4話:寧々
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「ほんとごめんね里香。土日なのに」
「気にしないで。今日は予定なかったもん。どうせ今頃家でゴロゴロ惰眠貪ってたし」
お腹の凹んだ空き缶が透明な袋の中を転がっていく。地面に引きずった袋の底にたどり着くと、カランと音を立てて停止した。
録画したアニメを見て、ゲームをやって、お腹がすいたら適当にチャーハンでも作って。正しい未来計画では、一人で家に引きこもっている死人だったはずが、何を間違ったのか人に感謝されまくっている。
人手不足を嘆くシフトのピンチヒッターか。あるいは大会前急遽呼ばれた助っ人部員か。私はどちらも体験したことが無いけれど、そういう人達と同じ待遇をしてもらっているのだろうと思う。
ゴミでいっぱいになった袋とトングを両手に抱え、申し訳なさそうな顔をしているのは、友人の美來だ。
美來は大学入学当時からの知り合いで、学科が同じこともあり、一緒になる授業も多い。ピンクと茶色の中間ぐらいの柔らかな色合いの髪をカチューシャのように編み込んでいるお洒落さんだ。
「里香…あんたって子は…」
目元を腕で抑えて泣く真似をしようとした美來は、手に持っている荷物の容量と質量によってそれが不可能であることを悟り、途中まで持ち上げた腕を静かに下した。
「はぁ…くそ…なんでアタシんとこの大学の部員はこんなに参加率が悪いのよ。それに比べて青海大の子の意識の高さよ」
「今回のゴミ拾いはとうとう美來だけだったね」
「あーもう言わないでよぉ…。皆、福祉の心っていうのがなってないのよ」
美來が所属しているのは、ボランティア活動を行うインカレサークルらしい。一緒に活動を行っているというのが青海学院大学の学生。青海大とか、青海大学とか呼ばれている。
我が大学のサークル部員はあまりに活動に積極的でないようで、「他大学の学生の中に一人だけは寂しい」という美來の頼みで私はたびたび活動に参加していた。
間もなく、淡いオレンジ色の光が町を照らしだした。通行人の邪魔にならない場所にいっぱいになった袋が何個も積み上げられている。
空気がひんやりとして乾燥した季節とはいえ、腰を曲げながら動き回っているとだんだん体が蒸されてくる。額から染み出てくる汗を拭った。
「そろそろ終わりにしましょうか。お二人とも」
振り向くと、ゆるくウエーブした黒髪が綺麗な女の子が立っていた。
間の抜けた「カンパーイ」という声と同時にグラスがぶつかる音が響く。薄暗い中に黄色いライトが眩しいいい雰囲気のテーブルに、いくつかの料理と人数分の飲み物が並んでいる。
「あの…部外者が参加してしまってよかったんですか?」
「うふふ。大丈夫ですよ。お疲れ様会は自由参加の会ですから、お友達同士の飲み会のようなものです。サークル関係者というより、仲の良い人達が喋りたいから集まってるだけなんです」
白い腕がグラスを口に運ぶ所作から、彼女の品の良さが伝わってくる。照明に照らされて、艶々の漆黒の髪に天使の輪っかが描かれている。
触ってみたら実はそこに実体なんて無くて、そのまま彼女の体を貫いてしまうのではないか。雪よりもなめらかで白い肌が、信じられないほどの儚さと透明感をもってして彼女を人として存在たらしめていた。
「寧々さんは、すごく寛容な人なんですね」
「ふふ。やめてくださいよぉ。みんなで楽しく社会貢献出来たら幸せではないですか。やりたくない人を無理強いはしませんが、やってくれる方を止めたりなんて必要ありません」
青海大生のサークル長はそうやって、微笑んで見せた。可愛らしい笑顔に、思わず胸が跳ねる。私は女性、かつヘテロセクシャルだ。でもそんなのお構いなしに夢中になってしまいそうな破壊力がある。
こんな気持ちが明るくなるような笑顔を前にもどこかで見たような、不思議な気分だ。
「寧々さんってめっちゃサークルの人達に慕われてますよねー。一体どうやってるですか?教えて下さいよ~」
暫く他愛もない世間話を続けていると、顔を赤くした美來が私と寧々さんの間に割って入ってきた。
片手にはカクテルの入ったグラス。もう片方には唐揚げの刺さった箸。うん。合格だ。誰がどう見ても100点満点の酔っぱらいになっていた。
「もう酔ったの?お酒弱いのにペース考えないで飲むから…」
「えへへへ。だって美味しいんだもん。それに帰れなくなっても里香がお家に泊めてくれるもーん」
「一人で帰れないって言うから、仕方なく、私の家に連れて帰ってるんだよ」
甘やかしていたらすっかり味を占めてしまったようで、最早飲みに行くのと私の家に泊まることはセットにされている節がある。
「ごめんなさい。この感じだと美來が周りに迷惑をかけてしまうので、そろそろ帰ります。お代はお渡ししてしまってよろしいですか?」
「わかりました。私が預かっておきますね。お気をつけてお帰り下さい」
意識をうつらうつらとさせている美來を無理矢理椅子に座らせ、寧々さんお金を渡す。寧々さんはお金を受け取ると、慣れた手つきで何枚かの小銭を財布から取り出し、私に手渡した。「今日はお疲れ様でした。来てくださって助かりました」と頭を下げる彼女にこちらも言葉を礼を返す。
すべてが丁寧で上品な彼女はまさに人間の鏡だと思った。
帰り際、白くて細い指が私の袖をつかむ。急な行動に戸惑いながら立ち止まった私に、寧々さんは表情一つ変えることなく近づき。自らの顔を耳の傍に寄せてきた。
「こんなことを言っても詮無しとは分かっていますが残念です。里香さんとはもっとお話ししたいことがいっぱいありましたのに。そう、中学時代の事とか」
小さな子供が内緒話でもするかのように。ささやくような声音。
すでに別の人間に呼び止められている寧々の横顔が、視界の端に映り込む。寧々が背中を向ける寸前、黒い瞳だけが、私の方へと向けられた。
一瞬。目が合った彼女は、桃色の唇の端を上げてみせた。