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挿入曲:アーサーと マリア https://youtu.be/xdTUJB9zYGo
「霊感がある」という言い方が日本にはあります。
霊を見たり、不思議な力を感じることが出来る能力を表す表現です。
「その子には霊感があったんじゃないか?」
蒼汰に言われました。
御朱印をもらう時に女性に言われたことを蒼汰に話した時に言われました。
「式って、何?」と僕。
「何だろな」
蒼汰も分からなかったようです。
「式」とは「式神」のことでしょうか。安倍晴明は式神を使って、呪いを掛けようとした芦屋道満を捕らえたと伝わっています。ならば一種の呪いでしょうか。彼女は「悪いものではない」と言っていました。
日本人の蒼汰が分からないことを僕が理解できるはずはないと考えていましたが、それらしい出来事は京都旅行から帰った翌週の日曜日に起こりました。
その時、僕は自宅でテーブルから何かを取ろうとして両手を差し出している時でした。今では何を取ろうとしていたのか思い出せません。両手を差し出したまま、僕は停止したのです。
次の瞬間「できる」と思いました。
再び動き出すまでに五分も経たなかったと思います。僕に「できる」と得心させた出来事は、ただのイメージの複合体のようなものでした。
それから、そのイメージを論理化して、ひとつひとつ紐解くのに、数時間。細部まで検証して手直しするのに数日を要しました。
それは四色問題を原理的に説明するアイディアだったのです。
平面上に並んだ図形配列の隣接関係において四色よりも多い色数を強制される構造はありません。
まず色数が強制される場合の構造を考える必要があります。
図形が二つの場合、二つの図形が隣接していれば、二色が必要となります。
この図形の数に等しい色数が必要な隣接関係を「絆接」と名付けました。
二つの図形における隣接は絆接です。これを「二絆接」とします。
三つの図形が隣接し、信号機のように並んでいれば、二色で塗り分けられます。これは絆接ではありません。しかし、両端の図形も隣接させた場合は、三絆接が構成され、三色が必要になります。
四つの図形については、三絆接の中心に図形を追加することで、四絆接が構成されます。
しかし、五つの図形の場合は、絆接が成り立ちません。
四絆接の外側に図形を追加すれば、四絆接の中心にある図形と隣接できません。外周を囲む図形と中心の図形の隙間に図形を追加しても、必ず隣接できない図形が外周に存在します。
純粋な平面に於ける絆接は二絆接、三絆接、四絆接、この三つしか成り立たないため、隣接構造において五色以上を強制されることはないのです。
但し、塗分け手順の問題が存在します。
蜂の巣模様に並んだ図形を外周から塗り分けると、最初の一列を二色で塗り分けても、最終的には五色以上の色数を要求されます。
(モーションGIF:動画画像です。画像が動き出すまで、画像をクリックして下さい)
つまり、塗分け手順の系統が衝突する場合、多くの色数を要求される場合があると言うことです。
これは塗分け手順一般を想定した場合に含まれる誤謬性です。
即ち、最適な塗分け手順を決める必要があるのです。
例えば、塗分け手順は一番端の隣接する図形が最も少ない図形から始め、既に塗り分けた図形の縁を覆うように波紋上に一列ずつ塗り分けていき、一列は二色で塗分けることで四色以内で塗り分けが可能です。
但し、塗分け系統が分岐した場合は、衝突しないように、左右に別れた場合は、右ならば右半分を優先して塗り分け、その後で左側から覆うように塗分け系統を構成する必要があります。
しかし、これでも問題が残ります。
まず、塗分け系統の分岐の複雑性を想定した理論体系が構成できていないこと。
そして、想定した手順で、蜂の巣模様の図形を塗り分けた場合、全体を四色で塗り分けられますが、蜂の巣模様は三色で塗り分け可能です。つまり、最適な塗分け手順になっていないということです。
僕の理論では複雑性への対応と最適化が不十分なのです。
僕は不思議な体験をした日から、この結論に至るまで、ひと月を要しました。
このあたりが僕の限界でしょう。
問題は何故、僕に式が降りてきたのか。
僕の経験は直観と言われるものだと思います。
直観は既知の知識や過去の経験に基づくと考えられています。しかし、僕には数学的知識はもちろんのこと、その周辺の経験すら無かったのです。
それにも関わらず、降りてきたイメージは四色問題に限られてはいませんでした。
例えば、次元ごとの超球の絆接についても予想を得ました。
n次元における超球が絆接する最大数はn+1
自分で言っていて、自分では意味が分かりません。超球もあとになって知った言葉です。この予想が何の役に立つのかさえ分かっていません。
論理的に説明できないのです。それなのに確固たる自信があります。言っていることが、世界と適合していると言えば分かるでしょうか。ジグソーパズルのピースが上手くハマったような感覚です。
世界を語ることができているのです。
蒼汰に何度も説明しましたが、理解してもらえませんでした。
日本人のように言えば「仕方ありません」という事になります。
「アーサー、俺はお前が、その女性に暗示を掛けられたと思うよ。催眠術と言った方がいいかな」
なるほど、それは一理あるかもしれません。
「また、あの神社に行けば、会えるかなぁ」
「それが運命ならばな」
確かに。
日本人は時に「縁」を大事にします。それを単に「えん」と言う場合と「えにし」と言う場合とで、若干ニュアンスが変わるのですが、彼女と僕の関係が単なる「えん」なら、僕は二度と彼女に会うことは出来ないかもしれません。それが「えにし」なら、不思議な力で引き合っている可能性があります。
不思議の国ジャパン。僕はもう不思議を体験しています。もっと不思議に出会っても不思議ではないと思いました。
「蒼汰。僕、もう一度、晴明神社に行ってくる」
蒼汰は驚いた顔をしました。そして言ったのです。
「こりゃ、相当、狐に化かされてるな」
次の日は授業も休講だったので、始発の新幹線で東京を出発しました。
九時前には京都に着きます。
僕は始発で行って、日帰りするつもりでした。新幹線では蒼汰のように眠り、京都ではカフェで朝食を摂り、バスで晴明神社へ向かいました。
二ノ鳥居をくぐり、手水もよそに、境内を見回しました。
彼女は見当たりません。
僕はフランス人とは違った意味で忍者を探していたのかもしれません。
季節も夏の終わり。あの瑠璃色の瞳を見てから、丁度ふた月が経っていました。
空回りする想いは、秋の空の如く、物悲しいものでもあります。
「あら、あなた……」
後ろから声を掛けてきたのは、瑠璃色の彼女でした。
僕は興奮して支離滅裂な言葉の羅列を彼女に投げつけました。
「ちょっと待って」
彼女は僕に手の平を見せながら、そう言いました。
「不思議な出来事があったのね?」と彼女。
僕はひとつ頷く。
「その意味が知りたくて、ここへ来たのね?」
もうひとつ頷きました。
「何があったの?」
彼女は真っ直ぐに僕を見ていました。
彼女の視線の真剣さは僕の心に変化を起こしていましたが、その時の僕は全く気がついていませんでした。
僕は落ち着いて、ひとつひとつ説明を始めました。
「突然、イメージが僕の中で爆発しました。
それはとても重要なもののようにも思います。
でも、僕が言葉として理解できたのは、四色問題の原理だけ」
そこで彼女は再び手の平を見せて……。
「ちょっと待って。長い話になりそうね」
彼女は少し考えてから……。
「あなた、餡蜜、奢りなさい。そしたら話を聞いてあげる」
あんみつ……、取引だと理解しました。
僕が頷くと、彼女は付いて来るように言いました。
少し歩いて、入ったのは日本式の小さなお店。言い直します。和風の小ぢんまりしたお店。餡蜜は日本の伝統的スイーツです。
「餡蜜ふたつ」
彼女は店の奥に向かって、そう言うと、小さなテーブル席に僕を座らせ、彼女は向かいに座りました。
「で? 何?」と彼女。
無愛想な言い回しなのは僕にも分かりました。日本人女性らしくないと思います。
僕は僕に起こった出来事と、僕が理解した事柄を彼女に説明しました。
彼女は蒼汰よりも、よほど理解力があり、僕の言ったことを理解してくれました。
「なるほど、面白い。でも肝心な証明にはなっていないのね」
そして、ほくそ笑み「意味ないわね」
この瞬間に僕が言い返さなかったのは失敗だったのかもしれません。
この時、僕は「頭を押さえられた」状態だったようです。上下関係を無意識に認識させられたということです。随分、あとになって知ったことですが……。
「いまは世界が開いただけだと思う。あなたに力があるなら、見え方も違ってくるから、そしたら、また来なさい」
「ここに?」
「ここに」
「その時、キミは、ここに居る?」
「たぶん、居る」
「どうして分かるの?」
「あなたが、今日、ここへ来るって、分かったから、私はここへ来たのよ」
本当だろうか?
僕は言い返せずに、彼女を疑って見ていました。
「あなた、名前は?」
「アーサー。キミは?」
「マリア。安倍真理亞」
冗談かと思いました。
僕はカッチーニのアヴェ・マリアがカッチーニの作曲ではないと知った時と同じ感情に包まれていました。紛い物の神聖性を帯びた魔女のように感じていたのかもしれません。
その時の彼女の笑顔が少し怖かったのを覚えています。
帰りの新幹線で僕は、蒼汰に言われた言葉を思い出していました。
「狐に化かされてる」
この世のものとは思えないものに騙されている状態を指すらしいです。
日本では狐は神の使い、時には神そのものとして扱われ、稲荷と言われる狐を祀る神社も存在します。そんな神に悪戯されたら、人は抵抗できるのでしょうか。
僕は真理亞が言った言葉の半分も意味を理解していないのかもしれません。
もしかしたら、また暗示に掛かったのかもしれないと考えていました。
「疑心暗鬼」と言うそうです。
疑う心が暗闇に鬼を見出すと言えば通じるでしょうか。そこに何か居ると思って暗闇を覗けば、居もしない悪霊を感じるというような意味です。
鬼は日本独特の概念ではありませんが、その具象化された姿は独特です。
特に日本の古典芸術の能楽での鬼は一見に値します。
能楽の演目の一つに「黒塚」「安達ヶ原」と呼ばれるものがあります。その昔、旅人を殺して喰ったという鬼婆の話です。
この鬼婆を葬った塚が「黒塚」と呼ばれ「安達ヶ原」現在の福島県二本松市にある観世寺に遺構が残されています。
能楽では般若の面をつけて、豪華な衣装で舞う鬼の姿は古典的で優美です。
能楽は意味で理解しようとすると難解ですが、感性で感じようとすると多くの感覚を与えてくれます。音の緩急、動作の静と動、感情を持たない面に感情を見出す場合さえあるのです。そもそも能楽に於いて意味など付け足しに過ぎないとさえ思えてきます。
彼女の言っている事にも意味はないのかもしれません。
僕の中で僕自身が揺らいでいました。
僕が感じたイメージの複合体は何なのでしょうか。それをどう理解すれば良いのでしょうか。彼女の思わせぶりな笑顔を腹立たしく思いながら、次の刹那、あの横顔に魅了されているのです。
僕の世界の見え方が変わる時、僕はまた彼女に会いに行きたいと思います。
主題曲:弦楽五重奏「魔女のワルツ」 https://youtu.be/j2nu0ZIQpwQ