塩と鉄
パチパチと火の弾ける音を聞きながら、レイは目の前の情報に全神経を集中させる。そこには串に刺された肉がメラメラと燃える火に炙られていた。
ここで語る事では無いかもしれないが、実はこの肉、ウルフの肉では無い。これは地下塩湖に向かう途中、レイに襲い掛かってきた赤い角を生やした獅子の魔物の肉だ。
レイが秘密基地に帰る途中、まるで狙ったかのように目の前に落ちて来たのだ。それを見たレイはこれ幸いにとその魔物の死体を【アイテムボックス】に入れて持ち帰って来たのだ。どんな味がするのかは分からないが、少なくとも殆どが筋張った部分しかないウルフの肉よりはマシだろう。
そう思って秘密基地に着いて、早速その魔物を解体してみた結果、何とウルフの肉とは比べ物になら無いくらいに脂の乗っている実に美味しそうな肉が取れたのだ。
量的には本の数食分くらいしか無いが、それでもこの異世界初の塩焼きで食べる肉としては申し分無い。
炙られてその身から溢れ出す肉汁はレイの口の中を唾液で満たさせ、そのレイは肉が程良く焼ける時は今か今かと片時も目を離さずに見つめていた。
そして遂に、レイは一本の串を引き抜いた。火から離しても尚ジュウジュウと音を立てる肉は、その肉の味への期待をより大きくしてくれる。【アイテムボックス】から塩のブロックを一つ取り出し、土魔法を使って塩を削り取って肉の上に振り掛ける。
ゴクリと喉を鳴らし、意を決して肉に嚙り付いた。ウルフの肉のような硬い食感では無く、脂の乗った柔らかい歯触りの肉を食い千切り咀嚼する。舌に伝わるのは脂の甘みと、そして苦労して手に入れた塩の塩辛さ。ウルフの肉とそれだけしか違わないというのに、その満足感は圧倒的であった。
何度も噛んで味わい、肉の食感が無くなった段階で漸く飲み込む。食べていた肉と塩の栄養素が、胃を通して熱となって身体中に染み渡る様な感覚がする。
「うんめぇーーーーー!」
心から溢れた叫びが、秘密基地の洞窟の中で反響する。煩そうに耳を塞ぐ精霊達の事など一切気にせず、直ぐさま次の串に手を伸ばし、次々と胃の中に入れて行く。食べれば食べる程よりその味が欲しくなり、止まるどころか食べるペースは速くなり、比例して肉の山はどんどん消えていく。
そして気が付けば、軽く山が形成されていた肉の山は綺麗サッパリ無くなっていた。しかしそこに悲しさは無く、あるのは腹から伝わって来る多大なる満足感と幸福感だった。
「ふぅ〜。食った食った。中々良い食事だった」
「そんなに違う物なのか?」
「全然違うな。雲泥の差だ」
「ウンデイ?」
「雲と泥、つまり地面を揶揄していて、途轍も無く差が大きいって事を表してる」
これ程までに調味料のありがたみを感じる事はそうは無いだろう。地球では余程の貧乏で無い限り、大抵の調味料は簡単に入手可能だ。言ってしまえば携帯やゲーム等の電子機器の方が高い。
ビバ調味料。お前の居ない生活なんてもう考えられない。レイは内心で手に入れたばかりの塩をこれでもかと賛美した。
(この調子で、何時かは大概の調味料は揃えられるようにしよう)
レイの未来に光が差した気がした。
ーーー
それからと言うもの、レイの食生活に潤いが増した。普段は家でお世辞にも美味しいとは言えないスープや麦粥を我慢して食べ、夜中になると秘密基地周辺にて狩った獲物を捌いては塩を使って食べる毎日が続いた。まだ塩だけであるが、それでも家で出される粗末な野菜の味が溶け込み、使われているのかも分からない少量の塩を使用したスープや、塩どころか麦の味しかしない麦粥よりは断然マシだった。
最近では襲って来るウルフは毛皮のみを剥いで、肉の方は森の奥の方に生息している魔物や、極稀に見掛ける鳥等を仕留めてはそれを塩焼きにして食していた。更にフラム達から精霊でも知っている食べられる野草や薬草、木の実や果物を教えてもらい、それを収集しては食事に色合いを足して行った。
最早食に困っていたレイはもう居ない。ここに居るのはその辺の村の村長でも食べられ無いであろう食事を摂るグルメなレイさんなのだ。
本来ならそれを両親や妹のユニスにも食べさせてやるべきなんだろうが、今だ両親からは森へ入る事を禁じられ、下手に食材を持って行ったら森へ入った事がバレてしまう。その上まだ五歳の子供が中級魔法を用いて森の魔物を狩り、更に村にとっては貴重な塩を大量に入手したとなれば、確実に村人達の恐怖を煽る事だろう。【恐怖を煽る闇衣】要らずだ。
そして異端視された子供が辿る運命など火を見るよりも明らかだ。下手すれば家族全員が巻き込まれる可能性すらある。だから黙っているのだ。
というのは表向きな理由だ。本当の事を言うと、レイはそんな結末になるとは思っていない。予想しているのだもっと酷い結末。そう、両親がレイを見捨てるという結末だ。
五年間も育てて貰っておいて酷い言い草ではあるが、レイは未だ両親の事を信用した訳では無い。両親の顔を見ると、どうしても前世の両親の顔が脳裏にチラつくのだ。自分に笑顔を向けていた両親の顔も、そしてその笑顔が冷たい蔑みの目線に変わった時の顔も。
だから信用はしない。怪しまれないように多少利発な普通の子供を演じつつ、いつ裏切られても良いように、そして切り捨てられても良いように準備をする。
またユニスにも教えないのは、子供の口が氷よりも良く滑る事を知っているからだ。人の口に戸は立てられぬとは言うが、子供のそれは輪を掛けて酷い。たった一人におしえた秘密が、次の日には学校中に知れ渡っていたなんて事すら有り得るのだ。実際、レイはそんな経験をしている。
そんな訳で他の誰にも教える訳には行かないレイは、誰にも知られないように一人村の中の誰よりも豪華な食事を堪能していた。
そして食に余裕が出て来ると、他の事にも興味が向くという物だ。何時もの日課となっている魔力制御の練習から魔法の勉強まで終えたレイは、秘密基地を出て帰らずの森の中を闊歩していた。
周囲からは黒い靄がレイの下に集まり、前に出された右手の上には集まっていた。その右手の上には黒い物体が浮遊していた。まるで液体のように形を変えながらも球体を維持しながら、周囲の黒い靄を集めていた。
その姿はまるで闇を操る魔導師のようだが、残念ながらこれはそういう訳では無い。この掌の上に集められているのは、実は砂鉄なのである。
この前の【アイテムボックス】の魔法を発明した事で、概念や事象の過程、つまりプロセスが分かっていれば、後は具体的なイメージ次第で知らない魔法も創り出せる事が分かった。
これによって新たに生み出されたのが、今レイが使用している魔法【磁場形成】である。効果は文字通り、磁力を持った空間を発生させる事である。
発明した当初は安価な永久磁石並みの磁力しか生み出せず落胆したものだが、調べた末にこの魔法は魔力次第で磁力を変えられる事が分かったのだ。
これによって本来なら中級程度の魔力消費量なのだが、発動時点で上級並みの魔力を消費し、更に魔法を維持するのにかなりの魔力を永続的に消費するという凶悪なまでの燃費の悪さになったが、お蔭で少しくらい離れた位置からでも砂鉄を集める程の力を発揮した。
よって一々地面に手を近付けなくても、歩き回るだけで砂鉄が集まるというとても簡単な砂鉄集めが可能となったのだ。その気になれば敵の持っている剣を引き寄せたり弾き飛ばしたりだって出来るだろう。寧ろそっちの方が本来の使い方っぽく思える。
「ねえねえレイ、その砂鉄を集めてどうするの?」
好奇心の塊のようなフラムが真っ先に質問を投げ掛けて来た。
「砂鉄っていうのは成分は違えど鉄である事には変わり無い。だからコレを集めて精錬すればーーー」
「まさか鉄が出来ると言うのか!?」
地属性だけあってそういった事に興味があるのだろうか、ティエラが被せて聞いて来た。
「細かい方法までは知らない。でも大まかな方法は知ってるから、それをもとにやってみるつもりだ」
「おお!そうか!では早速試してみるのじゃ!」
服を引っ張って秘密基地に戻らせようとするが、残念ながらそうは行かない。
「ある程度纏まった量の鉄を作るには、相当な量の砂鉄が必要になるんだ。こんな量じゃ掌サイズにもならないかもな」
手の上に集まった砂鉄は既にボーリングの玉ぐらいの大きさになっているが、どうせ作るのなら一度に大量に作りたい。失敗の可能性すらあるのだから、出来るだけ集めておいた方が良いだろう。
「という訳で、精錬はもう暫く集めてからな」
「ムゥ、分かったのじゃ。じゃったら速く行くぞ」
言うや否やレイの袖を引いて急かす。普段は冷静なティエラも、今は古風な喋り方をするただの子供である。やはりティエラもフラムと同じ精霊なのだと思った。本人に言ったらフラムと一緒にするなと言われそうなので黙っておくが。
その後もティエラに急かされつつ砂鉄を回収したレイ。気が付けば集まった砂鉄はレイが体育座りすればすっぽり収まりそうな大きさになっていた。
「これだけあれば良いだろ」
「良し!では早速隠れ家に戻って製錬じゃ!」
「いや、ちょっと待ってくれ」
意気揚々と秘密基地に帰還しようとしたティエラだったが、そこに水を差すようにレイに止められてしまった。
「今度は何じゃ!もう砂鉄は十分な量集まったのじゃろ!?」
「そうなんだけど。今度は俺の魔力がな……」
発動だけで上級魔法それを維持するのにも多量の魔力を消費するような魔法を何十分も使用したのだ。流石のレイも魔力をが残り少ないようで、足取りも重い。
「これじゃあ時間や根気の要る作業は難しい。明日またここに来て、それからにしよう」
「ぐぬぬ…ここまで待たせておいて、更に妾を焦らすと言うのか」
そうは言うが、やりたいのはレイとて同じなのだ。我慢して貰う他無い。
「これは今後の魔法の練習をもう少し厳しくする必要がありそうじゃな」
「………」
ただでさえ今やっている魔法の練習は中々にハードなのだ。今は違うが、まだ魔力が少なかった頃は何度も魔力切れ寸前まで魔力を使わされていた。これ以上は危険だからと、フラムを除く全員に止められていたのだが、ティエラが賛成派に回ってしまいそうで、思わず言葉を失ったレイだった。
ーーー
そして翌日の夜。何時も通り日課の魔法の練習を終えたレイは秘密基地の外に居た。因みに練習内容は今まで通りだった。まだ賛成派の方が多いから、多数決で何とか持ち堪えたらしい。因みにその多数決にレイの参加権は無い。弟子は黙って師の教えを実行せよとの事らしい。
「さて、これから製錬を始めるぞ」
「ウム!待ちに待ったぞ!」
今回はレイの他に、助手としてティエラが参加する。本人たっての要望だ。他の四人は後ろで見学である。
「ところでレイ、何故工房では無く外で行うのじゃ?」
「今回の製錬の方法には、専用の装置を使う。結構大きくて場所を取るから、いっそ外でやってしまおうと思ってな」
他にも理由はあるが、それは今語っても仕方無い。
「という訳で、早速装置を作ってやってみるか」
「作業開始なのじゃ!」
とは言っても装置を作るのは簡単だ。土魔法地面を削り、装置を大まかに形作って土魔法で固めるだけなのだから。装置自体がやや大きめなので大分広い面積を刳り貫く必要があったが、土魔法を使えば平らにならせるから大した問題では無い。
そうして出来た装置は円筒形の上部だけが開いた物だ。側面は分厚く出来ており、側面下部には穴が空いて、更に反対側には枝分かれするように一本の通路が出来ている。後は装置を別に作っておいた土台の上に乗せて、穴の空いた場所の下に土で作った受け皿を用意して、穴に栓をすれば準備完了だ。
そう、作っていたのはたたら炉である。たたら製鉄という技法で用いられる炉で。世界各地で古くから用いられて来た方法だ。テレビで度々特集を組まれては、その番組を時々見ていたレイは、そのやり方も大まかには覚えている。故にこれをやろうと思い至ったのだ。
前世の時代とは違い、この世界の文明は中世ヨーロッパかそれ以前、レイの住む村のような辺境なら石器時代並みだ。料理に包丁なんて無く、素材を素手で千切っていたくらいだ。まあ使う食材なんて麦かクズ野菜程度なのでそれでも事足りるのだろうが。
日本の田舎と都会の差を考えると、少なくともある程度の大きさの街なんかでは鍛冶技術くらいはあるだろう。恐らくは鉄器から武具まで用途は様々。魔物が存在するこの世界において、鉄の武具が安い筈が無い。少なくとも地球のように野口さん数人で足りるような値段では無いだろう。そうなると自然、鉄の単価も高くなる。いざという時にここで作った鉄を売れば、金には困らないというのがレイの考えだ。最悪安かったりしたら自分で武器を作ってみたって良い。出来次第ではその方が稼げるだろう。
筒の中に炭と砂鉄を層になるように敷き詰める。この炭はフラムとの火属性魔法の練習中に偶然出来た物だ。魔法の的としてその辺の木々を手当たり次第に燃やす物だから、燃え尽きて使えなくなってしまった物を除いても結構な量があったりする。今でも【アイテムボックス】にある程度は入れているが、それでもまだ秘密基地には大量の木炭が保存されている。今思えば実に環境に優しくない練習だった。あまりに燃やし過ぎるので他の精霊達から木を的にするのを禁止された程だ。
そんな事はさて置き、これで漸く準備が整った。後は横に伸ばした筒から風魔法で空気を送り込みつつ火を点ければスタートである。
「【巻き起こる風】、【灯されし火種】」
左手でそよ風程度の風を送り、右手で掌サイズの火を灯す。火は筒の中に移動して、中の木炭に着火。遂に製錬が始まった。
「二つの魔法を同時発動か。しかも詠唱破棄で。かなりの高等技術の筈なんじゃがな」
「まだ初級しか出来ないけどな」
「それでもまだ不満だと言うのか。向上心が強いと言うか貪欲と言うか」
言っておくが複数の魔法、それも異なる属性の魔法を発動させるのは、魔法使いの中でも限られた人物しかいない。実戦レベルで扱えるのは、それこそ国に仕える魔法使いのトップくらいなものだろう。
「所で、この方法で後どのくらいで鉄が出来るのじゃ?」
火を点けてから暫く、炉を見続けるのも飽きて来た頃に、ティエラがそう尋ねて来た。
「最低でも数時間は掛かるな」
「それまでこの土の筒と睨み合いか。流石に暇じゃのう」
「いや、それだけじゃ無いんだけどな」
「どういう意味じゃ?」
この製法には炉に火を入れてる間にやらなくてはならない事があるのだ。
「そろそろやっといた方が良いか。ティエラ、炉に付けられた栓を取ってくれ」
「あの何の意味があって作られたのか分からん穴を塞いでおった奴じゃな。任されたのじゃ」
ティエラが栓に手を翳すと、土で出来た栓は土に還って行った。そして塞いでいた物が無くなった事で開いた穴から、マグマのようなドロッとした液体が流れ出て来た。
「な、何じゃ!?鉄と炭しか入れておらんかった筒から溶岩が出て来たのじゃ!」
ティエラも初めて見たであろうその光景に釘付けだ。衝撃のあまり驚愕している。後ろで見学していた精霊達からも感心の声が漏れた。
「あれは砂鉄の中に含まれていた不純物が流れ出た物だ」
所謂スラッグと呼ばれる物だ。ノロや鉱滓とも呼ばれ、不純物が高温に晒されて融解した物だ。それが筒に開けられた穴から受け皿にドロドロと流れ落ちて行く。
「…もう良いぞ。また塞いでくれ」
「分かったのじゃ」
流れが収まってきたティエラに言って土を固めて作った栓で穴を塞ぐ。穴に合わせて寸分違わぬ大きさを創り出すとは流石土の精霊だ。
「良くやったぞ、ティエラ」
「はぅ!?な、なななな何をするか!そんな気安く頭を撫でる物では無いぞ!」
顔を真っ赤にして怒鳴られてしまった。良かれと思ってやってみたのだが、お気に召さなかったらしい。
「ん?やっぱり頭を撫でられるのは嫌だったか」
だとしたらさっきした分も含めて謝らなければならない。別に好き好んで人の嫌がる事をしたい訳では無いのだし。
「い、嫌というか…お主に触れられると…ち、調子が狂うのじゃ…」
「調子?どうして」
「それはね〜、精霊神様の加護が影響しているの」
「ぬぉっ!?急に背後から現れるでない!心臓に悪いじゃろうが!」
いつの間に移動したのか、ティエラの背後からヌルッと現れたアイシアが説明してくれた。
「精霊神様に限らず、加護を受けた人の魔力には、その加護を授けた神様の魔力が微量ながら混ざってしまうの。私達精霊は魔力から産まれた存在だから、周囲の魔力に敏感で、特に私達精霊全ての原点である精霊神様の魔力の影響は強く受けてしまうのよ」
「でもそれなら、調子が狂うなんて事にはならないだろ」
精霊の原点と言うべきフィリアの魔力なら、寧ろ元気になるのではないだろうか。
「精霊神様の魔力で触れられるという事は、私達精霊にとってはとても気持ちが良いの。それが『精霊神の溺愛』なんてくらい強い物になると、もう愛撫みたいな物ね」
「ブッ!」
衝撃の真実である。まさか『精霊神の溺愛』にそんな副次的効果があったなんて。
「あ、アイシアさん!」
「いきなり何ぶっちゃけてるのさ!」
エストレアとシエルが顔を真っ赤にしてアイシアに突っ掛かる。その反応を見るに、どうやら本当の事らしい。要らない事実を知ってしまった。
「つまり俺はさっきもその前も、ティエラの頭を愛撫していたと言うのか」
「そうね〜。それも頭全体に魔力を塗り付けるみたいにしていたから、それはもう舐めるような愛撫だったわね」
「そうか。そりゃあティエラも怒るだろうな。いきなり頭を愛撫されたような物なんだし」
「でも、最初の方は間違い無く喜んでたわよ。レイさんに愛撫されて」
「愛撫愛撫と言うでないわ!第一、頭を撫でる行為を愛撫とは呼ばん!」
「でもティエラさんだって沢山言ってるわよ」
「お主等の所為じゃ馬鹿者が!!」
何気にレイまで怒られてしまった。悪気があって言っていたのでは無いのだが。
「で、結局頭を撫でるのは良いのか?悪いのか?」
「う、ムゥ…。それは…」
「それは?」
何やら言い淀むティエラ。別に言い難い事では無い。単に頭を撫でて良いのか悪いのかという話なのだ。その筈なのだが、一体今の質問のどこに回答を躊躇う要素があったのだろうか。気にはなったが、それを聞いてしまうと余計に答えてくれなくなりそうなので止めておいた。
そして一頻り待たせた後、ティエラは小さな声で答えた。
「……ふ、二人きりの時なら」
「二人きりの時?」
頭を撫でるのに何故そんな条件を付けなければならないのだらうか。精霊神を信仰する者達の教義か何かだろうか。
「まあ、ティエラがそうして欲しいのなら、今度からそうする」
「ウム…」
話はついた…筈なのだが、どうにも重苦しい雰囲気になってしまった。何か言うべきなのだろうが、険悪な空気には慣れていても、それをどうにかする事には慣れてないレイにはどうすれば良いのか分からない。
助けを求めて視線を彷徨わせる。そしてふと、多分偶然だと思うが、アイシアに目を向けた瞬間に目が合った。
アイシアは見ただけで何かを察したのか、優しい笑みを浮かべて頷いてみせた。そしてティエラに近寄る。
「良かったですねティエラさん。これで二人きりで思う存分レイさんに甘える口実が出来ましたよ」
「なっ!?そ、そのような邪な考えではーーー」
「あ〜!それ狡い!」
「自分だけそんな約束するなんて!」
「羨ましいですぅ!」
「お主等も乗せられるでない!」
羨ましい羨ましいとゾンビのように集られて、ティエラは三人に埋もれてしまった。果たしてこれはどうにかなったと言えるのだろうか。無理矢理有耶無耶にした様にしか見えない。
しかしアイシアはいかにも一仕事終えましたと言わんばかりに額を拭うと、レイに近付いて「私にも、後でお願いしますね」と耳元で囁いた。
もしかしてそれが狙いだったのだろうか。アイシア侮り難し。
しかしそんな一コマのお蔭で時間は潰せた。筒の中の火は弱まり、そろそろ完成だろう。
「さて、じゃあ取り出すぞ」
「それへ良いのじゃが、あの中からどうやって鉄を取り出すのじゃ?見た所取り出す為の穴は見当たらぬようじゃが」
「筒をひっくり返すのかな?」
「いや、炉を壊して取り出す」
「何じゃと!?折角作った炉を壊すのか!?」
ティエラは驚いているが、これが昔ながらのやり方なのだ。たたら吹きと呼ばれるこの手法においては、高温で熱せられた炉は再使用せずに壊してしまう物なのだ。
これはたたら炉に取り出し口が無いからという理由らしいのだが、そんな事はレイは知らない。単にたたら炉は最後に壊す物だと思っているだけだ。現代っ子のテレビで得た知識では、そこが現界なのだ。
とは言え炉は高温に何時間も晒され続け影響でボロボロになってしまっているので、どちらにせよ壊す必要がありそうだが。
「それじゃ、行くぞ」
「ご開帳〜!」
フラムの軽い掛け声と共に炉を破壊し、中身を取り出す。中に入っていたのは鉄と呼ぶには黒過ぎる、不純物の大量に混じったような金属塊であった。
「何じゃこれは。失敗か?」
「それはこれから確かめる」
一足先になって落胆するティエラを置いて、レイはその金属塊に近付く。
そしてレイが魔法を使う。すると金属塊が砕け、その断面から微量ながら灰色の金属が見えた。
「一応、成功はしているみたいだな」
そもそもこの黒い金属塊は鉧と言い不純物を多く含んだ鉄だ。たたら吹きの手法で作られる金属で、鉧の中には銑鉄や玉鋼が内包されて、それ等を使って金属の武具は作られているのだ。
「しかし、たったこれだけでは少な過ぎるのじゃ」
今回使用された砂鉄はおよそ五キロ程度、その中きら使えそうな金属は数十グラムと言った所だ。これではナイフも作れない。
「一度に使う砂鉄の量を増やせば良いんだろうが、それだと出来上がるのに時間が掛かりそうだ」
たった五キログラム製錬するだけで数時間。本来の使い方なら三日三晩掛かると言われている。それに使われる砂鉄も相当な量必要だ。今日集めた量だけで大体十数キログラム。全部使ってどれだけ取れるか。
「ま、この方法で鉄が取れる事は分かった。後は隙を見て砂鉄を集めながら、少しづつ作って貯めておこう」
幸い時間ならまだ余裕がある。この世界の成人は十五歳。独立するのが大体それくらいなら、まだ十年近く残されている。他にもやりたい事はあるのだし、その辺は気長にやって行っても問題は無いだろう。
兎に角、これにて初めての製錬は取り敢えず成功という事で終わりを迎えた。鉱石の選別は別の日にする事にして鉧を【アイテムボックス】に放り込むと、切り上げて家に戻るのだった。
説明などで間違いが有ったとしても気にしないで下さい。
この物語の世界ではそういう物なのだと思って頂ければ幸いです。