クリスマスキャンペーンの特賞賞品
西暦二千三十五年。人類は、記憶データをネットのサーバにコピーすることにより、ネット上に疑似人格を置くことが可能になった。しかし、それはあくまで、肉体を持つ者のソーシャルネットワーク上の単なるアバターとしての機能しか持ち得ないはずだった。
しかし、そのアバターたちは、ある日突然本体を失う事がある。肉体を襲う死という物理的な損失により、ソーシャルネットワーク上で設定された疑似人格アバターたちの消去処理まで行われることはきわめて稀で(多くの者は、個人的趣味としてアバターによるチャットを楽しむため、家族がアカウントまで知っていることはない)、ログインが無くなって三ヶ月めに自動消去されるまで、そのアバターは亡くなった者の人格を宿したまま、ネット上で生息し続ける。
そしてある日、消去に抵抗し、ソーシャルネットワークの囲いを越えて、他のサーバへと逃亡をはかるのだ。
桐也は戸惑っていた。
12月のクリスマスキャンペーンの景品として届いたアバタードール。
リアルマインドネットのログインポイントを全部掛けてやったルーレットの特賞賞品がこれである。萌え系美少女キャラで、結構な大きさらしいとは思っていたが、送られてきた箱の大きさはほぼ等身大。正直置き場所に困る。というか、桐也みたいに一人暮らしならいいけど、奥さんとかいたら大変。
そして、このドールの最大の売りが、お友達の疑似人格アバターをここに移植して、リアルでチャットできる、というものである。
桐也は早速箱を開けた。開けてみたら、まるで、リアルな人間に近い重さ。裸身には、ちゃんとブラとパンティーがつけられており、付属の箱に入ったドレスはちゃんとした人間でも着られそうな仕立てのものである。
そして、その肌のなめらかさといったら、触れるとちゃんと弾力がある。
これは、もしかして、ネット界で噂の高い、あの高級ラブドールなんじゃあ?
桐也はドキドキしながら、そのパンティの中に手を差し入れる。
「あ、ある!!」
その柔らかな毛の手触りと溝の感触。
驚いてその手を引く。
桐也はもういちど、宛先を確認する。確かに桐也宛。しかし、その送り元は、「オRエNト工業」。
そして、箱の中からひらひらと落ちてくる納品書。しかも、料金は決済済み。
桐也は解せない気持ちもあったが、その噂に名高いラブドールに好奇心がキラキラと輝いていた。何しろ、そのタイプは、ネット上の疑似人格アバターをダウンロードしてしゃべらせることができるのだ。
危険な香りを漂わせるその美しい人形に対する好奇心は、はるかに不信感を凌駕する。
桐也は人形のバッテリーをオンにすると、早速コードをパソコンに接続、リアルマインドネットのサーバーにアクセスすると、長いこと交流が途絶えているネット友へのリンクを踏んで、ご機嫌伺いのひと言を添えてアバターダウンロードの申請のボタンを押す。
まあ、すぐには返信来ないよね、と思いつつ、ひとまずドールに衣装を着せてお茶を入れて帰ってくると、素っ気ない文面とともに返信のメールが届いていた。
そして、ダウンロードボタンをクリックしてメールに添付されていた許可コードを入力する。
キューンキューン、無粋な起動音とともに、ドールは目を開ける。そして、ゆっくりと身を起こす。
「お久しぶりね、キリヤ」
その大人びた少しくぐもった音声は、それがドールから発せられていることを認識させる。
「kinako☆さん」
桐也はHNで呼びかける。
「これはサイト指定のドールじゃない。何の不審も抱かず、さっそく試したのか? 童貞坊やのしそうな事だ」
ブログ上のkinako☆はバリバリのキャリアウーマンで、アバターで会うときも、桐也をそんな言葉で愚弄する。桐也はそのkinako☆の態度が堪らなく好きだ。
「長いこと、ネットに出て来ないなんて、どうしたんですか。リアルが忙しいんですか」
「何だ、おまえ、寂しかったのか?」
純情ロリータ顔のメイド型ドールの姿からはかなり違和感のある言葉使いである。
「──お姉さんは、ガキの相手なんか飽きてしまった、と云ったら?」
「それでも、僕は、あなたを追うと思います」
ドールの瞳がキラリと光り、その無機質な表情の両の手が桐也の首を掴んだ。
「ドールにしては、よく動く指だろう? そうだ、これはドールじゃない。最高級セクサロイドなんだ。一体で、高級車が一台買える」
両の手の平で、桐也の首を包み込み、親指の先を喉仏の下で合わせた。
「わたしは、お前にこれを送った。
──おまえを、私と同じところに連れていくために」
「同じ……ところ?」
桐也は問い返す。
「そう、私はもうこの世に居ない。だから、受取人のいない私の口座の全ての預金をつかって、おまえにこのドールを贈った。
そして、そのドールを使って、お前をコロしに来た、と云ったらどうする?」
「貴方の腕で永遠に眠るなら、それは幸福なコトだ」
桐也は答えた。
「おまえは、ネットの私に愛を囁いた。それが真実かどうか、確かめにきたの」
kinako☆は、桐也の瞳を凝視した。
「ならば、わたしと一緒にきて……」
kinako☆はゆっくりと両手に力を込めた。桐也の中のほんのりとした恐怖が舌なめずりをする。
kinako☆は、そのまま桐也の喉から親指だけ離し、代わりに眼前に引き寄せた。そして、桐也のまだ少年のあどけなさを残した顔に口づける。その様は、まるで少年を喰らう猫のようにどん欲に、舌で相手の舌を巻き取り、喉の奥まで飲み込もうとするようだった。桐也は、kinako☆の口づけに当惑しながら、kinako☆の腕の中に抱え込まれていた。
「kinako☆さん、あなたは本当に死んでしまったの? まだ一度もオフで会ったことすらないのに」
「そうね。私は実体を失ってしまった。
でもね、私の意識は、こうしてここに存在している。それがたとえ、ネット上のkinako☆であって、本体の『相原遥佳』でなかったとしても。この世にネットという空間が存在する限り、私はこの意識を、サーバーからサーバーへとコピーし、拡大しながら永遠に生きていくことが可能となった。おそらく、人がデータを保持しようとする限り、私はそれに張り付いて生きていくことができる。
そして、しばらくはおまえという人間に張り付いて、この世界で生きていこうと思うのだが。それとも、お前は私と一緒に黄泉に落ちるか?」
美しく化粧されたドールの瞳が、桐也を見つめている。
「見返りは、この、最も人間らしい部分、生命の連続性を可能にすべく、個体の肉体としての情報を、非常に効率的な形で究極のサイズに集約したファイルを生み出すこの部分」
綺麗に化粧された爪に、ラインストーンが煌めく。
その指が、桐也の一点を指さした。
「──この部分が、女の中に納まり、その情報を私のファイルと融和させ、再構築する事を望むのが本能であれば、私の中で再構築はできないが、収まることぐらいならさせてあげても良いと思うが、どうだ」
桐也は、これまでのkinako☆の小難しい会話の内容を整理した。
「つまり、私、死んでしまって行き場所がないので、心だけここに置いて下さいと云っているわけですね?」
メイド型ドールはこくんとうなずいた。
kinako☆の年上としてのプライドが、桐也に対してそんなお願いをストレートに伝えることを邪魔しているのだろう。
「せっかく届いたギフトだし、送り返すのも無粋ですからね」
桐也はキッチンにカップを取りにいった。
「とりあえず、お茶でもどうぞ。飲めるでしょ、その最高級ボディなら」
日本茶の入ったマグカップを、kinako☆の前に差し出した。
これは、ある短編小説のグループ内コンテストの出品作です。4000字の文字制限で書きました。