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魔女のワルツ  作者: 祈詩川 聖悟
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主題曲:弦楽五重奏「魔女のワルツ」 https://youtu.be/j2nu0ZIQpwQ

 僕はアーサー。アフリカ系米国人です。

 日本には留学で来ています。今年で二年目。

 僕は僕のことを「僕」と呼びます。

 日本には一人称が無限と思えるほど多い。

 男性なら「俺」か「僕」を使います。

 女性なら「私」。同じ意味で「あたし」と発音する場合もあります。

 社会人になれば公式な場合、男性でも「私」を使います。

 その他にも……

 拙者(せっしゃ)拙僧(せっそう)小生(しょうせい)、やつがれ、(わらわ)、あたい、など時代がかったものや、小職、小官、本官、など官職・職業に関するものもあります。

 それぞれに独特のイメージがあり、使う人の「人となり」も表します。実に個性的でもあります。

「僕」に対する二人称は「君」となります。「俺」の場合は「お前」。「私」の場合は「貴方」です。一人称が多ければ、二人称も多くなります。もちろん二人称にもイメージがあるので、相手を呼ぶ場合は気をつけなければいけません。

「君」とは相手を敬う言葉でもありますが、現代では対等な関係、あるいは対等以下の相手に対して使われます。

 例えば、先生が生徒に対して「君」と呼ぶことはあっても、生徒が先生を「君」と呼べば失礼に当たります。それも非常に無礼な行為になります。

 しかし仲間同士でも「君」という言葉は使われません。

 そこには、(わず)かながら、相手を敬う意味が残っていて、人間関係に一定の距離を保つ効果があるからです。それは仲間関係よりも遠く、最も近しい関係は敬意を以って付き合う友人関係といったところでしょうか。

 僕が「僕」を使うのには、それなりの考えもあります。

 本来「君」とは相手を(うやま)う言葉であり、「僕」は(へりくだ)った言い回しとなります。実に礼儀正しい言葉です。また、自ら謙るには、それなりの自信と矜持がなければ、卑屈に成り下がることにもなります。

 僕は自分を「僕」と言う時、その心の在り方を感じ、自分の矜持を確かめていることにもなっているのです。それが理由です。

 僕はこの国に来て、己と向き合うことを知りました。

 それは、誰彼構わず吹聴できるような壮大な出来事でもないですし、論文に仕立てて喧伝するような敬虔な思想でもありません。

 どこにでもある、誰もが出会う、人生の単純な出来事に過ぎません。

 それでも、その在り来りな出来事こそが、人生の極上の出来事なのだと、僕は教わることとなるのです。

 僕は、この日出(ひいずる)国で、人生の日の出を見ました。

 その話をしたいと思います。




「アーサー!」

 遠くから、大きな声で僕の名前を呼ぶのは、蒼汰。

 一番の友達です。

「蒼汰。お昼、食った?」

 ちょっと砕けた言い方をしました。

 ”蒼汰さん。お昼ご飯は食べましたか?”という意味になります。

「まだ。どこか食いに行こうぜ」

 どこかと言っても、構内の学生用食堂、通称「学食」か、少し離れた商店街にある学生目的の安い定食屋さんくらいのものですけれど、その日は違いました。

「俺、バイト代、出たから奢ってやるよ。新宿まで出ようぜ。明日、休みだろ?」

 言葉を簡略化し過ぎています。

 ”私は副業で皿洗いをしていて、給料の支払いがありましたので、貴方に食事をご馳走したいと思います。明日は貴方もお休みだと思いますので、都心まで行って、夜遅くまで遊びませんか?”

 蒼汰には詩織という幼馴染の女性がいて、僕から見ると付き合っているように思えるのですが、当人たちは幼馴染であると言い張っています。

「詩織も連れて行くの?」

「NO」

 蒼汰は悪戯っぽく笑っていました。

 電車で特急に乗れば、一時間も掛からず新宿に出ることが出来ます。

「アーサー。駅まで走れば、次の特急に間に合うぞ」

「蒼汰。走れ」

 二人で駆け出しました。足元に風を巻いて……。

 太陽が高くて、大学の正門までの並木道は広くて、まだ夏にはなっていなくて、春の最後が新緑で(いろど)られている最中でした。

 すでに散ってしまった桜の花が、生け垣や側溝の隅に僅かに残されています。

 風が時折、それを拾い上げて、どこかへ運んでいきました。



 都会らしい喧騒。

 多くの路線が交差する新宿駅。ひっきりなしに電車の発着が繰り返されます。

 大勢の人。その人の波が地下通路を思い々々の方向に進んでいました。

 そのどれもが秩序正しく行なわれるのです。信じられないほどの人間が衝突せずに交差してゆく。東京は文明の見本です。

 新宿に着いて、すぐカツ丼を食べました。

 カツ丼は、厚さ一センチほど、大きさは手の平くらいの豚肉に小麦粉をまぶし、卵に潜らせ、パン粉をつけて揚げたトンカツを、麺汁と言われる醤油ベースのスープで煮て、玉子でとじて、ご飯の上に乗せたもの。ご飯は丼と言われる少し大きめの食器に盛られています。この丼の上に乗せるので、トンカツ丼を略して「カツ丼」と言われます。

 丼に盛られたご飯の上に、様々な具材を乗せるのは、カテゴリ化されていて、これらは「丼もの」と言われ、種類が豊富です。今この瞬間にも種類が増えていると言って良いくらいバラエティに富んでいます。

 そして、肝心なことですけど、どれも美味しいのです。

 僕は箸の使い方にも慣れましたし、音を出しながら食べるのも気にしません。

 蒼汰は気をつかって、僕が一緒だとラーメンを食べる時でも音を出さないように食べます。僕がいくら「音を出して食べても平気だよ」と言っても、微笑みを返すだけで、音を出して食べようとはしません。

 僕はそのことについて彼を全く理解できていませんけれど、不愉快ではありませんでした。

 いつか僕が音を出しながら食べるようになれたら、彼も音を出して食べるようになるのでしょうか。そんな興味ある実験計画が僕にはあります。

 食事のあとは、映画にするか、ボーリングにするか、パチンコか、スロットか、別の希望があるのか、空になった丼を前に、お茶を飲みながら蒼汰が訊いてきます。

 パチンコはピンボールのようなもので、幅二十インチ、高さ三十インチほどの大きさのものが垂直に立てられていて板面には無数の釘が打たれています。一番下に電動式の打ち出し装置があり、それで一センチほどの鉄球を打ち出すと、一番上まで上がって、釘の隙間を落ちてきます。途中に仕掛けがあり、下まで落ちる前にホールへ入ると決められた数の鉄球が賞品として出てきます。打ち出し装置は強弱をコントロールできるので、ホールに入る確率に影響させることが可能です。最終的に最初の球数より多くの球数を保持していれば勝ちです。勝負をいつ止めるかは、プレイヤー自身で決められます。

 問題はその球をどうするのか、という事です。

 一般に賭博は禁止されています。ですから、球はお菓子や日用品に交換して終わりです。

 しかし、抜け道もあります。ある特殊な景品に交換してもらい、それを近くの景品交換所に持ち込むとお金に変えてもらえるのです。金額としては微々たるもので、ラスベガスと比べれば、鼻で笑えるほどの子供の遊びでしかありません。

 僕はそれについて何も思いませんけれど、可笑しいのは、それに警察が関係していること。

 警察が黙認している賭博行為になっています。それに加え、その業界へ警察を退職した人間が多く再就職していること。「天下り」と言うらしいです。それはスロットも同じで、鉄球がコインに変わっているだけです。

 これらの賭博場が街中にあり、誰でも遊ぶことができます。

 僕からすれば、街中で誰でも入れるのは問題のように感じます。時には子供が中で遊んでいる場合もあります。

 親がギャンブル依存症で子供を車に置き去りにして、パチンコに夢中で子供の事を忘れ、子供が熱中症で亡くなる事例もあります。

 日本では子供を一人にするのは違法ではないのです。

 パチンコはそれなりに楽しい遊びでもありますが、僕からすれば躊躇を覚える場所でもあります。

「映画がいい」

 もちろんアニメです。

 日本に居てアニメを見ないのは、イタリアに居てオペラを見ないのと一緒です。

 どちらも世界的な広がりを見せた文化で、人類共通の財産でもあります。僕はこれらに「世界文化」という区分を与えて、その価値を称賛するべきだと考えています。コスプレだって世界文化ですし、ジャズやロックも世界文化です。僕はこれを卒論のテーマにするつもりです。

 僕は日本に来る前からアニメの事が好きで興味がありましたけれど、実はそんなに詳しくはない事が最近分かってきました。アニメといっても、実にくだらないものから、芸術的な感動作まで無数にあるという事です。特に物知り顔で新作に手を出しますと、最低な駄作に出会う事も稀ではありません。評価の定まった過去の作品や、有名な作家の作品を鑑賞するのが無難ではあります。それほど作品数が多いし、人生の全てを費やしても、全ての作品を鑑賞することは難しいのです。だからこそ、良い作品に出会えた時は惜しみない称賛を必要とします。それは作品自体や作家に対するよりも、文化そのものの価値を伝える事になるからです。価値ある文化のもとには、価値ある作家が集い、価値ある作品を生み出していくと思います。

 それは僕らの次の喜びとなります。

 しかし、今日はハズレだったようです。映画館の一番後ろの席で蒼汰は途中から寝ていました。

 僕も途中から記憶がありません。

 日本の映画館は実に静かで、寝るには最適な場所です。空調も効いてて快適なのです。

 意識が戻ったのは照明が点いて、劇場全体が明るくなってから。

 僕らは映画の感想を言うつもりもなく、無言のまま劇場をあとにしました。

 蒼汰が近くの電飾が煩いビルの二階にあるサイバーパンクな居酒屋へ僕を連れて行きました。ブラックライトと蛍光塗料の洪水です。

 そんな居酒屋で飲まれる日本のビールは信じられないくらいに冷えていて、凍る寸前のような冷たさです。

 これが美味い。

 冷やして飲むのだから、基本的に夏の飲み物ですけれど、これを冬にも飲みます。だから、居酒屋などに入った場合は、何か注文する前に、とにかくビールを頼みます。これを「とりあえず、ビール」と言い、注文の仕方も「とりあえず、ビール」です。これでビールが出てくるまでに、料理の注文も決めておきます。実に効率的です。ちなみに、日本ではアルコールを飲む時には、必ず何か食べます。食べずに飲むと、悪酔いすると信じられています。これには根拠が無い訳でもないのです。日本人の多くはアルコール分解酵素が比較的少なく、中には殆ど持たない者もいます。アルコールだけを摂取していると分解が追いつかず、アセトアルデヒドが体内に蓄積していきます。アセトアルデヒドは毒です。

 僕は、蒼汰はもちろんの事、日本人と飲む時は、顔の色に注意を払います。赤くなり過ぎていると感じた時は、まず水を飲ませ、楽しい時間が名残惜しくとも、そろそろ帰る時間である事を伝えることにしています。

 毎年、必ずと言っていいほど、大学の新入生の数名が限界を超えて酒を飲み、帰宅できないまま人生を終えているからです。

 初めてそれを知った時、矛盾を感じました。

 お酒が弱いのに、日本酒のような文化もあるからです。

 日本酒の味は一種類ではありません。それは多様性の世界であり、芸術に近い研ぎ澄まされた味の純粋性の極みでもあります。

「とりあえず、ビール」

 蒼汰が言いました。

 飲みながら食べる料理、「おつまみ」は、多分、から揚げ、枝豆、キャベツの塩揉み、そんなところでしょうか。

 メニューを見ながら、他に目新しいものはないか僕は探していました。

「蒼汰。日本酒あるよ」

「どれどれ?」

「ええと……、八海山、山田錦、おっ、獺祭があるよ」

「マジ?」

「マジ、マジ」

「ホントだ。それも三割九分かぁ……。いってみる?」

「うう〜ん……あとで」

「OK。あとで」

 僕は獺祭が好きです。獺祭には気品があります。

 僕に獺祭を教えてくれたのは、文化人類学の教授です。留学中に日本酒も学びたいと伝えると、日本の代表的な日本酒を飲ませてくれました。

「気に入ったものがあれば、その酒蔵を訪ねて、それぞれの歴史を知るのも良いだろう。お酒の種類は文化の数だけ存在する。味もまた(しか)り」

 教授の言葉には重みがありました。しかし、酒蔵を訪ねて回る資金がありません。それでも、いつか酒蔵を訪ねて回りながら、日本酒の歴史を学ぶつもりではいます。

 それと、どうでも良いことですが、蒼汰はOKの使い方が、なぜか喧嘩腰です。

「アーサーは夏休み、国に帰るのか?」

 蒼汰の質問に答えを渋ります。帰りたいけど、帰ってもすることはありません。親の顔がみたい気持ちがない訳ではないけれど、それほど子供でもありません。

「まだ、わかんないよ」

「フランスから留学に来た奴、いるじゃん」

「うん」

「忍者の里に行く計画たててるらしいよ」

 忍者……。僕は蒼汰が外国の忍者ブームを小馬鹿にしている事を知っています。日本人以外は、そもそも忍者を誤解しています。その原因を作ったのは日本の小説だとも言われていますが、超人的な能力を有した忍者など実在しませんでした。面白がっているのは良いけれど、真面目に超人的な能力を期待されると、日本人としては困るようです。

「僕は忍者なんて興味ないよ。あれはファンタジーさ」

 模範解答です。

「良く分かってるね」

 蒼汰はそう言って笑いましたけど、蒼汰が笑いながら続けた言葉に、僕は驚きました。

「でも、魔法使いは実在したんだぜ」

 魔法使いが実在?

「What?」

 僕は蒼汰の期待するリアクションを返したらしいです。実にニッコリ笑った蒼汰は、紛れもなく「ドヤ顔」でした。

 それは、まだ夏になる前の新宿の夜の事でした。

 派手な電飾が煌めく、欲望の街の、サイバーパンクな居酒屋の小さなテーブル席での事です。

 これは僕の不思議な物語の始まりでもありました。


エンディング曲:アーサーと マリア https://youtu.be/xdTUJB9zYGo

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