3話:街角の公園
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覆いかぶさるコンクリートを何とか押し返してやろうと、黒くて固い地の上に芽を出す雑草。その成果か、寂れた通路の端は随分緑に浸食されてしまっている。若い学生達の喧騒から離れ、街角の小さな公園で私は昼休みを過ごすことを決めた。
スマホの画面にエルドラのアニメ配信を映し、コンビニで買ったサンドイッチを口にする。もちろんイヤホンは忘れない。
分厚い雲が太陽を遮るこの日は「そうだ、外でご飯を食べよう」なんて思う人も少ないようで、周囲に人影は殆どなく、時折公園を突っ切って近道をしようとする人が通っていくだけだった。
「お隣よろしいかしら」
アニメ音声の向こうに微かに人の声が聞こえて、イヤーピースを外す。
反射的にスマホの画面を黒くして、隣に目を移せば、白髪の女性が返事を待っていた。
「どうぞ、座ってください」
多分画面を見られた。決して公共の場で見るには倫理的に問題がある映像を視聴していたわけではないが、全く知らない他人に自分の本質に関わる部分を覗かれてしまったみたいで恥ずかしい。
サンドイッチも食べ終わり、そろそろ大学に戻ろうかと思っていたところだ。
私はすぐに立ち上がって荷物をまとめ、ご老人に席を譲った。
「待って下さらない。あなたと少しお話がしたいと思ったの」
年配の女性はベンチに腰掛けると、私に再び座るように促す。周囲を見渡してみると、ベンチは殆ど空いており、座る場所が欲しくて女性は私に話しかけたわけではないとわかった。
「私は立ったままで構いません。何かありましたか?」
「あなた。先月、救急車を呼んでくださった方でしょう?」
女性の顔を確認する。見覚えが有るような無いような。
救急車を呼んだ、というのは数週間前の事だろう。記憶の引き出しの奥で埃を被っている出来事を思い出す。
駅から学校に向かっている途中、壁に凭れ掛かっているおばあちゃんを見つけたのだ。その後は声をかけて、返事がなかったので救急車を呼んで…とした記憶がある。
そのような出来事に出くわしたのは何となく覚えているものの、助けた相手がどのような顔だったかかまでは記憶に無かった。
「ああ‼あの時のおばあちゃん。救急車に乗った後は大丈夫でしたか?」
「ええ。あなたが早く気が付いてくれたおかげで、今もすごぶる体調がいいの。感謝してもしきれないわ。あなたはすごく優しい人、神様みたい思ってるわ」
女性は黒い杖に両腕を乗せながら、顔をくしゃりと歪めた。
「誰だって同じことをしていました。大袈裟です」
「どうかしらね。道を歩くのに夢中で、アタシがふらふらしてるのに誰も気が付いていなかったからね」
どこにでもいる大学生を、きらきらした瞳で見つめてくる老人の姿に胸が苦しくなる。
私は決してそんな期待されるような聖人ではない。ただの偶然。それ以上の何でもない。
「お恥ずかしいことですが、私は言われるまで貴方を助けたことを思い出せませんでした。相手の顔を覚えられないような人間は、優しい人ではありませんよ。私はただの薄情者です」
「そうかもしれないわね。でも、私にとってはそうではないのよ。優しくされた人間は。いつまでも相手の事を覚えているものよ。優しくする側よりもずっと、相手の事をね」
重い瞼の下が、心根を見透かすように、頭から足のつま先までを見た。茶色いしみが張り付き、深い皺が刻まれた表情が何を語ろうとしているのか、私にはわからない。
何かお礼をしたいと述べる老人の気持ちだけを受け取り公園を後にする。
帰り際に言われた、「あなたは、あなたに助けられた人の事を忘れてばかりなのかもね」という言葉を耳が反芻し続けていた。