赤熱の獅子
レイ達とのフラッフシープ談義を終えたエンシェントウルフは、単独で拠点内をうろうろしていた。時に周囲を見渡し、時に匂いを嗅いだりしては場所を変える。畑、果樹園、露天風呂。拠点の敷地内を転々としながら、同じ事を繰り返す。
気付けば周囲は茜色に染まり、目の前には網から解放されたフラッフシープのメリーが何事も無かったかの様に草を食んでいた。どうやら拠点を一周して来たらしい。
(今日も帰って無いか)
エンシェントウルフの頭に浮かぶのは、数日前に拠点を出て行った自分の子供の事だった。
群れを作りに出て行って以来、未だに帰って来た形跡が無い。二、三日位ならそれ程気にはしなかったのだが、それ以上となると流石におかしい。
産まれたばかりの頃から見ていたから知っているが、親馬鹿抜きで言っても子ウルフの実力はで折り紙付きだ。その実力からして、その辺のウルフなら群れ単位でも遅れを取る事は無い。
だと言うのに子ウルフは未だ帰って来ていない。杞憂なら良いのだが、どうにも嫌な感じが拭えなかった。
「急に拠点を彷徨って何をしてる。変な事考えてるんじゃないだろうな」
其処へ先程話していたレイがやって来た。流石に怪し過ぎたらしく、レイの目は怪訝そうだ。どうやら何か企んでいると思われてるらしい。
「レイか。安心しろ、私もレイを敵に回してまで何かをしようとは思わんさ」
レイの異常さは確りと理解している。初めて会ったその時から、レイから感じられる力は相当な物だった。
恐らく傷の癒えた今であっても、レイと殺り合えば無事では済むまい。故にレイが敵対して来ない限りは無理に戦おうとはしない方が良いと感じたのだ。それは今でも変わらない。
「なら良いんだけどな。じゃあ何してんだ?」
「私の子が群れを作りに行ったきり帰って来ないのだ。もしかしたらこっそり戻っているかもしれないと思ってこうして匂いを嗅いでいたのだが、そんな形跡は一切無かった」
「単純に群れ作りに時間食ってるだけじゃ無いのか?」
「そうだと良いのだがな…」
何処かソワソワと落ち着きが無い様子のエンシェントウルフ。威厳の有るその姿も、こうして見れば形無しだった。
「そんなに心配なら探しに行ったらどうだ?」
「いやしかし、もし純粋に群れを作っているのに時間が掛かっているだけなら、寧ろ邪魔をしてしまうかもしれんと思ってな」
「面倒くさい奴だなお前…」
人間を信用出来ないレイに言われてしまってはお終いである。
「そういえば、お前の子供ってなんていう名前なんだ?」
先日配下に加えたのは良いものの、もしかしたらエンシェントウルフが先に名付けているかもと思って命名はしなかったのだ。
その後の砂糖の衝撃で忘れていたが、丁度思い出したのでついでに聞いてみる事にした。
「そんな物は無い」
「………は?」
「だから、私はあの子に名など付けていないと言ったのだ」
「マジかよ、自分の子供なのにか?」
「ああ。必要無いからな。そんな物無くとも、私達は確りと個体を認識出来るからな」
曰く、匂いで個体の識別は簡単に出来るし、誰に言われているのかは名前で呼ばれずとも大体理解出来るらしい。意外と有能である。
「そうか。じゃあ俺が適当に付けても問題は無さそうだな」
「それは問題無いだろうが、くれぐれも変な名前だけは付けない様にな」
ネタ振りでは無いだろう。目が本気だ。これで変な名前を付けた暁には、命を賭して食らい付こうとしそうな位には本気の目をしている。
「分かってるよ」
言われずともそんな変な名前を付けるつもりはレイには無い。
そもそもその名前を呼ぶのは、付けた本人であるレイなのだ。流石に自分が呼んで恥ずかしくなる様な名前にはしない。
と、そんな事を話していると、ズシンズシンと地響きが聞こえて来た。
「もうこんな時間か」
まるで時報の様な感じでレイが音の聞こえて来る方向を見ると、何時もの様に大量の魔物の山を担いで歩くミクォラが、レイに向かって歩いて来ていた。食事前を報せるミクォラの帰還である。
「今日も大量だな」
「うん。珍しいのも取れた」
魔物の山を置いてそう言うと、その珍しいと言っていた魔物を引っ張り出した。
「ふーん」
「それは…!」
それは赤、橙、黄色と、まるで炎を思わせるグラデーションの鮮やかな鬣と体毛で覆われた獅子の様な魔物だった。
首から流れたであろう鮮血が目立たないレベルで赤いその魔物は、森で見かけたら目立って仕方ない位なのだが、確かに今まで見たことの無い魔物だ。
「つーかこれ、食べられるのか?」
「多分」
魔物としてよりも食材としての興味が勝った。魔物云々よりも肉質やら毒が無いかとか、そんな事ばかり口にしている。
「その魔物はグリューエンレーヴェと呼ばれる魔物だ。毒などは持っていない筈だから安心しろ」
「ん?お前この魔物知ってんのか?」
「あぁ。昔口にした事が有る。本来なら火山の近くに生息している筈だが、フム…」
「…どうかしたのか?」
「いや、大した事では無い。…どれ、私は子供の様子を見に行くとしよう」
そう言って立ち上がると、もう直ぐ日が暮れるであろうこの時間に外へ向かって行った。
「……分かり易い奴だな」
そんなあからさまに動かれたら、何か有りますと言っている様な物だろうに。
とは言え魔物の事情など知った事では無い。特に詮索はせず、何時も通り夕食を作る準備に入る。
「ッ!レイ様。何やら良からぬ気配が近付いて来ています」
突如エストレアがレイに告げる。レイはエストレアを一瞥すると、目を閉じて探知魔法を展開する。
森の外周、西側から大勢の魔力反応がゆっくりと近付いて来ていた。
それは宛ら進軍とでも表現すれば良いのだろうか。隊列はバラバラなものの、行進ペースはほぼ一定だ。
そして、どうやら先程出て行ったエンシェントウルフも其方へ向かっている様だ。
『偶然…にしてはタイミングが良すぎるよな』
「寧ろこの場合は、間が悪いと言った方が正しいかのぅ。よりによって食事時に来るとは」
因みに今こうしている間にも食事の用意は進行中だ。現在は魔物の肉を捌いて料理に必要な大きさに切り分けている所である。
『取り敢えず今は飯を作ろう。待っている奴も居るからな』
キッチンの直ぐ傍に有るダイニングでは、食料を取って来たミクォラがレイの作る夕食を今か今かと待ちわびていた。
幸いな事に魔力の反応からして、敵方で最も強いと思われる奴はエンシェントウルフとほぼ互角なので、それ程心配も要らないだろう。一つ気掛かりな点が有るが、それは夕食を片付けてから考える事にした。
ーーー
森の中を駆ける一体のウルフ。その体躯は人間を遥かに超え、駆け抜けた場所には旋風が吹き荒れる。風と共に流れる景色、その中を駆け抜けるエンシェントウルフはやや焦り気味だった。
未だ戻らない自分の子供、そしてミクォラが狩って来たグリューエンレーヴェ、更に此処まで走りながら得た情報。これ等がエンシェントウルフの漠然とした不安を確信めいた物に変えていた。
(やはり、来ている様だな)
風上から流れて来る嗅いだ覚えのある匂い。それが血の匂いと共に、今向かっている先からして来るのだ。この先に匂いの主が居る事は間違い無い。
そして更に悪い事に、その匂いの方向からは自分の子供の匂いもして来るのだ。これで嫌な予感がしない方がどうかしている。
(どうか無事でいておくれ)
我が子を思い、更に速度を上げる。距離にして数百メートルを僅か数秒で駆け抜ける速さで、暗い森の中を疾走すると、程無くして開けた場所に出た。
其処に居たのはグリューエンレーヴェの大群と、群れの長らしきその中でも一際大きなグリューエンレーヴェ。そしてその魔物達に取り押さえられる形で、傷だらけの子ウルフが倒れていた。
「ガハハハハ!久しいな!嘗て貴様が我が縄張りに侵入して以来か!」
「…そうだな。まさか今度は貴様の方から来るとは思わなかったぞ」
久しいという言葉が指し示す通り、この二体は昔一度会った事が有る。未だお互いに若い頃、住処を求めて放浪していたエンシェントウルフが、火山近くにあるグリューエンレーヴェの縄張りに迷い込んだのだ。
目の前の長はその時から小規模ながら群れの長をしており、そしてその際にぶつかり合い、僅差でエンシェントウルフが勝ったという過去が有る。
「それで、何の用で此処へやって来た」
「無論、貴様に再戦を申し込みに来たに決まってるだろう!」
「やはりそうか」
予想通りの回答。しかしタイミングが悪過ぎる。よりによって子ウルフが群れ作りの時に、子ウルフとぶつかる形でやって来たのだから。
「貴様に敗れた事、それこそが我が一生に於いて唯一の汚点!どうに群れを大きくしようと、その屈辱が晴れる事は無く、また幾多の強敵を捩じ伏せても尚、儂の心が満たされる事は無かった!今こそ貴様を討ち果たし、この屈辱に終止符を打つ!」
グルォォォォォ!!と雄々しく、そして力強く吠えるグリューエンレーヴェの長。同時に鬣が赤く発光し、まるで炎の如く揺らめく。
正直、エンシェントウルフがこの戦いを受ける事にメリットは無い。精々目の前に居る煩いのを黙らせる事が出来る程度だ。
しかし、そうする訳には行かないのもまた事実だ。エンシェントウルフは自分の子供を一瞥する。傷だらけで倒れた子ウルフ。もしこの場で戦闘を拒めば、子ウルフがどうなるかは容易に想像出来る。
「…良いだろう。その勝負、受けてやる」
エンシェントウルフの周囲に風が巻き起こり、体に纏わり付く。渦巻く風が鎧の様にエンシェントウルフを守っている。
お互いが臨戦態勢に入る中、先に仕掛けたのはエンシェントウルフだった。地面を蹴って前に進むと、相手に瞬きする暇も与えずに接近した。
「フンッ!!」
対するグリューエンレーヴェはそれを見越していたかの様に自分も前に出て、エンシェントウルフの纏った風の鎧も気にせず真正面から頭突きを叩き込んだ。
風の鎧で顔をズタズタになる傷を負いながらもパワーで上回ったその頭突きで、エンシェントウルフは弾かれた様に押し戻された。
たった一撃で頭から血が流れ、顔を伝って行く。だがエンシェントウルフは四本の足で制動を掛けて止まると、そのまま足をアンカー代わりにして口から空気砲の様に風の塊を吐き出した。
猛烈な勢いで進んで行く風の塊がグリューエンレーヴェに当たり、破裂した風が暴風となって体中を打ち付ける。
「グゥゥッ!舐めるな!」
グリューエンレーヴェの鬣が更に光を放つ。直後、グリューエンレーヴェの口から燃え盛る火炎のブレスが放たれた。口元から放射状に広がり、相手の視界を埋め尽くさん勢いで燃え上がる。そしてそのまま炎が草原ごとエンシェントウルフを焼き尽くさんと突き進んで行く。
だがそれよりも速く地を駆けるエンシェントウルフには届かない。そして炎の壁を抜けた途端に直角に方向転換し、一気にグリューエンレーヴェに接近する。
「まだまだぁっ!」
後方で轟々と燃え盛る炎から炎の塊が飛び出し、獅子の形を成してエンシェントウルフを追う。
「これでどうだ!」
更に逆立つ鬣の毛先から大きな火球が三つ形成され、時間差でエンシェントウルフに向けて放たれた。前と後ろからの挟み討ちだ。
エンシェントウルフも直進を諦め、火球と炎の獅子をを避けつつ横に逃げる。しかし攻撃そのものは避けられても、そこから発生した爆発の衝撃と熱、更に飛び散る火の粉からは逃れられず、風の鎧を突き抜けた分がエンシェントウルフにダメージを与えた。熱や火で毛が所々焦げてしまっている。
「驚いたぞ。以前は接近攻撃一辺倒だったお前がこんな攻撃をして来るとはな」
「ふんっ、何時までも昔のままだと思うな!貴様に一対一で勝つ為なら、儂はもう手段は選ばん!」
グリューエンレーヴェの体が炎に包まれる。炎に見えていた体毛と相まって、荒々しくも鮮やかな姿となっていた。エンシェントウルフが風の鎧なら、これは宛ら炎の鎧だ。触れる者皆焼き尽くす、灼熱の鎧。
「貴様の真似だが、中々様になっているとは思わんか?」
「要らん知恵を付けおって…」
「ガハハハハ!言ったであろう、手段は選ばんとな!例えそれが貴様の真似事出会ったとしても、小手先の魔法だったとしてもな!」
再び炎の獅子が現れ、グリューエンレーヴェの周りに侍る。更に鬣から三つの火球が形成され、グリューエンレーヴェ付近の熱量が一気に膨れ上がった。
「今度は此方が攻める番だ。簡単に潰れてくれるなよ、我が宿敵よ!」
炎の獅子を引き連れて、グリューエンレーヴェはエンシェントウルフに真正面から突進を開始した。そのスピードは決して速くは無いが、その巨体と炎による迫力と熱量は、相手に強いプレッシャーを与える。
並の攻撃では歯が立たないと踏んだエンシェントウルフは、周囲の風を一点に集めて竜巻として放出した。
【荒れ狂う疾風】を巨大にした様な大きな竜巻が、直進するグリューエンレーヴェに立ちはだかる。避ける技術も時間も無いグリューエンレーヴェは、逃げるという選択肢を捨てて迫り来る竜巻に真っ向から突撃した。
「ヌオォォォォォォォォォォォォ!!!」
猛烈な勢いで全てを薙ぎ倒す竜巻と、その熱で全てを焼き尽くす灼熱の炎を纏った獅子が鬩ぎ合う。
高速で移動する空気の流れが刃の様にグリューエンレーヴェに傷を増やして行くが、その分だけ身を持って竜巻を削り取り、グングン前へ進んで行く。
「グォアァァァァァァァァァ!!!」
そして遂に竜巻を突破した。全身に傷を負い火球が消滅してしまっているが、決して勢いが衰える事は無く、迫力もそのままにエンシェントウルフに突進する。背後から追従する炎の獅子も合わさって、まるで真っ赤に燃え盛る波の様だ。
迫り来るグリューエンレーヴェ。距離が縮まるに連れて肌をチリチリと焼かれる様な熱を感じる。離れた場所でこれだと、本体は相当な熱量だろう。直撃すれば骨まで焼かれそうだ。
故にエンシェントウルフは直接ぶつかるのを避ける為、その場から助走も無しに高く跳躍して突進を回避した。
「空中では避けられまい!!」
しかしグリューエンレーヴェの攻勢は終わらない。中に浮かぶエンシェントウルフを見つけると、追従していた炎の獅子達を一斉に向かわせた。炎の塊である獅子達が、対空砲火の如くエンシェントウルフに迫る。
しかしエンシェントウルフの表情に焦りは無かった。眼下に群れる炎の獅子を見下ろすと再び風を身に纏い、自由落下に合わせて体を丸めて前転を開始した。それは前転を繰り返す毎に速度を上げて行き、炎の獅子達が殺到する頃には既に高速回転に至っていた。
そして高速回転するエンシェントウルフに炎の獅子が次々と打ち当たる。しかしそれ等全てが風の鎧に削り取られる様に弾かれ、虚しくも粉々の火花となって次々と散らされて行く。
更には自由落下によって炎の獅子を弾きながら、その身はグリューエンレーヴェに向かって落下して行く。
「儂の攻撃はまだ終わらんぞ!」
鬣が赤く輝き、口元から火の粉が漏れる。
「黒焦げになってしまえ!!」
またしても放たれる炎のブレス。先程の様な放射状に広がる物では無く、ピンポイントでエンシェントウルフに向かって行く直線的な炎だ。その様子はまるで火炎放射器である。
しかし何が来ようとも、今のエンシェントウルフには避けるという選択肢は用意されていない。出来るのは唯一つ、真正面から食い破る事だけだ。
そしてエンシェントウルフと炎のブレスが衝突する。風の鎧が炎をガリガリと削り、エンシェントウルフの身を守っているが、それでも間近で受ける炎の熱は、容赦無くエンシェントウルフの体を焼いて行く。
それでも止まる事は出来無い。止まったが最後、ブレスが骨すら残らず焼き尽くすだろう。故に、この攻撃を打ち破る事に全力を尽くす。
抜けろ、抜けろ、抜けろ、抜けろ。そう何度も心で念じつつ、己が身を焼き尽くさんとする炎に立ち向かう。一秒が何十秒にも引き伸ばされた様な感覚。まだかまだかと願いつつ、迫り来る炎を削り続ける。
そして遂に、エンシェントウルフは炎のブレスを受け切った。
「何だと!?」
真っ赤に染まっていた視界が開け、口を開けたまま驚愕するグリューエンレーヴェの姿がくっきりと見えた。
後は其処へ向けて降りるだけ。全身が高温に晒された影響で痛むが、今は戦闘中だ。そんな事は言ってられない。回転を維持したまま、風の鎧を纏いグリューエンレーヴェへと落下した。
「グォアァァァァァァァァァ!!!」
大質量のエンシェントウルフの落下による衝撃と、風の鎧による追加ダメージ。その両方がグリューエンレーヴェに降り掛かる。エンシェントウルフよりも大きな体躯はその衝撃で地面から浮き、そのままエンシェントウルフ諸共吹き飛び、地面に落下しても尚ズルズルと大地を滑る。
そしてそれが止まると同時に立ち上がったエンシェントウルフは、グリューエンレーヴェを押さえつけるとその首に噛み付いた。
しかしグリューエンレーヴェの首は太く丈夫で、エンシェントウルフの牙と顎の力を持ってしても、噛み千切る事は出来なかった。
なのでそのまま顎に力を入れ、グリューエンレーヴェの気道を圧迫する事にした。
「今回はきっちり息の根を止めさせて貰うぞ」
「ガッ!グガッ…ヴヴゥ…!」
グリューエンレーヴェも殺されまいともがくが、エンシェントウルフが有利な体制で体を押さえつけている所為で抜け出す事が出来ないでいる。それどころか身動きすらままならない状態だ。勝敗は決したも同然だった。
(…どういう事だ?)
だというのに、エンシェントウルフは何処か違和感を感じていた。具体的に言うのであれば周りの雰囲気がおかしい。
(貴様等の長が死ぬというのに、何故そんなに落ち着き払っている?)
この場に居るのはエンシェントウルフとその子供以外全員グリューエンレーヴェだ。そして今、彼等の長が殺されようとしている。にも関わらず、彼等の雰囲気にはそれに対する怒り、焦り、恐怖といった強い感情の揺らぎが感じられない気がしたのだ。
驚きはしている。しかしそれ以上の感情は、雰囲気的には無い。まるでこの状況においても尚、長が死ぬ事は無いと思っているかの様な感じだ。
そしてそれを裏付けるかの様に、グリューエンレーヴェの長に変化が生じた。
エンシェントウルフの噛み付いている首元から、謎の黒い煙が湧き上がり出したのだ。
(何だ、これは…!?)
その煙には熱は無かった。一瞬焼かれるかと警戒もしたが、そんな様子は無い。しかし爆炎よりもドス黒いその煙からは、尋常では無い程の嫌悪感を感じられた。
それはもう嫌悪というよりも拒絶と称した方が適切だと思われる程で、エンシェントウルフの身が、心が、本能が、存在の全てが、今直ぐに其処から離れるべきだと警鐘を鳴らした。
その警鐘に従う形で、瞬時にグリューエンレーヴェから距離を取った。
しかしエンシェントウルフから解放されたグリューエンレーヴェだが、直ぐに起き上がる事は無かった、寧ろその場で倒れたままもがき苦しみ続けている。
「アガガガガガガガガガガッ!!」
煙が噴き出す箇所を中心に、グリューエンレーヴェの体が赤黒く染まって行く。その上黒く染まった体がボコボコと内側から膨らみ、全体的に一回り程大きくなった。先程まで付いていた大小様々な傷も、盛り上がった体が塞いでしまう。
息を切らしながらユラリと立ち上がるグリューエンレーヴェ。その顔からは最初に有った豪快さが、全く別の狂気的な物に塗り潰されている様に感じられた。
「貴様…その姿は一体どういう事だ?」
「ククク、言ったであろう。手段は選ばんとな。この前縄張りに進入した人間が持っておった物だが、中々良い拾い物だったな。力が湧き出て来る。これなら貴様にも遅れはとらんぞ!!」
そう言ってグリューエンレーヴェが咆哮を上げると、周囲の草が強風に煽られる様にザワザワと激しく揺れた。
それと共に伝わって来た、グリューエンレーヴェの物とは明らかに異なる禍々しい魔力が、ビリビリとエンシェントウルフの鼻を刺激する。
それでいて先程よりも感じられる魔力の威圧感が強くなっている。力が湧き出て来ると言っていたのは、グリューエンレーヴェの気の所為では無いのだろう。
そしてグリューエンレーヴェが炎を見に纏う。その炎もまた先程の明るい色とは異なり、不気味な雰囲気を感じさせる怪しい紫色に変わっていた。
「クッ…!」
自分は結構なダメージを受けているというのに、相手はそれを一切感じさせず、寧ろパワーアップして再戦という圧倒的に不利な状況に思わず歯嚙みする。
しかし自分の子供がこの場に居る以上、逃げるという選択肢は無い。何としてでもこの勝負に打ち勝たなければ、子ウルフに未来は無いのだから。やるかやらないかでは無く、やるしか無いのだ。それが例え、どれだけ厳しい事であっても。
そんなエンシェントウルフの覚悟を試すかの如く、絶望的な第二ラウンドが幕を開ける。
果たして、エンシェントウルフとその子供の運命や如何に!
…うん。言ってみたかっただけ。( ̄▽ ̄)




