3回生前のお花見旅行
私がまだ気弱なうら若き乙女だった頃、とはいっても現在でも三十路に入った途端だけど、10年前は名字もまだ葛城ではなく深山だった。深山佐保。
その頃、京大農学部に在籍して結構楽しい学生生活を過ごしていた。ひとえに、友達に恵まれたからと言っていい。
同じ花卉園芸学専攻の石川朱莉と植物病理学の支倉かすみ、この3人でレポートや実習の津波を、1回生から手を取り合って乗り越えてきた。
1回生は一般教養だけだなどと思った私が甘かったのだ。
私はただ単に、園芸植物のきれいな花がどうしてきれいなのか知りたかったのに、教授の知りたいことは花の発色を遺伝子レベルから解析することで、ゲノムゲノム、と寿限無のように言われ何度も挫折しかけた。それを2人が支えてくれていた。
全体的に男子のほうが多い学部だから、陰で「農学部の三本花」なんて呼ばれていたらしい。
花だったのは私以外の2人。朱莉はカーネーションのように元気で、かすみは白百合のように清楚。
きれいな花には虫がつくもので、朱莉は2回生の夏ごろから、同じ専攻の千葉啓斗と付き合いだした。
かすみは毎日顕微鏡ばかり覗いているはずなのに、農学部同期のリーダー的存在大島稔に告られたと言っていた。彼女は私には「今恋愛どころじゃないと断った」と打ち明けてくれたが。
大島は、農家といっても近代的で広大な農場を経営する資産家の次男坊で、ラグビーをやっていたらしく、やんちゃなくせに周りをまとめるのが上手かった。俺様気質ではあったけど、憎めない。
京大の学園祭、通称11月祭に模擬店を出そうとか、面倒くさい課題を手分けしてやろうとか、情報集めては笑いながら物や人を動かすカリスマ性があった。
ただ見栄っ張りでもあって、合コンなどで「京大何学部?」と聞かれたときに、意識して「農学部」と答えることを避けていた。いつも学科名「応用生命科学科」と答える。「それどんな勉強?」と聞かれると「バイオテクノロジーだよ」と。
自分の容姿の美を最大限に究めた近隣私大の女子はこぞって、大島の男らしい体つきと無邪気そうな二重の瞳、そして将来性の餌食になっていった。
愚かなことに私もそんな大島に惹かれていたのだが。
かすみに纏わりつく男子はもう一人いた。森林科学科の吉野浩章といって、1回生の夏に行われたフィールドワーク夏季研修で意気投合したらしい。
私みたいな園芸専攻者には、自然からサンプルを取るフィールドワークは必須ではない。
で、吉野のことも良く知らなかったが、病理学専攻のかすみとは被る課題も多く、マツクイムシの話をしていたりダッチエルム病なるものを論じていたり。
かすみと居れば、自然私や朱莉とも親しくなる。
彼は男性にしては小柄なやせっぽちで眼鏡の、パッと見はオタクっぽい。フィールドワークで山になど入ろうものなら、体力的にやっていけるのか、森林の下草に紛れて朽ちてしまうのではないかと危ぶまれるほど。
何せ、160センチないかすみがヒールを履いたら、吉野と目線の高さが同じになっていたのだから。
3回生の始まる前には、何となく私たち6人グループができあがっていた。
ボス的大島と親友の千葉、その彼女朱莉、かすみは大島にはちょっと距離を置きながらも友人として対処していた。そこに吉野が加わり、千葉や朱莉と専攻が同じで大島に憧れている私、深山佐保。
3月半ばの月曜日だった、講義はなくても皆キャンパスに居て、昼にはいつもの学食で顔を合わせた。
大島が嘆息する。
「春だってのにオレら何してんだろ? 研究室ってただの教授のパシリじゃね? 遺伝子遺伝子って気が狂いそう」
「好きで選んだんだろ、バイオ」と千葉。
「にしてもなあ、小麦やらタロ芋とかヤム芋とか、もう少し楽しい遺伝子読みたいよ」
「ヒトとか?」朱莉が舌を出して茶化す。
「おう、乳がん因子でも調べてやろうか?」
「おい!」
「やん」と言ってたわわな自分の胸を隠した朱莉を見て、彼氏の千葉はにやけながらも大島にしかめっ面をしている。
「何かオレにも楽しいことないのかよ……」
テーブルにへたり込む大男を、私はまた女が切れたんだなと結構クールに眺めていた。
ホワイトデーのお返しは全部ちゃんとしたんだろうか?
私はバレンタインに参戦もしなかったが。
「花見なんてどうだい?」
唐突に吉野がぼそっと声を出す。6人でいても発言することなんて滅多にない。
「バカかよ~、梅は散ったし桜はまだだろ」と大島。
朱莉は「御苑の早咲き枝垂桜がまだ3分咲きって聞いたよ?」とこちらも脱力系。
私はその時かすみが吉野の横顔を心配げに見つめているのに気づいた。
吉野は顔を上げて皆に明るく笑いかけていた。
「うちの実家のほうにね、早咲きのサクラがあるんだ。山ん中だけどね。学士論文に使いたいと思って標本取りに行く予定なんだけど、どう?」
「どうってどうだよ?」
大島はまだスイッチが入らない。
「近くに温泉がたくさんあるし、いいところだよ。僕は20日金曜に発つ予定だけど?」
「温泉ってどこ温泉?」
千葉が半分だけそそられて尋ねた。
「串本。近所に美人の湯もある」
「美人の湯!!」
これは朱莉、千葉は自分の彼女の笑顔を見て「行くことになりそうだな」と直感した模様。
「それって……那智勝浦方面?」
これは私。地名に聞き覚えがある。降雨量が多くて気温も高めな南紀なら、もう咲いてる桜もあるのか、なんてお気楽に考えていた。
「そうだよ。露天風呂がそのまま太平洋に繋がってたり、広々と見渡せたり」
「すごく高いんじゃない?」
貧乏学生の私にはまず予算が問題だ。
「そういう温泉はお風呂だけプランで行くといい。素泊まりで4000円とかの民宿だってあるから。海水浴シーズンじゃなし、レディース割引やってるとことか、あ、実家の伝手のある古民家の民宿とかどう?」
吉野は地元愛に溢れているらしく、目をキラキラ輝かせる。こんなによくしゃべる吉野、初めてだった。
「それがいいんじゃない?」
と、なぜかかすみに話を振る。
「うん……」
私は何となくその場で2人の話をさせないほうがいい気がして、また尋ねた。
「那智の滝見れる?」
「もちろん」
「あ、じゃあ、行ってみたいかも……」
「ただ、僕は実家の車使うから電車なんだよ。特急くろしお、片道4時間かかって、往復切符1万5千円とかするけど大丈夫?」
私が答える前に大島が口を開いた。
「オレが車出してやるよ。支倉も行くんだろ? ガソリン代のほうが安い」
私はもちろん、私のためでないことはよくわかっている。
かすみは普段に比べるとかなりハッキリ大島の申し出を断った。
「あ、私は……車に酔うから、特に海沿いの道は曲がりくねってダメで、だから電車で行く」
それに対して大島は無言だった。
「オレたちは車かな、オレの運転を朱莉が信じてくれるなら」
千葉は茶目っ気込みで朱莉にアピール中。冬に免許を取ったばかりで、車を乗り回したい感見え見え。
私は大島に、
「いいよ、私も電車にするから、そのほうが気楽でしょ?」
と言ったが、「男に二言はない」という言葉で、私だけ乗せていってもらえることになった。