はあります。それも因果関係に関わりなしに……。こうなると犯罪に巻き込まれる可能性は確率でしかありません。日本はその確率が小さいだけで零では無いと心得るべきです。

 新宿の近隣地域には同性愛の皆さんが好んで通う飲屋街や売春婦が客待ちをする通りなどもあり、欲望が各方面で充実しています。僕は真面目そうな人が多く行き交う道路を選んで、歌舞伎町の入口と新宿駅の入口とを往復しながら時間を潰しました。すごく眠いです。

 高いビルの向こうがゆっくりと明るくなり、ビルとビルの隙間から太陽が登ります。

 徹夜で見る新宿の黄色い朝陽は脳の奥まで痺れます。

 コンビニで缶コーヒーを買い、イートインで一気飲み。僕の好みの無糖はコクがあって美味しいです。

 あの髪の乱れた女性は現れませんでした。けれど、彼女は陽の光の下でも平気なはずです。安心はできません。

⇒ 九時過ぎには東京駅に着く

 朝の六時に真理亞からのメールです。

⇐ ありがとう。マリア

 真理亞からの返信はありませんでした。


 真理亞と合流し、僕の暮らしているアパートの前に立ったのが十時過ぎ。

「厄介なものに憑かれたわね」

「マリア。見えるの?」

「感じるの」

 そういうと真理亞は持ってきたバッグの中から御札(おふだ)を出して、ゆっくり階段を上りドアに貼り付けました。そして階段を降りながら階段の手摺にも一枚貼りました。

「アーサー。そこに立ってると、あぶない。階段に乗って」

 僕はすぐに階段を数段上って、真理亞の後ろに立ちました。

 いつのまにか階段の下には髪の乱れた女性が立っていました。

 僕を見ています。

 真理亞が御札を右手の人差し指と中指で持ち、御札を立てて、女性に見せつけるように前へ出します。

 すると女性がアパートの敷地から出ていきました。

 真理亞はあとを追うように階段を下りて、敷地の塀に御札を貼りました。

「もう下りてきていいわよ」

 僕が階段を下りて、真理亞の隣に立つと、髪の乱れた女性は、あの家へと歩いて行きました。かなり、ゆっくりと……。

「アーサー。あれは、どこから、ついてきた?」

「あの角の近くの家」

 僕が指差すと、真理亞は歩きだしました。家へ行くようです。

「マリア。あぶないよ」

 真理亞は振り返り、少し微笑んで言いました。

「放ってはおけないでしょ。御霊(みたま)を鎮めるのは、私達の務めだから」

 真理亞が行ってしまうので、僕もすぐに追いかけました。少し遠くで髪の乱れた女性は例の家の敷地へ入って行くところでした。

「あの家ね」

「そう」

 真理亞が家の前に立つと、僕は耳鳴りがして、目眩がしました。

 家の小さな庭に女性が立っていました。

 真理亞は家の門柱の目立たない所に御札を貼りました。そしてスマートフォンを出して現状の報告と対応をお願いしていました。

「アーサー。寝てないのでしょ?」

「寝てないよ。すごく眠い」

「中野に利用できる施設があるから、そこへ行きましょう」

「ここは、いいの?」

「今は出来る事がないのよ。あの子はここから離れられないようにしたから心配ない」

 タクシーなら中野は直ぐです。僕は真理亞に連れられ、中野へ行きました。

 真理亞の言った施設はかなり大きなビルで、一階の入口で真理亞が名乗ると、中へ通され、専用のエレベーターで上階へ行きました。エレベーターを降り、通された部屋は仮眠室のようでした。小さなベッドが一つあり、他には何もない小さな部屋。

「ここで寝ていなさい。恐らく夕方には、あそこへ戻ることになるから……」

 もう僕は思考が停止しかかっていて、吸い込まれるようにベッドに入り、そのまま眠りに落ちました。


 夕方、家の前まで戻ってくると、警察が使う黄色い警戒線を示すテープが張られていました。

 真理亞が僕に事情を説明してくれました。

 家の中に何か悲惨な状況があり、その被害にあったのが髪が乱れた女性だと真理亞は感じたそうです。それを御館様に報告し、御館様から警察の関係者にお願いして家の調査を行なってもらったとのこと。

 警察が中へ入ると被害者女性の遺体を発見しました。死後一年以上経過していたそうです。家主が行方不明なので現在捜索中とのことでした。

 事情を知らない警察へ真理亞が通報すると問題になるので、御館様から警察組織の上層部に連絡をしたようです。

 しかし、家の庭にはあの女性が立っていました。

「マリア。あの人、まだ居るよ」

「そうね。楽にしてあげましょう」

 そう言うと、真理亞は何も書いていない御札を出して、左手で立てて持ちました。

 右手には筆を持ち、何やら書き始め、小声で呪文を唱えています。


 玉帝(ぎょくてい)有勅(ゆうちょく)神硯(しんけん)四方(しほう)

 (きん)(もく)(すい)()()雷風(らいふう)雷電(らいでん)神勅(しんちょく)

 軽磨(けいま)霹靂(へきれき)電光転(でんこうてん)

 (きゅう)(にょ)律令(りつりょう)


 凄く優しい唱え方です。

 書き終わったのか、筆を仕舞い、右手の人差し指と中指で御札を立てて持ち、髪の乱れた女性に向けて差し出しました。

 僕には御札の中に込められた想いが、ゆっくりと上部から徐々に光の霧に変わって、御札から抜けて、まるで溶けるように消えるのが見えました。

 すると、庭に立っていた女性の周りに光の霧が現れ、女性に纏わりついていた何か嫌なものを消していったのです。

 そこに現れたのは若い女性でした。

 ごく普通の女性です。髪も整い、目も綺麗な日本人の目。穏やかな表情でした。真理亞を見て一礼します。

 真理亞も丁寧に答礼し、合掌しました。

 庭の女性の姿が薄くなり、霧になって消えました。

 僕には上空に消えていくように見えました。

「マリア。終わったの?」

「終わりました」

「あの人はどこへ行ったの?」

「それは私にも分からない。死者は冥界の定めに従うもの」

「冥界?」

「死後の世界よ。

 私達の生者の世界は死後の世界と直接的な関わりを持たない。

 私達が死後の世界の定めと無関係であるように、死者は生者の世界の定めと無関係なの。

 私は生者の世界の理を見定められるけど、死後の世界の理は見通せない」

「そう……。あの人、良い世界に行くといいね」

 真理亞は僕の方へ、ゆっくり顔を向けて、ひとつ微笑み……。

「そうね。そうだといいわね」

 僕がアパートの方へ戻ろうとすると真理亞が止めます。

「あなたは、あの部屋に戻ってはダメ」

「え? なんで?」

「穢れたからよ」

「穢れ?」

「怨霊を入れたでしょ?」

「さっきの人?」

「そう」

「穢れって何?」

「そこから?」

 真理亞が難しい顔をして考え込んでいます。

 少しして顔を上げて言いました。

「汚れは分かる?」

「分かるよ。靴の裏は、いつも汚れてる」

「そう。

 物質的な汚れは、洗えば綺麗になります。

 穢れは精神的な汚れ。洗っても落ちません。

 アーサーはスプーンを舐めることはできる?」

「できるよ。スプーンだもん」

「靴の裏の素材と同じ素材で作られたスプーンなら?」

「スプーンでしょ。舐められるよ」

「なら、新品の靴の裏は舐められる?」

「え? ちょっと嫌かなぁ」

「それが穢れ。

 洗って落ちるのが汚れ。

 洗っても落ちないのが穢れ。

 それを捉える心の在り方でも変わってきます」

「なるほど。それで精神的な汚れ」

「そう。怨霊は穢れなの。分かる?」

「死を穢れとするのは習ったよ。あの人は死んでいたから穢れなの?」

「死んでいたからと言うより、良くないものを纏っていたから。

 それを部屋に入れてしまったから、あの部屋は穢れてるの」

「あの部屋に入ってはいけないってこと?」

「そう。あなたは式なのだから、もっと穢れに敏感にならないとダメよ」

「でも、僕の荷物、あそこにあるよ?」

「もう荷物は全部、運び出しました」

「え?」

 夜が降りて来ていました。

 都心の夜の明るさは、夜空の闇を強め、星を消し去ります。

 僕は状況を理解できていませんでした。

 真理亞は何を企んでいるのか、分かったものではありません。

 でも僕はこの夜、この出来事を経験したためなのか、真理亞を紛い物と表現するのに躊躇(ためら)いを感じるようになりました。

 真理亞は紛れもなく一つの魂を救ったのだと思います。



エンディング曲:アーサーと マリア https://youtu.be/xdTUJB9zYGo

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