旅に出る前に
『旅に出る前に』を書いていて、間違いなく『彼女たちとの関係と決断』は書き直すことになりそうだと思いました。
モチベーションも上がらないので、多分だいぶ先だと思いますが…。
ユウジの決断は、心の奥底で求め続けていた安寧の日々からきている。常に血なまぐさい闘争を余儀なくされる日々よりは、何のしがらみもなく旅をする方が楽だ。
そうと決まれば即行動である。
ユウジは勢いよく立ち上がり……。
「旅に出るのはいいけど、怪我。治したら?」
ふと、ユウジは自身の状態を確認する。潰れた片目に火傷に、小さなガラスの破片があちこちに刺さっている。
どう見ても満身創痍だ。そう自覚すると、不思議と痛みが増してきた。
「……そうだな」
「馬鹿なの? ……アスタルテ!」
熊を背に動物たちに囲まれてうとうとしていたアスタルテは、アナトの呼び声にハッと目を覚まし、のろのろ近寄ってきた。
「……どうしたの?」
「こいつ。治療してあげてくれる?」
「分かった。こっち来て」
「……」
目をこすりながら家の中へとのろのろ歩くアスタルテに、ユウジはついていった。
一人、残されたアナトはどさりと椅子に座り込み、溜息を吐く。
「旅ね……」
今までこの場所で過ごしてきたアナトには、彼女の生みの親であるユウラが残した、この世界の知識がある。
だが、今までそれを確かめたこともなければ、確かめようと思ったこともない。特に感じたことのない感情が彼女の中に生まれる。
「案外、面白いかもしれないわね」
今、彼女の中に好奇心が芽生えた。
家の中では、アスタルテがユウジの治療をしていた。
空中に発生させた水を、彼女は意のままに流動させ、纏わりつかせるようにユウジの身体を洗い流している。
「それは魔法というやつか?」
「何それ」
「……まぁいいか」
ユウジは特には突っ込まなかった。ここは異世界である。そういうこともあるだろうと、自分を納得させる。
一通り、汚れや破片なども洗い流した後、アスタルテはジェル状の液体をユウジの身体に塗り始めた。
「冷たいな」
「火傷に効く。私が作った」
「そうなのか。すごいな」
「そうでもない」
と言いつつも、アスタルテはふふんと自慢げな顔をする。
ユウジは背中を向けている為、彼女の顔は見えないが、雰囲気で察した。
ジェル状の薬を塗られている間も、ユウジは首を回して家の中を物色した。
外とは違って意外と清潔に保たれているのがわかる。それに本棚がいくつも置かれており、何百という本が置かれている。
旅に出る前にユウジがするべきことは幾つかある。その中でも一番重要なのは、この世界の知識を得ることだ。
村や、都市や、国の場所に。どのような人間、人種がいてどのように暮らしているのかは最低限知っておきたい。それに加えて、自分の知らない危険生物などの対処法も知っておくべきだろう。
そして、それらの情報が集まってくると、次に重要になるのが『果たして、何処へ行くのか』ということ。
あてのない旅など旅ではない。それはただのサバイバルだ。
行き先を決め、その土地の歴史や自然、文化に触れて、他の土地との差異を楽しむのが旅というものである。
であれば、これだけ資料があるというのはユウジにとってはありがたい話である。
「気になる?」
ユウジの視線に気づいたアスタルテは首を傾げた。
「後で読ませてもらってもいいか? 何か必要なら、できることはする」
「アナトに聞いて」
「分かった……」
ユウジは何となく釈然としない気持ちになった。
アスタルテの治療が終わった後、三人はお互いが過ごしてきた日々など、他愛ない話をして過ごした。
それからユウジはアナトに許可を取り、今は本を読み漁ってこの世界の知識を得ることに集中していた。
「何かわかった?」
辺りも暗くなり始めた頃、アナトは壁掛かりの蝋燭に火を灯していく。
揺らめく光がユウジの広げた地図を照らした。
「ひとまず、現在位置と行き先は決まったな」
ぴたりと指先を当てるその場所には、森を示す記号とバツ印が記されていた。
それは現在位置。彼らの今いる場所は、文明圏より南に位置する未開拓の大きな森の中であった。
そこから北上していくと三つの主要国と小国家群が存在している。
その中でも一番近いのは『プロフィティア』という国だ。
「正直、この地図が作られた年代が分からない。だからもう滅んでいる可能性もあるが、北上していけばとりあえず人はいるだろうな」
「ふーん、そう。どんな場所なの?」
「行ってみないことには……。その手に関しての知識は本にはまったくのってなかったからな。有用そうなのはこの地図と生物図鑑ぐらいか……」
ユウジはため息を吐いた。大量の本を読んでいくうちに、驚いたのはその情報の少なさだった。最低限の地図などはあったが、本の多くは恐らくユウラが残した研究成果であり、残りはそれに関連する資料だった。この世界に関する情報はまったくと言っていいほどなかった。
再び、ユウジはため息を吐く。母親であったユウラは間違いなく世情に疎い研究馬鹿だったということだ。
ユウジはすやすやと寝息を立てるアスタルテを、ふと見た。
「マイペースだな」
「この子はね。いつもそうよ。まぁそんなところが可愛いんだけど」
そう言って、にっこりと笑うアナトはアスタルテの眠るベッドに腰かけ、眠り姫の頭を撫でる。アスタルテは、ユウジの治療の後、外に出かけ、帰ってきたと思ったらすぐに寝てしまっていた。
アナトは、そんなアスタルテが可愛いようだ。素敵な姉妹愛である。
「私も眠くなってきたし、そろそろ寝たら?」
「そうだな。そうするよ」
ユウジはそう言って家の外へと出ていった。別に追い出されたわけではない。気を遣いユウジ自らが率先して外で寝ることにしたのだ。
外へ出た後は、近場の大木を登って、枝をベッド代わりにする。今まで散々、細い鉄筋の上で寝ていたこともあり、今更バランスを崩して落ちることもない。
そして、ユウジは浅い眠りについた。