『食屍鬼』と呼ばれた子供
一部グロ注意です。
物心ついた時には、既にスラムの住人だった。
両親の顔も名前も知らず、生きる術を持たない子供には、スラムという世界はあまりにも過酷だった。
そんな子供がスラムで生きて来られたのは、偏に家族のお陰だと言って良いだろう。
両親の顔も知らないのに家族とはおかしな言い方だが、実際その子供には家族がいた。
それは同じくスラムで生きる子供達。形は違えど、皆同じスラムで生きる事を余儀無くされた者達。大人と比べても明らかに脆弱な子供達がスラムという過酷な環境で生き残るには、寄り集まって徒党を組むのが最も確実な方法だった。宛ら、小魚が大きな群れを形成して自分達よりも大きな存在から身を守るかのように。
いや、子供達はそんな難しい事は考えていなかっただろう。その行動の真理は、ただ仲間が欲しかっただけなのだ。孤独感や寂しさを埋めてくれる何かが欲しかっただけなのだ。
しかし徒党を組んだとしても、決して生活が楽になる訳では無い。人数が増えれば必要になる食料も増える。当然全てを賄う事は出来ず、必然的に少なくない数の子供が命を落とした。
そんな中で運良く生き残る事の出来たその子供は守られていた分を返すかのように、そして何よりも生きる為に、食料を得る為の物取りに参加した。
途中何度か失敗してボコボコにされたりもしたが、それでも食料を集める事は出来ていた。罪悪感なんて微塵も無い。少なくとも子供達にとって、生きる為にはそうしなければならなかったのだから。
だがそれでも生活は厳しく、時には空腹で眠れない夜を過ごした事もある。
そんなある日の事だった。その日は前を向く気力も無い程空腹が激しく、ただ下を見ながら食べ物の事を考えては腹を鳴らし、スラムの狭い路地を行く当ても無く、フラフラと幽鬼のように歩いていた。
大通りは兵士が見回りを強化したばかりで行くに行けず、かと言って他にどこに行けば食べ物が手に入るのかこの時は知らなかった子供には、道端に食べ物が落ちている可能性に賭けるしかなかった。
歩けど歩けど荒い石畳ばかり映る視界の中で、ふと、あるものが目に映って足を止めた。
骨と皮ばかりの体をボロ布で隠すような、子供と同じスラムの住人と思しき見窄らしい姿。それは端的に言って、一人の男だった。
その男は既に呼吸をしておらず、ピクリとも動かないそれは紛う事なき死体であった。
そう、目の前に死体が転がっていただけ、ただそれだけの事。そのまま横に避けるなりして素通りすればそれで終わる話だ。
しかし、話はそれで終わらなかった。空腹のまま腹を鳴らして死体をガン見していた子供。そうしている内にフラフラと誘われるように死体に近寄ると、あろう事かその死体を食べ始めたのだ。
薄汚い体に歯を突き立て、ブチブチと肉を食い千切り、グチャグチャと音を立てて咀嚼していく。味なんて関係無い、ただ腹が膨れれば良いと言わんばかりに、一心不乱に貪るその様は獣のようで、おおよそ人と呼ぶには異常過ぎる光景だった。
普通の、地球における一般的な現代社会に生きる人間なら、先ず間違い無く取らないであろう忌避される行動だ。それはこの世界の住人でも例外では無い。
しかし道徳的な教育を一切受けず、産まれながらに劣悪な環境で育ち、生きる為なら他者から奪う事も辞さないこの子供は、そんな一般的な倫理観を極限なまでの空腹によって理性と共に投げ捨て、本能によって共食いという凶行に走った。
結果として、その子供は生き長らえる事が出来た訳だが、その光景を偶々見ていた者が噂を広め、後にその子供は『食屍鬼』と呼ばれるようになった。
そんな『食屍鬼』がレイの戯れに巻き込まれてから数日が経過した。
あの日からレイの店の客足が少なくなる(元々そんなに多くは無いが)時間帯になると、レイが適当な路地裏に来ては適当に『食屍鬼』と戯れて帰って行くようになり、その度に『食屍鬼』はボコボコにされていた。
勿論『食屍鬼』は本気でレイの首を取りに行っているのだが、実際にレイには戯れ程度の力加減でどうにか出来てしまうのだから、レイからすれば戯れで合っている。
そして今日もボロボロになるまで痛めつけられた『食屍鬼』は、暫くして動けるようになるとフラフラとした足取りで歩き出した。
気合と根性でも立ち上がれなくなる程痛め付けられておいて僅か数分で歩けるようになる回復力にはスラムの貧民とは思えない生命力を感じさせるが、そんな事は『食屍鬼』には何の慰めにもならない。
頭にあるのはただ一つ、負けたという事実だけだった。
「クソッ…」
行き場の無い苛立ちが、悪態となって力無く漏れる。
何度やっても一向に勝ち目が見えない。どんな攻撃も全て受け流され、変則的な動きも全て初見で対応される。そして時間が経てば向こうから攻めて来て、そのまま一気に打ちのめされて終わる。
初日から今日まで全部そんな感じで、殺すどころか一度も有効打を与えられていない。その事実に苛立ちを、そして早くアレをなんとかしないと、その攻撃の矛先が仲間達に向きかねないという考えが焦燥感を生じさせていた。
いっそ奇襲してしまおうと何度も思ったが、当人が一切隙を見せない上に、そんな事をすれば本当に仲間達が殺されかねない。故に今まで一度も奇襲を仕掛けられないでいる。
そうして今日もボロボロの状態で、仲間達の居る場所へと戻って来た。既に一仕事終えて仲間達は全員帰還しており、今は全員で戦利品の食べ物を分け合って食べてるところだった。
「あ、やっと来た───ってまた大怪我してる!」
小さな子供達にご飯を与えていた少女が、『食屍鬼』の姿を見て慌てて駆け寄る。しかしそれはカツカツと杖をつきながらの遅々としたものであった。
少女につられるようにして、周囲の子供達も『食屍鬼』の姿を見てその惨状に驚き、中には心配して近寄って行く。
「ニコ、大丈夫?も〜こんなに一杯怪我して」
怒ってるのか心配してるのか分からない言い回しで、純粋に心配する子供達に囲まれた『食屍鬼』のニコを窘める。
ニコは危なっかしい足取りで近付いてくる少女に自分から近寄り、彼女の体を支える。
「大丈夫。全然痛くないから」
「大丈夫じゃないわよ。色んなところが青くなってるじゃない」
手足に出来た青痣を見て懸念を口にするが、ニコは『大丈夫』の一点張りだった。
そんな二人に、更に一人の少年がやってくる。
「あんまり甘やかすなよソフィア。これはニコが勝手にやった事なんだからな」
「ゼクス」
ゼクスはこのグループの食料調達チームのリーダーであり、グループの纏め役であるソフィアと並んでグループのトップにいる。リーダーシップもあり、発言力も高い。
「お前達も早く食っちまえ。外の連中に取られる前にな」
そんなゼクスが命じると、ニコを心配していた子供達がいそいそと離れ、手にした食べ物を食べ始める。
「ニコ、お前もあまり勝手な事はすんな。お前のせいで俺達まで喧嘩に巻き込まれたらどうすんだよ」
「ちょっとゼクス───」
「分かってる…」
ソフィアがゼクスを咎める前に、ニコはソフィアの抱えていた食べ物から果物を一つ毟り取ると、グループの隅に行って胡座をかいてかぶり付いた。
「ゼクス、何もそこまで言わなくたって」
「あいつにはこれくらい言わなきゃ聞かないからな。それにあいつのせいで、まだ小さい奴等も襲われたりしたらどうすんだよ?」
「それは…」
スラムに住み着く住人の中には当然子供もいる。親に捨てられた子供だったり、望まれて生まれて来なかった赤子だったり。
このグループはそれを見つけてはグループに引き入れている。当然、その中にはまだ自力で歩く事も困難な幼子だっている。襲われたりしたら、先ず助からないだろう。
スラムの住人にとってはただの子供かもしれないが、グループにとっては大事な仲間だ。ニコの勝手で失う訳には行かない。
「お前だって知ってんだろ、ここじゃ気を抜いた奴から死んでくんだよ」
「うん…」
ソフィアもゼクスもグループ内では最古参になる。必然的に仲間が死ぬのを何度も目にしているし、それ故にスラムでは油断大敵である事も理解している。
「俺達だって偶々死ななかっただけだ。気を付けないと兄貴達のように…」
「うん…」
沈んだ声で返事をしながら、ソフィアはニコの見る。確かにニコは沸点が低く喧嘩っ早いが、仲間を思う気持ちはゼクスにも引けを取らない。
そんなニコが毎日のように喧嘩をして、しかも傷を負って帰って来る事には、何か理由がある気がしてならなかった。
ーーー
一方その頃、店に戻り通常営業に戻ったレイの下に見知った顔がやって来た。
その顔は忘れる筈が無い。この街に来た初日にレイの麦を安く買い叩こうとし、その上脅して麦を奪い取ろうとした、もう二度と会うつもりは無かった男。革鎧を身に付けた護衛を引き連れた、マコドット商会の会頭マコドットである。
カーラッツも一度騙された経験があるからか、その表情は硬い。周囲も物々しい雰囲気に騒然となっていた。
「お前か。最近調子に乗っている商人というのは」
来て早々威圧感満載でレイを見下すその様子は、どう見ても商品を買いに来たものでは無い。
「人違いだな。見ての通り、ウチは客足が少ない。調子の乗りようが無いな」
あまり話をしていたい相手では無いので、適当な事を言って帰って貰う。一応言ってる事は事実だから、後で嘘吐き呼ばわりされる事も無い。
「しらばくれても無駄だ。全身黒尽くめの商人なんぞ、この街にはお前しか居ない」
(じゃあ聞くなよ)
ともかく、マコドットがレイを目当てに来た事は確定した。この時点で面倒事しか起こらない事は確定している。
というか、マコドットが来た事自体が既に面倒事だ。迷惑極まりない。
「で?そうだとして、何か用か?」
「フンッ、口の聞き方のなってない小僧だ。俺はこの街でも随一の商会を持っている。お前のような木っ端商人なんぞ、俺が手を回せば直ぐにでも潰せる」
「ヒッ…!」
元々の店の持ち主であるカーラッツが怯えるのを見て気分を良くするマコドット。このまま言葉で脅せば退かせられるのではと考えたりもしたが、正面に座るレイは声色一つ変えず、なんて事無いかのように返答した。
「言いたい事はそれだけか?」
「何…?」
『ちょ、何やってんの!?』と言わんばかりのカーラッツを無視して、レイは何の躊躇いも無く続ける。
「要件は終わったのかって聞いたんだよ。他に用があるんならさっさと言え。幾ら暇とは言え、お前みたいなクソ野郎の相手をする時間は無い」
「小僧、俺の言った事が聞こえなかったようだな…!」
「ちゃんと聞いた上で言ってんだよ。そっちこそ、俺に喧嘩吹っかけておいて無事に帰れると思うなよ」
そう言った瞬間、レイのローブの袖から刃が生えた。剣を握ったレイにマコドットは怯み、逆に警戒心を剥き出しにした後ろの護衛達が腰に下げた剣に手を掛けて前に出ようとしたが、レイが態と魔力を放出して威圧すると足を止めた。
レイからすれば少しだけ漏らした程度の量でも、相手からしたら圧倒的な威圧感となっており、一歩でも動けば殺されると、そう護衛達に思わせたのだ。
尤もそれはレイの精密な魔力操作によってマコドットと二人の護衛にだけ向けられおり、蚊帳の外にいるカーラッツなんかはそんな威圧感とは関係無く『いやぁー!やめてぇー!俺の店で争わないでぇー!』と悲壮感満載の顔をしている。
「ふ、フンッ!お前のような野蛮な奴の店なんぞ、俺が潰さなくとも勝手に潰れるだろうよ!精々俺にそんな態度を取った事を後悔するんだな!」
カーラッツの心配をよそに、マコドットが負け惜しみとも宣戦布告とも取れる言葉を残し、護衛を連れて去って行く。
『エストレア』
「はい!」
『あいつ等に軽く仕掛けて来い。バレない範囲の中でそれなりにキツい奴をな』
「喜んで!」
言葉通り喜びに体の光を強めながら飛び出したエストレア。感情に触発されてか、エストレアの通った後に一瞬だけ黒い光の軌道が残る。
そして去り行く馬車の中に侵入して、それから殆ど間を置かずに馬車を出て、晴れ晴れした表情でレイの下に戻って来た。
「ただ今戻りました!」
『おう。…それで、何をして来たんだ?』
「はい!軽めと仰られていましたので、【不幸の願掛け】を掛けて暫く小さな不幸が続くようにしておきました!」
『そうか。良くやった』
思っていたよりまともな内容だった事に逆に驚きはしたが、想定していた最低限の嫌がらせはしてくれていたので良しとする。
「いえ!勿体無いお言葉ですぅ」(小さな不幸も積み重なれば…フフフフフ)
後ろで小さくエストレアが笑っていたが、その内心を知らないレイは特に気にしなかった。知ったところで、別に嫌いな相手がどうなろうとレイは気にしないのだが。
ともあれ元凶が居なくなり、辺りはいつも通りの騒がしさが戻って来た。道行く人は歩き出し、露店商達は客引きを再開する。
「な、なんて事をしてくれだんだよぉぉぉ!!」
しかし渦中に居たカーラッツは未だに立ち直っておらず、争いの火種を作ったレイに食ってかかる。
大事な店(今はレイに乗っ取られているが)が潰されるような危険が迫っている事を思うと、カーラッツは気が気でなかった。
「目の前で大声を出すなよ。耳が痛くなるだろ」
「こっちは不安でお腹を壊しそうだよ!!」
「おぉ、そうか…漏らす前に行けよ」
「漏らさないよ!!」
危機感なんて一切感じさせないレイの反応に頭を抱えるカーラッツ。その表情はまるでこの世の終わりを目の前にしたかのようで、顔色も真っ青を通り越して土気色になってしまっていた。
「あ〜もう駄目だ、お終いだぁ〜」
「安心しろ。本格的に面倒になったら元凶を排除して終わらせる」
「だから心配なんだよぉ〜」
今までギリギリの所でそうならずに済んでいるが、その気になれば迷わず攻撃する事は先日の『食屍鬼』襲撃事件で既に実証されている。
そして万が一にもそんな事になれば、殺傷沙汰を起こした危ない店と言われて客が来てくれなくなってしまう恐れがある。下手すれば店の持ち主であるカーラッツにまで被害が行きかねない。
「そんなに心配するなよピーナッツ」
「俺の名前はカーラッツだって何度も…って、何食べんのさ?」
「ナッツ。食うか?」
「要らないよ!」
兎に角、このままではヤバいというのがカーラッツの見解だ。直ぐ横ではブラックセイバーがレイからナッツをおねだりするという途轍もなく違和感を感じる光景が繰り広げられているが、カーラッツにはそんな空気に浸る余裕は無い。
(俺がなんとかしないと…!なんとか…なんとか…!)
必死に思考を巡らせるカーラッツだったが、彼の職業はただの商人。それもまだまだ駆け出しのヒヨッコである彼には、そんな血なまぐさい展開を回避する手段など持ち合わせている筈も無く、またそんな手段を思い付く頭も無い。
(誰かぁ〜!誰でも良いから助けてくれぇ〜!)
遂には自分でどうにかするのを諦め、両手を組んで神頼みを始めるカーラッツ。
そんな心労は露知らず、レイは祈り始めたカーラッツを変な物を見る目で見ていた。
え?やっぱりミクォラが働いてないって?
…だ、大丈夫だ。次こそきっと働いてくれる。
大丈夫…だと思う。多分、きっと、恐らく。




