良い事も長くは続かない
次の日の夕方、レイはフレッドとエリックの兄弟と一緒に、昨日訪れた川に来ていた。
というのも、今朝フレッドが昨日の魚獲りの結果を聞いて来たので、ありのままを話した所「俺も食いたい!」と言い出したのだ。一体どの辺りの説明を聞いてやる気になったのかは全く分からない。味に関しては『泥臭いけど食えなくも無い』と描写したのだが。そういう味が好みなのだろうか。だとしたら変わっているを通り越して偏食だと言わざるを得ない。
兎に角そういう訳で、日の高い内に萎びた野菜の手入れを終えて、夕方に用事の無い男三人で川にやって来たという訳である。因みにエリックはフレッドの付き添いである事は言うまでも無い。
「よっしゃ、やるぞー!」
一人気合の入ったフレッドは、早速レイの作った槍を持って突っ込んで行った。
「良くもまあ空腹の状態であそこまで元気になれるよな、フレッドは」
「だってよ、ここで魚を取れれば食い物に出来るんだろ!?ぜってー捕まえてやるぜ!」
「ウオォー!」と気合たっぷりに突撃するフレッドだが、そんなに騒ぐと寧ろ魚が逃げるので止めて貰いたい。
「よし、出来たぞ」
レイだってただ眺めていた訳では無い。自分も魚獲りが出来るように、もう一本槍を作っていたのだ。ついでにエリックの分も作り手渡す。これでこの場にいる全員が魚を獲りに行ける。
「それじゃあ、俺達も行くか」
「うん」
槍を片手に、先を行くフレッドに加勢すべく歩き出す二人。言っておくが、目的は飽くまで魚獲りである。
ーーー
日暮れ直前まで粘った結果、レイは目標である家族一人一匹分、つまり計四匹を獲る事が出来た。フレッド達に関しても、合計で二匹ほど獲る事が出来たようだ。
因みにその二匹の中にフレッドの獲れた分は含まれていない。というか、フレッドの獲った魚は一匹もいない。
「くっそー!何で俺だけ獲れないんだよ!」
「槍に当たるな。壊れるだろ」
一人だけ一匹も獲れなかったフレッドが槍に八つ当たりしているが、寧ろあれだけ騒いでおいて本気で獲れる思っていたのだろうか。
「お前の代わりにエリックが二匹獲ってくれたから、それで良いだろ」
「俺が獲らなきゃ意味無いだろ」
一体何の意味が必要なのだろうか。別にこの魚獲りはフレッドのプライドを満足させる為の物では無いというのに。
「でももう直ぐ日が暮れるぞ。やるならまた明日にした方が良くないか?」
「グッ、確かに。うーん……しょうがねー。そうするか」
フレッドは少しの間どうするか悩んだが、結局帰る事にしたようだ。
「但し、明日こそ俺の方が多く獲ってやるからな」
ビシッとレイに指を指して宣言する。これは決して競争という訳では無いのだが、フレッドにはそれは関係無いらしい。フレッドはそれだけ言うとエリックを連れて帰って行った。
「せめて片付け位手伝ってから帰れよ…」
呆れ果てるレイだったが、自分もそろそろ帰らなければと思い出し、槍をまた隠して帰路に着いた。
ーーー
帰る途中、フレッドはボヤきながら歩いていた。
「あーあ、昨日今日と一匹も獲れなかったぜ」
「だから兄ちゃんは煩くし過ぎなんだよ。魚がビックリして逃げちゃってるもん」
途中からは近付く時は静かになっていたが、槍を突き出す時は大声で叫んでいたので、その声に驚いて魚が逃げ出していたのだ。素振りじゃ無いのだから声を出さなくても良いのだが、フレッドは声を出さないと気が済まないのかもしれない。
そんなこんな言いつつ家に向かう道を歩いていると、向こうから村人がやって来た。
「おや、ポーラさんとこの。今から帰りかい?」
「おうおっちゃん!」
「ども」
この村人は畑の位置的にフレッドの家の近くを通る為、良くこうしてすれ違っては話をするのだ。元ならあまり健康的とは言えない感じではあったが、飢饉の影響か最近はより骨ばっている。
「ん?お前等、何持ってんだ?」
「魚。川にいたのを捕まえて来たんだ。良いだろぉ」
自慢気に見せびらかすフレッドだが、それを獲ったのはエリックである。しかしそれを知らない村人は素直にフレッドを褒める。
「へえ!そいつは凄えじゃねえか!」
「だろ!?これで冬も腹一杯飯が食えるぜ」
「兄ちゃん、はやく帰らないと母ちゃんに怒られるよ」
「ヤベッ!じゃあおっちゃん、またな!」
「おう、気を付けてな」
村人に見送られて家へと急ぐフレッドとエリック。彼等は知らない。二人を見送った後に、村人が意味深に笑っていた事を。
ーーー
数日後、レイ達が魚を獲っていた場所は、村人でごった返す程の大盛況となっていた。恐らく村の殆どの人が集結しているのであろう、女衆も駆り出されて一心不乱に魚を獲ろうとしていた。
「な、何だよこれ…」
数日前とは様変わりした光景に、フレッドが唖然としている。レイ達がこの場所を独占していた頃には、川の周辺は静かで、水の流れる涼し気な音が聞こえる場所だったのに、今はある場所からは魚が獲れたと歓喜の声が上がり、またある場所では一家総出で一匹の魚を囲い込んで騒いでいる。
「村の連中にここの事がバレたんだろ。誰かに見られたのか、それとも誰かがバラしたのかは知らないけどな」
フレッドの肩がピクリと跳ねる。数日前の村人に話した事を思い出しているのだろう。もし自分が話したからだとレイにバレたらと思うと、冷や汗が顔に滲み出て来た。
「どうしたフレッド。何か心当たりでもあるのか?」
「い、いや、全然」
「……そうか(フレッドか)」
今の挙動で、フレッドがバラしたと確信したレイ。しかし追求してもフレッドは片意地張って話さないだろうし、何より今更追求してもどうしようも無いのでスルーする。
それよりも問題は、これからどうするかだ。
「そうだ!俺達も急がねーと!」
「もう遅い」
川に向かって駆け出そうとするフレッドをそう言って止める。
「既にこの辺の魚は粗方取り尽くされてる」
魚を追ってる村人は殆ど居らず、その殆どは魚を探しているようだが、そんな大人数で探して見つからないならここにはもういないと考えて良いだろう。
「それに他の場所でも魚を探してる奴がいる。多分もうこの辺には一匹も魚はいないと見て良いだろうな」
「そんな……じゃあ、今晩の俺達の魚はどうすりゃ良いんだよ!?」
「知るかよ。こんな状況から魚を見つけ出して、しかもあの場所に居る誰よりも早くソイツを捕まえる方法があるならこっちが聞きたいな。ただ一つ言えるのは、もう魚は諦めた方が良いって事だ。見てみろ」
レイが指差す先では、魚を獲った村人とその近くにいた村人が争っている所だった。
「おい!ソイツは俺が狙ってた奴だぞ!何勝手に横取りしてんだよ!」
「ハァ?知るかよ。俺が先に手に入れたんだ!コイツは俺の物だ!」
「何だとテメェ!」
言い争いに始まり、遂には喧嘩が始まった。近くにいた何人かが仲裁に入っても、暫くあの光景は続きそうだ。
「皆自分達の為に少しでも食べ物を手に入れようと必死だ。お前はあの中に混じって、魚を奪い取れるのか?」
それは単に魚を勝ち取るだけの力だけでは無い。相手を踏み躙ってでも魚を奪い取る覚悟はあるのかという意味だ。
フレッドは何も返さなかった。ただ、今まで争う事なんて殆ど見たことの無かった村の人達が、まるで互いが親の仇のように争っている様を見て呆然としていた。
「今はまだちょっとした喧嘩で済んでるかもしれないけどな。この先食べ物が無い状態が続けば、多分今よりもっと酷くなるぞ。たった一つの食べ物の為に人死にが出るかもしれない」
「そんな…!どうにかなんねーのかよ!?」
「……方法はあるにはあるけど…アイツ等には無理だろうな」
川でセコセコと魚を探す村人を見下しながら言う。碌に話した事の無い人間の何が分かるのかと思うだろうが、何年も見ていれば、この村の人間性くらいは大体把握出来る。その上でそう言ったのだ。
「それって、何だよ!?」
「……この村の近くには寒くなっても緑豊かで、食べ物も豊富にありそうな場所があるだろ」
「ッ!!それって……」
「ああ。帰らずの森だ」
一年を通して緑が絶えない魔境、帰らずの森。草も枯れる季節になっても草木が生え続けるあの場所なら、食べ物も探せばほぼ確実に見つけられる。
「帰らずの森なら、探せば食べ物も見つかるだろ。まあこの村の連中がそんな事をしたら、十人中九人は死ぬだろうけどな」
この村では帰らずの森に入ってはいけないと言う暗黙のルールが存在する。それは森が危険である事と、その森に入る事による人口の減少を抑制する為の物なのだろう。事実村の人達は可能な限り森には入りたがらないし、恒常的に森に入る猟師達も奥には滅多に行かない。
そのお蔭で森に入って死ぬ村人が出なくなったが、その影響でウルフを目の前にしたら腰を抜かしそうな貧弱な村人ばかりになった。これでは万が一ウルフに見つかるようなことがあれば、先ず命は助からないだろう。
運良くウルフに見つからずに食べ物を見つけて帰って来れた者のみが生きて帰れる。そんな策を解決策とは言えない。
「せめてウルフをどうにか出来れば、少しは変わって来るんだろうけどな」
そんな事は誰もが分かっている事だ。それでもどうする事も出来なかったからこうして森への進入が禁止されているのだから。
だから彼等は、こうして安全な場所で魚を獲る事しか出来ないのだ。
ーーー
それから更に数日が経った。季節は冬に突入し冷たい風が吹き荒む中、相変わらず暇な村人達は魚を探しに川に入っている。
既に殆どを獲り尽くしてしまっている為、取れるのは全体で二、三匹程度だ。それでも足しになるのならと川に入っているのだが、そんな上手く行く確率の低い事に労力を割くくらいならもっと別の事を考えるべきだろう。
そうレイは思うのだが、学の無い村人にそんな事を言っても子供の戯言と一蹴されるだろうから実際に言う事は無い。そもそも仲良くも無い他人の為に行動する暇があるなら先ず自分が助かる道を考える方が先決である。
「とは言え…魔法無しで出来る事なんてたかが知れてるしな」
畑での農作業を終えて家に帰る途中で、レイは小さく呟いた。
この村ではまだ魔法が使える事は隠している。と言うか、村を出るまで隠し通すつもりだ。面倒事の種は一つでも少ない方が良い。
しかしそうなるとレイには地球の知識しかなく。しかも頭が良かった訳でも無いレイの知識で直ぐに食料事情を回復させる知恵なんて無い。携帯電話の使い方などこの異世界では使い物にならないのだ。思わず溜め息が漏れる。
「どうしたんだよレイ。なんか元気無さそうだけぞ」
「フレッドか。別に気にする必要は無いから安心しろ。ただ腹が減っただけだ」
「ああ。レイもそうだったのか」
「当たり前だろ。今この村の中で腹を減らさずに生活してる奴なんていないだろうよ。俺もお前もユニスもエリックも、最近会って無いけどイルマも多分な」
しかもイルマはレイ達のように魚獲りに参加してないからレイ達よりも厳しいかもしれない。
「そう言えば少し前からイルマ見ねーな。どうしたんだ?」
「さあな。家の仕事が忙しすぎるだなのか、もしくは動くとお腹空くから家でジッとしてるんじゃないか?」
「うわぁ。俺達は毎日毎日殆ど食い物の成ってない畑をの世話してるってのに。女は良いよな」
フレッドはそう言うが、女は雨の日も家で家事や水汲みをしているので、実質年中無休である。男は雨の日になると余程の事が無い限り休みになるので、どちらが良いのかと聞かれると微妙な所だ。恐らく好みの問題になるだろう。
そんな下らない事を話しながら家に帰る途中、道の横から見知った人が出て来た。
「あ、ヒー婆ちゃんだ!」
「おや、二人共。元気そうじゃな」
ヨダ村の物知り婆さんことヒアリーは、嗄れた笑顔を向けてそう言った。そのセリフにレイは違和感を覚えた。
「まるでさっきまで元気じゃ無い奴を見てたような言い方だな」
普段なら『今から帰りかい?』といった感じの事を聞いて来るのだが、まるでレイとフレッドが元気でいる事を確認しているような言い回しに聞こえたのだ。
それが当たっていたのか、ヒアリーは一瞬気まずそうな顔をした。
「まあね。ここんとこ毎日さ。日が昇る度にどこかの家で誰かが体を壊す。今日も少し前に体を壊した子の様子を見て来た所じゃ」
毎日川に入って魚を探していれば体を冷やして体調を崩す奴も現れるだろう。当然の帰結である。
「アンタ達も体には気を付けるんじゃよ」
「おう、分かったよ!」
「分かった」
満足な食事が摂れないから気を付けようも無いのだが、それを知らない二人には言っても仕方ない。レイも適当に返事をしておいた。そうとは知らず、ヒアリーは満足そうに頷き、レイ達の横を通り過ぎで行く。
レイ達も移動しようとして、ふとレイはヒアリーの来た道を見て、続いてヒアリーに向き直った。
「ヒー婆ちゃん!」
「ん?どうしたんだい?」
「さっき言ってた、少し前に体を壊した子ってのは誰なんだ?」
先程ヒアリーが来た道にある数件の家には何人も子供がいるが、その殆どは川で魚獲りをしている所を見掛けている。だが、その中で一人だけ、暫く顔も見ていない者が居たのを、レイは思い出したのだ。
「それは……いや、いずれ分かることか。それはなあーーー」
ーーー
数分後、フレッドは全速力で走っていた。というのも先程のヒアリーの一言が原因だ。
『それはなあ、イルマじゃよ』
最初は言葉を受け入れなかったフレッドだが、次第に現実を理解すると直ぐさまイルマの家に走り出したのだ。その後ろでは少し遅れてレイが後を追い掛けているが、身体強化をしてなかったら置いてかれてたかもしれない。
フレッドはイルマの家に着くと、ノックも挨拶も無しに扉を開け放って中に入った。
「イルマ!大丈夫なのか!?」
家の中にはイルマの両親と、ベッドの中で横になっているイルマがいた。
「フレッド君?どうしてここに…」
そんな事を言っているイルマの父親には目もくれず、フレッドはイルマに駆け寄る。
そして絶句した。
ベッドで横になって眠っていたイルマは、恐ろしいくらいに痩せ細っていた。フレッドやレイも飢饉の影響で若干頬が窪んで来たが、イルマはそれ以上に、顔や体、手足に至るまでガリガリになっていた。顔色も悪く、本当に数日前のイルマとは別人と勘違いする程の変わりようであった。
「何だよこれ。本当にイルマなのかよ?」
フレッドの呟きに、イルマの父親は苦々しく顔を歪め、母親は顔を覆って泣き出した。自分の娘が急に病気になって、その上異常なペースで痩せ細って行くのは、相当精神的に辛いものだった。
少し遅れて、レイもイルマの家に着いた。開けっ放しだった扉から入って啜り泣く声を頼りに部屋に来ると、イルマの顔を覗き込む。
「コイツは酷いな」
まるで姿だけなら年老いた老人のような痩せ細り方だ。七歳前後の子供のなる体型としては異常、それこそテレビでしか見た事の無い光景だ。
最近姿を見ないと思っていたが、これでは確かに会えないだろう。
「……クソッ!」
見るに堪えなかったのか、フレッドは悪態を吐いて逃げるように家を出て行った。
どこへ行くのかと後を追おうとした時、イルマの寝息が途切れた。イルマの目がゆっくりと開かれる。
「……レイ?」
「起きたのか」
「うん。でも、そっか…見られちゃったんだ」
女としては、こんな姿はあまり見られたく無かっただろう。
「ああ。少し見ない内に随分と痩せたんだな。正直驚いた」
「クスッ、もう変な事言わないでよ」
笑ってはいるが、その笑い声も力無い感じだ。笑う為の力も無くなってきているのだろうか。
「しかし、まさかこんな事になってるなんてな。てっきり忙しいだけかと思ってた」
「うん。私からお願いしたの。皆には内緒にしてって」
「まあ、呪われてるんじゃ無いかってくらいの変わりようだからな」
見る人が見たら、そう勘違いする人が現れてもおかしく無いだろう。そういう意味では賢明な判断である。
「……レイは、怖く無いの?」
「別に」
ただ異常に痩せただけで性格が豹変した訳でも無いのだから、別に問題でも無いだろう。唯一感染の恐れがあるにはあるが、その時は解毒用の魔法でも使って病原菌を消してしまえば良いのだから大丈夫だ。
「そっか。ちょっと安心した」
「そうか。じゃあ俺もそろそろ行くわ。フレッドの馬鹿がどこに突っ走ったのかも確かめておかなきゃならないからな」
別にフレッドが何をしようとどうでも良いのだが、普段からフレッドのストッパー的な事をしていた所為か、何時の間にか周囲からそれが当たり前のように見られているのだ。
下手に放っておいてフレッドに何かあって、それでレイに皺寄せが来るのは嫌なので、ある程度何をしていたのかくらいは把握しておいた方が良いだろう。変な事をしでかそう物なら、殴ってでも止めてやるつもりで。
「まるでフレッドのお兄さん見たいね」
「あんな手の掛かる弟は御免だけどな」
イルマに手を振って挨拶して家を出る。外は日暮れも近付き、真っ赤な空が暗く変わりつつあった。
「さてと、あの馬鹿はどこに行った?」
探知の魔法を発動して探ってみる。フレッドが出て行ってそれ程経って無いから、今もどこかで走っているだろう。反応を見てみると、速度的に走っているであろう移動スピードに、且つ丁度イルマの家から離れるように移動する反応が一つだけあった。十中八九フレッドだろう。
その移動経路から大体の目的地を探してみる。
「確かこっちの方は……ん?」
フレッドの向かうその先には、数日前まで魚獲りをしていた川があった。




