望月の夢
望月の夢──満月の晩、一度だけ、死者と心通じたものは、死者に逢うことが叶う。
いつからか、校舎の屋上への扉は閉ざされている。鍵がかけられていて、自由に出入りすることはできない。
ウワサでは、事故・自殺防止のためらしい。
すでに下校時刻は過ぎている。夜の帳が下り、校門も閉ざされていた。
ユウジは制服姿で、扉に背を向けて座っていた。鍵のかかった扉の向こうは屋上だ。
膝を立てて、その上に腕を組み、額を乗せている。疲れきった蒼い顔をしている。
ため息をひとつ。
それから、つぶやいた。
「いじめられていたんだな」
頭を上げて、腕にアゴをつく。
「何で言わなかったんだよ」
ユウジは力なく言った。
目の前にある階段の下に、制服を着たミナが立っていた。窓から丸い月明かりが差し込んでいる。ミナの前に影が伸びていた。目が、潤んでいる。
「オレじゃ、頼りなかったか?」
ユウジの言葉に、ミナは黙って首を振った。きゅっと唇を結んで、ユウジを見上げていた。
ユウジは唇を噛んだ。
振り返れば、思い当たることがいくつもある。
ミナが上履きのまま下校したのを見た。忘れ物が増えて、物をよく借りに来ていた。それは、靴や教科書を隠されたり、捨てられたりしていたせいなのだろう。
「死んでから気付くなんて、頼りにならないよな」
深いため息をついて、ごめんとつぶやいた。
ミナは悲しそうな目を向けて、じっとユウジを見上げている。
明るい月の光が、ミナに降り注いでいた。今にも消えてしまいそうなその頼りない姿に、ユウジは涙ぐんだ。
涙がこぼれるのをごまかすように、腕に顔を押し付けた。
「幽霊なんて、信じてなかったけど……望月の夢って本当にあるんだな」
ミナはそっと階段に足をかけた。
忍ばせた足音が、二人の間に反響した。
ミナの気配を感じて、ユウジは顔を上げた。目の前にミナが立っている。目に、いっぱい涙をためて。
「そんな顔、するなよ」
ミナの唇が震えている。涙を必死にこらえていた。
「望月の夢、ロマンチックだって、言ってたろ?」
ユウジは立ち上がった。目が赤い。
「オレさ、おまえが好きだったよ」
まばたきをしたミナの目から、涙がこぼれ落ちた。 涙の雫が床に散る。ミナは目を閉じて、うつむいた。
思わず、ユウジは目を逸らした。ミナの泣き顔を見るのは、つらい。
「ごめんな、何もしてやれなくて」
ユウジの言葉に、ミナは首を振る。
「なあ、おまえはオレのこと、どう思ってた?」
ミナは震える唇を噛み、涙をこらえようとした。こらえきれない涙が、リノリウムの床を濡らす。
「ミナ」
顔を上げたミナは、手で口を覆った。
涙をこらえようとすればするほど、涙はあふれ、嗚咽が漏れそうになる。
「ミナ、聴かせて」
ミナは首を振った。まばたきをするたびに、涙がこぼれる。
「オレたち、通じ合ったから逢えたんだろ?」
小さく、ミナは頷いた。
「ちゃんと聴かせて」
ユウジは涙に濡れたミナの頬に手を伸ばす。その手は幻を前にしているようにミナに触れることができなかった。
「守ってやれなかった、罰、かな」
ミナは大きく首を振る。
「オレのこと、恨んでる?」
ミナは感情を押し殺すように口に手をあてたまま、首を振った。
「じゃあ、聴かせて」
ミナは大きく息を吸って、肩を震わせた。ゆっくりと息を吐き出し、真っ直ぐにユウジの顔を見上げる。
ユウジは目に涙を浮かべていた。月光を受けて、輝いている。
「あたしも、好きだよ」
「よかった」
ユウジは嬉しそうに笑った。一筋、涙が頬を伝う。
ミナはユウジを抱きしめたかった。けれど、もう手が届かない。
ユウジは霧が晴れるように、月光の届かない夜の闇に消えた。
望月の夢──満月の晩、一度だけ、死者と心通じたものは、死者に逢うことが叶う。ただし、生者が言葉を発したとき、死者は黄泉へと帰る。
たまにはロマンチックなお話を書いてみようと思い、書いてみました。
できれば、もう一度読んでいただけるといいなぁと思います。
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございます。