屋根裏部屋の宝物、そして遺稿
翌日の午前中、すっかり疲れてしまったマリカは、自室のベッドでゴロゴロしながら、昨日の写真を見てすごしていた。
そういえば、リカとおじいちゃんにも、この写真を送ってあげなければいけないなと思いつくけれど、二人のLINEアカウントを知らなかった。
聞いたら教えてくれるかな。そうしたら、この夏休みが終わったあとも、おじいちゃんやリカとやりとりができるかもしれない。そう思うと、マリカは胸がドキドキして、さっそく聞きに行こうとベッドの上で体を起こした。
その時だ。
「にゃー」
鳴き声に振り向くと、窓の外、木の枝の上にミケがいて、こまったような顔でマリカを見ていた。マリカは、ミケをにらんで見せる。
「あんたが本当はこまってないのは、もう分かってるんだからね」
そう言ってやると、ミケはちょっとがっかりしたような顔で、さらに木を登り始める。
その登り方があまりに無造作だったので、ちょっぴり心配になったマリカは、窓から身を乗り出して、上を見上げた。ミケは器用に木を登っていき、三階より上の高さにある枝でくつろぎはじめた。枝が、ミケの体重でたわむ。そのひょうしに、それが見えた。それは、窓だった。
この洋館は三階建てのはずなのに、三階より上に、窓がある。
──屋根裏部屋だ!
もっと早く思いつけばよかった。今まで、枝葉で窓が隠れていたから、わからなかったのだ。
マリカは急いで三階に駆けた。このどこかに、屋根裏部屋へと続く階段があるはずだ。今までは棚の中や、床に置かれた品々にばかり気をとられていた。今度は顔を上げ、天井をすみずみまで注意して見る。マリカの予想に反して、なんのへんてつもない天井が続くばかりだった。だが、ついに、とある部屋で、天井から小さなフックが下がっているのを見つけた。よくよく目をこらせば、天井の壁紙に、四角形の細い切れ目が見えた。何か長いものを探して、ママの昔のがらくたが置いてある部屋から、古い傘を持ち出した。柄の曲がった部分をフックに引っかけ、引っ張る。すると、天井の一部が開き、はしごがするすると降りてきた。
マリカは爆発しそうな胸を押さえ、息を飲みこんだ。そして、はしごに手をかけた。
体重をかけるたび、ギシギシと音を立てるはしごを登り終えると、そこは薄暗く、舞い上がるホコリが窓から差しこむ光をキラキラと反射していた。
そんな中でも、そこに置かれたものはマリカの目をひきつけてやまなかった。それは、とても美しいドールハウスだった。
こんなによくできたドールハウスは見たこともない。緑の三角屋根に、レンガの外壁。中はバラ柄の壁紙に、アンティーク風の家具。猫脚のバスタブ、調理道具や調味料の揃ったキッチン。銀食器の並ぶ食堂。ぜんぶ、本物のようで、小人か妖精がここに住んでいる、と言われたら、信じてしまいそうだ。
とうてい触れることなどできず、マリカはほぅ、と息をつく。
とてもきれいだ。まさに、宝物というにふさわしい。
さっそく田中さんに宝を見つけたと自慢したい。きっと田中さんもおどろくだろう。それに、リカにこれを見せてあげたら、どれだけ喜ぶだろう──と考えて、マリカはある事実に思いいたる。
マリカが宝を見つけたということは、すなわち、リカがニセモノとして、この家を追いだされるということなのだ。
このドールハウスと、この家でリカとすごす時間と。自分にとって、どちらが大切だろうか、とマリカは考えた。
──でも、いいの? もしもリカがこの場所を見つけてしまったら、私の方が先に見つけたと言っても、きっと聞いてもらえない。私の方が追いだされてしまうかもしれないんだよ?
そんな迷いも生まれた。
ぐるぐる回る思考を止めてくれたのは、窓の外から聞こえたコツコツという音と、
「にゃー」
という鳴き声だった。見れば、ミケが枝をつたって窓辺にやってきており、窓をたたき、中に入れろと主張していた。マリカは少し笑う。
「だめだよ。あんたがドールハウスを壊したらいけないもの」
「みゃー」
ミケの声は、まるで、心外だ、と言っているようだった。
マリカはミケに背を向けて、屋根裏部屋のはしごを降りる。あの傘を使って、ふたたびはしごを元通りにしまった。
──とりあえず、今日だけ。今日だけ、秘密にしておこう。明日のことは、明日考えればいい。
そういえば、リカとおじいちゃんにLINEアカウントを聞くんだったと思い、おじいちゃんの姿を探していると、田中さんが
「今の時間なら、たぶん書斎ですよ」
と教えてくれた。廊下を歩きながら、そういえばそもそもおじいちゃんはLINEをやっているのかな、と疑問をおぼえたけれど、聞いてみなければはじまらない。やっていなければ、マリカがアプリをダウンロードするところから教えてあげればいいだけの話だ。
マリカはおじいちゃんの書斎の前に着くと、トントン、とドアをノックした。
「おじいちゃん、入るよぉ」
返事は聞かずにドアを開けて、マリカは目を丸くした。
おじいちゃんの書斎は、落ち着いた茶色で統一された部屋で、壁いっぱいに本棚が並び、資料らしきぶ厚い本がぎっしり並んでいた。ドアの目の前には、アンティーク風の重厚な書斎机が置いてある。
その机の向こうに、リカが立ちつくしていた。おじいちゃんの机の引き出しを開けて、中をあさっていたらしく。床にはいくつもの白い紙束が落ちていた。
「……リカ、何やってるの⁉」
おじいちゃんの書斎には宝物はないと、あらかじめ田中さんが言っていた。それに、たとえ宝探しにしたって、人の机の引き出しをあさるのはやりすぎだろう。
リカは青ざめた顔でマリカを見返していたが、やがてつぶやいた。
「こうなったら、あなたにはもう、本当のことを話した方がいいのかもしれませんね」
目を伏せると、長いまつげが影を作った。
「私、加藤マリカじゃありません。本名は紫藤里香といいます。偶然にも、あなたのおじいさまにつけられたあだ名は、私の本名と同じでした」
「……へえ」
リカは顔を上げてマリカを見る。
「あんまりおどろかないのですね」
「いや、本名こそ初めて知ったけど、加藤マリカじゃないのは知ってたから。だって、本物の加藤マリカは私だし」
「……そう言われたら、たしかにそうですわね」
おいおい、とマリカは思う。前から思っていたが、リカ──里香にはちょっとヌケたところがあるようだ。
「私が加藤マリカをよそおってこの家に来たのには、目的があります。あなたのおじいさまが、私のおじいさま、小説家の死洞霊夜から奪った遺稿を取り戻すためです」
「イコウ?」
「おじいさまが残したまま死んでしまった、未発表の作品のことです」
説明されたことを、頭の中でかみくだく。つまり、里香のおじいちゃんは、小説を書いて、どこにも発表しないまま死んだ。そして、その原稿をマリカのおじいちゃんが持っていると、里香は信じている。
「……なんで、おじいちゃんがその遺稿を持っていると思ったの?」
「両親が話しているのを聞いたのです。あなたのおじいさまに遺稿をうばわれた、あの男はドロボウだ、と」
里香の声は怒りにふるえていた。その怒りにのまれそうになりながら、でも、マリカだって引くわけにはいかない。
「おじいちゃんが、そんなことする理由がないじゃない!」
「理由ならあります。自分の名義で発表して、盗作するためですわ!」
今度怒ったのはマリカの方だった。
「おじいちゃんが、そんなことするわけない!」
里香が何か言い返そうとしたその時、書斎に近づいてくる足音がした。しかも、複数。二人は顔を見あわせ、とっさに床に散らばる紙をかき集めて、引き出しを閉め、机の下に隠れた。二人が小柄とはいえ、さすがにせまく、ぎゅうぎゅうづめになってしまった。
書斎のドアが開く。
「悪いね、佐藤くん。色々世話をかける」
これはおじいちゃんの声だった。まだ若い声がそれに答える。
「いえいえ、傑作を世に広めるためなら、僕は何でもしますよ。そのために編集者になったんですから──それで、原稿は」
本棚を開くガタガタいう音。それから、何かが抜き出される音がした。
「これだよ」
「拝読します」
カサリ、カサリと、紙をめくる乾いた音が、長いこと続いた。
佐藤さんが深くため息をついた。それは、深い感動を込めた吐息だった。
「──すばらしいです。これがあの死洞霊夜の作品だと知ったら、みんなびっくりするでしょうに。名義を変えてしまうのがもったいないですね」
「そこは、もう話し合っただろう」
「ええ、ええ、了解しています。──それでは、原稿をいったんおあずかりします。次は一週間後に、印税等の、もろもろの手続きについてお話にまいります」
それから、二人の足音は書斎から立ち去り、後にはマリカと里香だけが残された。里香はひと足早く机の下から這い出て立ちあがり、マリカを見下ろす。
「……これで分かったでしょう」
吐きすてるようにそう言われたが、マリカは動けなかった。ふるえが止まらない。
──私のおじいちゃんは、泥棒だ。