7話:似ている彼
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ぱらり
眠気を訴える脳みそを何とか理性で叩き起こし、徐に写真の羅列に目を通す。寝ぼけ頭が見逃しているのだろうか、いつまで経っても、「かなた」の姿は見つからなかった。
先ほど、寧々さんの写真を見つけた。今の寧々さんも綺麗だが、こんな美少女がいたら覚えていてもよさそうなものだというくらいには可愛らしかった。
あ、そうだ。写真じゃなくて名前の一覧から探せば良いじゃん。
連日、数時間の睡眠でレポートを仕上げていたせいか、頭の回転が鈍い。クラスごとのページを探し、確認するが…
『かなた』の名前すらどのクラスにも存在しなかった。
どういうことなのだろう。途中で転校したとか?
可能性としては一番高いだろう。それでも、アルバムに乗せる写真一枚くらい残っていても良さそうなものだが。
ぱたん
分厚い紙が勢いよくぶつかる。吹き上がった空気が、太ももを撫でていく。閉じた冊子のタイトルを指の先でなぞった。窪みになっている文字の部分に金色が流し込まれている。
―青海学院大学付属中学
私は高校進学を期に別の学校に進んだ。かなたも寧々さんも、内部進学でエスカレーター式に大学に上がったものだと思っていたけど、そうではないのかもしれない。
かなたは中学卒表前に一度転校し、その後高校受験か大学受験のタイミングで青海学院大学に戻ったのだ。おそらく。
アルバムを函の中に戻し、本棚に差し込む。
違和感に気が付かないフリをして、部屋の明かりを消した。
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そろそろ見飽きてきた大学構内の景色に、何の前触れもなく異物が現れた。上階で校舎と校舎をつなぎとめる通路の下、建物の陰からこちらに歩いてくるその人は、明らかにこの世界の外側にいた。
すらりと背が高くて、目鼻立ちが明らかに整っている。長い睫毛に縁どられた印象的な瞳。おそらく私と彼の間には手と足が2本ずつ生えていることくらいしか共通点が無いだろう。メルヘンに侵された凡人の目には、プリクラか加工アプリでも使って、星が舞っているように見えた。
彼の姿が学舎の下から完全な屋外へと移動した時、日の光に照らされて造形美がより詳細に判明する。明るい場所で見ても全くもって文句をつける隙が無い。私の中で何かが弾ける音がした。
あまりの衝撃に身体中の全ての器官がコントロールを失い 、棒立ちになっていることしか出来ない。
これは…
これは……………
リアルアドニス様では!!?
髪を金にして目を青にすれば…………うん。同じだ。最新作にて、ついに美麗3Dモデルを手に入れたあのご尊顔と瓜二つではないか!!
「…どーしたの、里香?」
「ア、アドニスさ…ま…」
停止状態の脳みそが、恥ずかし気も無く自然に感想を口に出していた。死にたい…………恥ずかしい…………。直後、自分の口が何を言ったのか理解して、自己嫌悪に駆られる。
とはいえ、幸いな事に人はあまりに驚きすぎると声が出なくなるようで。どうやら友人から見ると私は金魚のように口をパクパクさせていただけだったらしい。
美來は自分が発言を聞き漏らしたと思ったのか、いつもの調子で尋ねた。
「今何か言った?」
「あ…あの人…」
私は固まったままの首を、軋ませながら美來の方に向けた。錆び付いた玩具のように、ギギギ…と音がなっているイメージが頭の中に浮かぶ。
「ああ、安藤ね。この学校の有名人だよ。イケメンだよね」
大学行きながらモデルの仕事やってるらしいよ。と情報を付け加え、美來は自動販売機からペットボトルを取り出した。こっちの動揺には全く気付く様子無く、気持ちの良い顔で一口目を飲み込んだ。
「里香も何か買う?」
「…………」
「あ、これ新フレーバーだ。何々…soy&ソルトぎゅぎゅと詰まったレモン味?面白そうじゃん」
安藤と言うらしい男子学生は構内のベンチに荷物をのせると、パソコンを開いた。真剣に画面を見つめる横顔は、芸術品のように美しい。見れば見るほど現実世界にアドニス様が降臨なさったとしか思えない。
「はい。里香の分ね」
「…………」
「ねえ、里香?聞いてるの?…………里香!!」
「…ふあっ!!?はっはい‼」
突然の大声に私は飛び上がって驚いた。声のした方を振り向くと不機嫌を露わにした美來が、眉を吊り上げている。現実世界に引き戻され、昼休みに友人と中庭を歩いていたことを思い出す。
「ご、ごめん。な、何かありましたでしょうか?」
「もう………しっかりしてよね。はあ、疲れた。飲み物でも飲んでゆっくりしようよ」
美來は目の前のベンチに座り、自分が座っている横をぱんぱんと叩いて、私に隣に来るよう促した。
「そうだね。午前の授業ハードだったもんね」
私は美來の方に近寄りながら、いつの間にか手に持っていたペットボトルのキャップをひねった。そして何も疑問に思うことなく、ボトルを傾け口の中に液体を流し込む。
突如体験したことがない正体不明の感覚が舌を刺した。柑橘系に似たさわやかな酸っぱさ、その中に少しだけしょっぱさを感じる。それだけなら熱中症対策の飲み物によくある感じの味だけど、後味が妙にクリーミーだ。
要約すると、人を選ぶ。
逆流しそうになった胃の中の物を謎のドリンクで押し返し、手の中にある容器のラベルを確認する。
えっこれミネラルウォーターなの?
液体の色は透き通っており、ボトルの先の景色が見える。人類の技術進歩に感銘を受けつつ、私は元凶と思われる彼女に目を向けた。
「美來、これは…………?」
三日月みたいになった口と爛爛と輝く瞳。この上なく楽しそうに友人は私を観察していた。
「ちゃんと確認してから飲みなよ~。らしくないなぁ。あはははは」
とうとう頬の筋肉の痙攣が抑えられなくなったようで、腹を抑えて笑い始めた。
悪戯に関して、美來は繰り返し犯行を行っている。前科持ちの友人から手渡された物は、必ず警戒してかかるべきなのだ。最初は引っかかってばかりだったが、この頃は、振り回されることも無くなったはずだったのに。
美來はひとしきり笑い終わると、思い出したように私を呼んだ。隣に座った私の耳元に顔を近づけると、目線を遠くのベンチに向ける。
「で、ときめいてしまったってわけですね。ああ~。あの里香ちゃんだって結局は面食いなんですねぇ」
「違うよ。ただカッコイイなぁって見惚れてたってだけで、ときめいたってほどじゃ……」
美來に反論する。太ももの上に乗せた両腕の中には、口を付けてしまった不得意な飲み物がある。
おなじみの揶揄いは慣れたものだが、果たしてこれの処分はどうしようか。明日あたりに、普通の水の容器に移して、返却するのもいいかもしれない。
「というか…こんな近くでしゃべって、万が一聞こえてたら申し訳ないよ」
面倒な友人を黙らせるべく、公共の利害を盾にして迫る。美來は一瞬驚いてから、何事もなかったかのようにふっと空を見上げた。
美來との雑談に花を咲かせる一方で、視界の隅にはちらちらの彼が映っていた。否が応でも視線を奪われ、自分の意志とは関係なく心臓が跳ねる。
一生話すことも無いだろうし、一生目が合うことも無いんだろうな。
もくもくと感情が形になって、胸の中に雲が浮かぶ。けれどそれ以上浮かび上がる事も、漂う事も無く、それは千切れて発散した。
見ているだけで幸せな気持ちになる。
私は実に有益な昼休みを過ごした。