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3月21日夜


 バカな私はふらふらと大島についていってしまった。


 場違いな豪華ホテルのロビーに足を踏み入れ、ラウンジの雰囲気にのまれた。美味しい紅茶をいただきながら、大島はやっぱりこういうお金持ち側の人だと感じた。


 その人は私の向かいに座っていて好きなことは間違いなくて、でも彼は失恋した途端で、私を想ってくれているとは思えない、そんなあやふやな中に漂う非現実感。


「入湯料がいくら、くろしおの片道料金がいくら、シングル2つがいくら、同室すればいくら、どうする?」と大島が金額を並べたてる。


「どれも払えない……」と私は口ごもった。


「ハハッ、深山が払うんじゃない」


 大島が後で言うに、私は鳩豆鉄砲の顔をしたのだそうだ。私は自分と2人きりでいて初めて笑ってくれた大島の笑顔に惹き込まれた。


「おまえが選んでオレが払うんだ。気持ち知ってるのに長い間放置した。悪かった。その償いってことにでもして」

「償いってそんな、私が勝手に想ってただけで……」


「好きな女吉野に奪われるような男じゃもう冷めたか?」

「それは関係ないよ……お互い、想い詰めるほうだよね……」


「さっきはあぶれたもん同士だなんて言ったが、オレたち、どうだ? 付き合ってみないか?」

「うそ……そんな急に」

 頭が全くついて来ていなかった。


「ここのホテルで失恋の傷を癒して帰る」という大島。

「オレが泊まる部屋に一緒に泊まってくれるのが一番だとオレは思うんだが?」

 そう言われて私は頷いてしまった。


 電車料金も民宿に泊まるような値段、部屋をとれば入湯料は無料、でもシングル部屋2つの値段はあまりに高い。


 何が起こるかわかっていて、嫌かどうかだけ選べばいいのに、貧乏性な私は経済性を気にしてしまう。


 起こるだろうことが嫌ではないから、怖いけど「いい加減バージン捨てなきゃ」とも思っていて、相手が大島なら願ってもなくて。


 大島はダブル1室のアーリー・チェックインを済ませてしまい、部屋の用意ができるまで5階の展望レストランで遅い昼食を摂った。

 

 窓からは、黒潮に洗われる紀伊大島の形を辿ることができた。


「台風情報とかでよく聞く潮岬(しおのみさき)があっちだ」と大島は指さす。


 前菜のシーフード盛り合わせをシェアし、メインはブイヤベースと魚介のリゾット。素材の良さに加えて、バターやクリームベースの濃厚な味付けが昨日の和食と打って代わって美味しく感じた。


 大島は、努めて明るく接してくれた。本物の恋人同士なのかどうか心に疑問は残っていたけれど、それを越える楽しさを演出してくれる。

 

 少年のいたずらっぽさを残した大人の男。エスコートは完璧で、やはり好きだと痛感させられる。


 食後、整えられた部屋に落ち着き、家のことや将来のことなど雑談した。

 お腹が落ち着いたところで露天大浴場へ。

 私は身体のどこを見られてもいいように準備するのに忙しかった。


 部屋に戻ると大島はベッドの上に横たわっていて、「遅かったね」と言った。

「心配でそろそろ迎えに行こうかと思ってた」

 私は「ごめん」というのに精いっぱいで。


「おいで」

 大島が横たわったまま左手を私に伸ばしている。

「恐がらなくていい、ゆっくりするから」


 枕に肘をついた大島の横に身体を丸めて寝転がった。

「浴衣は皺にすると後で困るよ?」

 前を開かれ、腕を袂から抜かれた。浴衣はアームチェアにパサリと音をたて。


「ほら、やっぱりきれいだ」

 大島は下着だけになった私を見てそう言った。


 長い間頭を撫で抱きしめていてくれた。


 その先はよく憶えていない。痛いことをされると覚悟したのにそんなことはなくて、大島はとことん優しかった。

 

 慣れてるんだと思った。

 私は大島に一途な片想いだったけど、大島はかすみに操立てなんてしていない。


「バカだよな、さっさと諦めてこうなっとけばよかった……」

 私は返事をする余裕などないのに、大島は大人で、合間合間に言葉を挟む。


「ありがとな、ずうっと見ててくれて……」


「深山がいてくれてよかった……、なあ、佐保って呼んでいい?」


 途中何とか声を出し「喉が渇いた」と伝えると、サイドテーブルにあったミネラルウォーターをくれた。


 お茶を淹れたいと思っても「ダメ、もう離さない」と腕の中から出してくれない。


 かなりの時間そうしていても大島は手を止めてくれず、身体の感覚も時間の感覚もわからなくなった。自分の身体は今いったいどうなってるのだろう?


 心臓が破裂するかと思ったり、太平洋の波に揺られている気分だったり。


「疲れた? ちょっと眠るか? 寝るならオレちょっと風呂行ってくるな? 帰ったらまたしよう」


 大島は私の額にキスしてくれたような気がする。ぼんやりとした頭で今何時かと聞くと、濃厚なディープキスが降ってきた。

 これが大島との初めてのキスで、なんか順番が違うとおかしくなった。


「10時かな」

「そうなんだ……」

 夕食抜いちゃったなあなんて思いながらまた快感に落とされて睡魔に襲われた。


 目が覚めると横に恋人がいた。その感覚が嬉しくて両手を伸ばして抱っこをねだった。


「お、かわいい。かわいいと我慢できなくなる。初めてなんだろ?」

「いいから……」

「今日はいいって」

「してよ……」

「襲わないように風呂行ってきたんだぜ?」


 そしてまた私が気持ちよくなることばかりされて、私たちが一線を越えたのは日付が変わってからだった。


 お互い妙に目が冴えてしまい、お腹もすいていた。ルームサービスの時間は終わってしまっていたが、「カップ麺でよければお持ちします」と言われて食べることにした。


 美容と健康に悪いとわかってはいても、恋人と事後に食べる背徳感で満たされる。

 この部屋に来たのが4時、お風呂から戻ったのが6時前。それからずうっとイチャコラしていたわけだ。

 今思えば、大島との恋愛で、このカップ麺の思い出が一番幸せだったかもしれない。


 翌日京都に戻ってからは、私は大島のマンションに入り浸って半同棲ごっこを楽しんでいた。学生にしては広すぎる2DKだ。


 自分一人のやっつけ家事ではなく、恋人のために掃除洗濯炊事をするということが純粋に楽しかった。夜は夜で別の楽しみをもらい、与えた。

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