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人嫌いの転生記  作者: ラスト
前章 プロローグ
4/56

人嫌いは異世界の使徒となる

「ーーーハッ!」


 悪夢から目が覚めて、嶺はガバッと跳ねるように起き上がった。同時に嶺の上に乗っかって眠っていたフィリアが「うにゃあ〜!」という何とも情けない悲鳴と共に転げ落ちたが、嶺にそんな事を気にする余裕は無かった。

 全て思い出したのだ。記憶の抜け落ちた部分の全てを。自分の最期の日、最期の時を。


「大丈夫?」


 目の前にお座りの体制でいたアルスが容態を聞く。表情そのものには変化は見られないが、声色から察するに心配してくれているのだろう。


「…俺は、本当に死んだのか」

「ええ、そうよ」


 嶺が死んだ時の記憶を思い出した事を理解したアルスは、努めて冷静に肯定した。


「…そうか」


 そう言って嶺は黙りこくってしまった。自分が死んだ事は分かった。だが、どうにも現実味が無い。死んだのに今だ意識があるというのが、その原因なのだろう。

 だがあの時の、死ぬ時に体を襲った衝撃は鮮明に思い出せる。体が一瞬にして引き裂かれるような痛みだった。思い出しただけでもその痛みの一部が体に蘇るようだ。

 しかしだからと言って、このお花畑が本当に神様の世界なのだという話をいきなり受け入れる事はどうにも出来そうに無い。急に色々思い出した影響か、頭の中が整理出来ていなかった。


「うにゅ〜、痛いよ〜」


 しかしそこに気が緩みそうな間抜けな声でフィリアが割って入って来た。頭を押さえて涙目になりながら、それでも再び嶺にしがみ付く。

 その姿にアルスは呆れたように笑い、嶺も深く考えるのが馬鹿らしくなった。分からない事をあれこれ考えても仕方無いだろう。それなら、今のこの現状を受け入れて、その上でこれからの事を考えるべきだろう。


「取り敢えず、あんた等は本当に神様って事で良いのか?」

「ええ、さっきも言った通り、私達は歴とした神よ」

「へえ…こいつが神様ねえ」


 胡散臭い物を見る目でフィリアを見る。嶺に擦り寄って頻りに頭を撫でるようにアピールするフィリアを見ていると、どうしても神様には見えない。


「気持ちは分かるけれど、フィリアは世界でも有名な神なのよ。精霊神フィリアスフィールと言えば、ある程度の規模の街なら大概の人は知っている、とても知名度の高い神なの。尤も、貴方が生きていた世界とは別の世界の話だけどね」

「所謂異世界って奴か」


 聞き覚えが無い訳だ。アルスはマイナーなら仕方無いが、フィリアはかなり有名らしい。それなら嶺も聞いた事くらいならあるだろうが、異世界の神ならばそれも可笑しくは無い。


「つまり俺が使徒になったら生活する事になる世界も」

「地球では無く、私達の管理する別の世界という事になるわね」

「そうか…」


 地球では無く、異世界への転生。誰も嶺の事を知らない世界で一からやり直せると言うのは魅力的だ。地球に戻りたいと思う程大切な物も無いし、最期の最期で姫咲に言いたい事は言えたから未練も無い。

 だが、同時に不安に思う事も多い。地球とは異なる世界という事は、地球と異なる点が少なからず存在するだろう。文明、文化、時代、常識、生活様式など。下手に地球と、もっと言えば日本と違う生活様式では生活に耐えられない可能性がある。


「その世界はどんな所なんだ?余り変な所には行きたく無いんだが」

「そうね。日本とは相当異なるみたいだけれど、別に過ごし難いという訳では無いわよ。精々地球よりも緑が多くて、現代よりも生活様式が古いって程度よ。都市部に行けばそれなりに発展しているし、暮らすのに難しくは無いわね」


 まるで一昔前の田舎などを思わせる。確かにそれくらいなら多少不便ではあるが、暮らすのにはそう大きな問題は無いだろう。


「そうそう。魔法が使えたり、木や石の家ばっかりだったり、ドラゴンとかワイバーンとかも生息してたりしてるけど、全然問題無いよ!」

「いや問題だらけじゃないかよ」


 一昔前の田舎風景が一瞬にしてファンタジー一色になった。


「ちなみに魔物とかも存在してたり?」

「まあ、獣と同程度には存在しているわね」

「何だよその超危険地帯」


 呑気に外も歩けやしないだろう。森へ遊びに行ってそのまま魔物にさっくりなんて事も当然有り得る。


「流石にそんな危険な世界で生活するのはな…」


 碌に才能に恵まれなかった自分では、その世界でもそう時を待たずして死んでしまう可能性が高い。


「心配無いわよ。使徒として私の加護を受ければ、生まれ変わった際に補正が付くのよ。それに生まれ変わる世界には魔法が存在しているわ。使えるようになればそれで身を守る事も出来るし、就職にも困らないわ」

「それは使えればの話だろ。碌に使えなかったらそれこそヤバイだろ」


 何度も言うが嶺は才能には恵まれなかった。もし転生してもそうだったなら、魔法を使えても一般レベルの域を出ないだろうし、魔法使いの数がそう多く無いのであれば使えない可能性だってある。


「それなら問題無いわ。月の女神の加護に掛かる補正は魔力に掛かるの。魔法が使えないなんて事にはならないし、世間に埋もれるような事にもならない筈よ。そうね。何なら、ここで暫く魔法の練習をして行けば良いわ」

「え?」


 そこで再び思案する。転生するかは兎も角として、魔法というものには興味がある。使えるのなら使ってみたい。


「じゃあ、取り敢えず教わってみるって事で良いか?」

「ええ、勿論よ。じゃあ早速だけど、手を貸して頂戴」


 そう言って前足を一本前に出して来たので、言われた通りに前足に手を持って行く。側から見ると黒猫にお手をされているみたいで、何だか複雑な気分になった。


「それじゃあ、今から貴方の手に魔力を流すから、その感覚を覚えて頂戴」


 そう言われた直後、嶺の掌…というか手の中に何か温かい物が流れ込むような感覚を得た。


「これが魔力よ。先ずは、これを自分の意思で動かせる様にしてみて」


 流れ込んでいた物が止まった。まだその感覚は残っているが、いきなり動かせと言われても動かし方が分からないのだからどうしようも無い。

 取り敢えずその流れが移動するような感覚でやってみたが、殆ど動かなかった。


「難しいな、これ」

「まあ、一朝一夕で出来る事では無いから。練習するしか無いわね」


 まさか最初の一歩目で躓く事になろうとは。初手でもう挫折しそうだ。


「ムフフフフ〜。大変そうだね〜」


 ニヤニヤと嶺を見上げるフィリア。何となくムカついたので頭を乱暴に撫でる。


「うにゃあ〜〜〜!」

「オラ、さっきお前が所望してたナデナデだぞ、喜べよ」


 頭をグラグラと揺らされて目を回すフィリアにスッキリして、再び魔力の制御に努める。

 しかし幾らやっても成功する兆しが見えない。


「も〜、そうじゃ無いよ〜」

「お、おい!」


 何時の間にか復活したフィリアが嶺の体によじ登って来た。


「こうするの」


 背中にしがみ付いたフィリアから温かい物が流れ込んで来た。そしてそれが嶺の体の中をゆっくりと動き回る。

 しかしそれは決して不快な物ではなく、その動きが自分の中に浸透して行くのを感じて、良く分からないが体がポカポカと温かくなった。

 そして体の中を動く感覚を感じ取り、その感覚で動かしてみる。するとぎこちなくではあるが、さっきよりも確実に上手く動かせた。


「出来た…」

「やった〜!」


 本人以上に喜びを露わにするフィリア。背中から肩に顎を乗せてムギュッ!と抱き着いて来た。


「あー、何つーか…サンキューな、フィリア」


 一応フィリアのお蔭で少しだが上手く行ったので、義理として感謝しておく。


「…ニュフフフフ〜〜」


 嶺に感謝されたのが余程嬉しかったのか、幸せそうな声を上げて後ろから頬擦りして来た。スベスベの肌で頬擦りされて気持ち良いとは思うが、それ以上に鬱陶しかった。


「ええい、もう良い加減離れろ!」

「や〜!」


 ワーワーとまるで兄妹のように騒ぐ二人。その様子を、アルスは優しく見守っていた。その姿は、黒猫であるにも関わらず、まるで母親のようであった。


 ーーー


 集中、兎に角自分の体の事に集中する。体の中に感じる温かい何か、それを身体中全体に隅々まで行き渡るように意識する。ゆっくりと、ゆっくりとそれは動き出し、嶺の身体中を循環する。

 その流れは徐々にスピードを上げて行き、ある程度まで上がると加速が終わって等速で流れ続ける。


「……そこまで」


 アルスから許しが出て、身体中を巡っていた魔力の制御を解く。


「うん、これなら及第点って所かしらね」

「ハァ、疲れた…」


 草のベッドに仰向けで倒れる嶺。あれから数日が経過して、嶺は何とか魔力制御を及第点と呼べるレベルで習得する事に成功した。

 数日と言ってもこの世界は常に昼の明るいのだが、そこは不思議な事に霊体でもちゃんと睡眠欲が存在するらしく、その回数で何となく何日経ったかを決めていた。


「今の魔力制御とこれまでに教えた魔法があれば、あの世界でも十分やって行ける筈よ」


 そう、アルスに教わったのは魔力制御だけじゃ無い。基本的な魔法である火、水、土、風魔法から、月の女神様のお得意の闇魔法、そして他と比べれば数は少ないが光魔法や、フィリアから精霊魔法という特別な魔法についても教えて貰った。

 フィリアの教え方が雑過ぎて合間にアルスが補足してくれたのは今となっては良い思い出である。


「やった〜!」


 本人よりも大喜びのフィリアが、後ろから嶺に飛び付いて来た。それにももう慣れた物で、特に驚きもせずに受け入れる。別の言い方をすれば引き剥がすのはもう諦めた。

 単純にしつこいというのもあるのだが、一応それとは別にちゃんとした理由を付けるのであれば、それは事実上フィリアに助けられたからという事になる。

 正直魔力制御に関しては嶺一人だけではここまで直ぐには出来なかった。それを可能にしたのはフィリアの反則的なサポートのお蔭とも言えるのだ。

 どうやら初日にやったアレは魔力との親和性の高い精霊の、その中でも最高位に位置するフィリアだからこそ出来た裏技のような物だった。普通の人間には自分の魔力を他人の体内で動かすなんて芸当は普通出来ないらしい。それを話された当初はフィリアの偉ぶった態度にムカついて適当に流したが、今こうして考えるとフィリアの魔力制御は卓越していると言って良いだろう。

 とまあそんなチート染みたサポートのお蔭でこの数日で魔力制御を習得出来たようなものなので、余り邪険にするのもどうかと思ったのだ。フィリアには少なからず感謝はしているので、その代わりとしてこの様なスキンシップを受容している。言葉にすると余計調子に乗って煩いから言わない事にすると、そこで妥協するしか無かったのだ。無論あまりしつこい時は迷わず引き剥がすが。

 そしてその様子を微笑まし気に見るアルスも止める気は無いようなので、自然とこの光景が当たり前になっていた。


「まあ、お前の手伝いも有ったからな」

「えへへ〜」


 嬉しそうに嶺の体を伝って目の前にやって来るフィリア。嶺の胸に頭をグリグリと押し付ける。ナデナデの催促である。やらないといつまでも催促して来るので、仕方なく頭を撫でてやる。

 変に褒めたりすると調子に乗るが、こういった行為には純粋に嬉しいだけらしく、それ程調子には乗らない事をここ最近で理解したが故の行動だ。案の定フィリアはふにゃけた表情で撫でられてるだけだ。

 実に幸せそうに笑うフィリア。その様子を見て一瞬、ほんの一瞬だけ、昔の姫咲の姿がダブって見えた。


「んにゃ?」


 手の止まった嶺にフィリアが首を傾げるが、嶺の頭の中には先程の姫咲の笑顔が残っていた。

 あれは確か、まだ小学校にも入ってもいない本当に小さな頃だっただろうか、記憶が朧気で詳しくは覚えていない。だがその時の笑顔だけは、今この瞬間にも鮮明に思い出せた。

 あの頃はまだ嫉妬とか嫌悪とか、そんな感情は一切無くて、唯純粋に一緒に遊んで、そして笑い合っていた。友達も沢山居た。子供の友達の定義なんて昔程確りした物では無くかなり曖昧なものであったが、それでも一緒に遊ぶくらいの関係なら何人も居た。

 別にあの頃に戻りたいとかそういうのでは無い、唯少し、ほんの少しだけだが心が寒く感じた、それだけだ。


(アホらしい)


 昔を思い出して感傷的になる程、その時代が輝かしいものだった訳では無いし、小学生以降の生活に救いが無かった訳でも無いのだ。

 多分生き方さえ変えてしまえば、例えばそう、周りが嶺を利用して姫咲と仲良くしようと画策するように、嶺も姫咲を利用して友達を作っても良かったのだ。そうすれば、歪ながらも孤独に苦しむなんて事にはならなかっただろう。例えそれが姫咲の写真や姫咲目当てであったとしても、その間に一緒に過ごした時間は紛れも無い本物なのだから。自分の価値を嶺に言われるまで気付かなかった姫咲だってそんな事誰に言われても信じないだろうし。

 だがそれをせずに姫咲目当てで近付いて来た者達を拒絶したのは、姫咲を利用するのが例え自分自身でも許せなかったなんて高尚な理由では無く、単に嶺が自分の事を姫咲のついでみたいに見られたく無くて、自分の事を一人の人間、朝霧 嶺として見て欲しいという傲慢があったからだ。

 そんな人間が他人に好かれる訳が無い。嶺自身そう理解している。だから感傷的になる権利なんて、ましてやあの頃に戻りたいなんて思う権利も自分には無いし、思うつもりは無い。


 そんな事を思っていると、突然頭を掴まれて引き寄せられた。そして気付けば嶺は頭をフィリアに抱かれていた。

 真っ平らに限り無く近い胸は余り柔らかくは無かったが、耳に聞こえる鼓動とフィリア自身の温もりが、嶺の体にじんわりと熱を伝えて来る。それだけでは無い、抱き締められた頭だけで無く、触れられてもいない全身が温かい何かに包まれていた。

 今だからこそ分かる。これはフィリアの魔力だ。フィリアが魔力を操作して嶺の全身を包み込んでいるのだ。


「フィリア知ってるよ。嶺が本当は優しい人だって」


 もう一人称がフィリアで固定されてしまった彼女の話は、どういう原理か嶺の心に、深く深く染み渡って行く。


「まだ何日かしか経ってないけど、それでも分かるよ。だって、クッキーを分けてくれたんだもん」

「……何だよそれ、理由が完全に子供じゃないか」

「でも、本当に人が嫌いな人はそんな事しないよ。絶対に独り占めするから。だからクッキーを分けてくれたお兄ちゃんは、とっても優しい人なんだよ。そんな優しいお兄ちゃんが辛い時は、フィリアが元気にしてあげるの」


 そう言って嶺の頭を撫でる。見た目的には完全に逆の構図だが、この時の嶺には、フィリアの事がほんの一瞬だけ、そうほんの一瞬だけだが、その存在がとても大きな物に感じられた。


「子供じゃあるまいし、そんなので元気になる訳無いだろ」


 だがこんなお子様サイズのフィリアでも一応は神様なんだと、少しくらいなら認めてやっても良いと、この時嶺はそう思った。


 ーーー


「俺、使徒になる事にした」


 フィリアのよしよしタイムが終わって、嶺は開口一番にそう言った。まるで長年引き籠っていた息子が就職を決意したような感じだった。


「レイ君…」

「本当!?」

「ああ、流石あんな人生で納得出来る訳無いしな。やり直せるって言うんならそうさせて貰うさ」


 アルス達から教わった魔法があれば、少なくとも生前の二の舞になる事は無いだろう。それだけの力はあると思っている。

 別に魔法と言っても戦うだけに使う訳では無いのだ。使い方次第でやり方は幾らでもあるだろう。


「そう。ありがとう、レイ君」


 後で決めても良いと言ったアルスだが内心は不安だったのだろう。礼を言う声には感謝の他に安堵も感じられた。


「それじゃあ今日はもうレイ君も眠くなる頃だろうし、一旦レイ君が寝てから転生させましょう」

「分かった」


 嶺が目覚めてから既に十時間以上経過している。もう少しすれば眠くなるだろう時に説明するよりも、一度寝て貰ってから纏めて説明する事にしたらしい。

 という訳で嶺が寝るまでの間に最後のティータイムに入った。ここ数日毎日のようにお茶会宜しくティータイムを行っていたから、お菓子をバクバクと食べるフィリアの姿も最早恒例となっていた。…その小さな体で毎日そんなに食べて太らないのか心配にはなるが。神様オプションで食べても太らない体になっているのだろうか。世の女性達が聞いたらさぞや羨む事だろう。


「そう言えば今まで聞き忘れてたけど、使徒になって具体的に何をすれば良いんだ?」


 いきなり使徒になってくれと頼まれ、その混乱が冷めやらぬ内にフィリアに懐かれてその対応に追われ、その後は魔力制御に掛かりっきりだったので、聞く機会が無かったのだ。


「特にしなければならない事は無いわ。人の道さえ外れたりしなければ、貴方の好きなように生きて良いのよ」

「そうは言うけど、何もしなくて良いのなら何で使徒が必要なんだよ」


 何もしなくて良いのは楽で良いのだが、それなら別に居ても居なくてもそんなに変わらない気がする。では使徒とはそんな存在なのだろうか。その使途が存在する事に、何の意味があるというのだろうか。


「世界の為だよ」

「いや、そんなザックリと説明されても」


 スケールが大き過ぎて細かい部分が全く把握出来ない。そして元々フィリアに説明の期待はしていなかったので、出来れば黙っていて欲しかった。当の本人は分かっていない様子だが。

 また邪魔されても面倒なので、口の中にクッキーを入れて黙らせた。


「レイ君。私達の管理する世界にとって、神々というのはとても重要な存在なのよ」


 フィリアが黙ったのを見計らってアルスが説明を始める。


「私達の管理する世界にはあらゆる神々の恩恵で溢れているの。自然、文明、才覚、あらゆる物に神々の恩恵は齎されているの。だから私達の管理する世界には多種多様な宗教が存在しているわ」


 曰く、地球とは違い実際に恩恵が有るからこそ、この世界にとって宗教は切り離す事の出来無い間柄になっている。だからこそ、信仰する神や信仰の形によって異なる宗教や宗派が存在するのだとか。


「そしてその信仰が強ければ強い程、言うなれば勢力が大きい程、神々の権能や恩恵は強くなるわ。その逆もまた然りね」

「信じる者が救われる世界ね」


 現代の聞く人が聞けばさぞや羨む話だろう。真面目に信仰すればちゃんと恵みが得られるのだから。


「そんな便利な物では無いけれど、有り体に行ってしまえばそんな感じね。そして、それこそが問題なの」


 アルスの声色が悲痛な物に変わる。


「私、月の女神であるアールシュタットは、その世界では異端認定されているの」


 異端。それはつまり、信仰する事が禁じられているという事になる。


「現在では最大の勢力を誇る宗教が光に関する物を崇め奉っているみたいでね。その宗教が闇に関連する宗教を異端認定したみたいなの。月は夜、つまり暗闇を連想させるという事で、漏れなく異端とされたわ。『闇に属する宗教は、全て世界を破滅に導く邪教である』って具合にね」


 闇とは即ち悪を連想させるから、その宗教としてはさぞややり易かった事だろう。その迫害の直前に何かしら大きな事件があれば、民草を言い包めるのはそう難しくは無いだろうし。


「それだけなら別に良いの。例え私が信仰されなくなっても、それもまた人の営みの一部だと言えるのだから。問題なのはその所為で、世界の均衡が崩れつつあるという事よ」


 別の意味でスケールが大きくなった。


「一体何が起こっているんだ?」

「…日照時間が増えているのよ」

「は?」


 それだけなら大した事無いような気がするが。一体それのどこが問題になるのだろうか。


「夜というのは、生き物が休息に入る時間帯よ。夜行性の生物も居るには居るけど、それだって夜が来なければ活動は出来無いわ」

「でも、そこまで騒ぎ立てる程の事なのか?」


 夜間に活動する生物にとっては確かに死活問題だろう。だが、だからと言ってそれだけで生態系を大きく崩すような事にはならないだろう。少なくとも人間にはそんなに影響は出ない気がする。人間はその気になれば昼間でも寝られるし。地球には夜が来ない白夜なんて現象も有るくらいだ。


「確かに人間であれば大した事は無いかもしれない。昼でも寝てしまえば問題無いだろうし。でもその他の生物、特に植物とかはそうは行かないわ。植物は日に当たり過ぎると活力を失って、終いには枯れてしまうわ。世界中の植物が枯れてしまったらどうなるのか、貴方なら分かるでしょ?」


 植物が枯れてしまう事で一番困るのは農作物が作れない事だろう。野菜等の直接的な物から小麦等の加工に使う作物も育たない。

 もっと言えば世界中の植物が枯れ果ててしまえば、光合成によって酸素を生み出す存在が無くなってしまい。嫌気呼吸で生活するような特殊な生物以外の生命は須く滅んでしまうだろう。


「予想以上にヤバいな」

「ええ。これには私の力が弱まった事もあるけれど、それ以外に光に属する神の中に太陽神を祀っている宗教があるからよ」


 月の女神の力が弱まり、対称的に太陽神の力が強まった事が今回の原因らしい。


「このままでは、世界の生態系が崩れてしまうわ。最悪、世界が滅んでしまう可能性も考えられる。それを避ける為には、私の力を強めるか、太陽神の力を削ぐかの二通りしか無いわ」

「成る程、その為の使徒か」


 勢力の大きな太陽神の力を削ぐのは簡単な事では無いだろう。ならばアルスの月の女神としての力を強めるしか無い。力を少しでも高める為には信者を増やすしか無い。その為の使徒、嶺もその事に合点が行ったらしい。

 世界の為とか言っていたフィリアの答えも強ち間違いだった訳でも無かったらしい。お詫びとしてもう一枚クッキーをフィリアの口に入れて、頭を撫でてご機嫌を取る。これで気分が良くなるのだから安い神様である。


「ええ。使徒とは神々の力を色濃く受けた存在、私の力を少しでも高めるには、迫害による忌避感の強い元の世界の人間よりも、そういった事に忌避感の無い異世界の人間にするべきだと判断したのよ。それで一番私との相性が良さそうだったのが」

「俺だった訳か」

「そうよ。夜の闇に安らぎを感じ、静寂に憩いを求める貴方だからこそ、私の使徒足り得るのよ」


 そう言われて嶺は複雑な気分になる。自分の在り方を肯定して貰えるのはこの上無く嬉しい。実の親にすらされなかった事だから余計にそう感じてしまう。

 だが暗闇に安らぎを感じるのは嶺が星空が好きなのもあるが、それ以上に味方が居らず信じられる者も居ない嶺にとっては、誰の存在も感じさせない暗闇と静寂の中でしか安らげる空間が無かったからだ。自分以外誰も居ないと思わせるその空間でのみ、嶺は心を休ませる事が出来たのだ。

 そんな暗い背景で作られた性格を肯定されて素直に喜べば良いのか分からない。だから複雑なのだ。


「…何て言えば良いんだろうな」

「難しく考える必要は無いわ。それは貴方が苦しみながらも、諦めずに生き続けた証とも呼べるのだから」

「物は言い様だな」

「それでも、どうせ考えるなら都合の良い方が、幾分か楽な筈よ」

「確かに…それも言えてるのかもな」


 既に終わってしまった人生の事をこれ以上悲しい物にする必要も無いだろう。後付けだろうがそれは悪い物でも無かったと思った方が精神衛生上健全だ。ポジティブシンキングである。


「あ、お菓子無くなっちゃった…」

「俺はまだ一枚も食べていないのというのに」


 この精霊神には分かち合う心は無いのだろうか。せめて一枚くらい残してくれても良かろうに。

 結局時間が時間なのでクッキーの追加は無く、ティータイムはここで終わりを告げた。当然フィリアが駄々を捏ねたが、暫くしたらムクれながら嶺に抱き着いて拗ねていたが、やがてスヤスヤと眠り出し、嶺もそれにつられる形で眠りに就いた。


 この日、嶺は夢を見た。アルスやフィリアと出会った空間で、草の上に横になって寝ている夢だった。フワフワとした心地良い感覚の中、頭が何か草とは別の物に柔らかい何かに乗せられた状態の嶺の頭を、何かが優しく撫でる。感覚としてそれは人の手の様な気がした。頭を撫でるそれは細くてしなやかな指の動きだと感じた。

 そこから更に何か温かい物が嶺を包み込む。それは体が蕩けてしまいそうな程心地良く、体だけで無く心も、そして脳までもがそれに包み込まれた。己の存在の全てを包み込む様な幸せな感覚。薄っすら開けたぼやけた視界の中には、見た事の無いシルエットの人影が見えた。もっと良く見ようとしたが、急激に瞼の重みが増して思わず目を閉じてしまう。瞼が再び開く事は無く、そのまま嶺の意識は再び暗い底へと沈んで行った。


 ーーー


 翌日、嶺の出立の日を迎えた。昨日は良く眠れたお蔭か、身も心も絶好調とも言うべき状態だった。


「それじゃあ、これからレイ君を私達の管理する世界に転生させるわね」

「ああ」


 思えば不思議な出来事もあった物だ。校舎の屋上から落ちて人生終了のホイッスルが鳴ったというのに、延長戦どころか別会場でやり直しをさせてくれると来たのだから。人生運営委員会のアールシュタット会長には頭が上がらない思いである。

 とまあふざけるのも大概にして、実際に感謝をしているのは確かだ。不満だらけの人生を終えて、新しく始められる。姫咲の居ない、誰も嶺の事を知らない世界で、自分のやりたいように。


「なんつーか、その…色々と世話になったな」


 お礼の一つでも言おうと思ったのだが、小学校に上がる頃から一度も人にお礼を言った事の無い嶺にはそれすらもハードルが高かったようで、精一杯やってもぶっきらぼうな言い方にしかならなかった。内心赤面物の酷さである。

 それを知ってか知らずか、二人の表情が微笑ましい物を見る目になり、その視線に耐えられなくなった嶺はムスッとした表情で顔を逸らす。


「レイ君、手を出して」


 アルスにそう言われて、仕方なく顔を戻してアルスに手を差し出す。それにアルスが前足を乗せてお手の状態になると、手が淡く光り出した。その光は嶺の手に移り、手の中に溶け込むようにして消えて行った。


「これで貴方に、私の加護を授けたわ」


 存外呆気なく加護を授かった嶺は自分の手を見る。手の中に溶け込んだ光の感覚に既視感を感じたが、その感覚も既に消えてしまい、それがいつの時の物なのかも結局分からず終いだった。


「じゃあフィリアも!」


 とてて、と嶺に駆け寄ると、嶺に飛び付いて頬に唇を押し当てた。正しくほっぺにチューである。頬から先程アルスから加護を授かった時の様な感覚があったが、そんな事よりも生まれて初めてのキスの衝撃の方が強かったらしく、嶺は石像の如く固まった。向かいにいるアルスもまた口をあんぐりと開けていた。


「ニュフフフ〜。今度会ったら、次はお口にしてあげるね!」


 嬉し恥ずかしそうにフィリアが言うが、そうなるくらいなら最初からするなと内心でぼやく。

 正直生前含めて初めてのキスであるが、それがまさかこんなお子様精霊神のほっぺにチューになり、嶺としては苦笑いしか浮かんで来なかった。


「それじゃあ、行くわよ」


 我に返ったアルスの言葉に頷いて応えると、嶺の足下に紫色の魔法陣が出現した。魔法陣は徐々にその光を強くして行き、嶺の視界を白く染めて行く。

 これからの事を思うと心が踊り出すような感覚になった。今なら言えそうな気がした。心が踊っている今ならば、さっきは言えなかった感謝の言葉を言えそうな気がした。


「アルス、フィリア、サンキューな」


 思っていた以上にスッと出て来た。何だ、言えるじゃないか。心の中で自分に言ってやった。


「ええ。レイ君も、頑張ってね」

「お兄ちゃん、またね〜!」


 尻尾を揺らすアルスと嶺に向けて元気に手を振るフィリアの姿を最後に、嶺の視界は白一色に染まり、次の瞬間、嶺はこの空間から姿を消した。


「行っちゃったね」

「…そうね」


 瞬間、アルスの体が輝き出した。毛並みの良い黒い毛すらも光で見えなくなると、その形か変わり出した。猫の姿から人の姿へと変わって行き、光が消えると、そこに黒猫の姿は無く、一人の女性の姿があった。

 猫の時の黒い毛のような艶やかな黒髪、そこから覗くアメジストの瞳は妖しい輝きを放ち、括れたウエストからは想像も出来ない程に膨らんだ胸と尻を隠す紫色の服を着た妖艶な美女がそこに居た。


「最初からその姿で会えば良かったのに」

「レイ君は人間不信になっていたのだから、余り刺激したくは無かったのよ」


 とは言えそれも余り効果は無かったみたいだが。まさか黒猫でも人の言葉を喋るだけで警戒されるとは思わなかったのだ。


「とか言っちゃって〜、本当はお兄ちゃんと面と向かって喋るのが恥ずかしかっただけしゃないの?」

「そ、そんな事無いわよ…」


 口では否定しても、顔を逸らしていては意味が無かった。


「そういうフィリアこそ。まさか貴女まで加護を授けるとは思わなかったわ」


 元々加護を授かるのはアルスのみで、フィリアには嶺をこの空間に呼ぶ為の手伝いをして貰うだけだった。だからフィリアが加護を授けた事にはアルスもびっくりした。

 しかもフィリアは誕生以来加護を授けた事は片手で数える程しか無いのだ。だからこそ余計に信じられない。寧ろ何か図っているのでは無いかと思ってしまうくらいに。


「ムフフ〜、だってお兄ちゃんってば普段は素っ気無いのに急に優しくしたりするんだもん。もうハートムギュッ!て鷲掴みにされちゃった」


 キャー!と頬に手を当てて身を捩らせるフィリアの姿は、正に恋する女の子といった感じだった。

 今まで見た明るさとは若干方向性の違うテンションの高さに苦笑いが漏れる。


「それにしたって、好きなら頬になんて事しないで、普通にキスしてしまえば良かったと思うのだけど。今度会ったら何て言ったって、次に会えるかも分からないのに」


 今回嶺を呼び寄せた事でフィリアは莫大な量の魔力を消費した。何千年もの間生きて来たフィリアをしても莫大と言わしめる量だ。それを回復させて、しかももう一度呼び出すには、嶺が生きているであろう期間では不可能だ。

 そしてアルスの魔力は人間達の迫害の影響でかなり弱まっている。全力をもってしても嶺を呼び出すのは不可能だ。

 だからと言って他の神に頼んだ所で、そんな事の為に協力してくれるような物好きもそう居ないだろう。


「来るよ、お兄ちゃんは」


 だと言うのにフィリアはそう断言した。


「お兄ちゃんはきっと来る。私達の居るこの世界に。そんな気がするの」

「…そう」


 気がするだけかと一蹴するのは簡単だ。だが隣にいる小さな神様は、時々予言とも取れるような勘を発揮する事があった。もしそれが今回の事にも適応されるのだとしたら、もしもう一度会う事が出来るのだとしたら、今度はちゃんと人の姿で会おう。会って、話して、そして姿を偽った事を謝ろう。そう思うと、アルスもフィリアの言葉を信じたくなっていた。理由は勿論、何となくだ。

言っておきますが此処迄がプロローグです。

長くなって御免ね^_−☆

次話から転生した嶺君のお話が始まります。お楽しみに。

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