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前篇

※和モノテンプレ企画参加作品です

※三編構成の短編です

※飯テロ描写が含まれております。空腹時の閲覧はお腹が空く可能性がございますので、くれぐれもご注意ください。

「……んっ」


 窓も無い石造りの部屋、その中央にある帳の中で、夜着を纏った女が艶めかしい声を上げた。


「……んんっ」


 女が再び身じろぎ、そしてうっすらと目を開く。

 どうやら目覚めの時が来たようだ。

 女がゆっくりと身体を起こすと、燃えるような銀朱の髪が腰へとたなびく。

 そして前髪を掻き上げれば、漆黒に染まる大きな二本の角がその姿を覗かせた。

 

 異形なれど美しい姿を持つ彼女の名は、人呼んで“朱夜叉(あけのやしゃ)の眠り姫”。

 人里離れた山奥に住まい、普段は長き眠りについている一人の鬼姫である。


(ふむ、目が覚めてしもうたか。仕方がない、起きるとするかの……)


 (しとね)の中央に陣取った彼女が、固まった体をほぐすようにゆっくりと首をひねる。

 続けて肩や腕も回してひとしきり筋をほぐすと、外界へと通じる扉の外に向けて朱夜叉が呼びかけた。


「誰か。誰かおらぬか?」


 部屋の中に声が跳ね返り、やがて再び静けさが戻る。

 ふぅとため息をついた朱夜叉がもう一度呼びかけようと息を吸ったその時、扉の向こうから低く太い声が返された。


「お待たせ申した。右がおりまする」「左もおりまする」


 全く同じにも聞こえるその声の主は、二人一対の護鬼、右衛(うえい)左衛(さえい)だ。

 古の時代より常に従い、自らが眠りについている間も寝所を守護し続けてきた側近に、朱夜叉が言葉をかける。

 

「うむ、ちと目が覚めた。先に湯浴みをしたい。早速仕度いたせ」


「さすれば、右が湯の泉を汲み上げてまいります」「左も仕度を進めます故、姫様はどうかこちらでお待ちを」


「分かった。早ういたせ」


「「直ちに」」


 短い返事と共に、扉の向こうにあった二人の気配が瞬時に消え去った。




―――――




「ふう、良い湯であった。やはり湯浴みはこの湯の泉に限るな」


 風呂から上がった朱夜叉は、仁王立ちのまま一糸まとわぬ姿でそうつぶやいた。 

 鬼と言えども朱夜叉は女、二人の護鬼のように筋骨隆々という訳ではない。

 それでも四肢に一切の無駄なたるみはなく、しなやかさと力強さを兼ね備えた筋肉が全身を覆っている。

 その均整のとれた美しさが、ほんのりと紅を差した肌と相まって彼女の全身を輝かせていた。


 朱色の艶やかな浴衣をさっと羽織ると、腰紐と帯をシュルッと巻きつけ身支度を整える。

 そして、小指の先で紅をほんの僅かすくうと、すっと唇に引いた。


「さて、そろそろ支度は済んでおるかの……」


 朱夜叉が艶やかな紅色に染まった口元をニヤリと持ち上げる。

 長き眠りから覚めた後、風呂に入って身体を清めたら、楽しみは一つしかない。

 濡れた髪をさっと後ろに流すと、実に楽しげな雰囲気をかもしながら自室へと向かっていった。


 部屋に戻ってしばらく火照った身体を冷ましていると、扉がコンコンと鳴らされた。

 朱夜叉は扉を一瞥すると、扉の外へ声をかける。


「入れ」


 その言葉を合図に、扉がギギギーっと開かれる。

 入ってきたのは、もちろん右衛と左衛の二人。

 少し緊張した面持ちで主の下へと向かうと、片膝をつき、頭を垂れた。


「姫様、久方ぶりのお目覚め、我らお待ち申し上げておりました」「湯加減はいかがでございましたでしょうか?」


「うむ、実にさっぱりした。程よく温まったおかげで、強張っておった筋も柔らかくなったようじゃ」


「それは何よりでございました」「久方ぶりの湯浴み、さぞや心地よいものであったかと」


 主の言葉に、右衛も左衛もほっと息をつく。

 どうやら従者としての最初の役目は、無事に果たせたようだ。

 その様子に、朱夜叉もまた満足げに頷きながら次の指示を出す。


「さて、一心地つけば、腹が減るのが道理というもの。お主ら、もちろん“いつものもの”の支度は済んでおるのであろうな?」


「ははっ。万事抜かりなく」「既に準備万端整っておりまする」


「そう畏まることはない。それよりも早う持って参れ」


「「ははっ」」


 短い言葉を返した二鬼が、一瞬にして主の前から姿を消す。

 半拍の間の後にバタリと扉の音がしたかと思うと、その数瞬後には手に大きな荷物を抱えた状態で再び主の前に姿を現した。

 

 右衛が運んできたのは、漆塗りの大きな盆皿。

 その上にうず高く積まれているのは、丸く結ばれた大きな握り飯(おにぎり)だ。

 天井に届こうかと見まごうばかりに山と積まれた握り飯には一つ一つ丁寧に海苔が巻かれ、甘い香りを含んだ湯気を辺り一面に漂わせている。


 一方、左衛が運んできたのはまるで樽を思わせるような大きな檜の桶。

 同じ檜で出来た蓋がかぶせられている所を見ると、どうやらこちらは樽と呼んでも全く差し支えない特大の飯櫃(めしびつ)のようだ。

 蓋の上には、塩の入った壺や海苔も用意され、さながら炊き出しのような光景である。


 握り飯は主の前へ、飯櫃は自分たちの間へと用意すると、支度を終えた二人が再び主の下で跪いた。


「お待たせ申した。握り飯にござります」「握ったものを五升、飯櫃にも五升、合わせて一斗きっちり用意させて頂き申した」


「うむ、これじゃこれじゃ。では、早速いただくとしようかの。まずはコイツからと……」


 手際よく用意された“いつものもの”を前に、朱夜叉が満面の笑みを浮かべる。

 そして、山盛りになった握り飯(おにぎり)から一つを選び取ると、大きく口を開いてかぶりついた。

 

 炊きたての米から放たれる香気は鼻孔をくすぐり、ほんのりとした温かさが口の中にじんわりと広がってくる。

 そしてその後を追いかけてくるのが米の甘味だ。

 噛めば噛むほどどんどん溢れ出してくる米本来の甘味は、握り飯にほんのりとつけられた塩味によりいっそう引き立っている。

 周囲にまかれた海苔から感じられる海を思わせる香りと旨味もまた極上だ。

 

 一つ目の握り飯をあっという間に頬張ると、朱夜叉は暫し目を閉じて瞑想にふける。

 やがて再び目を開くと、猛然とした勢いで手を握り飯の山へと伸ばし、そして次々に口の中へと放り込んでいった。


 すると右衛と左衛が、鏡写しのような動きでねじり鉢巻を素早く額に巻きつける。


「では我らも参るぞ。左の、支度は良いな?」「うむ、右の、しかと参る!」


 二人は声を掛け合うと、巨大な飯櫃を挟んで向かい合い、こちらも猛然と手を動かし始めた。


 手を軽く塩水に浸してからパンと鳴らし、右手でお櫃の中の米をすくい上げる。

 そして両方の手を一瞬合わせ、そしてそのまま二度三度と重ねあわせると、あっという間に丸くふんわりと結ばれた飯玉が出来上がった。

 それに手早く海苔を巻きつけ、裏返したお櫃の蓋の上に積み上げていく。

 その光景は、まるで二人の手の中から握り飯が次々と飛び出していくようだ。


 握り飯が新たな山を築き上げていく一方で、朱夜叉もまた一心不乱に握り飯を口へと放り込んでいく。

 傍目から見れば、食べているというよりは『呑込んでいく』といった方が正しそうにも思えるが、彼女は彼女の調子でしっかりと握り飯を噛み締め、そして味わっていた。

 そうこうしていると朱夜叉の前にあった握り飯の山はあっという間に姿を消す。


「次はこれで良いのか?」


「ははっ!!」「今そちらに!!」


 左衛が飯櫃の蓋の上に積み上げた握り飯を朱夜叉の前に差し出すと、先ほどの勢いのままにどんどんと山が小さくなっていった。


「すぐ次が来る、急ぐぞ!」「分かっておる! 次はあちらの皿へ!」


 右衛も左衛も一層早く手を動かし、飯を握り続ける。

 しかし、二人がかりで握っていても、朱夜叉はそれを上回る速度で握り飯を喰らっていった。

 次々と補充し続けているはずの握り飯の山の高さも、見る間に下がっていく。


「左の!このままでは!」「分かっておる! もう一息じゃ!」


 笑みを絶やさぬまま、まるで吸い込むように握り飯を食べ続ける朱夜叉。

 その横で、護鬼たちは最後の力を振り絞って握り続けた。


 やがて飯櫃は空となり、二人の従者の手が止まる。

 その時、皿の上にはたった一つの握り飯を残すばかりであった。

 

「なんじゃ、もう最後か」


「ひ、姫様……」


 息も絶え絶えに右衛が言葉をこぼす。

 続いて左衛が、限界まで稼働させた腕をさすりながら姫に願い出た。


「も、もうご勘弁を……」


「ふぅむ、仕方がないの。まぁ、小腹は満たせた(・・・・・・・)から良しとするかの。うむ、旨かったぞ」


 最後の握り飯も一瞬のうちに食べ尽くした朱夜叉が、従者たちを労わるように優しい視線を送る。

 それに対し、右衛も左衛も揃って肩で息をしながら、言葉をもって主に応えた。


「さすがは姫様、相も変らぬご健啖。その奈落級の胃袋はご健在ですな」


「全てを呑み込む炎熱地獄の火口のように何もかも喰らい尽くすその様、お見事でございます」


「ぬぅ、右衛も左衛も、主に対してなんという言い草じゃ。そこまで言っておらぬ。ただ、少しばかり(・・・・・・)腹が減っておっただけじゃ」


 少しばかり恥ずかしいのか、朱夜叉がぷいっと顔をそむける。

 しかし、二人の従者の言葉はとまらない。


「本当に些少でござりますか?」

「百年余り前のように米一俵丸ごと喰らうおつもりだったのではございませぬか?」


 突き付けられた古い証文に、朱夜叉が眉をひそめる。


「わ、分かっておるわ! しかし、小腹が満たされたとはいえ、まだ握り飯しか食うておらぬな……。そうじゃ! せっかくじゃから、今の日の本で最も美味とされているもの、それを食いに行こうではないか」


「そ、それでは里へお目見えになると?」

「よもやとは思いますが、里の全てを喰らい尽くすおつもりではござりませぬな?」


 主の言葉に、右衛と左衛が慌てふためく。

 しかし、左衛の言葉は少々主の癇に障ったようだ。


「左や、我とていつも量ばかり求めておるわけではないぞ。さて、我がそう思うのなら、鬼は急げじゃな」 


「ははっ。さすればお仕度を」「里へと向かうためのお姿へと」


「うむ。いつもので良いな?」


「「御意に」」


 主の言葉に、従者二人が背を向けたまま首を縦に振る。

 その言葉に頷いた朱夜叉は、すっと目を閉じ、胸元で両手を合わせ印を結んだ。


『天・元・行・躰・神・変・神・通・力!』


 九字を唱えた朱夜叉の姿が光に包まれる。

 そして、ほどなくして光が納まると、そこに現れたのは一人の“人間の娘”の姿であった。

 

 娘は艶やかな朱色の(うちぎ)の裾の壺折って纏い、美しい黒髪に、まだわずかに幼さを残した面持ちをしている。

 変化の術により“人間”の姿を変えた朱夜叉は、袖を持ち上げて自身の姿を見定めながら、従者にも語りかけた。


「ふぅむ……、やはりこれがしっくりくるの。どうじゃ?」

 

 その呼びかけに、片膝をついて控えていた二人の護鬼が、娘の姿となった主を見据える。

 

「実に雅なお姿でござります」「どこをとっても非の打ちどころがございませぬ」


 身近な側近からの賞賛とはいえ、容姿を褒められれば自然と心が弾む。

 朱夜叉は、口角を持ち上げながら話を続けた。


「では、お主らも早う仕度いたせ」


「「ははっ」」


 主からの申しつけに短く答えると、左右に並んだ護鬼もまた印を結び、変化のための九字を唱える。

 それを静かに見守りながら、まだ見ぬ美食に心を馳せる朱夜叉であった。


※中編に続きます。


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