南紀勝浦へ集合!
4日後の20日、現地の民宿集合午後3時だというのに、大島は朝から愛車の高級セダンを超スピードで走らせ、名神を東に飛ばし、三重側から紀伊半島を南下した。
運転も疲れるだろうに、横顔は真剣だ。となると助手席に座っているだけの私は、トイレ休憩とかコンビニ休憩とか、景色を見たいとかも言い出しにくい。
それでも太平洋が見えたところで、私は小娘のように「わあ、海だ!」と声を上げてしまった。島が散りばめられ海岸線が入り組んでいて、車窓からでも美しい。
「あ、悪い、サービスエリアくらいよるべきだったな、次、でいいか?」
やっと私の存在を認識したみたいだ。
トイレに行って飲み物を手に、特産品コーナーを眺めていると、
「そろそろ出すぞ?」
と作り笑顔で話しかけてきた。
「ここまで随分飛ばしたよね、もう太平洋だもの」
と笑いかけたら、車に向かいながら
「時刻表がな……」
と呟いた。
時刻表という限り、吉野とかすみが乗ってくる特急くろしお号のことだろう。
「紀伊勝浦駅着11時40分、次は16時15分……」
助手席に座りながら、この人は今でもかすみが好きなんだと悟った。かすみの断り方も曖昧で、学業が落ち着いたら可能性があると思わせてしまったのかもしれない。遊び人に見せているのはただのポーズか気を引きたいか。
12時前に勝浦に着くはずのかすみと吉野が、集合時間まで何をするつもりなのか気が気じゃない。できたら到着時刻に駅にいたいというのが本心。
――それで私は今朝7時きっかりに集合させられたわけ。4時間あれば着くらしいのに。
失恋は今に始まったことじゃない、車内の空気を明るくするためにも話しかけた。
「運転うまいね」
「あ? 車? 年季が違うからな。免許取ったのは18だけど、その前から農道で軽トラ運転してたから」
「それって合法?」
「うちの所有地内だぜ? 畑に突っ込んだって文句いうのは親父だけ」
電車の到着時刻に間に合う目途がついたのだろう、大島は普段の明るさを取り戻し、おしゃべりの相手もしてくれた。
海岸沿いを走る国道42号線から見える海には白兎のような波がしらが立っている。
「ちょっと待っててくれ」
車を停めて大島が下りていったと思ったら、既に紀伊勝浦駅の駐車場だった。11時36分。
私だってその時は、「吉野は串本で下りて実家に寄るとしたら、かすみは荷物抱えて一人で改札を出てくるのかも。大島、気が利くじゃん」などと考えていた。
11時50分過ぎて、「いくらなんでも停車しすぎ、私が運転席に座っとくべきかしら、免許ないけど」と焦り出したところで、やっと、大島が戻ってきた。
「いなかった……」
「かすみ、いなかったの?」
「いない……」
「じゃ、串本の本州最南端地点でも見てくるんじゃない?」
努めて明るく反応したけれど、大島の顔からは、戻っていた快活さが抜け落ちてしまっていた。
駅から民宿はすぐ近くだった。チェックインは午後2時からだから場所だけ確認して大島は、
「まだ腹がすかないから1時間ほど走ってきたいんだがいいか? 評判の店探しとくからさ。1時半にここ集合で昼飯ってことで」
と聞いた。私は笑顔で「いいよ」って答えたんだ。
貴重品だけ手元にもらい、大島は私の荷物を車に積んだまま、「じゃあ」と言ってまた発進していった。
1人取り残されたが淋しいというよりワクワクした。
町全体に潮の香りがする。琵琶湖湖畔出身の私には同じ水でも匂いが違う。
海、特に太平洋なんて地図の上の名前しか知らない、生まれてこの方、憧れの的。
宿から駅に戻り、道なりに歩いたら港に出た。
思いのほか大きな波の音に圧倒されながら、絶え間なく寄せる波の動きに押し戻される気がしながら、大島もこの海も手が届くものではない、身の程を知ろうなんて考えていた。
昼食から戻ると千葉と朱莉が到着していた。
和風の前庭が綺麗で、中に入ってみるとこぢんまりとした古民家。女子3人が家族用の広めな和室、男2人は2人部屋、たったそれだけのアットホームな宿。
吉野とかすみが来たのは集合時刻の3時ギリギリだった。
かすみは珍しくうっすらと口紅を塗っていた。いや、一旦塗った後で拭ったような薄さ。元々肌のきめが細かくファンデなんて要らなそうで、お化粧は嫌いだと聞いていたから「あれ?」と思った。
吉野はと言えば、地元ではこんなに生き生きするのかと驚くほど外向的、女将さんと知り合いらしく、夕食は吉野も入れて6人で、8時から広い方の女子部屋でとる算段をしてくれた。
あと、この民宿の風呂も泉質のいい温泉だけれど男湯女湯に分かれてない由。
気の置けない女将さんは悪びれもせずに「混浴にするかね?」などと笑っていたが、時間帯で男女分けることにした。
朱莉が、まず太平洋の見える露天風呂に入りにいって、こっちに戻って寝る前にもう一度お風呂浴びると言い張ったので、女子が10時以降。
さてこれからどこに出かけるかという設問にも、吉野は全て模範解答を用意済みで、
「今日はこれから那智の滝観光ね。熊野古道歩いてみたい人、挙手!」
と笑う。
「え、歩けるのか? 熊野古道ってもっと山奥にあるイメージじゃん?」
千葉が口を挟んだけれど、かすみと私はもうおずおずと手を挙げていた。
「所要40分、杉の大木の間を縫って続く苔むした石畳、日本人なら是非一度歩いてみてよ」
吉野の今日のノリは本当におかしい。
「熊野古道歩きたい人はここから僕の車で15分の大門坂駐車場へ。滝に直接行きたい人は那智山駐車場、歩く人を降ろしてから僕の車も那智山に回しておくから帰りは一緒。石川さんご期待の太平洋の温泉に山から直接ご案内する予定」
「私はあんまり歩きたくない~」と温泉目当ての朱莉が言って、千葉が「じゃ、オレら滝に先回りすっか?」と決めたようだ。
「じゃ、大島も僕の車に乗ってくれたら2台で済むよ」と吉野。
「大島の車ほどカッコよくはないけど、四輪駆動だからSUVと見做してくれると嬉しい」
私は車のことは詳しくないけど、吉野の車は森や山に分け入るのに適しているということだろう。
かすみと私が後部座席、大島が助手席で、大きくはないけれど高い車高のジープ型車の窓から朱莉と千葉に「滝で会おうね!」と手を振った。
バカップルな2人のことだ、1時間近くの時間差をどこでどのように潰してくるかわかったものじゃない。
私は死ぬまでに一度見たいと思っていた、日本で一番落差の高い那智の滝に向かっているとキョロキョロしていたら、ほどなく駐車場に着いてしまった。
「大門坂はあそこだから頑張って歩いて来て。上がってくるところで待ってるから。大島は2人の女性のナイトを頼むね」
と吉野は言って、大島はちょっとウザそうに頷いていた。