家畜を買いに
帰らずの森から南南西の方角に数十キロ近く離れた場所には街がある。
石造りの家と木造の家がそれぞれ建っており、大通りは露店も出るような活気があるが、主要な場所から離れるとちらほらと畑が点在していて、村と街の丁度中間のような印象を受ける街だ。
勿論その中には牧場も存在しており、農耕、畜産、商業とそれぞれの産業が存在する少々変わった街となっている。
そんな街の大通りは昼を過ぎた今もそれなりに活気に溢れていた。多くの人々が話しながら歩き、露店の店員は客寄せの為に大声で客引きをしている。
そんな活気溢れる大通りなのだが、その一角では妙な騒めきが起こっていた。
彼等の視線の先には、全身をスッポリと包み込むローブを纏った人物が歩いていた。フードで頭を隠して顔を見えなくしており、僅かに見える足元もブーツを履いて隠しており、口元以外一切の露出の無いのに途轍も無く怪しい存在だった。
早い話、TPOに合わな過ぎて盛大に浮きまくっていた。寧ろ良く入り口の検問を通過して街に入れたものだと感心すらしてしまう。
そんな怪しい人物、自作のローブを纏ったレイは、周囲の不躾な視線に晒されて苛立ちながら歩いていた。
『チッ、さっきから視線がウザッたいな。何ですれ違う奴全員俺の事見るんだよ』
「そりゃあこんな青空の下をローブとフードで完全に隠して居れば、不審がられても仕方あるまい」
『あぁ、グラサンにマスクしてコンビニの前を彷徨くようなものか』
「グラ…何じゃと?」
『こっちの話だ。気にすんな』
地球を知らないティエラに話してもしょうがない事だと話を切る。地球のネタが通じないのは異世界ものの鉄板である。
「それにしても、【転移】って便利だね」
「態々検問を通らなくても街に入れちゃうものね」
「泥棒し放題だね!」
『いや、それはちょっと違うだろ』
そう、レイは検問を突破して街に入った訳では無い。検問がそれなりに混んでいたし、街に入るのに金が必要だった場合、転生してから一度も金を手にしたことの無い一文無しのレイは街に入れないので、【転移】の魔法で外から直接街に入ったのだ。端的に言えば不法侵入であるが、そんな事は検問で足止めを食らう事に比べれば、レイにとっては瑣末な問題だった。
『兎に角買う物買って、さっさと拠点に帰るぞ。確かこっちの方に牧場があった筈だ』
「ム?まだ換金して居らんのに、先に牧場に行くのか?」
『ああ。先に値段を確認しておこうと思ってな。値段が分からないと、幾ら用意すれば良いのか分からないしな』
本来なら無一文のレイが牧場に行っても、何も買う事は出来ないから、先ずは麦等を売って資金を得てから向かうべきだろう。
しかし折角金を得ても足りなければまた売りに行かねばならない。そんな二度手間を避ける為に、レイは先に牧場に行って牛や山羊の値段を知る事にしたのだ。
『【アイテムボックス】内の食料だって、本来はいざという時の為に貯蔵しておいた奴だ。ある程度資金稼ぎの為に放出する事が前提とはいえ、可能な限り無駄使いしたくない』
「どうせ拠点の畑を使えば直ぐに賄えるじゃろうに。厄介な貧乏性じゃな」
『貧乏性なのは否定しないけど、備えは幾らやってもやり過ぎる事は無い。いざって時が明日来ないとも限らない以上はな』
いつ何が起こるか分からないからこそ、それに備えておく必要がある。災害に備えて保存食や水を備蓄しておくのと一緒だ。
「一体どれだけ備蓄すれば気が済むのやら」
『最低でも俺が一生食くのに困らない程度は欲しいな』
「一体何を想定したらそうなるのさ」
「【アイテムボックス】が無かったら不可能ね」
そんな会話を織り交ぜつつ以前上空から見た記憶を頼りに通りを歩いて行く。こんな明るい時間帯から空を飛んで位置を確認するのは目立ち過ぎるのでやっていない。
その為レイの記憶だけが頼りなのだが、心配は無用だったらしい。進んで行くに連れて石造りの家もあった街並みは徐々に簡素な家が点在する牧歌的な雰囲気へと変わった。
牧歌的と言えばヨダ村に近いと思われそうだが、明らかにこっちの方が裕福そうな感じだ。何より貧乏過ぎて少々薄暗い感覚すらあったヨダ村よりも雰囲気が明るい。
「おー、居る居る」
牧場の柵に沿うように舗装された道を通りながら柵の向こうを見れば、御目当ての山羊が群れを成して活動していた。あれ等がどの程度の乳が出るタイプなのかは知識の無いレイには分からないが、あれだけ居るのなら乳の出るのが居てもおかしく無い。仮に時期的な問題で居ないとしても、何組か番を買って拠点で繁殖させればいつでも搾れるようになる。
レイは牧場で作業している中年の男を見つけ近付いて行く。相手方もレイに気が付いたようで、明らさまに警戒の色を見せる。
「な、何だ?何か用か?」
「ああ、実は山羊を何頭か仕入れたいんだけど、この牧場の責任者は居るか?」
どうやら客である事は理解したのか、男の表情に少しばかり安堵が混じった。
「俺がこの牧場の持ち主だが…」
「そうか、なら話が早い。出来れば番で購入したいんだけど、幾らで売ってるんだ?」
「あ、ああ。今のところ、雄が銀貨五十枚。雌が銀貨八十枚だ」
「つまり番一組で銀貨にして百三十枚分ってことで良いのか?」
「そうだ」
「ふーん、そうか…」
軽く顎に手を当てて思案する。銀貨百三十枚がどのくらい高いのかは知らないが、普通に考えれば平民が気軽に出せる値段では無いのだろう。麦を麻袋でどのくらい売れば良いのだろうか。百や二百は余裕だか、流石に千を超えると厳しい所がある。その辺は麦の値段次第だろう。
「分かった。後でまた来よう。邪魔したな」
そう言い残して牧場を後にする。これで山羊の値段は分かった。後は金を手に入れるだけ。
その為に一度大通りの方へと戻るべく歩く。相変わらず周囲は不審なものを見る目でレイを見るが、最早それに慣れたレイはそれ等を完全無視して帆を進める。
『さて、取り敢えずどこか大きな商会に行くか』
「まあ、金額が金額なだけにそうなるじゃろうな」
銀貨百枚以上。もしかしたら金貨レベルに相当するような売買は露店では出来そうに無い。ある程度大きな商会でなら可能だろうから、露店を回ってちまちまと売るよりかは最初からそっちで済ませた方が良い。
『正直商会なんてやった事無いから、どうやれば良いのか分からない所が不安要素ではあるんだけど…店丸ごと吹き飛ばすぞって脅せば高く買ってくれたりしないかな』
「いや、余計面倒な事になりそうだから」
『だよな…先に軽く麦の相場を調べて、買い叩かれないようにしておいた方が良さそうだな』
商売において情報は武器であり、今のレイは丸腰に等しい。ある程度情報を手に入れてからで無いと確実に足下を掬われる事だろう。後は甘く見られないような言動を心掛けるくらいしか、今のレイに出来る事は無さそうだ。
ハァ、とレイの口から溜め息が漏れた。
『何つーか、本当に面倒だな』
「じゃあ帰る?」
『分かり切った事聞くな。目的の為、延いては俺の未来の安泰の為にも、ここで引き退る訳には行かないんだよ』
宛ら決死の覚悟で戦う戦士のような事を言うレイ。しかし悲しいかな、今回の目的は家畜の購入である。第三者的に見れば今のレイは、人と話すのが嫌だけど欲しい物があるから我慢しているコミュ障のようである。
もっとまともな場面であったなら、多少は格好も付いただろうに。
『先ずは商会の場所を探しつつ相場を探るか』
大きな商会なら地元民でも知っている筈。街の相場を軽く探りつつ場所を聞けば、それ程時間も掛からないだろう。
その後に待ち受ける商談については詳しく知らない以上身構えても対処法が分からないのでどうしようも無い。
かといって一から調べていたら最悪一日では終わらない可能性がある。よって完全に出たとこ勝負だ。なるようになれである。
ーーー
そして数十分後、レイはフードの中で仏頂面になって通りを歩いていた。
『チクショウあの腐れ商会。こっちが若いからって足元見やがって』
結論から言って、商談は完全に失敗した。最初は見た目の怪しさから警戒されて話にならず、大量の物資を見せびらかすや否や、幼さの残る体格を見て子供と侮ったか、今度は安く買い叩こうとしだしたのだ。
麦の色や形がどうこう等といちゃもんを付け、最終的には盗品では無いのかと言い出した。
あまりの暴論に取引を止めて出て行こうとしたのだが、そこへ更に窃盗疑惑を憲兵に言い付けると脅しまで入る始末だ。
ここへ来て流石にブチ切れたレイは、商談相手の顔面を記憶が無くなるまでしこたま殴り付け、証拠が残らないように後頭部のたん瘤一つを除いて魔法で回復させてから商会を後にした。これでいつの間にか頭を打って気絶したと片付けてくれるだろう。
しかし結局商談は失敗に終わった為金は一銭も手に入らず、その事に対する不満で先程散々殴り付けた相手に今だ悪態を吐いていた。
『心臓に異常きたして死ねば良いのに』
「お望みでしたら、私があの愚かな人間に死ぬ程の恐怖を与えて来ます!」
「止めい!そんな事して騒ぎになったら、余計面倒な事になるじゃろうが!」
急に漲ったエストレアをティエラが強制的に引き止める。このまま放置しておくと確実にやりかねない勢いだった。
「ですけど、折角レイ様が自らの手で作った麦をお売りに来られるというのに、それを買い叩こうなんて許せません。こういう時はただ感動に咽び泣きながら、ありったけの財産を明け渡すべきなんです」
「物凄い暴論が飛び出て来たよ」
「もう少し穏便に済ませる事は出来んのか?」
普通なら止めさせる所を、完全に引き止めるのでは無くなるべく優しい方法を撮ろうとする辺り、一応ティエラ達も思う所はあるらしい。
「でしたら、【精神破壊】で店の人達の自我を崩壊させてーー」
「じゃから物騒過ぎるわ!上級の中でも最上位の魔法を私怨で使うで無い!」
「そうですか?これでも結構譲歩したのですけど」
「相変わらず過激だね…」
エストレアのレイへの忠誠心は歳を重ねるごとに大きくなって行っている。最初の時点で軽く信仰の域に達していたというのに、今となってはもう狂信の域に達していて、見ていて怖くなるくらいだ。
「最初はどうするつもりだったの?」
「そうですね…」
エストレアは口元に指を当てる可愛らしい仕草で軽く考え、
「先ず建物に【恐怖を煽る闇衣】を掛けてお客さんが近寄らなくなるようにして、次に【夢喰い】で毎晩悪夢を見続けるようにした後、駄目押しで【呪詛付与】で呪いを掛けて一生不幸に苦しむようにします。それも数日と待たずに息耐るくらい強いものを」
「うわぁ…」
可愛らしい仕草とは正反対の恐ろしい発想に誰かからそんな声が漏れ、他の精霊達も絶句する。レイもそれを実行して不気味に笑うエストレアを想像して、冷や汗が流れる。
別に行動自体を忌避しているという訳では無い。寧ろそんな惨たらしい目に遭ったらスッキリするだろうなと思わなくも無い。ただ、瞳孔の開いた目で笑顔を浮かべながら「ウフフフフ」と不気味に笑う日本人形のような外見の女の子を想像して、ちょっとばかり恐怖を感じたのだ。
もしそんな光景を目の当たりにしてしまったら、次からエストレアに笑顔を向けられる度に、次は自分が呪われるのではと思うようになってしまいそうな気がして、今はそういうのは想像の中だけにしておきたいと思った。
『エストレア。それはまたの機会にな』
「はい!必要な時はいつでもお申し付け下さい!どんな時でも即座に行動出来るように準備を万全にしてお待ちしております!」
『お、おう…』
キラキラとした満面の笑みで言われ、若干たじろぎつつ返答する。このまま時間が経てば忘れるだろうと思っていたのだが、この調子だと待たせ過ぎてその内暴走しそうな気がしてならない。
とはいえ今のレイにそれをどうにかする手段は今の所思いつきそうに無い。レイは小さな不安を思考の隅に追いやった。今はやるべき事が別にある。
『兎に角、こうなったらその辺の商会を回って売れるだけ売り付けるしか無さそうだ』
流石に他の商会まで先程のと同じ対応では無い筈だ。ならばそれ等を訪ねて売れるだけ売り、少しずつ掻き集めるようにして稼ぐ他無い。麦だろうが野菜だろうが肉だろうが、売れる物なら何でも売ってやる。その為に備蓄用とは他に大量の在庫が存在するのだから。
という訳で街の商会を回り備蓄していた食材を売り歩いた。最初に行った商会程大きくは無いが、それでも商会だけあって多くの商品が大量に扱われていた。
それはもう置くスペースが一杯になって、新しく並べる場所が無いくらいに大量だった。それこそ新しく仕入れる必要が感じられない程に。
早い話、商品が充実し過ぎて俺の在庫は殆ど売れなかった。麦も野菜も農業区画にある広大な農地から多くの採れたて野菜が集められ、肉も牧場から仕入れている為それなりに店にも並んでいる。レイの肉のように新鮮で脂の乗っているものでは無いが、それでも市場に出すには困らない。
そう、この街の食材はその殆どが街の中で十分に賄える量があるのだ。麦も野菜も肉もだ。なので自然と相場は低くなり、レイの食材もあまり高く買い取ってはくれなかったし、その量も多くは無かった。
というか、街の中の御得意先で間に合っているというのに、態々ローブとフードで全身を隠した怪しい人間の売る商品を高く買う理由はどこにも存在しなかった。
「何てこった…」
人混みの中を歩くレイの口からそんな言葉が漏れた。相変わらず周囲からは不審者を見るような目で見られているが、今はそんな事を気にする余裕は無かった。
「これだけ回って、儲けはたったの銀貨三枚と銅貨二十五枚か」
露店で売っている食べ物の値段から考えると相当な金額ではあるのだが、山羊を買うには全然足りない。
「クソッ、よりによって一番高く売れそうな鉄鉱石の在庫が一番少ないとは…」
「結構な数の剣作っちゃったからね」
趣味に没頭し過ぎた結果、レイの【アイテムボックス】内には様々な武器が納められている。そしてその所為で何年も掛けて砂鉄を掻き集めて作った鉄も、もう数えるくらいしか無いのだ。売る事も不可能では無いがそうなると暫く武器の作製は出来なくなってしまう。まだ作ってみたい試作品の構想が山程あるレイには、それは避けたい事だった。
『しかもその剣も買い取ってくれないとか、おかしいだろ』
横で話すシエルに視線を向けず、前を向けたまま小さくぼやく。鉄鉱石が高い割に、何故か鉄製の武具の買取はして貰えなかったのだ。
今まで作った中では出来の悪い方の武器だが、それでも店に並んでいる品と遜色無い品質はある物を選んだ。なのに店主には買取拒否され、理由を聞いても『今は武器の売買は出来ない』の一点張り。どういう事なんだと苛立ちも募るというものだ。
『何なんだ?この街は俺の邪魔をする為に存在しているのか?』
「いや、流石にそれは無いんじゃないかな」
そんな事は言われなくとも承知している。もし本当にそうだったなら、敵対する存在として街ごと抹消する所だ。
『兎に角。何とかして他の金策を考えるぞ』
「それなら、一旦この街を離れて別の街で売りましょう。食べ物の不足するような土地なら、きっと沢山買ってくれますよ」
「お〜!アイシアあったま良い〜!」
頭の悪そうなフラムはさて置き、理に適っているアイシアの提案を、レイは言葉だけで退ける。
『いや、今回はこの街で済ませるぞ』
「何を言っておる。ここまで来たら他の街で済ませた方が良いじゃろうに。何故そこまでこの街に固執するのじゃ?」
合理的とは思えない。そんな顔でティエラが尋ねる。
『…今日の予定。本来なら今頃はもう山羊を買って帰ってる筈だった』
「ッ?それがどうかしたか?」
『そんな予定も、下らない商会の欲と土地柄と、原因不明の販売規制で全部おじゃんだ。折角色々と考えを巡らせて立てた作戦が全部だ』
更に言えば食料を蓄え始めてから考えていた、『いざとなれば余剰分を売れば良い』という作戦まで殆ど意味を成さなくなってしまった。鉄に関しては完全に自業自得なのはこの際置いておく。
しかしそんな煩わしげなセリフとは裏腹に、フードの下、外からは見えないレイの顔には笑みが浮かんでいた。その目はギラつき、まるで獲物を前にした獣のよう。はっきり言って、完全に悪人面だった。
『ここまでされて他の街で買い物なんてしたら、何か負けた挙句逃げ出したみたいだろ。俺はそんな気分で帰るのなんて御免だ。意地でもこの街で稼いで、鼻を明かせてやる』
「レイは一体何と戦っているのじゃろうな」
「でも、今のレイさん。とっても生き生きしているわ」
「はい。素敵ですぅ…!」
微笑ましげに眺めるアイシアと、うっとりした表情で見つめるエストレア。そんな二人に何と返せば良いのか思い浮かばず、ティエラはただジト目で二人を見ていた。
その後ろでフラム達が『街の鼻ってどこにあるの?』『フラム、しー』等と会話しているが、それは前の三人に掻き消された。
エストレア…恐ろしい子!




