あのお花見から1年後ミステリーがやっと始まる
3日後だったか、3月26日に警察に呼ばれた。
3月21日、22日にどこで何をしていたか知りたいという。私は顔が熱くなるのを止められなかった。大島との初めての夜を挟んだ両日だから。
男性刑事に夜間の詳細を求められても、話せることではなかった。こちとら21歳直前のうら若き乙女で、自分だって何が起こっていたのかよくわかっていない。
「恋人と一緒でした」
と口にして黙ってしまうと、刑事さんは女性と交代した。
「恋人、大島稔くんね、ずうっと隣にいた?」
「あ、はい、私が起きてるときはずっと」
「深山さんは何時から何時に寝てた? ベッドに入ったのはいつ?」
私はまた真っ赤になってしまう。日が沈むころから夜通し……。
「お風呂あがって6時ごろ」
「早いのね、眠ったの?」
「いえ、起きてました」
「ベッドの上に横になって目は覚めてたってことね?」
「はい……」
これ以上ツッコまないでと心に願った。
「実際に眠った時間はわかる?」
「深夜にカップ麺を食べたので……、その後、1時ごろから7時くらい……」
朝「痛むか」と聞かれてまた求められた……。
「その前は?」
「え? その前?」
「本当にずうっと起きてた?」
「あ、ちょっとうつらうつらしたかも。『疲れただろ』って……10時から11時くらい……」
「10時? 10時なの?」
「はい」
「大島くんは?」
「お風呂浴びてくるって、でも目が覚めたらちゃんと隣にいてくれて……」
「そう……」
女刑事さんは思案顔だ。私は困り果ててしまう。
自分の恥ずかしさを通り越すと急に、なぜ警察に呼ばれているのか、なぜ質問されているのかが気になった。いったい何が起こっているの?
「質問を変えるわね? 一緒に居る間に大島くん、スマホいじらなかった?」
「え?」
大島のスマホ、どこにあったんだろう?
枕元? サイドテーブル? 鏡の前?
「いえ、見てません」
私が知る限り、大島は私をいじるのに忙しかったはず……。
「夕方、5時半ごろはあなた、お風呂だった?」
「あ、はい、5時半なら露天風呂に浸かってました」
「そう、わかったわ、ありがとう、今日はお疲れさまでした」
警察の尋問というか事情聴取というものはあまりに一方的で、釈然としない思いを抱えて大島のマンションに帰った。
公正に事実を確認するためだとわかっていても、何が起こったのか教えてくれてもいいじゃない。
なんで私が呼ばれるの?
マンションでは大島が疲弊した顔でソファに脱力していた。
「どこいってた?」
「警察……」
「おまえもか……」
「え、稔も?」
「ああ、吉野が行方不明だそうだ……」
「吉野が? なぜ? 幸せの絶頂で、研究したくて堪らないくせに!」
「だよな。だから事故か他殺かを疑ってるんじゃないか?」
「なんで? 最後に見た人は誰? 実家にいたんじゃないの? かすみが一緒だったんじゃないの?」
「おまえもあの日のこと訊かれたんだな。吉野の車が潮岬灯台に乗り捨ててあって、本人は見つかってない」
「うそ、うそよ、そんな!」
私はスマホを出してかすみに電話した。呼び出し音が続くだけで切れてしまう。次に朱莉にかけた、でも、電源が入ってない。朱莉も警察かもしれない。
カーペットの上にへなへなと座り込んだ。ソファに横たわっている大島と目線が近づく。
「自殺の懸念もある。車のハンドルの横、換気口の下に口紅で『ヤマ』って走り書きがあったって」
「ヤマ?」
「警察に心当たりはないかって訊かれた。あの研究対象の桜がただのヤマザクラだったらショックを受けるかもって答えといた……」
「その口紅、淡いピンク色?」
「ああ、スリーズ、チェリーピンクって色らしい」
「かすみは? かすみは無事なの?!」
「支倉がなんで? 心中したとでも?」
「あの日かすみがつけてた。最初の日。それかすみのリップだから! で、今電話通じない!」
「落ち着けよ……、オレたちにできることがあるか? 支倉の実家も吉野の実家も知らない。オレは下宿も知らん」
「かすみのアパートはわかるけど、実家は……」
大島はかすみの部屋を訪ねようとは言わなかった。私は車出してと頼める雰囲気じゃないと感じた。大島は人に指図されるのが嫌いだ。それは恋人になったはずの私でも同じ。
翌日、大島には研究室に出ると言って、バスと地下鉄でかすみのアパートに行った。管理人さんもオートロックもないいわゆるアパートだ。ドアベルを鳴らしてもノックをしても、何の応答もない。
悪い予想ばかり心に湧くから思い切ってお隣さんに何か知らないか尋ねてしまった。
「あ、支倉さん? まだ春休みじゃない? 彼氏の親に挨拶に行くって言ってたし」
お礼を言ってふらふらと、一旦自分の下宿に帰った。
――やっぱりあのお花見トリップ自体が、吉野の親御さんとの顔合わせ目的だったんだ。口紅塗って薄化粧して。そこまで進展してて大島に内緒って……。
そこまで思って首を横に振った。考えが偏ってるのは私だ。
理由は何であれかすみはちゃんと大島に付き合わないと言ったわけだし、その後誰とひっつこうが大島に報告する必要ない。大島だって合コンとかで散々遊んでた。
大島はその後も数度警察に呼ばれたようだが、私にはもうコンタクトはなかった。
4月8日に3回生になり授業が始まった。
そこで吉野とかすみが退学したことを知った。ウワサでは、吉野は死んで、付き合っていたかすみは精神的に参ってしまったという説が主流。
なぜ「2人そろって心中した」という話になってないのかが気にかかって植物病理学の先生に聞きに行ったら、「支倉さんには会ったよ。退学の挨拶しにきてくれたから」と何でもないことのように教えてくれた。
しかし、一番近くにいたはずの私なのに、2人にいったい何が起こったのかこれ以上わからないことにイラついた。
2人の実家の住所も知らないなんて大島と同じ。大学生の友人関係なんてこんなものだろうか?
スマホが繋がらなくなれば、何も残らない。
朱莉は「あの後何かあったんだね」と顔を曇らせただけで、2度と話題にしようとしなかった。
そして私たちは、卒業研究と就活開始と新学期のごたごたに気をとられてしまった。
私生活では、私の下宿代がもったいないからという理由で大島に勧められ完全同棲になった。
就活方面は教授の伝手で、京都の大手種苗会社の研究所にインターンとして週一で入らないかという話をもらった。
「まあ、学内で深山さんが一番花の名前知ってるからね、何とかなるんじゃない?」
というのがお気楽な推薦理由だそうだ。
その会社は園芸植物の種子販売では多分日本一だろうけれど、行ってみて野菜種子開発のほうが売上的にも農業生産的にも大切な仕事なんだと身に沁みた。
そうこうするうちに、あれよあれよと月日は過ぎて、あのお花見旅行からちょうど1年。
春休みが終われば4回生になるという時期に、桜ミステリーは始まった。
「稔、宅急便だって。何か注文した?」
「してないけど?」
1階のロッカーに入っていたダンボール箱を抱えてきた。とても軽いから片手で持てる。
玄関入るなり大島に問いかけたが恋人はソファの上から動かない。
大島は大学院進学を決めたけれど、「何の研究したいの?」「英語力が今いちかな?」と教授に言われたらしく、ここ数日ご機嫌斜め。
農学部中誰もが私と大島の関係を知っているから、私は同じ教授から、「君たちの代は2人も優秀なのがいなくなっちゃってるから、ちょっと頑張れば推薦してあげられる。大島君にハッパかけてよ」と裏話を聞いてしまった。
私はインターン出勤したスーツを着替えもせずに、箱を開けた。
中にはーーーーこれでもかという量の桜の枝が入っていた。
「何これ……」
手紙もメッセージも何もない。20センチ前後の五分咲きの桜の枝ばかり。
のそりと起き上がった大島が見下ろす。私は目の端で彼の脚がピクリとしたのを認めた。
「それ、桜?」
震えを抑えた恋人の声。
「うん……」
「捨てといて……」
そういうと大島は、私が夕食ができたと告げるまで、自室から出てこなかった。