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8話:変化(4)

お読みいただきありがとうございます

 お手洗いを出てかなたが待つ場所に戻る途中、景色に違和感を感じて足を止める。


 ベンチに一人で座っている女の子がいる。


 多分親や兄弟と一緒に来ているのだろう、保育園の年長さんくらいの年頃に見える。そのぐらいの歳であれば、保護者が用事を済ませている間一人で待つという事は有りそうだが。

 なんとなくの予感でしかない。ただ予感だけど、楽し気な雰囲気の中に彼女だけが浮いているように私の目には移ったのだった。


「こんにちは。ここでママの事待ってるの?」

 髪を二つに結んだ頭を上げる事なく、少女は俯いたまま首を横に振った。

「じゃあ、パパと待ち合わせかな?それともお兄ちゃんやお姉ちゃん?」

 少女はさっきより大きな動作で否定を示して見せた。後ろでリボンのように結ばれたマフラーの先っぽがパタパタと左右に揺れる。

「もしかして誰かとはぐれちゃった?」

 少女は直ぐには答えを出さなかった。しばらくすると頭が少しだけ上下する。とても小さくだけど、少女が質問に頷いたことが分かった。


 少女の状況を理解した私はパンフレットを取り出し、迷子センターの場所を調べた。かなり入り口の方だ。かなたの待っている場所とはほぼ正反対にある。

 かなたに『もう少しだけ待ってて』とだけメッセージを送り、私はずっと地面を見つめたままの少女に向き直った。自分の胸の位置より下に頭がある。幼い女の子に私は手を差し出した。


「行こう。大丈夫すぐに会えるよ」

 一瞬小さな肩がびくんと震える。少女は花柄のロングワンピースを握りしめて、その場から動こうとしなかった。


「…………?」

 どうしたのだろう。

 顔を俯かせているせいで表情は分からない。けれど、少女がやけに体を硬直させているように見える。私は少女の全身を眺めた。


 ツインテールの結び目を飾るウサギのヘアゴム。日に焼けた小麦色っぽい肌。少しヒールのある赤いリボンのパンプス。


「ちょっとごめんね」

 私は少女の前にしゃがみ込み、下着が見えない程度に少女のワンピースをたくし上げた。

 赤色が滲んだ膝が目に入ってくる。スカートの影になっていてわからなかったが、よく見れば 足首周辺が若干腫れあがっていた。

 これは痛かっただろう。

 慰めの言葉を掛けようと頭を上げると、少女と初めて目が合った。

 俯くのをやめた少女は、自身の足を観察する私の事を、じっと見ていたのだった。

「お兄ちゃんとはぐれたあと、転んじゃったの………」

 大きな目に涙がたまっていく。

「そっか、痛かったね。我慢出来てすごいよ。係員さんの所に着いたら、治してもらおうね」

 こくりと頷いた少女を背中に背負った。








 迷子センターで怪我を説明していると、背後で扉を叩く音が聞こえた。係員さんが扉を開けると、ベットに座っていた少女は途端に嬉しそうな顔になる。


「お兄ちゃん!!」

「どこに行ってたんだ。心配したんだぞ…………ってどうしたんだその足!!?」


 直ぐに迎えに来てもらえてよかった。胸を撫で下ろしながら、私は少女の元に駆け寄ってきた男性の姿を見る。

 思ったことが口に出てしまっていた。

 長い睫毛に縁どられた綺麗な瞳。通った鼻筋。眼鏡をかけていても、ぱっと見で美形だとわかる。その顔はやはりアドニス様そっくりだった。

「…………安藤君」

 呟きは彼の耳にも届いたようで、私の存在に気が付いた安藤君は妹と一緒にこちらを見た。

「妹をここに連れて来てくださったんですね。ありがとうございます。不愛想な妹で、苦労をかけたと思います」

 美しい顔を申し訳なさそうに歪ませて、彼は私に頭を下げた。


 突如鞄から着信音と振動が聞こえる。誰からの連絡かは明白だ。思ったより長く待たせてしまっている。

 今朝のかなたの反応を思い出す。今の彼の心象もあまり良いものではないだろう。私は慌てて通知の溜まっているスマホを確認した。









 事情を伝えるとかなたは現在地の近くまで迎えに来てくれた。

 外に出ると、ほんの少し前まで明るかった空がすでに薄暗く切り替わっている。靄がかかったような光景。お気に入りの玩具に埃が被っていたみたいな。少し物寂しい気持ちになる。


 予想に反して、かなたの機嫌は全く悪くなかった。

 かなたは澄まし顔の軽く袖を上げると、自分の腕を顔の下で曲げる。色白の腕に巻かれた黒いベルトには、同じく黒色の文字盤が乗っかっていた。メーターもカレンダーも存在しないシンプルなデザインで、銀色の細い時針が淡々と夜の始まりを示していた。


 事のあらましを聞いている間、青年は頷くことも急かすこともなく、冷静沈着を保って横に座っていた。笑顔だと女性のように可愛らしい印象も受ける彼は、無表情だと硬質でどこか近寄りがたい雰囲気がある。

 墨よりもはっきりとした純黒が、早々と昇った月を映して、明りを灯す。


「里香は変わらないね」


 粛然とした風景に、小さな言葉が膨らんで弾けた。

 雪肌にそこだけ鈍く赤みを帯びた唇から呟かれるのは、文脈の外れた感想。

 正確な温度が感じられない不明瞭な形象がどう取っても私の目には奇妙に映った。意味ありげに細められた瞳は、目の前の友達にピントを合わせているようにはどういう訳か思えない。


「……かなたは」

 聞いて良いのか分からなかった。全生徒の思い出を余すことなく集めたはずの紙束に、彼の姿が影も形もなかったことを思い起こす。

 粒のような疑問が、彼に近づけば近づく程、際限なく大きくなっていいく。

 気が引けてしまうような出来事があったわけでも、彼自身に隠している素振りがあるわけでもない。けれど、いっそ疑問が投げられた際に片付けておけばよかったと後悔するくらいには、私の視界を霞ませている。


 お化け屋敷の中と違って輪郭から表情、呼吸まで全てがわかるのに、彼の実像を掴んでいるような気がしない。

「かなたはどうして私の事を知っていたの?」

 彼は謎めいた笑みを浮かべる。

「前に言ったじゃない。僕と里香は同じ中学に通ってたんだよ」

 事もなげに言ってのける彼の言葉に嘘があるようには思えない。かなたは小さく笑い声を零して、疑問を一蹴した。

「それとも、その上でどうして覚えているのか。っていう意味の質問?」

 言葉に詰まる私の様子を見てらしくないとでも思ったのだろうか。柔和な彼は私に助け舟を出す。肯定も否定もしないのを見て取ると、自嘲気味に笑った。


「ちょっとだけショックだったよ。優しい里香にとっては僕も景色の一部でしか無かったんだろうなって」


 突然の事だった。網膜に見覚えのない光景が映し出された。褪せたフィルムのような、色も形もぼやけた映像が再生される。






 -------------






「遅い。いつまで僕を待たせるつもりなの」

 扉を開けた先に立っていた短髪の少女。小柄な体格とぱっちりした目。童話の中のお姫様みたいに可憐だ。

「……君は誰?」

 つんとした様子の少女はこちらを振り向くと、ただでさえ大きな瞳を益々見開いた。





 -------------






 否、実際には見た事はあるのかもしれない。でもいつ見たのか、どこで見たのか、何故そんなことになったのか。

 経緯が何一つ紐づいていない。奥底に仕舞ってあった記憶の一辺のみを辛うじて引っ張り出したような、そんな感覚。


「里香?」

 静かに耳に入ってくる音に、現実に引き戻される。

「………かなた」

 黒髪の青年は膝の上で遊んでいた腕を掴み、私を引っ張り上げた。

「気にしなくていいよ。君のそういう所が僕は好きなんだ」

 至って真面目な顔のまま、かなたはそう口にした。気にしないで良いと言ってくれる辺り、本当に優しいなぁと思う。覚えていないのが申し訳ない。悪いのは間違いなく私なのに。大袈裟に褒めてくれるのも気配りに溢れている。

「かなた。最後にあれ乗らない?」

 自分を掴む腕を解き、その腕を握り返した。

 かなたは小さく頭を振って、肌に張り付いた髪を振り払う。その表情がどこか戸惑っているように見えた気がした。







 風に煽られても傾くことはなく、金属の球体は細微な揺れを伴って上昇する。環状のレールを辿ってゆっくりと、私達は人の群れから乖離された空中へと引き離される。

 直ぐ近くにあると思われていた空は想定よりもずっと遠く、ゴンドラが赤みを帯びた雲を切り裂くことは無い。とはいえミニチュアサイズの町を展望し一日を振り返るには十分な高さがある。

 分厚いガラスに指をくっ付けて子供のように目を輝かせる友達の後ろ姿を、私は幸せな気持ちで見守った。


「かなたってもしかしてさ」

 邪魔を入れることになるだろうと思いながらも、ふわふわとした頭に声を掛けた。かなたは視線だけをこちらに移すと、殆ど息だけの音で「何?」と短く返事をする。

「遊園地に来るのは初めてなの?」

 彼は少し間を置いてから答えた。


「うん。まあね」


 観覧車に乗っている間にも段々と時間は夜へと歩み寄っていく。

 日は遠くの方で橙に光っているだけになって、大部分は群青とも黒とも言えない闇に覆われた。ぼんやりとしていた月が輝きを放ち始め、仄かに原色を塗した光の粒が、粛々と寒空を彩った。


「子供の頃はずっと病室にいたから、外に出る機会が殆ど無かったんだよね」

 ゴンドラが円の最も高い部分に差し掛かる。彼は真下の建物を見つけて、懐かしそうに眼を細める。


「今日は里香と一緒に遊べて、すごく楽しかった」

 満面の笑みを見せる彼は、夜空に浮かぶどの星より輝いているように私には思えた。


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