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人嫌いの転生記  作者: ラスト
第一章
6/56

闇の精霊

 それは、両親が寝静まった夜中の事だった。寝室の隣に置かれた揺籠の中では、レイの他にフラム、アイシア、シエル、ティエラの精霊四人衆が眠っていた。夜になって他の精霊達が去って行く中、何故かこの四人だけはレイの側に居たがったのだ。


『レイと一緒に居たいんだもん!』


 とはフラムの言だが、他の三人も大体同じような物だろう。この四人の精霊を見ていると、どこぞのお子様精霊神を思い出す。きっと同じ精霊だから本質も似ているのだろう。雰囲気がフワフワした独特の感じなんかそっくりである。

 そんな事を思っていると、視界の端に光を捉えた。光と言ってもそのままの意味では無く、その色は夜の闇の中でも分かる程の黒い光を放つ光の玉だった。


(何だこれ)


 闇の宝珠とでも表現すべき漆黒の光球に、思わずそう思った。


「ヒィッ!?お、起こしてしまいましたか!?すいません!そんなつもりは無かったんです!ただフィリア様の加護を授かったお方を一目お目に掛かれたらと思って来ただけなんです!すいません!」


 レイの思考に反応して過剰な程に弱腰の反応をする黒い光球。


(いや、元々寝てなかっただけだから気にしないでくれ)

「ハヒッ!?すいません!困らせてしまいました!いません!」


 何と言うか、途轍も無く卑屈だ。逆にレイが虐めているみたいな気分になって来る。


(分かったから謝るの止めろ。そっちの方が迷惑だ)

「は、ハイ。畏まりましたです」

(それで、俺の考えてる事が分かるって事は、お前も精霊って事で良いんだよな)

「え、ええっと…ハイ、その通りです」


 となるとその色合いからして、考えられるのは一つだけ。


(闇の精霊か)

「ヒゥッ!?すいません!私みたいなのが貴方様の視界に入ってすいません!」


 レイ思った通り、目の前の光球は闇の精霊だった様だ。だとするとこの気の弱さにも納得が行く。闇に属する精霊として長年迫害を受けて来たのだろう。寧ろ良くそれで済んだ物だ。下手すれば人間を恨む可能性だってあっただろうに。


(別に良い。俺はお前の『闇の精霊』という肩書きだけで嫌う事は無いし)

「……ふぇ?」


 いきなり訳の分からない事を言われてキョトンとした感じの声を出した。


(いや、俺はお前と出会ったばかりだろ。初対面でいきなり視界に入るななんて言うつもりは無い)


 少なくともここまでの闇の精霊の言動からして、それ程性格が悪いという訳では無さそうだった。ならレイとしてもいきなり邪険にするつもりは無い。だからと言って全く警戒しないという訳でも無いが。


「…ふぇ、ふぇぇぇぇぇん!!」

(え?…は?)


 突然泣き出した闇の精霊に、今度はレイが唖然とする。

 やはり警戒はすると言った事が拙かったのだろうか、しかしこういう事で本心を偽るのは本意では無い。それは前世の朝霧 嶺を騙して来た連中と同じになってしまうからだ。

 だから必要に駆られない限りは出来る限り嘘は吐かないにしている。今回もそうだったのだが…まさか、本心から警戒していると言われて傷付いたのだろうか。


「い、いえ、そんな風に優しくして頂いたのは産まれて初めてでしたので。えへへ、つい感動してしまいまして」

(…あ、そう)


 どうやら違かったようだ。寧ろ泣く程喜んでいた。逆に今までどんな扱いだったのか気になる所ではあったが、そんな事を聞いても嫌な気分になるだけなので敢えて聞かないでおく。


「お見苦しい姿をお見せしてすいません」

(いや、まあ良いけど)


 見苦しいも何も、レイにはただの黒い光球が浮いていたようにしか見えなかったので、外見では何も変わっていない。どちらかと言えば突然泣かれて困惑しただけだ。


「うぅ、お優しいお方です。流石は精霊神様が溺愛なさるお方、私にはお側に寄るのも憚られる程に素敵です」

(そこまで凄い事言ったつもりは無いんだけどな)

「いえ、貴方様が素敵なお方だという事では、貴方様の側で寝ている彼女達を見れば分かります」

(こいつ等が?)


 さっきからレイに抱き着いて眠るフラム達。確かに今日会ったばかりなのにもうレイに懐いているが、それとレイが優しいかどうかなんて関係するのだろうか。


「はい。精霊は人の善悪に敏感なのです。そんな精霊達がこんなにも貴方様に心を開いているという事は、それだけ貴方様が魅力的なお方だという事です」

(…コイツ等の精神が子供レベルなだけじゃ無くてか?)

「そ、そんな事は無いと思いますよ。精霊様の加護を授かるという事は、それだけで貴方様が善人である事の証でもありますし」

(そういう物なのか)


 ただフィリアも若干神様らしい所はあれど、基本的にはこの精霊達と同じお子様思考である。果たして信じて良い物か不安になって来る。


「それに精霊神様の加護には、精霊に好かれ易くなるという効果があります。それが溺愛いう見た事も無いくらい高位の物ともなると、その効果は相当な物でして…」


 何やら闇の精霊の様子がおかしい。何かを我慢するような感じてゆっくりと落下して来る。そしてレイの額にフワリと着地した。


「ふぁぁ…!しゅごいです〜。貴方様の魔力、気持ち良いです〜」


 どうやらフィリアから受け取った加護というのは、精霊に対するフェロモン的な役割があるらしい。最初のフラム達のように、闇の精霊がレイの額の上で何やらいかがわしい事を言いながらモフモフと擦り寄っているから間違ってはいないだろう。


「はっ!?す、すいません!つい我を忘れてスリスリしてしまいました!すいません!」


 数秒後、我に返った闇の精霊が弾かれるようにレイから離れた。相当慌てているのか、フワフワと右往左往している。


(そんなに良かったのか?)

「は、ハイ!貴方様の魔力には精霊神様の力を感じます。それが私達精霊にとっては非常に好まれる物なんです。あ、あと、貴方様の肌触りが余りにも気持ち良くって、つい我を忘れてしまってました。ハッ!すいません!そんな事聞いてませんよね!すいません!」


 何故か必要無い情報まで暴露してくれた挙句勝手に謝り出す闇の精霊。流石に三回目ともなると酷く煩わしい。


(その直ぐに謝るの止めろ。良い加減にしないと本気で怒るぞ)

「は、ハヒィ!」


 そんな半分、というか九分九厘脅しに受け取られる説得で黙らせた。闇の精霊も怯えているが、レイにとっては煩いのが無くなったので何も問題無かった。


(あ、そう言えば自己紹介まだだったっけ)


 さっきから貴方様としか呼ばれていなかった事に今になって気付いた。


「い、いえ!お気になさらず。精霊神様の加護を授かったお方を名前で呼ぶなんて、そんな畏れ多い事…」

(いや、貴方様なんて呼ばれてもしっくり来ないんだよ。だから取り敢えずレイって名前を使って呼んでくれ。敬称くらいは好きにして良いから)


「は、ハイ。分かりました、レイ様」


 結局様は抜けなかったが、それでも少しはマシな呼び方になった。


(それで、お前の事は何で呼べば良いよ)


 多分この闇の精霊も出会ったばかりのフラム達のように名前は無いのだろうが、もしかしたら名前の希望とかあるかもしれないと思い、念の為聞いてみた。


「そ、そんな!私如きお前で充分ですよ!もしくはゴミや屑でも構いません!」

(いや、それは俺が構うから却下だ)


 何故好き好んでそんな酷い呼び名で呼ばなければならない。別にレイは人を罵倒して喜ぶような特殊性癖の持ち主では無い。


(どうせなら名前があった方が良いよな。今回限りの出会いって訳でも無いだろうし)


 転生初日に出会ってそれから一度も会わない何て事はそうそう無いだろう。世の中は広いようで、意外と狭く感じたりする物だ。


「で、ですが…」

(別に正式な名前を決めようって訳じゃ無い。俺が呼び辛いからそうするってだけだ。気に入らないなら勝手にそう呼んでるって事にすれば良い)

「い、いえ!レイ様が下さるお名前をそんなぞんざいに扱うなんて出来ません!」


 結局名前を付けて貰う事前提で話している事に、果たして闇の精霊は気付いているのだろうか。


(じゃあ尚更ちゃんとした名前にしないとな。どんなのが良いかな…)

「ふぇぇ!?そ、そんな、私なんかの為にレイ様がお知恵を…!」


 脳を回転させて良さげな名前を考えるレイ。その様子をフワフワと空中を飛び回りながら待つ闇の精霊。ソワソワしているのだろうか。

 その様子に目が行ったレイ。暗闇の中を柔らかな黒い光が尾を引きながら宙を飛び回る姿は、何処か幻想的な光景だった。


(綺麗だな)

「え…?」


 思わず口にでた言葉に闇の精霊の動きが止まった。光の球なので顔が無いから表情は分からないが、あったらきっとポカンとしていた事だろう。


(いや、お前が飛び回ってる姿が綺麗だなって思っただけだ)

「ふぇぇ!?そ、そんな事ありません!私みたいな真っ黒な光が綺麗な筈ありません!」

(…じゃあ俺の感性に問題があるとでも言いたいのか?)


 だとしたら何気に酷い事を言ってくれる。遠回しに美的センス全否定されたような物だ。


「ハゥア!すすすすいません!そんなつもりで言ったんじゃ無いんです!すいません!」


(まあそれは分かってたけど、それでも俺がお前の事を綺麗だって思った事に変わりは無い)


 他の誰でも無いレイ自身がそう思ったのだ、誰にも否定はさせない。


(だから少なくとも俺は、お前を綺麗だと思っている事だけは覚えておけ)

「レ、レイ様……!」


 まだ名付けてもいないのに感極まった様子の闇の精霊。フヨフヨと降りてきてレイの上に着地する。


「レイ様の懐の深さに、私感服致しました。それでその…も、もしレイ様が許して下さるのでしたら、どうかこれから先、末永くお側に置いて下さいませんか?」


 頭を下げているのだろうか、レイの体に綿毛の様な感触のその身をモフッと体を押し付けて懇願して来た。


(ああ、別に良いけど)


 レイとしては何の問題も無い。これまでの会話で、ある程度闇の精霊の性格は理解した。少なくとも今は側に置いても大丈夫だ。

 これが傲岸無礼な態度だったら嫌だが、闇の精霊にそんな様子は皆無だ。寧ろ腰が低過ぎて逆に困ってしまうくらいに。


「ハイ!どうぞ宜しくお願い致します!」


 一転して嬉しそうに飛び回る闇の精霊。余程嬉しかったのか、そのスピードは早くて光の軌跡が尾を引き、まるで流れ星のようだ。


(そうだな…よし、決めた。エストレアにしよう)

「え?」

(名前だ、お前のな)


 エストレアは、スペイン語で流星を意味する言葉だ。天体について勉強している時に偶然知った事で、言葉の響きもカッコ良かったから覚えていただけなのだが、こんな形で役に立つとは思わなかった。

 レイが名前を告げると、即座に黒い光が強くなった。フラム達のような眩い光では無く、暗く、でも目が痛くならない柔らかな光が強くなって、光が消えると人型になった闇の精霊エストレアがいた。

 フラム達の着ていた白地のフワッとしたドレスとは違い、真っ暗のワンピースのような格好で、サラサラの黒髪を膝まで伸ばした和人形のような可愛らしい女の子だ。

 エストレアはキョトンとした顔で自身の変化を確かめると、急に涙目にーー


「ビェェェェェェ!!」


 そして大声で泣き出した。


(煩い!何で一々泣くんだよお前は!)

「ず、ずびばぜん。こんな私をレイ様に認めて下さったばかりか、名前まで付けて下さったのが嬉しくって…!」


 しゃくりを上げながら言うエストレア。正直かなり際どいところではあるが、笑っているから喜んでるのだろう。

 尤もレイとしては、エストレアが喜んでいるのかどうかよりも、あれだけエストレアが大泣きしたにも関わらず寝続けているフラム達の方に関心が行く。結構な大声だった筈なんだが、眠りが深いのだろうか。

 ともあれ、これでエストレアはレイと契約したという事だ。


(まあ、取り敢えず宜しくって事で)

「ハイ!レイ様!」


 パッと花のような笑顔を咲かせるエストレアを見ていたら、ふと眠気がやって来た。今にも寝てしまいそうだ。


(悪い、今日はもう寝るわ)

「ハイ、畏まりました。お休みなさいませ、レイ様」


 エストレアに一言言って眠りに就く。本当に眠かったのだろう、意識はあっという間に沈んで行く。


「どうか、未来永劫、貴方様のお側にーーー」


 エストレアがそんな事を言った気がしたが、それを意識するよりも先にレイの意識は途絶えた。


 ーーー


 何か妙な感覚がして目が覚めた。何というか、何か変なものが肌に付いている様な感覚だ。生暖かく、柔らかく、そして気持ち悪かった。

 そしてその感覚のする場所を考えた途端、レイは状況を理解した。


 自分がお漏らししてしまった事に。


 そこから先は過程を端折って端的に述べると、お漏らしに気付いたレイは何とかして貰うべく即行で泣き叫んで母親のユーリを叩き起こしておしめを変えさせた。

 当然大声で泣き叫んだから父親もフラム達も起きてしまい。おしめを変えさせる場面を羞恥プレイの如く一部始終確り目撃されてしまったが、気持ち悪いのをそのままにして置くのは現代人の記憶を受け継ぐレイとしては我慢ならなかくて、気付いた瞬間にはもう赤ん坊だからという逃げ道を考える間も無く泣き叫んでいたのだから仕方ない。後付けではあるが、赤ん坊なのだからお漏らししても恥ずかしくは無いのだ。


「キャハハハハ!」

(だからもう笑うの止めろフラム!)

「だって、そんな大人みたいな喋り方してるのにお漏らしするんだもん!」

(赤ん坊が漏らして何が悪い!)


 レイとて恥ずかしいが仕方ないのだ。そう思っていないと精神が保ちそうに無い。


「言われてみればそうですね」

「お漏らししそうな感じでは無かったけどね」

「中身は違えど、ちゃんと子供だったのだな」


 他の三人もレイが赤ん坊だという事を半ば忘れていたようで、今回の件でちゃんと理解したらしい。理解するも何も元から見た目は普通の赤ん坊なのだが。


「だ、大丈夫です!お漏らしするレイ様も素敵ですから!」

(そのフォローはどこか間違ってる気がする)


 少なくともお漏らしする姿は素敵では無いだろう。


「ハゥワ!すいません!おかしな事を言ってしまいました!すいません!」

「…あれ?」


 フラム達がエストレアの存在に気付いた。レイがエストレアと出会った時はフラム達は眠っていたから、彼女等にとってはこれが初対面となる。


「え、えっと、あのーーーキャッ!?」

「可愛いーーーーー!!」


 エストレアが何か言おうとしていたが、それよりも早くフラムが猛スピードでエストレアに抱き着いた。


「レイ!この子誰!?」

(ああ、エストレアって言うんだ。お前と同じ精霊だ)

「エストレアって言うんだ〜。私フラム、宜しくね〜」

「ハ、ハイ!宜しくお願いしますです!フラムさん」


 フィリアみたいな緩い空気のフラムとは対照的にガチガチに緊張したエストレア。服の色から性格まで完全に対照的である。


「あらあら」

「もしかして、あの子闇の精霊ですか?」

(ああ、何か問題あったか?)


 この世界では闇に関する存在は迫害の対象になると言われてはいたが、まさか精霊でも同じなのだろうか。


「そんな事は無い。寧ろ妾達と同じように接してくれる事を嬉しく思っておる。じゃが、なにせ世間では嫌われておるからの。レイが闇の精霊と仲良く出来たから驚いただけじゃ。赤子故の偏見の無さの為せる技なのか、それとも月の女神様の加護のお蔭なのかは分からんが」


(じゃあお前等にとっては特に不都合は無いんだな?)

「勿論だよ!寧ろこんな可愛いエストレアが一緒に居てくれるなんて…ハァ〜、幸せ〜」

「フ、フフフフラムさん!擽ったいですよぅ」


 何はともあれ仲良くなれたようで一安心である。いきなり精霊同士で不和が生まれたりしたら、最悪全員を追い出してでも止める必要があったから助かった。


(じゃあ全員仲良くするように)

「は〜い!」


 まるで小学校のようなやり取りを経て、エストレアも正式に精霊仲間の一人として迎えられた。

 これで一件落着。後は朝まで眠るだけだとなった所で空腹になり、二度目の夜泣きが敢行された訳だが、それについては語るまでも無いだろう。単に母親のユーリから出の悪い母乳を貰って終わりだ。

 尚、父親が羨ましそうに見ていた事についてはガン無視をきめた。


 ーーー


 次の日、レイは朝から母親のユーリに抱えられて外に連れ出されていた。

 生まれて初めて、いや、生まれ変わって初めての外の景色。木造の茅葺き屋根の家がポツポツと建っていて、乱雑に区分けされた畑では男達が鍬を片手に畑を耕している。道もアスファルトなんて欠片も無い土を押し固めた道で、そこ等中に草木の緑が視界一杯に広がっていた。

 良く言えば長閑な景色。悪く言えば在り来たりな田舎の風景だった。レイも最初はワクワクして見ていた。数分もしない内に地球でも見れそうなその景色に飽きて、今後の事に頭を巡らせる。

 先ず問題なのはこの世界の文明レベルの低さだ。何となく中世ヨーロッパを想像していたが、予想以上に文明の発達が感じられない。農夫達が使っていた農機具の鍬なんて家と同じく木造だし、荷車等の道具も何一つ無く、正に鍬一つで畑仕事をしている状態だった。果たして石器時代とどちらが上なのだろうか。


(俺はこんな世界で生きてかなくちゃならないのかよ)


 果たしてやって行けるのだろうか。今後の人生に不安しか無い。


「大丈夫?元気無いけど」

(問題無い。いや、問題はあったけど大丈夫だ)


 せめて首都の街位は文明的である事を祈るしか無い。この際贅沢は言わ無いが衣食住と安全と衛生面が保障されれば文句は言わない。

 ……この時点で既に贅沢な気もするが、飽くまでレイの基準は地球の現代文化なのだから、その事にも気付いていないようだ。


 母親のユーリが訪れたのは近所の家屋だった。自宅から見える距離の家に何の用だろうか。

 母親が戸を叩くと、中から恰幅の良い女性が出て来た。


「ああいらっしゃい!」

「どうも。今日から宜しくお願いします」


 そう言うと、ユーリはレイをその女性に渡す。


「はいよ、任せといて」


 女性がレイを抱き抱えると、何の反応も示さない事に驚きで目を見開いた。


「凄いねこの子。全く泣き叫ばないなんて。さっき来た子達なんて預かった途端にギャーギャー泣き出したのに」

「ええ、夜泣きの回数も聞いていた程多くなくて、主人も疲れているみたいなので助かってはいるんですけど、ちょっと心配になります」

「ハハハ!物怖じしない子だね。将来はきっと大物になるよ」


 女性達がそんな事を話しているが、レイはそれよりもこの状況について教えて欲しかった。

 これは預けられるのだろうか、それともこの家に押し付けられたという事なのだろうか。

 女性に抱えられて母親を見るレイの頭をユーリが優しく撫でる。


「レイ、お母さんはこれから仕事があるから。それまでここで待っててね。夕方には帰るから」


 そう言ってユーリは来た道を戻って行った。どうやら一時的にこの家に預けられるらしい。託児所的な扱いなのだろうか。

 連れて来られた家はレイの家より少し広いだけで、他は大して変わらなかった。その家の一室に連れられると、そこには四人の赤ん坊が寝かせられていた。託児所的な扱いなのだろう。

 レイもその中に適当寝かせられ、女性はその近くの椅子に腰を下ろすと、小さなテーブルの上に有った毛糸を使って編み物をし始めた。作っているのはセーターか何かだろうか、長い事やっているのかその手付きは慣れた物で、既に半分は出来ていた。


(さて、取り敢えず魔力制御の練習でもするか)


 横になっている間は特に出来る事も殆ど無い為、横になりながらでも出来る魔力操作の練習をする。相変わらず転生前に比べれば遅いが、それでもちゃんと出来ている事に安心する。


「んにゃ?レイ、魔力が使えるの?」

(ああ、…何となく出来るようになっただけなんだけどな)


 転生前の出来事を伝える必要は無いだろうと、適当な事を言って誤魔化す。考えてみれば、生まれて直ぐの赤ん坊が魔力を操っていたら驚きだろう。ただでさえ精霊達とは普通に会話してしまっているのだから、これ以上変な設定を追加する必要も無い。


「あらまぁ、まだ産まれたばかりなのに」

「凄いね。もうこれだけ魔力を動かせるんだ」

「これは育て方次第では相当な逸材に成り得るぞ」

「フワァ、かっこいいです」


 フラム達が見ている中で、レイは魔力制御に集中する。周りから賞賛の言葉が次々と飛んで来るが、レイはそれ等を一切無視して魔力制御を行う。


(まだまだ…もっとスムーズに…)


 自分の体の内側に意識を傾け、体内の魔力の流れを意識する。流れの中から進み易い部分を探して行きーーー


「オギャー!オギャー!」

(ーーーウォゥ!?)


 突如隣からした泣き声で強制的に中断させられた。


「おやまあ、どうしたんだい?」


 女性が編み物を中断して泣き出した赤ん坊を抱き上げてあやすが、一向に泣き止む気配が無い。それどころか事態はより酷い物になっていた。

 最初に泣き出した赤ん坊に触発されてか、他の赤ん坊達まで泣き出したのだ。赤ん坊の大合唱だ。

 酷く頭に響く泣き声がそこかしこから聞こえて来る。しかし手に力が無い所為で耳を塞ぐ事も出来無い。女性も何とか泣き止ませようとしてはいるが、正直いつになったら終わるのか分からない。精霊達も耳を塞いで煩そうにしている。フラムなんかは目を回していた。


(煩ーーーーーい!!誰か何とかしてくれ!このままじゃ耳がおかしくなる!)

「は、ハイです!」


 遂に我慢の限界を迎えたレイの心の叫びにほぼ反射的に返事をしたエストレア。直ぐに目を閉じて何かに集中するような仕草をすると、エストレアの黒い光が強くなった。


「かの者を安らぎの世界へと誘え。【夢への誘い(ヒュプノ)】!」


 エストレアが手を上に上げると、そこを中心に見えない何かが波動となって広がった。そして波動は部屋に降り注ぎ、それを受けた赤ん坊達は直ぐに泣き止むと一斉に眠り出した。

 女性は一斉に静かになった事に首を傾げていたが、特に気にしなかったのか、抱き上げていた赤ん坊を元に戻して再び編み物を再開した。


(…今のは何なんだ?)


 事態が終結した所で、今の現象を引き起こしたエストレアに尋ねる。


「あ、あれは闇属性の魔法で、対象を眠らせる効果が有るんです」

(そうか。アレが魔法か)


 生まれ変わって初めての魔法。火の球見たいな派手な物では無かったが、それでもこの目で確りと目撃した。


(俺もいつか使えるようになりたいな)

「フエェ!?」


 何となく思っただけだったのだが、何故かエストレアに驚かれた。


(何だ?俺何か変な事言ったか?)

「い、いえ!何でも有りません!…(レイ様が私の魔法を…ハウ〜!)」


 レイが自分の魔法を使いたいと、認めてくれた事に歓喜して悶えるエストレアを、レイは若干引き気味で見ていた。


「あ、あのあの!宜しければ、レイ様が魔法を使えるように成られましたら、わ、私が闇魔法をお教え致します!」

(本当か!?)


 魔力を扱える様になっても肝心の魔法を知らないのでは意味が無い。どうにかして魔法を覚えなくてはならなかったのだが、エストレアが教えてくれると言うのであればその手間が省ける。レイとしては非常に大助かりだ。さっきまで引き気味だったのに、今では気分は前のめりだ。


(じゃあ頼む)

「ハイ!」

「あ!じゃあ私も!」

「それじゃあ私もお教えします」

「なら僕も」

「無論妾もじゃ」

(ああ、頼む)


 これで魔法を覚える術は手に入った。後は魔法を十全に扱えるようになるまで魔力制御を鍛える事と、少なくとも一人で行動しても怪しまれない程度に成長するのを待つだけだ。数年単位の長い待ち時間だが、それでも前世で孤立していた十数年よりは短く済むのだから、そう苦痛な物でも無いだろう。

 おしめと授乳というストレスマッハな出来事はあるが、きっと大丈夫な筈だ。きっと…多分…恐らく。


 その後レイは予定通り魔力制御の訓練を行った。他の赤ん坊が全員寝ているのにレイだけ起きてたら怪しまれるので、訓練の方も寝たフリをしながら行われた。


(これ、結構疲れるのな)


 まだ制御も甘いし、時間も長くは続かなかった。上手な動かし方を模索している内に精神的な疲労で続けられなくなってしまった。


「そりゃ赤ちゃんだもの。しょうがないよ」

「寧ろ赤子が魔力を操っている時点で驚愕物じゃろう」

(そうは言われてもな)


 転生前では今の倍くらいのスピードでギュンギュンと動かしていたから、どうにも納得出来ない。果たして前の時みたいに扱える日が来るのか、今から少し心配になって来る。


「大丈夫だよ!レイは頑張り屋さんだもん!きっと上手になるよ!」

(そう言ってくれるのは有難いんだけどさ、せめてへばり付くの止めてから言ってくれよ)


 顔にへばり付いて頬擦りしながらニヤけ顔で言われても言葉に重みを感じ無い。寧ろ馬鹿にされてる気すらする。


「や〜!」


 しかしフラムは止めるどころか更にグニグニと頬を押し付けて来た。フラムの頬もスベスベて肌触りは悪く無いのだが、疲れている所為か酷く鬱陶しい。


(まあ良いや、こう言うのは気長にやるしか無いよな)


 まだ赤ん坊なのだし、気長に鍛える事にする。幸い時間なら数ヶ月単位であるだろうし。一日に数回訓練するだけでも相当上手くなる筈だ。


(兎に角今回はこれ位にして、俺は一度寝る。もう眠いし)

「あらあら、もうおネムなのね」

(別に良いだろ。赤ん坊なんて大抵寝てるような物だし)


 一日の大半を食っちゃ寝して過ごすのが赤ん坊だ。何だかそう聞くととても羨ましく聞こえる。自力で食事と下の処理が出来ないという致命的な欠点がある以上ずっと赤ん坊でいたいとは思わないが。


「お、お休みないませ、レイ様」

(ああ、お休み)


 精霊達に見守られながら目を閉じると、意識は直ぐに深い闇の底へと落ちて行った。

 しかしレイが眠ってから数時間経っての事だった。途轍も無い空腹感と周りから聞こえる耳を劈く様な赤ん坊の泣き声が、レイの意識を無理矢理現実世界に引き戻したのだ。


(またか。本当に赤ん坊は良く泣くよな)

「そう言うレイも赤ちゃんの筈なんだけどね」

(俺は特別なんだ。そう思って置け)

「自分で言うのか」


 多少傲慢に聞こえるかもしれないが、前世の記憶を引き継いでいるのだから強ち間違ってはいないだろう。


(それよりも問題なのは空腹だ)

「普通に飲まして貰えば良いじゃん」


 フラムは軽く言うが、流石に今回は少しばかりハードルが高い。食事を摂るという事は、それ則ち、あのふくよかな女性…言ってしまえばオバサンの乳を吸わなくてはならないという事だ。レイは見た目は普通の赤ん坊だが、心は前世の記憶を持つ十六歳の青少年だ。好き好んでオバサンの乳を吸いたいとは思わないし、しなくてはならないとしても躊躇してしまう。

 レイが躊躇している間にも、他のお腹を空かせた赤ん坊達は次々とオバサンの胸に吸い付いて母乳を飲んで行く。あの見た目の女性相手に物怖じせずに母乳を吸いに行ける本物の赤ん坊の純粋さが、今はとても羨ましく見えた。

 しかしレイが悩んでいる間にも、事態は先へと進んで行く。どういう訳か、他の赤ん坊の世話を終えたオバサンがレイを抱き上げたのだ。


「そろそろアンタもお腹すいたんじゃないのかい?沢山飲んでおかないと大きくならないよ」


 どうやら親切心からの行動らしいのだが、今のレイには大きなお世話だ。どんどんオバサンの乳が迫って来る様は、まるで猛獣がノシノシと近づいて来るのに近かった。


(いや、待って。待ってくれ!まだ心の準備が…アーーーーー!!!)


 そこから先の事をレイは覚えていない。分かっているのは腹が膨れていた事から心を無にしてやったのだろうという事だけだ。


 ーーー


(ーーーハッ!)


 気が付けば、外はもう夕暮れになっていた。赤ん坊達はスヤスヤ眠っており、あの時の騒がしさが嘘だったかの様だ。

 そしてレイは母親であるユーリの腕に抱き抱えられていた。


「今日は助かりました。」

「こっちこそ、その子見たいな大人しい子なら大歓迎さ!いつでもおいで」


 どうやらあの家に帰れるらしい。その事にまるで救いが訪れたかのような気になるレイ。

 しかし現実はそう甘くは行かないものだ。


「はい。明日からも宜しくお願いします」

(………)

「わっ!レイ大丈夫!?何か酷い顔になってるよ!」


 フラムの声が何を言っているのか分からなかった。というか声を認識出来なかった。今のユーリから発せられた言葉には、レイの思考を停止させるだけの威力を持っていたのだ。

 つまりこれから暫くの間、あのオバサンの世話になるという事だ。あの記憶の飛ぶような強烈な出来事を、これから乳離れするまでの間毎日続けなければならなくなってしまった。

 家へと戻って行くユーリの後ろで、オバサンが手を振っていた。出来ればその通りさよならしたかったのだが、それはまだ出来そうに無い。果たして命よりも先に精神が保つのだろうか、そっちの方が不安になったレイだった。

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