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料亭の会合

「失礼致します。大御番頭の榊原様がお見えです」

「ここへ、お通ししてくれ」

 一瞬、暗い表情を見せた彼だったが、そう言って席を立ち、それまで背にしていた床の間を正面にして座り直した。そしてちょうど隣になった私の方を向いて、少し驚いた顔をした。

「美菜殿。こういう時、女子(おなご)は席を外すものだ」

「え、そうなの。なら早く言ってよ」

 ため息がちに言われたって、仕方がない。後から来たお客さんをここへ通せって言ったのはそっちじゃないかと、心の中で反論する。でも、この時代では当然のことかもしれない。郷に入っては郷に従え、という言葉を思い出して、大人しく部屋から出ることにした。


 翌日、元の時代に戻る方法がわからない私を、市右衛門は町に誘ってくれた。景色は全然違うけれど、久屋通に大津通、伏見通といった名前は同じで、位置関係が、何となくわかる気がした。でも、特に賑わっているのは本町通。とても手が出ないような着物を扱う呉服屋なんかが、軒を並べている。ふと私の目に、見慣れた看板が飛び込んできた。老舗の和菓子屋さんだ。確か現代(いま)でも、本町通に本店があったはずだ。

「何だ、菓子が食いたいのか。これだから女子は……それで、何がいいんだ」

 店の前で思わず立ち止まると、市右衛門が中に入ってしまった。この時代でも、女の子は甘味好きなのかもしれない。

「この店、知ってる」

 正直どっちでもよかったのだけど、せっかくなので頂くことにした。ここなら、絶対美味しい。

「お城の御用達だしな。知らないのは余所者……そなたが、知っているというのか」

「ええ。さすがに、お店の様子やお菓子は違うけれど。でも、間違いないわ」

 確かに、名古屋に住んだり通ったりしていれば、知っていて当然のことは多い。でも、一四〇年という時を隔てても、同じように知っていることなんて、そんなに多くはないだろう。私は少し嬉しくなって、顔を綻ばせる。すると市右衛門もまた、笑顔になった。

「そうか、やはり誘ってよかった。沈んでいた様だからな。帰る術がないのだから、当然とは思うが」

「ありがとう。でも市右衛門だって、昨日お客様が帰られてから、ずっと難しい顔で考え込んでたじゃない。どうしたのよ」

「昨日お越しになったのは上役のお方だ。お役目のことだから、大事ない」

 そう言って再び彼が見せた笑顔は、微かに引きつって、不自然なものだった。


 日が落ちた頃、市右衛門は仕事だと言って、家を出た。私は女中さん達が止めるのも聞かず、後をつける。後ろから男が追いかけてきて、よく見ると、昼間に庭で見かけた人だった。馬場家の下男だという。止めても無駄なら、せめて護衛をさせてくれと言われ、渋々承知した。

 道にはネオンも街灯もないけれど、意外に月が明るい。星もよく見えて、満天とはこのことかと思う。そんなことを考えて空に見惚れていたら、市右衛門を見失ってしまった。どうしようかと思って周囲を見渡すと、角の向こうから人の声が聞こえてきた。

 声のする方へ曲がると料亭があって、見覚えのある背中が門をくぐった。とりあえず裏口に回ると、躊躇う下男を無理矢理引き連れ、隙をついて中庭に入り込んだ。

 本当は、下手に素人がやらない方がいいんだろうなと思いながらも、気になってしまったのだから仕方ないと開き直る。私は身を隠しながら、あれだけのお屋敷に住んでいるのだから、きっとVIP扱いに違いないと踏んで、奥の部屋を目指して進んでみた。


 華やかな声がした。一つの部屋から大勢の芸者さん達が出てきて、より年配の二人だけが、障子の前に座った。その二人は多分見張りなんだろう。これから、重要な機密が話し合われるに違いない。障子の向こうに映る人影はかなり多く、立ち姿が袴の形をしているから、武士の集団かと推測する。

「では、既に吉田殿は都に着いておる頃か」

「斯くなる上は、一橋様にお縋りする他は……」

「しかし一橋様とて、伊予守(いよのかみ)殿と同じく江戸におられる故、」

 微かな話し声が聞こえた。そのうちの一つが、市右衛門の声に似ている気がして、もっと近付こうとした。その時……

コホン。芸者の一人が、咳払いをする。次の瞬間、部屋から一斉に人が出てきた。

「何奴っ」「曲者か」

 あまりの気迫に、好奇心だけでここまで来たことを、心底後悔した。太平の世で武士が(なま)っていたなんて、絶対嘘だと思う。少なくとも尾張の家臣団は、日々鍛錬に励んでいるに違いない。


「ちょ、ちょっと痛いっ。放してよ」

 隠れていたのを見つけられ、下男共々引きずり出された。同時に、擦れて間の抜けた声がする。

「お、お前は……それに、美菜殿……なぜ、ここへ」

「市右衛門があんまり思い詰めてるから、心配でつけてきたのよ」

 彼が、いた。顔を見た安心感からか、体の力が抜けそうになるのを、どうにか押し止める。

「お主の知り合いか」

「申し訳ございません、榊原様。縁あって、我が家に逗留中のお客人です」

 恰幅が良く、やたらと貫禄のある人物に尋ねられた市右衛門は、かなり微妙な表情で答えた。この人が榊原様という、彼の上役らしい。

「まさか、監察などということは……」

「それは、有り得ません」


 目付きの鋭い長身の男に睨まれた私は、疑いを全否定してくれた市右衛門の言葉に感動した。しかし次の瞬間、それはあっけなく崩れ去った。

「監察にしては、彼女は余りに不器用過ぎます。いかに良家の子女といえど、着替えることくらいは、一人でできるでしょう」

 何なのよ、その誤解を招く発言は。私は着物が着られないだけで、洋服だったら当然、普通に着られる。でも、ここでそれを言っても意味がないし、身の安全のためには黙る他ないと判断した。

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