大商会VS露店商
「全くもって腹立たしい奴だ!」
自分の執務室に戻るなり、マコドットは苛立ちを隠しもせずに悪態を吐く。
それに続いて先程マコドットの背後に控えていた護衛の片割れも入室する。
「そう言いますけどね、実際あれはヤバいでしょ」
身動き一つ出来なくなる程の濃密な殺気。一体どれだけの修羅場を潜り抜ければそんな事が出来るのか見当もつかない。実際はただ莫大な量の魔力でごり押ししただけなのだが。
「フンッ!あんな物、どうせ何かしら小細工したに決まってる。そうでなきゃあんな小僧に歴戦の戦士のような真似が出来る筈がない」
「そりゃあそうなんですけどね…」
護衛も何かしらカラクリがあるとは思っている。しかしその小細工が何なのかが分からないと、結局は相手にしてやられたという事実には変わらない。
しかしそんな事をマコドットに包み隠さず伝えれば、ただでさえ悪い機嫌が更に悪くなる事は火を見るよりも明らかだ。それを理解している護衛は、そんな危険は冒すまいと反論を諦めた。
そんな護衛をよそにマコドットは椅子に深く腰掛け───瞬間、椅子の後脚が一本折れ、マコドットは椅子ごと後ろに倒れた。
「ぐへぇ!?」
後頭部を強打して呻くマコドットを、護衛の男が呆れ顔で眺める。
「うわぁ〜、大丈夫ですかい?」
「煩い!頭に響くから黙っていろ!クソッ、これも全部奴の所為だ」
明らかに自身の声の方が頭に響きそうな大声を上げ、後頭部の痛みをこの場に居ない例の所為にするマコドット。完全な責任転嫁だというのに強ち間違っていない所が何とも言い難い。
勿論そんな事を知らない護衛は『そんな訳無いだろ』と内心ツッコミを入れていた。
「こうなったら何としてもあの店を潰してやる!」
「そうは言いますけど、もうドミケス兄弟は使えませんぜ。あいつ等あれ以来、あの子供の事となるとすっかり怯えるようになっちまったそうじゃないですかい」
マコドットが大した相手では無いと高を括って嗾けたドミケス兄弟。しかし結果は失敗し、その上ドミケス兄弟はレイの事を異常に怖がるようになってしまったらしい。
『あいつはヤベェ!下手に喧嘩売ったら家より高く殴り飛ばされる!』と言っていたのを事務員が聞いたそうな。
勿論マコドットはそんなのはあり得ないと切って捨てたが、護衛の男はここに来てあり得るのではないかと思い始めていた。
「フンッ、奴等も所詮は商人だ。やりようは幾らでもある。奴等を俺と同じ商人として扱うのは、腹立たしい事この上ないがな」
最早手段を選んではいられない。打てる手があるなら、それを行うのに躊躇いは無くなっていた。
「見てろよ、大商会と露店商の力の差を教えてやる…!」
ーーー
明くる日、いつものように商売をしているレイの店の前に、小さな荷馬車が止まった。小さいとはいっても、荷車の広さは軽自動車くらいあるため結構な荷物を詰めそうなサイズである。
そして荷馬車から降りてきた馬車を操っていた男はこれまで相手にしてきた一般市民とは雰囲気が異なり、後ろの荷馬車も含めて商人らしさが伺えた。
男は御者台を降りるなり胡散臭い笑みを浮かべて話し掛けて来た。
「どうもどうも。私コモノック商会を営んでおります、コモノックという者です」
(うわぁ…)
あまりにも態度と名前から漂う小物臭にレイが内心で呻く。名は体を表すとは言うが、これは酷過ぎる。
「それで、何の用だ?」
「はい。風の噂でとても良い品質の野菜を安く取り扱っているお店があると聞きまして、宜しければ私にお売り頂けないかと」
要するに仲買みたいな事をするつもりなのだろう。小物とはいえ商人だけあってか、そういう所には頭が回るらしい。
利用されるようで気分はあまり良く無いが、この商人が買っただけレイには儲けになる。加えて目標金額を稼いでレイが街から去れば破綻する商売だ。その被害は全てコモノックが被るもので、最終的にレイが損をする事は無いだろう。
「別に構わないけど」
「ありがとうございます!」
お礼と共に胡散臭い笑みが更に深くなる。顔に『しめしめ』という擬音が書いてあるかのようだ。
「それで、何が欲しいんだ?」
「そうですねぇ、出来ればある程度纏まった量が欲しいのですが、これ等の商品は如何程で売っているのですかな?」
「そこの野菜が二本で銅貨一枚、香草の類は一束で銅貨一枚、小麦は一袋銅貨十枚だ。言っとくけどビタ一文負けないからな」
「ええ、ええ。それで構いませんとも。ではそうですなぁ…」
コモノックは一瞬だけ考える素振りをして、しかしほぼ即答に近い形で返答した。
「それでは、店頭に並んでいる品を全て頂けますかな?」
「…全部?」
「はい、全部です」
それはつまり、レイの店の商品を買い占めるという事だ。それだけ利益が望めると踏んだのかとも思わなくは無いが、コモノックの胡散臭い笑みを見る限りそれだけでは無いのだろう。
そう思っていると、横からカーラッツが耳打ちして来た。
「レイ、多分だけどあいつはレイの商品を買い占めて、それを高い値段で売り捌くつもりだ」
カーラッツが言うには、先ずレイの店の商品を根こそぎ買い占める。そしてレイの売る物が無い状態で、先程レイから買い占めた品をより高い値段で売る。そうする事でより大きな利益を生み出そうという魂胆らしい。
レイの売る野菜や小麦は見た目も味も他の店とは比べ物にならないくらい品質が良い。当然割高でも欲しいという客も存在している。レイの露店の常連客がそうだ。
レイは市場の相場から適当に値段を決めていたが、本来なら二本で銅貨一枚でもその品質では破格の値段なのだ。それを相応の値段にして売っただけでも結構な利益になる。コモノックはそうやって楽に利益を得ようとしていると、カーラッツは予想したのだ。
「無駄な努力だな…」
隣にいるカーラッツが辛うじて聞き取れる音量で呟いて、レイはコモノックに答えた。
「ここにある品、全部で銀貨二枚と銅貨五十枚だ」
「そうですかそうですか!では…こちらになります。ご確認下さい」
コモノックは懐から皮袋を取り出し、そこから銅貨を、そして別の皮袋から銀貨を二枚取り出した。取り出している最中に枚数を数えたが、ちゃんと銅貨は五十枚あった。
「はいよ、持って行きな」
「はい、それではーー」
コモノックは荷馬車の荷台にテキパキと品物を置いて行った。
商人と言うだけあってその辺の技能はちゃんとしているようで、およそ数分で品物は全て荷台に移された。
「では私はこれにて」
コモノックは荷物を積み終えると、やや急ぎ気味に露店を後にした。
空になった商品の容れ物を前に、カーラッツがレイに尋ねる。
「えっと、良いのかい?」
「問題無い」
レイが容れ物に手を入れると、ローブの袖からボトボトと商品が流れ出て来た。それ等は瞬く間に容れ物を埋め尽くし、僅か数秒ですっかり元通りになった。
「ほらな」
「うわぁ、これじゃあどっちが嵌められたのか分からないな」
「この街で商売やってるような奴なんて大概詐欺師みたいなもんだろ。寧ろ普通に商品を売ってやっただけ、俺の方が真っ当だと思うけどな」
「……なんか、相手の方が可哀想に思えるよ」
ぼろ儲けの筈が完全に当てが外れたコモノックを思い、カーラッツは同情を禁じ得なかった。
ーーー
「クソッ!」
ダンッ!と机に拳が叩き付けられる。打ち所が悪く変に打ち付けた小指が痛むが、今はそれすら気にならない程に怒りで頭が沸騰していた。
「あの小僧、舐めた真似しやがって…!」
歯を食いしばり、この場に居ないレイに恨み言を吐くマコドット。
というのも、今回コモノックが行った商品の買い占めは、全てマコドットが指示した事だったのだ。
コモノックがレイの店の商品を買い占め、それをマコドットが相場の値段で買い、それ等をマコドット商会のコネを利用して高値で売り捌く。そうする事で自分の利益を上げつつレイの店の信用を落とそうと企てたのだ。
レイ本人は気に食わなくとも、その店に並ぶ商品の質が良いのは一目見で分かった。
あれだけの品は長年商人をしているマコドットをもってしても、歴代で最も良い物であると評する程の最上級の品だった。
それなら多少割高になってでも買う物は幾らでも居る。最近取引の少なくなった領主も、これを見れば掌を返すだろう。
加えて常に品切れを起こすレイの店の市井からの評価も落とす事が出来る。そうなれば後は金づるとして飼い殺すも邪魔者として潰すもマコドットの自由…となる筈だった。
しかし報告によると、コモノックが商品を買い占めた後も、黒ローブは問題無く商売を続けているらしい。
それはつまり商品は無くなってないという事であり、相手を貶める事が出来なかったという事である。
商品の方は上手く売り捌けたから良かったものの、作戦本来の目的の方は果たせなかった形になったし、これではマコドットが金づるとして利用するというよりも、マコドットが鴨として利用されたようにすら見える。それはマコドット自身が許せなかった。
「奴も奴だ、肝心な所でまんまと騙されやがって。多少は使い物になると思って利用してやっていたが、所詮小物か」
感情のままにコモノックを貶すマコドットだが、その内容は実際には言い掛かりに等しかった。
一介の露店商が大量の商品を異空間に保管しているなんて普通は思わないだろう。しかしそれを知らないマコドットはただコモノックが露店商に良いように騙されたと判断したのだ。
しかし幾らコモノックを扱き下ろした所で、マコドットのストレスの十分の一も発散されない。ただでさえ最近は小さな不幸が続いていた状態で、今回の作戦失敗は特大のストレスとなった。とてもでは無いが、そう簡単に発散出来るものでは無い。
だがこうしていても何も始まらない。マコドットはほんの少しだけ冷静になった頭で次の手を考える。
ただ幾ら考えても良い案は浮かばなかった。
今度こそ買い占めるにしても、レイの店の在庫がどれだけあるのか分からないからどれだけ買い占めれば良いのか分からないし、買う量が多過ぎると在庫が余って損をする。
露店の悪い噂を流しても意味は無いだろう。元々あの露店はその品質に魅せられた常連客しか通わない。故に噂程度では揺らぎはしないし、下手すれば店主に噂の出所を探られて逆にマコドット商会の方がダメージを受けかねない。
他にも色々と考えたりはしたが、どれも有効には思えなかった。
しかしマコドットに退くという選択肢は存在しない。これまで幾度と無くライバル店とぶつかって、ある時は潰し、またある時は相手を貶めて今の地位を築き上げたマコドットのプライドが、露店商如きに負けを認める事を許さなかった。
「こうなったら手段は選んでられんか…」
マコドットは忌々し気にそう呟くと、事務員を呼んである者を呼んでくるように命じた。
「一体何の用ですかい?」
暫くしてマコドットの執務室を訪れたのは、以前マコドットと共にレイの露店に来ていた護衛の一人だった。
「来たか」
「そりゃあ呼ばれましたからね」
「戯言は良い。仕事だ、あの露店を潰して来い。どんな手段を使ってもだ」
「おいおいそいつは無茶を通り越して無謀ってもんですよ。あの時受けた殺気をもう忘れたんですかい?」
以前レイの殺気を受けて以来、彼は『アイツとは戦うべきじゃ無い』と考えていた。
仮にあの殺気が本人のものでは無かったとしても、それを放った別の人物は向こうの味方をしているという事になる。
そしてそんな奴を相手に勝てると言い切れる程、彼は自惚れてはいなかった。
しかしストレスと怒りで凝り固まったマコドットの考えは揺るがなかった。
「煩い!俺がやれと言ったらやるんだよ!」
ガンッと拳で机を叩いて怒鳴りつけるマコドット。
「落ち目だった貴様等傭兵を雇ってここまで育ててやった恩を忘れたとは言わせんぞ、ダードリー!」
「そうなんですけどねぇ」
そんな気の無い返事をしつつ、ダードリーと言われた護衛の男は思案する。
マコドットの命令は言うなれば無茶振りである。ダードリーがこれまでやって来た仕事はマコドットの護衛やちょっとした恫喝等が主だ。今回のような完全な実力行使とは訳が違う。
ましてや相手には尋常じゃ無い殺気を放つ存在が居る。傭兵とはいえ落ち目になるようなダードリー達は素人よりは強い程度の実力しか無い。下手に攻撃すれば返り討ちにに会うのは目に見えていた。
世話になった恩はあるが、だからといって一緒に破滅するつもりは毛頭無い。かといって何もせずに逃げたとなれば今後の傭兵稼業に支障を来す恐れがある。
どうしようかと考えたダードリーは、暫く思案した後にこう提案した。
「じゃあその分金を頂けないですかね?」
「金だと?ふざけやがって。ちゃんと給金は出してるだろうが」
「いやいや、それとは別に必要な準備があるんですよ。何せ俺達を震え上がらせる程の殺気を放つ得体の知れない奴と戦う可能性もあるんですからね。相応の準備は必要なんですよ。そっちだって成功させたいんでしょ?」
命令したのはマコドットの方、自分はそれに必要な金を要求しているだけ、ダードリーはそう言いたいのだ。
そしてそれに文句をつけるのなら、その命令には従えないとも。
「俺達に無茶させようってんだから、それくらい用意してくれたってバチは当たんないでしょ?それとも準備も出来ていない状態で出来るかも分からない仕事をさせますかい?失敗すれば俺達もあんたも無事じゃ済まないでしょうけどね」
「テメェ…!この俺を脅すってのか?」
「いやいや、俺達傭兵であって奴隷じゃ無いんですから、こんな明らかにヤバい仕事、ハイそうですかと受けられる訳無いでしょうが」
傭兵だって商売だ。出来ない仕事はしないようにするのも、この業界で長く生き残る為の術の一つである。それを『ビビって逃げた』と抜かす奴は基本的に三流であり、そういう輩は大抵長生きしない。かくいうダードリーもそれで痛い目に合ったばかりに落ち目になったのだから。
「フンッ、そんな事を言って良いのか?俺との契約の内容を忘れたのか?」
「あんたの命令には必ず従う、でしょう?だからこうして、あんたの命令に応える為に必要な金をくれと言ってるんですよ。策は一応あるんですが、それにはどうしても金が要るんでね」
「策だと?それは勝算のあるものなんだろうな」
「無けりゃこんな要求しないですって。こっちだって命が懸かってるんでね」
マコドットはそれを聞いて少しばかり考える。
露店商一つ潰すのにこれ以上金を払うのは嫌だが、敵は何度も梃子摺らされた相手。それを潰す事で溜まりに溜まった鬱憤を晴らせるのなら、多少の持ち出しは許容範囲内。
「…失敗は許さんからな」
「分かってますって。それじゃあ俺は部下を呼んで来るんで、それまでに用意しといて下さい」
そう言ってダードリーは部下を集めるべくマコドットの執務室を出て行く。
その道中、ダードリーは今日のマコドットの様子を思い出していた。
以前はがめつくもどこか余裕のある雰囲気があった。自分が築き上げた街一番の大商会という地位が、彼に自信と余裕を与えていたのだろう。
しかし今はそれが足枷になってしまっている。街一番の大商会というプライドが、露店商一つ潰せずにいる事に腹を立て、それに固執するあまり余裕が無くなっていた。
だから今回のように護衛の筈のダードリーに足が付きそうな事を命じている。
「そろそろ、潮時かね…」
ボソリと呟かれたダードリーの言葉は、どこか不穏な空気を纏っていた。
あれ?なんか戦いが小ちゃいぞ?(・_・;
いや、まだだ!まだ戦いは終わってない!きっとこの後に凄い展開があるはずだ!
(° 3°)「………」
おい作者、こっち見ろよ。




