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3月21日のお花見

 

「お昼にはちょっと早いけど、植物採集は後にしたいからここでお花見」

 吉野は敷物と、家から持ってきたらしい軽食などを運び、桜の群生のでこぼこの根張りの間に広げた。


 私たちも海岸沿いのコンビニで買った飲み物やお菓子を抱えて敷物の上に腰を下ろす。


 地元の人は慣れっこなのか、午前中だからか、花見客は少ない。子育て中の若いママさんたちが子供たちを遊ばせながらだべっているくらい。


「こんなに綺麗なのに、見に来る人いないの?」

 私は吉野に問いかけた。


「地元民は大切にしてるんだけどね。でも有名になってたくさん人が来すぎるのも問題だし」

 私は首肯した。熊野の山に護られる秘境のような、禁足地のような桜の谷なんだ。


 私の考えを読んだかのように吉野が続ける。

「一番奥に小さな祠があって、熊野佐保姫神社って呼ばれてはいるんだけれど、ご祭神は本当ははっきりしてない」


「佐保姫! 佐保の神社? 佐保は桜の神さま?」

 朱莉が横から楽しそうに首を突っ込んできたけど、私は自分の名前が好きではない。名前負けしているからだ。

 春生まれではあるけれど、春の女神に似合う美貌も繊細さもない。


「この桜全部がご神体でいいと思うわ」

 かすみの優しいコメントで、私の名前の由来の春の神様の説明はしなくて済んだ。


「で、吉野はこの桜で卒論書くつもりなんだ?」

 千葉が場違いなことを話題にする。


「あ、僕は院に行くつもりだから、卒論というか、ずっとこの桜を追ってみようかなって思ってる。まずは学士論文、院に何とか入れてもらって引き続き」


「ライフワーク?」

 朱莉の問いに吉野はちょっぴり顔を赤らめた。

「特別な桜であってほしいんだ、こんなに綺麗だから」


「でも、私が見たところ、ヤマザクラっぽいけど?」

 と、かすみ。


「うん、地元でも早咲きのヤマザクラだって思われてる。花と同時に葉っぱもちらほら出るし、ソメイヨシノでないことは一目瞭然」


 吉野の自信が羨ましかった。

 この桜のDNA解析をして他のヤマザクラと何も塩基配列が違わなかったら、研究は頓挫、研究者として名を成すこともないのでは?


 ヤマザクラは交雑も多い。種の中の個体差と言われるか、独立した品種と見做してもらえるか、賭けのようなものだ。何の確証もない。

 紅梅だって白梅だって、梅は梅だ。


「この桜が生えてるのはここらだけなのか、他の都道府県にもあるのか、奈良県十津川村にも似た桜があるらしい、同じものかどうか。じゃあ、熊野古道と何か関係あるのか、興味は尽きないよ。とり憑かれてると言っていい。自分ちの目の前、紀伊大島に京大農学部の研究所があったからね、京大に入れば何かわかるかもって」


 凄いと思った。吉野はまず研究目的があって京大を目指した。

 家が農家だからとか京大という学歴に憧れたとかが全く無い、花が好きだからというだけの私とも違う。


「ふぅ~ん。ここの桜、ヤマザクラよりピンクで可愛いよね!」

 朱莉は全くマイペースな相槌を打つ。

 理系で京大に居るだけで頭がいいとわかるのに、飾らないこの天然さが彼女の魅力。千葉もそんなところに惚れたんだろう。


「そうだよね、そう思うよね?」

 吉野はとっても嬉しそう。かすみも千葉もニコニコしている。


 運転のことを考えて、誰もお酒を飲んでいないのに、ソフトドリンクだけのお花見も結構盛り上がった。


 大島はもくもくとポテチを食べているかと思ったら、

「ここならオレの車で来れた」

 と呟いた。


「あ、うん、ここまでならね。僕がサンプル採りたいのは神社の横道上がったもうちょっと先なんだ。そこは小型でないと行き違いが難しい。ここで待っててもらってもいいんだけど、山の中の自生地も見たいかと思って……」


 大島は、桜に特に思い入れは無さそうだが、一緒に来るようだ。

 千葉と朱莉はお花見デートを続けたいのかと思ったら、千葉の「山道を攻略してみたい」というドライバー根性で同行が決まった。


 自生地はさほど遠くなかった。スピードが出せないから5分は走っただろうか。


 枯葉が降り積もり羊歯が生い茂る斜面に乗り上げるように車を停めた。大きな岩壁を背にぐるり巡るとすぐ目の前に薄ピンクの桜の花が舞い踊っていた。

 私たち6人は岩に凭れて大樹を仰ぐ。


「ここらでこの木が一番古そうなんだ。周囲の若木ももう花をつけてる。何年も待たないと咲かない桜もあるのに、これ、若いうちから咲くんだよね」


 もう誰も吉野のコメントに異議を唱えるものはいない。「そうなんだぁ」と特別講義を受けてる気分。


「僕、汚染の少ない高いところの花採ってくるから待ってて」


 そういうと吉野は近くの杉の木にロープの端を結んだ。スニーカーに木登り用の鉤を装着し、ぐるぐる巻かれたロープの反対側を肩にかける。


「樹皮に傷つけてごめんな」

 吉野は登る前に桜の木を撫でさすって謝っている。


 そして太い一の枝まで鉤足で上がると、樹冠近くで体重を支えてくれそうな木の叉にロープを掛け、ぶらさがった先をベルトのカラビナに繋ぐ。


 そこからはロープも利用してするすると登っていってしまった。

 手際が良すぎる。ご実家は林業か山持ちなのかもしれない。


「猿みてぇ」

 千葉が失礼な感想を漏らす。小柄な吉野の体躯からも実はそう見えた。森林に関わるのは天職なのかもしれない。


 そんなことを考えながら、私たちは上のほうを見ながらあんぐり口を開けていたのではないだろうか。


 そこに、吉野の声がした。

「かすみ、落ちた!」


 パサパサと音がして桜の花びらが舞い散った。遅れて落ちてきた枝は地面に転がった。


「取れたあ?」

「ダメだったあ!」

 かすみが吉野に向かって両手をメガホンにして叫んだ。


「OK、じゃ、もう1本」

 と吉野の声が聞こえて、朱莉と私は、我知らず顔を見合わせていた。


 ーーーー吉野が、かすみを、「かすみ」と、呼んだ!


 するすると降りてきた吉野は手際よく道具を片付けている。桜のサンプル枝は腰の袋に入っているのだろう。


 千葉も朱莉も私も大島も声がかけられない。


「土壌雑菌付けたくなかったから、ごめん」

 吉野はなぜかかすみに謝っている。


「土壌菌は付かなくても私の手の雑菌がつくわ、手袋してないもの」


「あ、そうか、バカだ僕、桜余計に切るのが可哀想で……」

 と言いながら、自分がしていた青い使い捨ての衛生手袋を外した。


 吉野とかすみがふたりの世界を持っていることが見て取れてしまった。


 ツッコんだのは、朱莉だ。

「かすみ……って呼んだ、よね?」

 ふたりの肩がギクリと固まった。


「あ、うん、ちょっと前から付き合ってる、のかな?」

 と、吉野はなぜかかすみの顔を覗き込む。かすみは俯いたままコクリとした。


「うぉー、めでたい、仲間ができた」

 千葉はあえて場を軽くもたせようとしてるんだろうか、親友大島の気持ちを知ってるんだろうに。


 その大島はぱっちりとした瞳をぎろりと見開いて、

「そういうことは早めに言えよ」

 と呟いた。


 串本町駐車場への帰路は楽しいとは言えなかった。


 吉野は依然どこ吹く風で気にして無さそうだったが、私の隣のかすみは窓の外から目を離さない。前の助手席の大島も一言も話さなかった。


 千葉と朱莉のバカップルは、お花見したところから「美人の湯」へと向かい、気ままに京都に戻るそうだ。


 吉野はもう1泊くらい実家に残るんだろうか。そしたらかすみも?

 私はどうしたらいい?

 

 あんな形で失恋を突きつけられた大島を見ているのが辛い。独り電車で帰ったほうがいいのかもしれない。


 解散を告げる吉野にくろしお号の便数を聞いた。新大阪行が2時過ぎと6時過ぎたった2本。


 大島がそこで「なんで?」と割って入った。

「一緒に帰るだろう? あぶれたもん同士それもいいだろ」


 自嘲する大島が痛い。表面必死で取り繕って吉野の前で強がってる。私なんかでも傍にいたほうが、気が紛れるのかもしれないとも思った。


 吉野とかすみが去り、大島と2人残された。


「折角串本まで来たんだ、もう1つくらい温泉楽しんでいかないか? 昔家族で来たことがあるんだが、紀伊大島が真ん前に見える露天風呂のある老舗ホテルがあって……」


「え? 泊まり?」

「風呂だけでも泊まりでも。深山が泊まりたければ部屋ぐらい用意するよ」


 ……何それ。


 心は警鐘を鳴らすのに「嫌、今すぐ京都に向けて車出して」とは言えなかった。乗せてもらう立場というのは弱い。


 2時過ぎの特急くろしお号に乗ればちょうどいい。今「串本駅まで乗せていって」って言えばいい。

 それなのに、もう少しこの地にいたい、大島の隣にいたいとも思ってしまった。


 とりあえずもう1つ温泉に浸かって、6時過ぎの電車に乗るという選択肢もある。

 優柔不断に心が揺れた。


「それともどこかで食事するか?」

 大島の急な優しさが怖かった。確かにこの時私は、大島を怖いと思ったのに。



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