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人嫌いの転生記  作者: ラスト
第二章
48/56

レイなりの商売

遅くなって申し訳ない。m(_ _)m


(さて、どうするか…)


 街を歩きながらレイは考える。

 この街で金を稼ぐとは決めたものの、その策は全く浮かばない。その為街を散策しながら、何かないかと考える。

 やはり周囲からは奇怪な物を見る目で見られているが、そんな物は完全にスルーして、周囲に映るものの中から情報を探る。どんな物が多く売れていて、どんな物が高く売られていて、どんな物がこの街で必要とされているのか。

 そしてそれ等の中から、レイが自分で出来る商売を導き出す。その為にも、今は情報が必要だ。

 怪しさ満点の姿でジロジロ見ていると通報されそうなので、飽くまで流し見る程度ではあるのだが、それでも情報は入って来る。

 視線を向ければ、客が何を手に取っているのか分かる。耳を澄ませば、その品が幾らで提示されているのかが分かる。後はそれ等の中から必要な情報を選び出し、作戦に組み込むのだ。


(とは言ってもなあ…)


 商売に関してはど素人のレイが幾ら情報を探った所で、何が重要かそうで無いかの判別なんて簡単に出来るものでは無い。

 その上この通りの店はどこもかしこも地球とは違い過ぎるのだ。商品の質は悪いし、その癖銅貨一枚でも多く稼ごうとあらゆる手段を講じている。野菜は虫食いや腐り始めている物でも平気で並べられているし、先程通った場所にあった麦商人の露店では麦の入った袋のが一部ゴツゴツしていた。恐らく小石が何かが混じっているのだろう。

 そんな日本だったら詐欺だとか言われそうな事をやっていても、この街の人々は平気で相手しているし、中には頭の悪そうな人が普通にそんな商品を買って行く。この街にとってはこれが当たり前で、普通の事なのだろう。


 ではこんな場所で物を売るなんて商売経験どころか常識すら無いに等しいレイに可能なのかと聞かれれば、不可能では無いがかなり厳しいと言わざるを得ない。

 ならとっとと有利な場所に行って売ってくれば良いだろうと思われるだろうが、出来るなら可能な限り同じ条件で勝利を収めてドヤ顔したいというのが今のレイの気持ちだ。

 最終的にどうしようも無くなったなら仕方ないが、そうで無くなるまではこの場所で行いたいのだ。主にレイのプライドの問題で。


「……ん?」


 ふと、露店の並ぶ場所に一箇所だけ出来たおかしな露店に目が行った。

 その店には商品が置かれて居らず、かと言って露店の主人と思しき若者の困り顔を見るに完売した訳では無さそうだ。

 普通ならレイの方から話し掛けるような事はしないのだが、今は少しでも情報が欲しい状態だ。レイは露店商の前に歩を進める。レイが進むと進行方向にいる人が避けてモーゼのように楽に進めた。怪しい格好も時には役に立つんだなと思いつつ、目があった露店商に話し掛ける。


「この店はやってないのか?」

「え!?ああ、そうなんだ。ごめんよ」


 レイの声を聞いて子供だと知り警戒心が薄れたのか、思ったより柔らかい声で答える。それでもまだ硬さが残っているのはしょうがないから放っておく。


「何でだ?」

「その。ちょっと事情があってね」

「その事情が何なのか聞いているんだけどな」


 当人にどんな言い辛い事情があるのかなど関係無いとばかりにずけずけと踏み込んで問い詰める。露店商もレイの怪しさから来る気迫に押されて、苦笑い気味に渋々白状する。


「えっと…商品がまだ届いて無いんだよ」

「商品が?普通そういうのって自力で持ってくるものじゃないのか?」


 現代の地球なら兎も角、この世界にそんな配達業をやっている商会が存在するのだろうか。


「ああ。マコドット商会っていう大きな商会が請け負ってくれたんだよ。流石大きな商会だけあって、やってる事も他とは違うよ」

「………………」


 商会の名を聞いて、レイの眉がヒクつく。マコドット商会。それはレイが最初に向かい、商会主をボコボコにした挙句その部分の記憶を消した商会の名前だ。

 レイにとっては悪い思いしかしていないので、正直今の話を聞いても悪い方向にしか考えられない。


「いつ持って来るとか聞かされてないのか?」

「ちゃんと持って来るとは言っていたけど」

「……契約書とかに書いてるだろ」

「契約書?それは一体何の事なんだ?」

「は?」

「え?」


 両者顔を合わせて沈黙する。顔を見るにとぼけている訳では無い。つまり本心から契約書の存在を知らないという事だ。

 つまり、彼は正式な書類を交わして居らず、飽くまで口約束のようなものになっているという事になる。

 簡単に言ってしまえば…


「お前、騙されてるんじゃないか?」

「え!?急に何を言い出すんだ!あんな大きな商会が嘘を吐く筈ないじゃないか」

「何を根拠にそんな事を言ってるのか知らないし知りたくもないけどなぁ、お前の言う取引をやったっていう証拠はどこにも存在しない。もし後で商会からそんな取引はしてないと言われても、それを覆す物は何も無いって事になる」

「そ、そんな…!?ごめん!ちょっと行ってくる!」


 そう言って、彼は店を置いて走り去って行った。恐らくマコドット商会にでも向かったのだろう。レイはそれを見送ると、何事も無かったかのように情報収集を再開した。

 しかし幾ら探せどこれといった妙案は浮かばず、気付けば一周して先程の売り物の無い露店に戻って来ていた。

 其処には先程も居た若者が、この世の終わりのような表情で座り込んでいた。


「やっぱり騙されてたのか」

「ああ…君か…うん。正に君の言われた通りだったよ…」


 遠い目で笑いながら言う。その姿は完全に終わっている者の目だった。


「全財産使った一世一代の賭けだったのに…」

「致命的だな」


 どこかで見た事あると思っていたら、昔地球で見掛けたパチンコで所持金全部すった挙句家が火事で全焼した中年男性と同じ目だった。

 その人は次の日にニュースで取り上げられていたが、何だかそれと同じ運命を辿りそうな雰囲気を彼もしている。

 まあレイとしては彼が死のうが生きようが犯罪を犯して投獄されようが一向に構わないのだが


「………フッ」

「ッ?どうかしたのかレイ」


 項垂れる露店商を見て、ふと、ある事を思い付いたレイは、後ろから尋ねて来るティエラに応答せずに、その口に明らかに何か企んでますよと言わんばかりの笑みを浮かべて彼に言う。


「なあ、ちょっと良いか?」


 ーーー


 数十分後、その場所には一つの露店が出来ていた。

 客から見易い位置に掛けられた、手にリンゴを持つ背中に羽を生やした人の看板のその露店には、色とりどりの野菜が大量に並べられていた。

 道行く人達もその光景に好奇の視線を向けるが、それに反してそれを買おうとする者は居なかった。皆、その露店の主人を見た途端に踵を返してしまうのだ。

 そう、フード付きのローブで全身を包んだ優しさ満点の店主レイの姿に。


「……おかしい。これだけ良い野菜を揃えたというのに、何故一人も客が寄り付かないんだ?」

「いや、その格好が問題なんだって!」


 解せないとばかりにフードの中で眉を顰めて呟くレイに、露店商だった若者が盛大にツッコミを入れる。


「何だよ、商売するのには専用の服が必要なのか?」

「そうじゃ無くて!そんな怪しい格好していたらお客さんなんて来る訳無いじゃないか!」


 そんなド正論を言われても尚、レイは『だから何?』と言いたげな態度で返す。


「周りがどうかなんて俺には関係無い。俺がこれで行くって決めた以上、そこに選択肢は無いんだよ」

「何ていう暴論なんだ…というか、何でそんな格好で商売してるんだい?」

「いや、万が一ムカつく奴を叩き斬ってしまった時に、面が割れると面倒だろ?」

「人殺す前提で商売してるの!?怖っ!」


 そんな事を話していると、ふと、レイの顔が彼に向けられる。

 ドキリと彼の心臓が跳ねる。まさか今ので機嫌を損ねて自分が殺されるのではと思ったが、そうでは無かった。


「というか、この店は既に俺のものなんだから、どうやろうと俺の勝手だろ」


 そういうレイの視線の先には、若者の足元に置かれた麦の入った袋が。

 何て事は無い。その麦こそ、レイがこの店で商売をする為に渡した対価である。


「対価は既に払ったんだ。今更文句は受け付け無いからな」

「あれ?飽くまで店を貸すって話じゃなかったっけ?」

「そうだな。まあ実質俺が乗っ取ったような形になるな」

「サラッととんでもない事言ったよ!」

「いや、そもそもお前、商売出来るような状態じゃ無いだろ」


 レイから突き付けられた事実に若者は言葉に詰まる。

 今の彼は実質レイとほぼ同じ無一文だ。いや、今はレイも多少は持っているからそれよりも悪い状況にある。

 そんな彼に商売をする事など出来る訳が無い。店に並べる商品も無く、新たに商品を仕入れる金も無い。


「人に騙されて有り金全部失うような奴に商売がどうとか言われたく無いんだけど」

「グフゥッ…」


 ワンツーパンチでノックアウトされ膝をついて項垂れてしまった若者は放っておき、レイは目の前に意識を向ける。丁度初めての客が来たようだ。

 やって来た主婦らしき女性は、店に並んだ野菜を見て驚いたような顔をして近寄って来て、恐る恐ると言った感じで人参ニンジンを一本手に取って眺める。


「はぁー、随分と綺麗だこと」

「そりゃあ他の店と違ってキチンと洗ってるからな」


 露天に並んでる野菜は地球で店の棚に並んでいるような物とは異なり、結構扱いが雑である事が多い。

 根菜類はどれも軽く払った程度で土塗れ、葉物野菜だって虫食いが多くても当たり前のように置かれている。

 対してレイの店に置かれている野菜はどれも食品サンプルばりに良い物ばかりだ。水魔法で綺麗に洗えるから手間も掛からないし、専用の特殊な空間で育てている為虫食いも殆ど無い。


「変わった事するねぇ。そんな事やってる店なんて見た事無いよ」

「俺としては半分近く虫に食われたような物が平然と並んでいる方がどうかしてると思うけどな。で、買うのか?」

「そうだねぇ…幾らなんだい?」

「そのサイズなら二本で銅貨一枚だ」


 レイの提示した料金に、主婦は苦い顔になる。


「ちょっと高いねぇ。他の店だと四本くらいは買えるよ」

「あんな粗悪品ばかり置かれた詐欺紛いの店と一緒にすんなよ。こっちは他の店より圧倒的に品質が良いんだ。多少値段が高いのは当たり前だろ」


 品質的な問題上、周囲よりは高く値段を提示しても問題は無いだろうし、市場にとってもその方が良い。下手に同じ値段にすると、他の店との軋轢あつれきを生む原因にもなり得る。

 まあ御存知の通りレイにはそんな事は関係無いのだが、流石に品質の悪い物を売っている周りと同じ値段で売るというのは、レイに存在する生産者としてのプライドが許さなかった。

 かと言って高過ぎても誰も買わないだろうから、一応周囲よりは高く、且つ高過ぎない程度に抑えると、これくらいが適正価格だと言えるだろう。


「もうちょっとどうにかならないかねぇ」

「悪いがビタ一文負けるつもりは無い。こっちも可能な限り値段は抑えてるからな。これ以上は冗談抜きで利益にならない」


 別にコストはゼロなのだから利益は出るのだが、レイの目標は銀貨百三十枚だ。銅貨を銀貨に替えるのに幾ら必要なのかは分からないが、仮に銀貨一枚に銅貨十枚必要なら、必要な銅貨はその十倍、百枚ならその百倍は掛かる計算になる。

 レイとしては、可能な限り値段を吊り上げて早めに稼いでしまいたいが、それでも庶民でも買えるようにこの値段まで下げているのだ。これ以上妥協する気は無かった。


「何だいケチだねぇ。じゃあ良いよ」


 主婦の女性はそう言って手に持っていた人参を置くと、何も買わずに去って行った。


「……フッ、ケチはどっちだ。愚か者」

「じゃ無いでしょぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 バッと立ち上がった元露店商の若者が涙目になってレイに詰め寄る。

 因みにこのタイミングで出て来たのは、ついさっきまでレイに魔法で地面に縫い止められていたからである。必死に立ち上がろうとする様を隣の店の男が奇怪な物を見る目で見ていたが、それは知らない方が彼の為だろう。


「何やっちゃってるの!折角来たお客さんなのに、何も買わずに帰っちゃったじゃないか!ここはちょっと無理をしてでも安くして買って貰って、他のお客さんが来やすくなるようにするべきだったんだよ!」


 客が商品を買う姿を見れば、それを見ていた人も興味を惹かれてその店に行く。そういう連鎖を作る為にも、最初は損をしてでも売るべきだったと若者は述べたのだ。

 最初の損があったとしても、他のが売れないよりは何倍もマシなのだから。


「お前、人に騙されるような性格の癖にそういう知識はあるのな」

「ウグッ…そ、それとこれとは関係無いーーってちょっと待って!もしかして知っててやったの!?」


 あり得ないと言いたげな表情でレイを見て来る。対するレイはそんな視線も意に介さず、ただ「ああ」と即答で返した。


「いやいやいやいや!おかしいでしょ!何でやらないのさ!」

「何でって言われてもな。そもそも、それは飽くまで一つの手段であって、必ずしもそうしなきゃいけない訳じゃ無いだろ」


 法では無くただの理論セオリー。ならば別に従わなければならない訳では無い。

 何かしら別の方法で臨んだとしても、それは非効率であっても罪では無い。


「それにな。俺はこれでも十分値段は抑えているつもりだ。一般庶民でも手の届かない値段では断じて無いし、品質は他の店とは比べ物にならないくらい良い物を置いてると自負している。それに対して文句をつける奴に売る商品はここには無い」


 レイとてただの横暴でこんな事をしている訳では無い。品質にこだわり、街の相場から真剣に考えて値段を設定した。

 少なくとも店頭に置かれている商品に虫食いや腐敗した箇所は一つも存在しないし、値段だって手の届かない額では無い。その辺に関しては私情抜きで厳格に定めてある。

 そこまで配慮してやっても尚文句をつけると言うのであれば、それはレイの商品や値段設定が気に入らないと言う事だ。

 そんな人に自分の商品を買って貰いたいとはレイは思わない。買いたい人だけが買い、納得行かなければ買わなければ良い。それだけの事だ。


「でもだからって、商品が売れなきゃ意味が無いじゃないか。装飾品や武具と違って、食べ物は直ぐに品質が落ちるんだ。幾ら良い品質の物を取り揃えたって、夕方になる頃には萎びて来る。そうなる前にーー」

「そんな事にはならないから安心しろ」


 若者の懸念を正面から打ち砕くかのように、レイが真っ向から否定する。


「この野菜の入った入れ物には、特殊な魔法で野菜の品質が下がらないように細工してある。だから時間の経過で商品が傷む事は絶対に無い」

「………………」


 愕然とする若者。それもそうだろう。何の変哲も無いただの野菜入れに、全く聞いた事の無い超魔法が使われているなんて誰が想像出来ようか。

 しかしレイの表情(口元しか見えないが)や声から考えるに、嘘を吐いているような素振りは一切感じられなかった。これは若者が単に騙され易いという事では無く、どれだけ注意深く探ってもそうなのだ。

 つまり、レイは嘘を吐いておらず、そして先程言っていた魔法が実在するという事に他ならない。


「……そんな魔法聞いた事が無いよ」

「当たり前だ。一般的には既に使われていない魔法なんだからな」


 そんな魔法どこで覚えたんだという思いが喉元まで上がって来るが、それよりも前にレイが話を区切る。


「そんな事よりもう昼飯時だ。俺は食事にする」


 そう言ってレイは店の後ろの方へ移動してしまった。

 聞きたい事も聞けずにモヤモヤとした気分になったが、レイが態と区切った場合、聞いたところで答えてくれないだろうと考えられる。よって仕方なく聞くのは諦め、若者も食事をしようと予め買っておいた黒パンと干し肉を取り出す。


(これが俺の全財産か……)


 チラッと視界の端に麦の入った袋を収めつつ溜め息を吐く。今やこれが彼の生命線なのだ。

 これが無くなれば完全に無一文。そんな暗い考えが脳を過れば、自然と気分も暗くなり溜め息も漏れるというものだ。

 しかしそんな事を考えても仕方ないと、暗い気分になりつつも固いパンと干し肉を齧る。


「よっ…と」


 ガタンッ!と大きな音を立てて、巨大な鍋が乗った大きな釜が店の裏に置かれた。


「って何それ!?どこから出したの!?」

「煩いな。飯くらい静かに食べれないのか?」

「ああゴメン……ってそうじゃ無くって!」


 若者が後ろでワーワー言っている間にも、レイは釜に設置した薪に火を点け、鍋に入った肉と野菜がゴロゴロ入ったスープを温める。

 次第にグツグツと煮え始める鍋からスープの濃厚な匂いが漂い出す。


「うわっ、しかもすっごい美味しそう!」

「だろうな。何ヶ月も試行錯誤して少しずつ改良してった物だし」


 良い感じに煮えて来たら火を止めて器に分け、更に取り出したバケットと一緒に食べ始める。

 バケットの小麦の香りやスープの肉や野菜の旨味が織り成す複雑な美味しさが舌を刺激し、スープの温かな熱が体を内側から温める。


「………ゴクリッ」


 ハイペースで食べ進めるレイを見て喉を鳴らす若者。そして自分の貧相な食事に目を向ける。

 あまりにも格差の大きい食事に苦笑いを浮かべ、再びレイを見る。


「ち、ちょっと良いかい?」

「ん?」


 スープに浸したバケットを咀嚼しながら、レイは煩わしげに返事をする。


「少しで良いから、俺にもそれを分けてくれないかな?」

「……………」

「あ、あの…」

「……………」

「ええっと…」

「……………」

「……………」

「……………」


 ただ睨みながらひたすらバケットを咀嚼するレイ。暫く重い沈黙が流れ、それから更に時間が経過して漸くバケットを飲み込んだレイは、待たせた事など意にも介さずにそのまま返答する。


「…嫌だけど?」

「散々待たせた末にそれ!?」


 あんまりな返答に、若者は堪らず食って掛かる。


「鍋には沢山あるんだから、少しくらいくれたって良いじゃないか!」

「生憎このスープは今日の夜には無くなる定めだ」


 健啖家も真っ青の暴食オバケな居候が毎日とんでもない量を平らげるのだ。当人はスープよりは肉の方が良いのだろうが、その分ドリンク感覚で飲み干して行く。

 なのでこれだけ作っても他に回すだけの余裕は無いのだ。


「それにこのスープは値段だけなら一杯で銀貨が必要になるだけの具材を使ってる。お前にそれを払うだけの金があるのか?」

「そ、それは…」


 チラリと麦の袋に目を向ける。これを対価にすればもしかしたら行けるかもしれない。しかしそんな事をすれば本格的に無一文だ。

 今後の事を考えてそれだけは避けたい。若者は涙を飲んで座り込むと、スープの匂いをおかずにして黒パンと干し肉に齧り付いた。


 ーーー


 その後も商品が売れる事は無く、時刻は夕方になっていた。

 その間にもちらほらと客は来たのだが、値段の高さと値切りに一切応じないレイに結局何も買わずに去ってしまうのだ。


「全く。どいつもこいつも二言目には値切り交渉しやがって。少しは品質に重きを置く奴が居ても良いだろうに」

「そんな事が出来るのは相当なお金持ちくらいだよ」


 この世界ではいつ何が起こるか分からない。突然魔物に襲われて命を落とす事も、突如流行病が蔓延する事だって起こり得る事なのだ。

 そんな時に備えて、民衆の大抵は金銭に多少の余裕が出来た程度では倹約する事を止めない。そんな事が出来るのは、大きな成功を果たした金持ちや貴族くらいなものだ。

 そしてそんな家は大抵こんな露店で買い物などせず、商会を通して買う事が多い。だからこんな所に現れる可能性は限りなく低いと言えるだろう。

 レイのやり方は現代日本では別段おかしな話では無いが、この世界では先を行き過ぎているのだ。状況次第では有用かもしれないが、今のこの現状では上手く行く筈が無いと若本は内心で愚痴っていた。


 そんな時、レイの店にまた一人客が来た。今度の客は身形の良く、白髪しらがの多い老紳士だった。

 整えられた口髭に燕尾服、年による衰えを感じさせない背筋の伸びた立ち姿は、とても良い所に使えた執事だと一目で連想させる。

 彼は人参を一本手に取ると、興味深そうな目でそれを見ている。


「……これは驚いた。こんな良い野菜は初めてだ」


 老紳士の呟きに、レイの口角が小さく上がる。一目見ただけで、それが心の底から出た者だと分かったからだ。

 これだけ身形の良い人間が見た事無いとなれば、少なくともこの街ではレイの野菜の品質は一番だと言えるだろう。そんな事が窺える老紳士の反応に、レイは密かに得意げな表情になった。


「これはどこで作られた物ですかな?」

「それは俺の畑から収穫した物だ」

「では、貴方がこれを作られたと?」

「ああ」


 老紳士は少し考える素振りをして、またレイに尋ねる。


「幾らで売っているのですかな?」

「そのサイズなら二本で銅貨一枚だ。先に言っとくけど値切りには一切応じないからな」

「そうですか…良いでしょう。二本下さい」

「まいどあり」


 今度は大して考えずに購入を決めた。そしてレイに銅貨を一枚渡すと、同じ大きさの物をもう一本取って籠に入れて去って行った。


「漸く一人目か。先は長いな」


 手にした銅貨を見ながらそう呟くと、銅貨を【アイテムボックス】に入れて座り直す。


「まあ、買う奴が一人でも居た事が分かっただけでも上々か」

「本当に買う人が居たよ…」


 レイが一人納得している横で、元露店商の若者が信じられない物を見たかのような目で、先程の老紳士が去って行った方を呆然と眺めていた。

本日の収入、銅貨一枚。

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